第29話 声にならない声で大好きだと叫ぶ
テレビからは午後の食べ歩き番組が流れている。リビングで見つめ合った二人は、テレビの音も聞こえていないかのようだ。
もう二人には、お互いの心臓の鼓動しか聞こえず、お互いの姿しか映っていなかった。
完全に隔絶された二人だけの空間に居るかの如く。
悠の中に、百合華への想いが次から次へと溢れ出してくる。
(お姉ちゃん! お姉ちゃん! お姉ちゃん! 大好きだ! もう、止められないほどに! でも……一番大切なのはお姉ちゃんなんだ……)
悠は思う。今、ここで俺が自分の欲望をぶつけてしまったら、お姉ちゃんの将来を壊してしまうかもしれないと。
(俺は、どんなに苦しくたっていい! 俺は、どんなに辛くてもいい! お姉ちゃんが幸せなら! だから……俺が責任を取れるようになるまで、あと少しだけ待たないと)
悠は
もう、ここまでくるとドMレベルだ。
強く抱きしめたい衝動を堪え、優しく肩を抱いたまま顔を近づける。
頬に軽くキスをして、ご褒美を終了させようと。
それだけで生きて行ける。大好きな姉を思う気持ちだけで、何があっても耐えられるのだから。
悠が顔を近づけると、少し潤んだ百合華の瞳が煌く。美しく深く慈愛に満ちた瞳だ。
百合華は、吸い込まれそうなほど美しい瞳を閉じると、軽くあごを上げくちびるを突き出す。
つまりキス顔だ。
突然のキス待ち顔に、悠が超動揺する。
(なななななな、なんだとぉ! おお、お姉ちゃん! 何でキス顔してんだよ! どうすんのこれ!)
一方、散々エッチ禁止などと言っていた百合華だが、いざ事に及ぶと完全にトロトロに蕩け切ってしまう。
(ああっ……ユウ君……もうダメだぁ……。ここまで我慢してきたけど、もう私ムリみたいだよぉ……。もう、
百合華が目を潤ませる。
(しょうがないよね、こんなに大好きなんだから……。でも、ユウ君だけは守りたい。もしバレてしまったら、私が全て罪を背負おう)
百合華は覚悟を決めた。全て投げうってでも愛の為に生きたいと。
既に頭の中では、心の準備も0.01mm的な製品のことも忘れて。
ガバッ!
悠が百合華を強く抱きしめた。
「…………だよ」
「えっ?」
チュッ!
悠は百合華の耳元で、とても小さな声で何かを囁き……そして、くちびるではなく頬へキスをした。
百合華は一瞬何が起きたのか分からず、ぽかーんとしてから我に返る。
「えっ、ええっ、ユウ君……今、何て言ったの?」
「な、内緒……」
「えええ~っ、教えてよぉ~」
悠のくちびるが燃えるように熱い。
百合華の柔らかな頬に触れたそれは、まるで消えることのない異世界の最上位魔法の炎が灯ったように。
勝手に神聖不可侵と思い込んで崇拝に近いまで思いを寄せる、大好きな姉への契約の証のような。
悠はキス待ちする百合華の顔を見て、それでもなお耐えたのだ。
人生に於いて、これほど人を好きになる事があるのだろうか?
もし、そんな奇跡に近いようなことが現実にあったのなら、例えどんな苦しみを帯びたとしても、それは幸せなことなのではと悠は思った。
ただ、どうしてもこの想いを伝えたくて、声にならない声で『大好きだよ』と囁きながら。
◆ ◇ ◆
二人は、夕食を食べる為に街へと出ていた。
あのまま部屋で二人っきりでは、どんどん想いが
照れ隠しなのか、百合華は悠の脇腹を肘でグリグリした。
「ふふっ、ユウ君ってば。急に、お姉ちゃんとデートがしたいなんて可愛いね」
「いや、デートじゃないし。夕食を食べに来ただけだし」
「もぉ、素直じゃないんだからぁ~」
百合華がさり気なく悠の手を取り指を絡ませる。
俗に言う『恋人つなぎ』だ。
悠は、キスの余韻も冷めやらぬまま、更に姉のラブラブ攻撃を受けドキドキが止まらない。
(ううっ、お姉ちゃん……人の気も知らないで……。またそんな無防備に恋人みたいなことばかりして……。俺が、こんなに大好きなのなんて知らないくせに……)
百合華は、キスの余韻が冷めやらぬまま、更に弟にラブラブ攻撃をしたくてキュンキュンが止まらない。
(はぁぁ、ユウ君めぇ~人の気も知らないでぇ! こんなに私の心を掻き乱してばかりで……。私が、こんなに大好きなのなんて知らないんだよね……)
やっぱり似た者同士だった――――
しばらく二人で歩いていると、後ろから聞き覚えのある声がかかった。
「あれ? 百合華じゃん」
悠が振り向くと、そこには姉の友人が立っていた。
ちょっとオシャレで今時っぽい印象の女性。
高校の頃からの姉の友人、柏木マキだった。
「マキ」
「すっごい偶然。あっ、弟君も久しぶり」
百合華に軽く手を振ったマキは、悠の方を向いて挨拶をした。
「柏木さん、お久しぶりです」
「あれ? 久しぶりに見たら背伸びたね」
悠も挨拶をする。
マキは悠を見た途端にテンションが上がったように顔が紅潮した。
「ふぅ~ん……」
悠を見つめるマキが、少しイタズラな顔になった。
「ねえ、弟君。マキお姉ちゃんって言ってみて」
「えっ? マキお姉ちゃん……」
「きゃああぁぁぁ~ユウくぅぅぅぅ~ん! ぐえっ!」
