第894話 貴族の我儘娘かい
『来た!』
宮田芽衣がトイレの扉を開けた時点で私は入り口の脇の陰に静かに立っていた。緩い認識阻害を掛けたので気付かれることは無い筈。
カッカッカッ!
ピンヒールで床に穴を掘ろうとしているのかと思う様な勢いで歩きながら宮田芽衣がトイレの中に入っていく間に、そっと『清掃中』のサインを外に出し、ついでにこちらの扉に緩い認識阻害を掛けておく。
用事があってきた人間だったらトイレを見つけられるが、そうじゃ無い人間は素通りする程度。
こうしておけば、今が清掃時間じゃ無いと知っている人間が清掃サインに気付いて疑問に思うことも無いだろう。
そして用を足したかった人は、トイレは見つけるが清掃中のサインを見て他へ走る事になる。
サインを出してトイレの中に戻ったら、宮田芽衣が荒ぶっている声が聞こえてきた。
『あの糞ったれ無能弁護士がぁ!!!
高給取りな癖にこれは駄目、あれも無理って役立たずめ!!!』
トイレの中に誰も居ないと思ったのか、奥のストールからガン!!と扉(壁かも?)を殴る音と共に罵り声が聞こえてきた。
あれ。
手洗いスペースに碧が居るの、気付かなかったのかな?
それとも自分に関係ない人間だったら猫が剥がれ落ちているのを聞かれても構わないとか?
まあ、みみっちい嫌がらせを毎日の様にやっているせいで天罰も毎日の様に受けているから、ちょっと自制心が劣化しているのかも?
そのうち裁判官の前で何か違法行為を自白したりしたら面白いけど・・・そう言う場合ってそれを元に告訴されたりするのかね?
物的証拠が残っている様な違法行為じゃない限り、何を言おうがうっかりぶち撒けた自白だけじゃあ多分起訴されないんだろうねぇ。
それにやっている事がSNSで闇バイトを雇って嫌がらせを依頼しているって程度じゃあ検察が動く程の事ではないと判断される可能性も高そうだ。
どちらにせよ、離婚裁判は思う様に進んでいないようなので取り敢えずざまぁ!ってところだが。
更に扉か壁を何度か蹴った音がした後、トイレの擬音っぽいのが鳴り始め、やがてトイレを流す水音がしたと思ったら扉が開いて宮田芽衣が出てきた。
裁判所のトイレの扉とか壁ってああ言う八つ当たり対策として頑丈な素材を使っているのかな?
女性ならまだしも、男が怒りに任せて壁や扉を殴ったりしたらあっさり凹んだりヒビが入ったりしそうだ。
シンクの前に来たところで宮田芽衣もメイクを直している振りをしている碧に気付いた様だが、自分の怒りに任せた行動なんか知りませんといった澄ました顔で手を洗い、ドライヤーで手を乾かし始めたのでそっと後ろに近づき、肩に触れて昏倒させた。
「よっと」
力を失って倒れかけた宮田芽衣を碧と私とで支えて、そっと床に下ろす。
倒れた音で注意を引いたら困るからね。
「必死の思いで何年も勉強して、やっと司法試験に受かって弁護士になったのにこう言う依頼人の弁護士になったりしたら、悲惨だねぇ」
碧が嫌そうな顔をしながら言う。
「しかもさ、自分の事務所の客なら無謀な要求をされたら『無理です』って言って契約を切れば良いけど、こう言うタイプだったら絶対大手法律事務所を使うでしょ。
そうなったらまだ客を選べない若手の弁護士がこう言う嫌な客を押し付けられるんじゃない?
