第45話 原点の記憶と思わぬフラグ

 それはまだ悠が小学生の頃だった――――


 学校の授業参観の日、同級生の親がガヤガヤと集まっている中、悠の親は来ていなかった。

 女手一つで悠を育てている母親の絵美子は、仕事が忙しく参加することができなかったのだ。


 楽しそうに母親や父親と話すクラスメイトを見て、悠は少しだけ劣等感を抱く。幸せそうな家庭に羨ましい感情があったのかもしれない。


 絵美子は優しかったが、仕事で帰りが遅い時が多く、悠は家で一人で過ごすことが多かった。

 幼い悠には分からなかったが、女性が一人で子供を育てるのは並大抵の苦労ではなかったのだろう。


 時は流れ、いつしか悠はアニメや漫画を好むようになり、優しい年上のお姉さんキャラに心惹かれて行く。

 たまに、ちょっとお色気なラブコメも読んでいたのだが、思春期に入りたての少年だから仕方がない。


 悠は一人で想像する――


(はぁ、俺にもこんなお姉ちゃんが欲しいな。家に帰ると、優しい笑顔で『おかえり』って言ってくれたり、俺がイタズラをすると『オシオキだよ』ってちょっと怒ったり……)


 そんな二次元のような理想の姉がいるわけないと、周囲からはからかわれそうなのだが、悠は理想のお姉ちゃんを夢見ていたのだ。


 ある日、絵美子から再婚の話を告げられる。

 悠は一気に不安になった。


 知らないオジサンが怖い人だったら……もし、ニュースでやっているように虐待のようなことになったら……と。


『お相手の幹也さんは優しい人だから大丈夫よ』


 絵美子は、そう言って微笑んだ。


 待ち合わせ場所のレストランで再婚相手を待っている時も、悠は落ち着かなかった。


 優しいと思っていた人が、実は優しくないこともある。

 友達だと思っていた人が、簡単に裏切って離れて行ってしまうこともあった。

 子供ながらに悠は、人間には表と裏が有るのだと気付いていたのだ。


 お相手男性がやって来ると、絵美子が立ち上がって挨拶をした。

 すると、如何にも人の好さそうな男性が恐縮するようにペコペコと頭を下げる。

 再婚相手の幹也は、少し不器用そうだが本当に誠実で優しそうな男性だった。


 そして…………悠が視線を幹也の隣の女性に移すと――――


 これまで体験したことも無いような、凄まじい衝撃を受けた。

 全身の細胞が歓喜の歌を叫びそうなくらいに。

 まるで夢に思い描く理想の姉が、現実リアルに出て来てしまったかのような。

 だがちょっとだけ、彼女の大きな胸に見惚れてしまったのだが、そこは本能なので仕方がないのだ。


 それからの悠は毎日が楽しくなった。

 ちょっと……いや、だいぶエロ姉だったり嫉妬が激しかったり変な性格なのだが。

 でも――


 悠は、自分が他の幸せなそう人を見て劣等感を抱かなくなったのも、自分が幸せだと思えるようになったのも、姉になった百合華がいたからだと思っていた。


 多くのものを与えてくれた百合華には、必ずお返しをして幸せになってもらいたいから。

 例え自分の人生や全てを懸けたとしても。


 お姉ちゃん――――

 お姉ちゃん――――

 お姉ちゃん――――



 ◆ ◇ ◆



 悠が目を覚ます。

 夢を見ていた気がする。

 幼い頃の夢だ。


 ふと、隣を見ると、百合華が完全に安心しきった顔で寝ていた。

 いつも悠にだけ見せる顔だ。

 外では男性の視線や言動に気を張っているが、悠の前だけでは完全に信頼を寄せ安心しきっている。


 オシオキと称したご褒美のようなエチエチ攻めで、キスやハグやプロレス技などをされ続けた悠は余り寝ていない。

 散々ベッドの中でイチャイチャしまくって疲れた姉は、気持ちよさそうな顔をして先に寝てしまったのだ。

