第41話 キスを巡る誤解

 嵐のような一夜が明け悠が一階に下りると、花子の姿はなく百合華が朝食の準備をしていた。


「おはよう、お姉ちゃん」

「おおお、おはよう……ユウ君」


 悠が声をかけると、百合華が少し挙動不審になってしまう。


「ん? どうかしたの?」

「な、何でもないよ……」


 やっぱり少し様子がおかしい。

 少し顔が赤くなって目を逸らしてしまう。


「あ、そういえば先生は?」

「末摘先生は着替えとかあるから先に帰ったよ」

「そうなんだ」


 悠が百合華の隣に立つと、更に顔を赤くしてモジモジする。


「あっ、この卵焼き美味しそう」

 つまみ食いしようと一つ手に取る悠。


「ゆ、ユウ君、手は洗ったの?」

「ん? まだだけど。一つだけだよ」


 ぱくっ!

 そのまま口に入れる悠。


「うん、美味しい」

 ペロッ!

 食べた後に指を舐める。


「んんんっ~~~~~」

 百合華が耳まで真っ赤になって顔を押える。


「お姉ちゃん、どうかしたの?」

「な、何でもない、何でもないよ……」


 やっぱり姉の様子がおかしいが、毎日おかしい気もするので悠は気にしない事にした。


「じゃあ、顔を洗ってくるね」

 そう言うと、悠はキッチンを出て行った。



 ユウ君……

 ごめん……

 いくら溜まっていたからといっても、ユウ君の指でなんて……

 ちょっと魔が差したというか……

 我慢の限界というか……

 てか、今その指舐めてたよね……

 私が滅茶苦茶イケナイことしちゃった指を……

 うわあっ、間接的に舐めさせてるみたいだよぉ~


 何だかよく分からないが、今日も今日とて百合華はドスケベだった。


 ――――――――




 学園生活二日目が始まり悠が教室に入ると、いつものように貴美が寄っては……来なかった。


「中将さん、おはよう」

「つーん」


 悠が挨拶してもツンツンしている。

 まだ昨日の事を怒っているようだ。


「うぃす、明石」

 代わりに真理亜が寄ってきた。


「あっ、夕霧さん。お、おはよう」

 悠が少し警戒した表情になって挨拶する。


 少し胸元が開いた制服に短めのスカート。

 明るい髪色に鋭い目つき。

 悠の苦手なタイプの女子なのだが、何故かこういったヤンチャな女子や強気女子に絡まれる事が多いのだ。

 他の男子からは『あんな可愛い女子に絡まれるなんて羨ましい』と言われるのだが。



 真理亜が何か言おうとしたところで、担任の花子が教室に入ってきた。

「はい、席に着いてください。朝のホームルームを始めます」


「また後でな」

 ニヤっと不敵な笑みを浮かべ、真理亜は自分の席に着いた。


 これって……

 何か目をつけられてないか……?

 後で体育館裏に呼び出されたりしないだろうな……




 ホームルームが終わったところで担任の花子が話しかけてきた。

「あ、明石君……昨日は迷惑をかけてしまってごめんなさい」


「いえ、大丈夫ですよ。お酒には注意ですよね」

 悠が無難に答える。

 酔っぱらって醜態を晒したのが他の生徒に知れたら、先生のメンツが潰れてしまいそうだ。


「あの、その……私、初めてだったんです」

「は?」

「あんなに熱く激しく……あうっ、恥ずかしいです……」


 花子が変な事を喋り出して、悠は誰かに聞かれてないか周囲を見回す。


「ちょ、ちょっと、先生。何のことですか? や、やってませんよね?」

 まるで初エッチをしたかのような言い回しに、悠が動揺する。


「あ、ですから……私、男性とハグしたの初めてなんです。いけないことだとは分かっているのだけど、何度も思い出してしまって……」


「いやいやいや、もう忘れてください。てか、教室で何言い出してるんですか」


 今時、珍しいほどの男性慣れしていない花子だった。

 大好きな推しキャラに似ている悠に抱きついてしまい、もう心の中ではショータ君とラブラブな感じなのだ。


「そそそ、そうですよね。教室でなんてダメですよね」


 ゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴッ!

「末摘先生…………」

「はひっ!」


 後ろから威圧感を増した百合華が現れ、花子が捕まってしまう。


「さあ、次の授業がありますよ。行きましょう」

「し、師匠、さすが凄い威厳です。そこに痺れる憧れるって感じです」


 百合華に連れられて行ってしまう。

 どっちが先輩なのか分からなくなるが、意外と良いコンビにも見えるから不思議だ。


 ――――――――




 終業のチャイムが鳴り放課後になると、真理亜が近寄ってきた。

「明石!」


「な、何?」

 悠が少し怯えた表情になる。


 にちゃあぁぁ――――

 真理亜の表情が、一気に大好物の獲物を見つけた肉食獣のようになった。


「ふふっ、おまえって、相変わらずドーテーっぽいよな」

「どどど、ドーテーとか言うなよ」

「ホントにキスしたことあんのかぁ?」

「い、いや、それはもう忘れてくれ……」


 真理亜が大きく開いた制服の胸元を見せつけるように近付くと、悠の顔が赤くなり目を逸らした。

 その反応に真理亜がますますニヤニヤと嬉しそうな顔をする。

 どうやら、このヤンチャな女子に気に入られてしまったようだ。


 くっそ……

 完全に遊ばれてるぞ……

 アニメや漫画のギャルは、優しくてオタク趣味に理解があって、ヤンチャでやりまくってるイメージだけど、実は清純で処女だったりするんじゃないのか?