自分の判断で客を切ることすら出来ないで勝ち目のない泥沼な離婚裁判に巻き込まれ、訴訟が終わった後も思う通りの無茶な結果を齎せなかったから絶対に支払いを渋るだろう客なんて、最低だよね〜」
どんな仕事だって嫌な客とか上司とかは居るだろうが、死ぬ気で頑張って資格を得たのに現実を分かろうとしない客に当たって事務所内の評価が下がったりしたら虚しいだろうねぇ。
まあ、弁護士だったら一つの事務所で将来が真っ暗になってもきっと別の事務所なりで仕事はあるだろう。
それこそ地方では弁護士が足りなくて困っている地域もあるって新聞で読んだ気がするから、新天地を探して引っ越すのも一つの選択肢だし。
こんな女のせいで意図しないキャリア変更を強いられるのは不幸としか言えないが。
「そんじゃあ、ちょっと色々確認と条件付けするんで見張をよろしく」
碧に断り、宮田芽衣の額に指を当てて精神の中に潜っていく。
宮田芽衣に施す条件付けと意識誘導である程度の周囲や私たちへの被害を減らす予定だが、他に何か悪事を計画しているなら知っておきたいからね。
単に本人がクソで、次から次へと八つ当たりや嫌がらせを考える様な人間だったら私に出来ることはあまり無いけど、具体的に何か計画しているならそれを防ぐ事も可能かも知れない。
記憶を読んだところ、やはり宮田芽衣は金持ちの娘だった。
長男が全てを受け継ぐのは当然と考える古いタイプな旧家の長男の娘で、後継ぎではないから気楽に甘やかされ安易に願いを叶えられて育ってきた彼女の生活で、最初の大きな挫折は宮田祐一の妻の座を従姉妹に取られた事だった。
次男の娘で質素な暮らし(私から見たら普通のサラリーマン家庭だったけど)をしている従姉妹を時折『一流の人間』が贔屓する店に連れて行って楽しませてあげていた芽衣にとって、紀美は自分の恵まれた環境をそれとなく見せつけて優越感に浸るための道具でしかなかったのに、気付いたら自分が狙っていた男を盗まれていたのは許しがたい屈辱だったのだ。
とは言え、父親に泣きついても宮田家の跡取りに恋愛結婚の花嫁の入れ替えなんぞ申し入れるのは無理だと笑われ、初めて自分の望みが全て叶えられる訳ではないと実感したのだ。
それでも紀美さんを殺そうとはしていなかったのはちょっと意外だった。
弟氏を誘惑して離婚させようと仲のいい従姉妹の顔をしてしょっちゅう遊びに行き、宮田家に入り浸ったが、それとなくボディタッチを多めにしてアピールした程度だった。
紀美が交通事故で死んだ後はガッツリ家に乗り込んで他の女性の侵入を全て撃退し、息子の世話も完璧にこなして(と言っても家政婦がいたので実際にやったのはせいぜい小学校のイベント系への保護者代理としての出席や、宿題の手伝い程度だったが)、なんとか妻の座をゲットした。
そんでもって祐一の妻の座を射止めると言う目標を達した後はちょっと暇だったので社交を熟すかたわらに趣味の骨董品や美術品を見て回っている間に穢れに気付き、それが人に悪影響を与える可能性に思い当たって嫌がらせに使おうと集め始め・・・ついでにネットを使ってゴシップもどきな情報を集めたり悪評を広めたりとしている間に闇バイトとかの依頼の仕方も覚えていったようだ。
前世でちょくちょく見かけた、自分の立場より下の人間は『人間』として見ていない金持ち貴族令嬢の行動パターンに近い。
むしゃくしゃして八つ当たりにグラスを投げて割るのと同じ感覚で下の人間の人生を台無しにしているのをちょくちょく見掛けた。
まあ、国のトップに近い
それはさておき。
我儘な金持ち娘の八つ当たり精神であちこちに当たり散らしているだけで、宮田芽衣には真剣に何か悪事を企むだけの計画性は無いようだった。
へぇぇ。
考えたらずなバカって、迷惑極まりない人間でも大々的な悪事を計画するだけの知性がないと周囲への被害がみみっちいものになるんだね。
まあ、有難いと言えば有難いが、ある意味致命的な失敗をする程の大きな事も考えていないから排除も出来なそうだ。
取り敢えず、SNSを使おうとすると頭が痛くなるっていう条件付けと、私たちのことを考えない意識誘導を埋め込む程度しか出来る事はないなぁ。
嫌がらせをやりまくる様なクソな人格って言うのは、黒魔術を使っても修正出来ないからねぇ・・・。
SNSを使えなくなったらどうやって嫌がらせをするようになるのかちょっと心配だけど・・・まあ、実際に人に会って目撃者をガンガン作りながら違法行為を依頼する様な危険な事をやり始めたら、父親か兄が家名を守るために止めるだろう。
多分。
一応、暫くはハネナガに監視させておくけど。
ヤバそうだったらこいつの実家の方にチクろう。
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