第89話 夏祭りとメランコリーな夜

 両親が赴任先から帰宅した。


 幹也と絵美子が久しぶりに見る姉弟は、何故か少しボロボロになっていた。特に悠は、まるでプロレスを戦った後のようだ。


「どうしたんだ、二人とも?」

「まあ、喧嘩でもしたの?」


 幹也も絵美子もビックリした顔をする。


「いや、ちょっと総合格闘技の練習台に……」

 悠が変なことを言い出す。


「違うわよ。ユウ君がイジワルだからでしょ」

 百合華も言い返す。


「いや、あれは冗談なのに……」

「冗談でもダメ!」


 実はこの二人、手錠を外した後にプロレスごっこでじゃれ合っていたのだが、段々ムキになってしまいこの有り様なのだ。


 トイレの件で恥ずかしがる姉が可愛くて、悠が少しからかい過ぎたのが原因だ。

 他の女子には絶対言わないのだが、大好きな姉にはちょっとエッチに攻めてしまい、やり過ぎてこのザマである。

 何事も程々にしなければならない――――



 二人は喧嘩した事を少しボカして説明する。

 もちろん、手錠の件やトイレの件は内緒だ。


 言い合っている二人を、両親は呆れた顔で見つめている。


「いい歳して何やってるんだ……」

「あなた、実の姉弟みたいで微笑ましいじゃない」

「そうかな?」

「そうよ」


 夫婦の会話が何となく良い方向に着地した。

 いつも仲良しで滅多に喧嘩しない悠と百合華なのだが、たまには喧嘩するくらいの方が姉弟っぽくて良いのかもしれない。

 余り仲が良過ぎるのも疑われてしまいそうだから。



 玄関での長話もなんなので、皆でリビングへと移動する。

 喧嘩しているのに、やっぱりソファーには並んで座る二人だった。


「たいだい、弟は姉に従うって決まってるのよ」

「横暴過ぎるよ」

「姉とは横暴なものなの」

「そんな定説はねぇ!」


 北海道土産のホワイトチョコやレーズンが入ったクッキーを食べながら、まだ二人が言い合っている。

 さっきまでエッチでド変態なことをしていたとは思えない、実に姉弟らしい会話になっていて自然だ。

 偶然にも、直前に喧嘩したことで自然な感じを出していて、普段のエチエチカップルのような雰囲気は消えていた。


「まあ、元気そうで安心したよ」

 そんな二人を見て、幹也は安堵した顔をする。


 ――――――――




 お盆休みで百合華も連休だが、両親が在宅なので派手にイチャイチャすることはできない。

 二人はムラムラとした感情を抱えながらも、親の前では姉弟として接していた。


 そんなある日――――

 悠は部屋で一人ゲームをしていた。

 いつも姉と一緒の時はベタベタしているので、一人で部屋にいるのが新鮮な感覚になってしまう。


 お姉ちゃん……

 いきなり突撃して来たりしないだろうな?

 昔より過激になってるし、余り派手にやるとすぐバレちゃいそうなんだよな……


 悠は心配していた。

 昔から、わざと親が近くにいる時を狙って隠れてキスしたりと、色々と危険過ぎる姉なのだ。



 ピコッ!

 スマホにメッセージの着信が通知された。


「ん? 誰だろ」


 スマホを手に取ると、画面には六条葵の名前が表示されている。


「うっ、六条さん……何だか嵐の予感が……」


 アプリを開くとそこには

『少しよろしいかしら?』とある。


 とりあえず、差し障りのないように

『はい』とだけ返信する。


 ピロリピロリピロリ――――

 すぐに電話が掛かってくる。


「六条さん……何だろう? 最近は少し大人しいから大丈夫かな?」


 ピッ!

 電話に出る。


「六条さん、お久しぶり」

『ちょっと! どういうことですの!』


 いきなり怒り口調の葵だ。


「えっと、何のこと?」


『プールです! プール! 皆でプールに遊びに行ったそうじゃないですか? 何で私だけ除け者なんですか? せっかく皆さんと仲良くなれたと思ったのに……』


 どうやら、何処かでプールの話を聞きつけて電話してきたようだ。


「ええっ、あれは中将さん達三人で行く予定だったのを、俺が直前に誘われただけで、除け者になんかしてないから安心してよ」


『ホント?』


「うん……てか、六条さんって、前はよく中将さんにケンカ吹っ掛けてたけど、本当は大好きなんだよね?」


『ちちちちち、違います! なな、何でそういうことになるんですの!』


「違うの?」


『違います。私は……昔から可愛くて頭も良くて美人として有名で……』


「はあ……」

 えっと、自慢なのだろうか?


『女子の中で浮いているのか、なかなか友達ができなくて……』


「うん」


『林間学校の班決めでも残ってしまい……でも、皆さんの班に入れてもらい、ロッジで一晩お話が出来て、とても楽しい時間が過ごせたのです。せっかく友達になれたのに、私を誘わないなんて酷いと思いませんか?』


「う、うん……周囲に拒絶されているのか不安になる気持ちは分かるよ」


『分かってくれますか! あなたなら分かってくれると思っていました』


「そ、そうなんだ」


『それで、今夜なんですけど近所の神社で夏祭りがありますわよね! 一緒に行きませんか? 行きますよね! 一緒に遊びに行って貴美さんにも同じ気持ちを味あわせて差し上げましょう! 午後六時にご自宅に向かいますから、待っていてください。それでは』


 ガチャ!

 一方的に話をされ、電話は切られてしまう。


「………………」

 悠は暫し茫然としている。


「ちょおっと待て! 何で勝手に夏祭りに行くことにされてんだ!」

 もう電話は切れているのにツッコミを入れる。


 てか、六条さん!