悠に抱きつこうとしたマキの顔を、百合華の手がガッシリと止めていた。まるでアイアンクローのように。
悠とプロレスごっこをする時は全く決まっていないのに、マキにしている時だけガチに決まっているように見える。
「痛い、痛いって! 冗談、冗談だから!」
「マキってば、油断も隙もないんだから。ユウ君は、わ・た・し・のなんだからね!」
「ギブ! ギブギブ!」
片手でマキを止める百合華が本気だ。
「お、お姉ちゃん……まだ、そんなことやってるの?」
悠が、ヤバい姉を見てしまったような顔になる。
こんなんで、よく友人関係が続いているなと思った。
「ちがっ、違うから。いつもは、こんなんじゃないんだよ。ユウ君がピンチだったから」
百合華が言い訳するが説得力皆無だ。
「もうっ、マキは先輩と付き合ってたんじゃないの?」
「ああ……あれはもう別れちゃった。何か強引だし体ばかり求めてくるし」
年上女性の生々しい恋愛話で、悠が恥ずかしくて赤くなった。
「やっぱり男は年下かな。可愛いし、私の言いなりにできそうだし」
マキは、そう言いながら、チラチラと悠の方を見る。
「マぁぁぁキぃぃぃ~!」
「だから冗談だって。百合華、顔が怖いよ」
「ユウ君への侵攻は安全保障条約により即武力行使なんだよ」
「だから怖いって。相変わらず凄いブラコンっぷりだよね」
悠が二人の間に入って止めた。
「柏木さん、変な姉ですが友人関係を続けてくれてありがとうございます」
ちょっと、いやだいぶ変な姉を心配して、悠がマキに声をかける。
「弟君は本当に良い子だよね。大丈夫だよ。冗談なのは分かってるから。あと、百合華をからかうと面白いし」
「はい、何となく分かります。その気持ち」
ちょっとだけ悠とマキの間に通じるものがあった。
◆ ◇ ◆
マキと別れ二人で街を歩く。
日が暮れて街灯が灯り始めた。
マキと会ってから百合華の独占欲が刺激されたのか、悠への密着度が更に上がってしまった。
完全に腕を絡めぎゅうぎゅうと抱きつき、指は恋人つなぎで絡めつつスリスリと動かしている。
もう、誰にも渡さないという意思表示のように。
「お姉ちゃん……歩き難いよ……」
「だって、放っておくとユウ君が他の女のとこに行っちゃいそうだし」
「いや、何だよそれ。ちびっ子かよ」
一緒に歩く後ろ姿は、姉弟というより熱々な恋人みたいだ。
余りのラブラブぶりに街行く人も恥ずかしくて目を逸らすか、『リア充かよ、くっそ!』みたいなリアクションになっている。
二人は、本当の恋人のように寄り添いながらレストランに入った。
ちょっと歳は離れているが、立派にカップルしている。
◆ ◇ ◆
「ああ~っ、美味しかったぁ。ユウ君と一緒だと料理も美味しく感じるよ」
「いや、料理は同じだろ」
「もぉ~ホントに美味しいんだから」
レストランを出て二人で夜の街を歩く。
百合華は、悠と一緒で料理が美味しいと主張する。まるで好きな人と食べる料理は格別だと言わんばかりだ。
料理は同じとか言っている悠だが、本心は『大好きなお姉ちゃんと食べる料理なら何でも美味しいよ!』と言いたいところなのだが、やっぱり恥ずかしいのでやめておいた。
ふと、本屋の前を通った時に、悠の目に漫画やラノベの新刊のポスターが入った。
ちょうど好きな作品だ。
「あっ、これ最新刊出るんだ」
悠が本屋のショーウインドーに貼ってあるポスターを見ていると、後ろから不穏な声が聞こえてきた。
「うぇーぃ、チョーかわいいじゃん! どっか遊び行かない?」
「俺ら、いい店知ってんだよ。行こうぜ!」
「ちょっと何なの。行きません!」
どうやら、悠がちょっと目を離した隙に、百合華がナンパ男を召喚してしまったようだ。
美人で可愛くてスタイル抜群で魅惑的な義姉なのだ。
街を歩けば必ずと言って良いほど、このようなチャラ男やナンパ男をワラワラと集めてしまう。
悠はナンパ男たちにイラッとした。姉の周りに集る虫を退治したいくらいに。
もう、ファンタジーでいうところの広範囲魔法や拡散陽電子砲をぶっ放したい気持ちだ。
(くっそ! 俺の大事なお姉ちゃんになにしてくれてんだ!)
「おい、やめろ!」
悠が百合華を庇うように間に入る。
「何だ、このガキ! オマエ何だよ!」
「どけよ! 邪魔だぞ!」
その言葉で、悠の脳裏に昔の苦い記憶が甦った――――
それはまだ幼い頃、新歓コンパで先輩たちに絡まれている姉を迎えに行った時。
大学生の男たちからガキ扱いされた記憶だ。
大人から見れば、悠は百合華とつり合う男ではなく、小さな弟扱いだったのだ。
「くっ、くそっ」
悠はグッと両腕に力を入れる。
(俺がお姉ちゃんを守らないと! いつまでも弟扱いじゃダメなんだ! 俺は、もうあの頃のような子供じゃない! 大好きな女を守る
弟君から姫を守る
ちょっと想いが強すぎて空回りしそうで不安だが、大好きな姉の為に立ち向かうのだ。
そして、悠も百合華も知らなかった。
親が留守で二人の長い一日が、むしろここからが更に長く衝撃的な日になるということを。
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