 現実リアルのギャルはアタリがキツいじゃないか。


 悠のギャルのイメージがアニメ版『ギャルお姉ちゃんが攻めてくる』だった。

 ギャルだけど、優しいお姉ちゃんキャラだから良いのだ。



「うんしょっと」


 真理亜が悠の机の上に座ってしまう。

 お尻が近くにきて短いスカートから生足が丸見えになる。


「ちょっ、何で座るの?」

「いいだろ、減るもんじゃねーし」

「だから近いって!」

「なにチラ見してんだよ。ほれほれ」


 真理亜がスカートをヒラヒラさせる。

 いちいちドギマギしている悠の反応が楽しくて仕方がないといった感じだ。

 もしかしたら、童貞が大好物なギャルなのかもしれない。


 マズいぞ……

 こんなのをお姉ちゃんに見られたら恐ろしい事になってしまう。

 お姉ちゃんの逆鱗げきりんに触れる前に止めないと。


 ダンッ!

「ちょっと、悠が嫌がってるでしょ!」


 突然、貴美が割って入ってきた。

 姉の逆鱗に触れる前に、貴美の逆鱗に触れてしまったようだ。


「やめなさいよ。それ、わざとやってるでしょ!」


「あっれぇ~中将ってさ、もしかして明石のこと好きなの?」

 真理亜が、からかうような顔で貴美を茶化す。


「は、はあ? ち、違うから! そんなんじゃないし!」

 貴美がムキになって反論する。


「昨日もカラオケで無理やり明石の隣に座ってきたし」

「そ、それは、あんたが悠をからかってたからでしょ!」

「ムキになるのが怪しいんだよな。だって、キスしたんだろ?」


 真理亜がキスの事を言ってしまう。

 完全に誤解していて、悠と貴美がしたのだと思っているようだ。


「は? キスなんかするわけないでしょ!」

「えっ、そうなの?」

「まだ、キスしてないし!」


 貴美が、『まだ』と言っているが、それではいずれキスするのかと誤解されそうだ。

 勝手に二人の関係を想像してしまった真理亜が、更に余計な事を喋り始める。


「ああっ……そうなんだ。してないんだ……明石がキスしたって言うから、あたしてっきり……」


「えっ、悠、あんた……」

 貴美が悠の方を見る。


「いや、それは違うんだ。何というか……」

 悠が返答に困る。


「まっ、許してやれよ。明石ってドーテーっぽいだろ。クラスの人気女子とキスしたい妄想をしちゃってんだよ」

 真理亜が悠の心情を代わりに述べる。

 ただ、全く違っているのだが。

 完全に有難迷惑だ。


「へえ、その話……詳しく聞かせてもらえるかしら」

 ゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴッ!


 背後から凄まじい威圧感を感じ、三人が振り向くと怖い顔をした百合華が立っていた。


「あっ、ヤベっ! じゃあ、先生、また明日ーっ!」

 問題をややこしくした張本人の真理亜が逃げてしまう。



「お、お姉さん、大丈夫です。してませんから」

 百合華の迫力に圧された貴美が、していない事を弁解する。


「そう、していないのね。あなた達、若い時は恋愛やお付き合いも大事だけど、不純異性交遊はダメよ」

 やっぱり、自分の事は棚に上げて、不純異性交遊は禁止させたい百合華だ。


「は、はい。分かってますよ。お姉さん」

「ええ、中将さんは、しっかりした生徒だから信用しているわ。あと、学校では明石先生でしょ」

「はい、明石先生」


 貴美まで百合華の女王っぽい威圧感に圧されまくってしまう。


「あ、それから、悠。後で話があります。先に帰って待っていなさい」

 百合華は、それだけ言って職員室に戻って行った。



 去って行く百合華の後ろ姿を見ながら、貴美が悠の肩をポンポンと叩く。


「やっぱり悠のお姉さんって怖いよね。また説教されちゃいそうじゃん。プロレス技付きで」


「くっ、笑い事じゃねえ。どうしてくれるんだ……」


 悠が、ガックリと肩を落とす。

 心配なのは説教やオシオキではないのだ。

 貴美との関係を誤解されたのではないかと、そればかりが気がかりで仕方がない。


 出会った時から悠は姉一筋で、ずっと百合華しか見ていなかった。

 今でも何も変わらず永遠に百合華を愛したいと誓っている。

 きっと嫉妬が爆発しているであろう百合華に、どうしてもそれだけは伝えたいと思っていた。

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