 興奮が収まらない悠は、なかなか寝付けなかったのだが、もうこれも日課のようになりつつある。



「お姉ちゃん……必ず、幸せにしたい……」


 悠がつぶやくと、眠っている百合華が微笑んだ気がした。


 義理とはいえ姉弟であり年の差もある。

 結婚するには様々な障害を乗り越え周囲を納得させねばならないだろう。

 それでも悠は全く諦めるつもりはない。

 百合華が大好きだから――――



「うへぇ~ユウくぅ~ん……むにゃむにゃ……」


 寝言をつぶやいた百合華が、悠のあそこに手を伸ばす。


「ちょ待て! なんだこのエロ姉!」

 バシッ!


 寝ぼけた姉のエッチな行動に、悠がツッコミを入れる。

 今日が始まろうとしていた。



 ◆ ◇ ◆



 悠は朝から強気女子に挟まれピンチに陥っていた。


「いやぁー、昨日は悪かったな。姉ちゃんの前で変なコト言っちゃって」


 一応謝ってはいるが、全く悪びれた顔をしていない真理亜がニヤニヤしている。


「悠ってば、お姉さんに厳しく躾けられちゃったんでしょ? どんなことされたの?」


 そして反対側からは貴美がグイグイくる。


 今日も今日とて、何故かSっぽかったりヤンチャな女子に絡まれる悠なのだ。


(くっ……今日も怖い女子に挟まれちゃってるぜ……。もしかして、こいつら俺のことが好きとか? いやいやいや、そんなワケ無いよな、ははは……)


 姉以外の女の機微には疎い悠なのだ。今日も個別ヒロインルートに入りそうなフラグを、全て圧し折っていた。



 そんな悠とは関係なく、二人の強気女子のバトルは始まる。


「ちょっと! 私が悠と話してるのに、何で夕霧さんが割り込んでくるのよ」


 貴美がムッとして真理亜に突っかかる。


「はぁ? 割り込んでるのはそっちだろ! あたしは明石と話してんだよ! おまえとは話してねーよ」


 真理亜も熱くなって返す。


「は? なんですって!」

「何だよコラっ!」


 二人が熱くなってグイグイ迫るほど、間に座っている悠が挟まれてしまう。

 迫りくる二人のおっぱい。エロい気持ちより姉に見つかったら困る感情が先走る。


「ちょっと、俺の席を挟んでケンカしないで」

「悠は黙ってて!」

「おまえは黙ってろよ!」

「くっ、毎度のことながら理不尽だぜ……」


 女子に逆切れされて悠が落ち込む。

 やっぱり女は姉一択だ。




 そうこうしている間に始業のベルが鳴り、教室入り口から担任の花子が顔を出した。


「はーい、朝のホームルームを始めますよ」


 教室に入った花子は、席を離れている二人の女子に気付く。


「そ、そこ、早く席に着きましょうね」


 悠の席の周りで対立している二人の女子を注意する。


「んあぁ?」


 特に悪気はなさそうなのだが、真理亜が振り向きざまに変な声を上げた。


「ひいっ……」


 真理亜に睨まれて、花子が委縮してしまう。

 ヤンチャな生徒は苦手だった。


「夕霧さんも席に着こうよ」

「ああ、分かってるって。また後でな」


 悠に諭されて真理亜は席に着いた。


「ショータくん……(ぼそっ)」


 花子が悠を見つめて小声で呟く。

 やっぱり妖しい雰囲気だ。


「末摘先生!」


 そして、いつものように後から入って来た副担任の百合華が威圧感を高める。


「ね、狙ってません、狙ってませんよ。師匠」


 百合華は、悠を妖しい視線で見つめる花子も心配だが、少しヤンチャに見える真理亜の方を心配していた。

 悠を信用しているのに、どうしても嫉妬を抑えされないのだ。



 悠は百合華に睨まれてビクつく。


(お姉ちゃん……今、俺が女子に挟まれてたの見てたよな……。こりゃ、今夜もオシオキ確定かよ)