 何で、そうやって相手を挑発することばかりするんだ。

 好きな子にイジワルする小学生かよ。

 一緒に遊びたいのなら、直接中将さんに『遊びに行きたい』って言えば良いのに。


 そこは、素直になれない葵心だった。

 貴美と仲良くしたいのに、自分から誘うのは負けた気がするのだ。

 ちょっと面倒くさいのが彼女の個性だったりする。


「いや、待てよ……し、しまったぁぁぁぁーっ!」


 悠は肝心なことを忘れていた。

 家に葵が迎えに来るということは、百合華に全て見られてしまうのだと。

 同級生女子と夏祭りデートだと誤解されても仕方がない。



 コンコン!

「ユウ君」


 部屋の中で悠がオロオロとしていると、ノックする音と姉の声が聞こえた。


 ガチャ!

「ユウ君、今日は何して遊ぶ?」


 そのまま入って来ると、悠の背中に抱きつく。


「お、お姉ちゃん……親に聞こえちゃうよ」

「大丈夫。静かにしてればバレないよ。ふふっ……ちゅっ」


 後ろからハグしたまま、耳元で囁き頬にキスをする。

 悠は、今夜も一緒に仲良く過ごすのだと思っている姉に、夏祭りに行くのだと伝えることに罪悪感を感じる。


 どうしよう……

 六条さんのことだから断っても来そうだし……

 プールの件でショック受けてたみたいだし……

 俺が断わると、更にショック受けちゃいそうだし……

 でも、行くとお姉ちゃんが……

 くっ……でも、やっぱり話すしかないか。


「えっと……お姉ちゃん――――」




 夏祭りの件を話すと、予想通り百合華がむくれてしまった。

 プンスカ怒って完全にご立腹だ。


「ふんっ、私とはお祭り行ってくれてないのに」

「い、行ったじゃん。子供の頃に」

「それ、再婚してすぐの頃でしょ! 親と一緒なのはカウントされないのっ!」

「ごもっともです……」


 親が再婚したばかりの頃に、新しい家族親睦を兼ねて祭りに行ったことがあった。

 両親は姉弟になった二人が打ち解けるように色々していたのだが、この二人ときたら最初からテンションマックスで両想いになってしまい、親の新婚旅行の間にイチャイチャしまくっていたくらいである。

 もちろん、祭りの時もお互いが気になりドキドキするのを隠していたのだが。


 悠は、当時JKだった浴衣姿の百合華を、いけないことだと思いながらも、美しいうなじや、ムッチリと膨らんだ胸や、色気が出まくりの尻を、こっそり見まくっていたものだ。



「懐かしいね。あの時のお姉ちゃん、凄く綺麗だった」

「ゆ、ユウ君……」


 二人揃って懐かしい記憶が甦る。


「一緒にお祭り楽しかったね。また行きたいな……」

 百合華がロマンティックな表情で呟く。


「そうだね……でも、地元だと誰かに見られちゃうし……」

「うん……」


 子どもの頃は気兼ねなく手を繋いで出掛けていたのに、歳をとって大人になるとままならないことが多くなる。

 本当なら、誰にも気兼ねせず恋人のように出掛けたいのにと。

 どんなに想い合っていても、世間がそれを許さないのだ。


「とりあえず、また今度埋め合わせするということで、今日はお祭りに……」

 恐る恐る、悠が聞いてみる。


「ユウ君、遊びに行くのは構わないけど、信じてるからね。絶対流されちゃダメだよ」

「うん……」

「お祭りの雰囲気とか浴衣マジックとか、トラップがいっぱいなんだからね!」


 普通の日常より、お祭りやイベント事などの非日常時は、いつもより相手が良く見えてしまって、雰囲気に流されカップル成功率が上がったりする。

 そして、日本の伝統衣装の浴衣は、より女子の魅力を引き出して、いつもより可愛く見えてしまうものなのだ。


「大丈夫だよ。何も無いから」

 悠は百合華を安心させるように微笑んだ。


 ――――――――




「こんばんは」


 玄関から葵の声がした。

 絵美子が『あらあら、女の子?』と言って出そうになるのを押えて、悠が玄関へと向かう。


 悠が玄関に出ると、出迎えたのは予想外の人物だった。


「うぃす、明石ぃ、久しぶり」

「あれ?」


 明るい色の髪を纏めてアップにし、大人っぽい藍色の浴衣を着ている。

 普段はヤンチャでギャルっぽいイメージな少女が、不思議と落ち着いた色気のようなものを出していた。


「ゆ、夕霧さん……びっくりした」

「へへっ、葵から連絡が来てよ、あたしも行くことにしたんだ」

「そうなんだ」


 ちょっとだけ真理亜の浴衣姿に見惚れる悠に、すぐ後ろにいる葵がプリプリしている。


「ちょっと、明石君! 私も浴衣なんですけど」


 葵は、長い黒髪をポニーテールにして、生成きなり色に赤い牡丹ぼたん柄の浴衣だ。

 葵なのに葵色じゃないんだとボケをかましそうになるが、そんなことをしたら面倒なのでやめておいた。


「う、うん。六条さんの浴衣も綺麗だね」

「でしょ」


 玄関で話していると、絵美子が出て来てしまう。

「あらあら、二人も女の子が。悠ったらモテるのね」


「こんばんは」

「こんばんはー」


 軽く二人が挨拶してから外に出る。

 悠が玄関ドアを閉めようとした時、百合華が一瞬だけ見えた。


 目が合うと――――

「気を付けてね」

 ただ、それだけを言って。


 ガシャ!

 ドアを閉めた悠の脳裏に、寂しそうな顔の百合華と『気を付けてね』の言葉が、残響のようにいつまでも残っていた。

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