第1026話 単純な解決策は無いかも。
北野夫婦はごく普通そうな見た目の30歳代ぐらいの男女だった。
「この度は千聖を助けて頂き、本当にありがとうございました。
お陰で筋力はまだまだですが、リハビリさえ頑張れば普通の生活に戻れるだろうと主治医も言ってくれてます」
「ありがと〜、おねえちゃん」
ちょっと掠れた声だったが、千聖ちゃんも明るく手を小さく振りながら付け足す。
車椅子で来るかと思っていたが、日常生活もリハビリだと思っているのか、私たちがレストランの個室に入ったら両親から手を借りながらなんとか自力で立ち上がって私たちの方へ歩いて寄って来て、ぴょこんと頭を下げてから席に戻っていった。
それだけで疲れ果てたみたいだけど、ちゃんともう歩けるんだね。
良かった。
「いえいえ。
元々百貨店の依頼を熟していただけですので。
霊を体に戻したら昏睡状態から覚醒できたのは、本当に幸運でしたね」
碧がにっこり笑いながら応じる。
「そうですね、本当に運が良かった。
まあ、それはさておき。
まずは折角なのでこのレストランの美味しい食事を楽しんで下さい。
お勧めはこちらの蟹グラタンですが、オムライスも実は素晴らしく美味しいですよ」
碧の『幸運』と言う言葉を否定する事なく北野パパが頷き、テーブルに置いてあったメニューをこちらに渡してくれた。
オムライスかぁ。自分じゃあ上手く作れないから、ちょっと心が動くなぁ。
でも。
ある意味、口の中に入ればケチャップライスにスクランブルエッグでもオムライスと似たり寄ったりな味になる筈。
だったらやはり、絶対に再現が出来ない可能性が高い蟹グラタンを優先すべきかな?
「あ、私オムライスが良い!
でも、蟹グラタンも少し頂戴〜」
千聖ちゃんが無邪気に母親に要求していた。
9歳児が人前でこれは微妙かも知れないが、実質まだ4歳児から急速成長中だからね。
体のリハビリや読み書きが優先でマナーなんかは後回しなのだろう。
後回しと言っている間に非常識が定着しちゃうと不味いが、そうならないと期待しておくよ?
そんな事をちらっと考えながらメニューを捲る。
比較的こじんまりとしたレストランなせいか、ランチメニューはそれほど選択肢は無い。
とは言え。
蟹グラタンもだけどラザニアも心が動くなぁ。
いや、でもここは初志貫徹で蟹グラタンにしよう。
ラザニアが美味しいイタリアンはそれなりにあるからね。
つうか、オムライスってイタリアンじゃ無いと思うが、ここって『洋食屋』なのかね?
それなりにお洒落っぽいレストランなのに。
まあ、レストランのカテゴリーがなんであれ、客には喜ばれているのか1階は満席だったし、実際に頼んだ蟹グラタンは絶品だった。
デザートのババロアも凄く滑らかで複雑な何かの隠し味がある感じで美味しかったし。
これは是非味を魔道具に記憶させておいて、帰ったら家でスーパーの安物プリンを食べる時に味覚を上書きして楽しませてもらおう。
「ところで・・・。
主治医の話によると、5年間寝たきりだった千聖がこれだけ良い状態で覚醒できて、リハビリを頑張れば普通の生活に戻れそうなのは奇跡的だそうです。
お二人の助けもあったと思うので、何か我々にお礼として出来る事があったら是非いつでも言って下さい。
私たちは普通の一般人に毛が生えた程度ですが、それなりな相手との伝手もありますので」
食べ終わり、もうそろそろ帰ろうかな〜と思い始めたところで北野パパが背筋を伸ばして、改めて真面目に頭を下げて言ってきた。
食べるのに体力を使い切ってしまったらしき千聖ちゃんはうたた寝をし始めたので、彼女をそっと膝の上に乗せて支えている北野ママもこちらにそっと頭を下げる。
「ご存知ですか?
日本では退魔師が人を治療する場合は医者の監督下でないと違法行為なんです。
しかも、大きな医療機関は自分たちの権力下以外で現代医療技術で可能な範囲を超えた治療を行われる事を嫌うので、治癒の才能がある退魔師が医者免許を取っても、大手医療機関で下っぱな医者として働く以外の方法で医療サービスを提供しようとすると嫌がらせで閉業に追い込まれるんですよ」
碧がコーヒーカップを下ろしながら言った。
おや?
回復師の規制も悪く無いってこないだ言っていたのに、やっぱそれを撤廃するようしろって『お願い』するつもりなの?
「・・・医療機関の回復師に診て貰おうにも順番待ちリストが長すぎて、大抵の人は寿命が尽きてしまうと言う話は聞いていましたが、嫌がらせをしてライバル術師を潰していると言うのは知りませんでした」
北野ママがちょっと驚いた様に言った。
へぇ、回復師の存在は知っていたんだ。
それでも千聖ちゃんを診てもらえないぐらい、順番待ちリストが長かったのかな?
百貨店からテナント企業を追い出せるような伝手があってもダメとは、意外だ。
まあ、経済的なコネと、医療機関での発言力っていうのは必ずしもイコールじゃ無いんかもね。
「現実的な話として、治療を必要とする人間の数と回復の術が使える人間の数の乖離は大き過ぎますからね。
下手に規制がないと金や権力でゴリ押ししようとする権力者や、反対に『権力者から大金をふんだくって治療しているんだろうから自分ぐらいは無料か格安で治してくれても良いじゃないか』と弱者の救済される権利を振りかざす一般庶民とに群がられて普通の生活すら不可能になりかねないでしょう。
だから今の『治療行為は違法なので勿論私は何もやっていませんし、頼まれても何も出来ません』と言える状態を変えるならば、個人情報の保護や、情報が漏洩した場合の罰則規定や権力のゴリ押しへの対応策をちゃんと整備しない事にはとんでもない騒ぎになるでしょうね。
ですから、私は千聖ちゃんに何もしていませんよ?」
碧がにっこり笑いながら応じた。
そうなんだよね。
下手にお礼を受け取ったら違法行為をしたのか?って話になりかねないし。
まあ、生霊を体に戻した程度のお礼は業務範囲内なんで食事の招待ぐらいはオッケーだろうけど。
「なるほど。
現代の情報化社会では、回復師に自由な治療の権利を認めるならば救済を求める患者に押し潰されないセーフガードも同時に講じないと危険なんですね。
・・・ちなみに藤山さんは自由な治療の権利が認められるべきだとお思いですか?」
北野パパが真剣な顔で尋ねた。
「そうですね・・・どのくらい現実的な保全策を講じられるかによりますね。
少なくとも、医者免許を取った術者が医療機関の嫌がらせで離島に追いやられる様な状況はなんとかして欲しいです」
医療機関の権力をどう制限するか。
それも難しそう・・・。
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