 ◆ ◇ ◆



 放課後になり、悠が帰宅しようと廊下を歩いていると、また真理亜が近寄ってきた。

 貴美が居ない隙を狙っていたかのようだ。


「おい、明石! 一緒に帰ろうぜ」

「い、いや俺は……」

「いいじゃんよー、あたしが遊んでやるって言ってんだろ」

「早く帰りた――」


 ちょうどそこに、突然横から男の声がかかる。


「あっれぇ、真理亜じゃん」


 悠が振り向くと、いかにもチャラそうな陽キャの男が数人立っていた。


「先輩……」


 真理亜の顔が気まずそうに曇った。


「真理亜も紫桜学園ココだったのかよ。おまえ、よく試験受かったな。ははっ!」


 その男は、少しバカにしたような感じに上から目線で話しかけてきた。


「ええ~知り合い?」

「けっこう可愛いじゃん」


 取り巻きの男たちも、真理亜の容姿や着崩した制服を見てテンションが上がった。


「真理亜って後輩なんだけどよぉ、この女、誰にでもやらせるって有名だったんだぜ」

「うっわ、ヤリ〇ンかよ」

「俺もお世話されてぇ~」


 囃し立てるように下品な言葉で盛り上がる男たち。


「ははっ、昔のコトですって……勘弁してくださいよ」


 真理亜は、困ったような顔をして話を合わせている。


「男とっかえひっかえでよお」

「ははっ、いるいる、そういう女」

「ユルユルかよ!」


 その光景を見ていた悠の体が勝手に動いてしまう。真理亜を庇うように、三人の先輩の前に出た。


「あ、あの、女子にそういう言い方ってダメだと思うんですけど……。謝ってください」


 少しオドオドしながらも、悠はハッキリと言った。


「は? 何だよこいつ?」

「真理亜の今カレか?」

「いや、なんか童貞っぽくね?」


 値踏みするような目で見てくる先輩に、悠は複雑な心境だ。


(くっ、何かコイツらの言い方にムカついて注意しちゃったけど、先輩相手にちょっと怖いぜ……。しかも何で皆、俺が童貞だと分かるんだ? 童貞だけどさ……)


「何だよ真面目君かよ」

「しらけたな、行こうぜ」

「童貞君もサービスしてもらえよ」


 先輩の男たちは、からかうのに飽きたのか何処に行ってしまった。



 その場に悠と真理亜の二人が残されるが、気まずい雰囲気になってしまう。


「い、いやぁ~まいったね。まあ、本当のコトだからしょうがねーけど。あっ、でも誇張してっから。そんなに凄くねえからな」


 真理亜がふざけるように明るく振舞う。


「し、しょうがなくなんかない! あんな言い方されたら、誰だって悲しいに決まってるじゃないか。アイツら酷すぎる。女子に、あんなヒドい言い方……」


 悠は、まるで自分のことのようになって怒った。

 無神経な言葉のナイフには人一倍敏感なのだ。

 他者を平気で傷つけて面白がる輩は大嫌いだった。


「おまえ……やっぱり童貞っぽいよな」

「ええっ……」

「はははっ、まあ、ありがとよ」


 べしべしべしべしっ!


 真理亜はふざけた感じで悠の背中をベシベシ叩くと、無言になって何処かに行ってしまう。




 少し走って校舎の陰に入り、一人になったところで真理亜が止まった。


「あいつ……ほんと童貞っぽくて……真面目でバカ正直で……って、あれ? 何で、あたし泣いてんだよ……ううっ、ぐすっ……」


 後から後から涙が溢れてくる。

 あんな言葉など、いつものことだと真理亜は思っていた。ふさけて言い合うような。

 でも、本当は悲しかった、辛かったのだと気付いてしまった。


 明るく振舞っていた真理亜だが、悠の一言が嬉しかったのだ。


 悠の知らぬ所で勝手にフラグが立ってしまった。

 百合華しか見えない悠にとっては、ただ嵐の予感しかしないフラグなのだが。


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