第845話 ゆっくり戻しましょう

呪詛返しの転嫁は組み込まれていなかったので、スパッと呪詛を返す。

呪師じゃなくて依頼した本人に返ると良いけど。


女性にいくら食べても満足出来ない呪詛を送りつけるなんて、犯人は被害者に振られた男か、被害者が付き合っている男を狙っている女かなぁ。


男だったら呪詛を掛けるよりも自分で顔を切りつけるとか酸を顔に掛けるとかしそうだから、女の可能性が高い様な気がするが、実際に呪詛を大元まで手繰っていくんじゃない限り返すだけじゃあ呪詛を掛けた人間の性別は分からない。


まあ、ある意味どうでも良い事だけど。


「あぁぁぁぁぁ〜はっはっは!」

女性が細い声を出して体を丸めたと思ったら、勢いよく背中を伸ばしてベンチの背もたれに体を投げ出して、笑い出した。


「うわぁ、こんなに生きるのって楽だったんだ!!!

ここ数年、何をしていてもお腹が痛くなるほど飢えた感覚がずっとのし掛かってくる感じだったのに。

一瞬で消えるなんて!!

本当に、ありがとう!!!」

笑い終わり、ちょっと落ち着いた女性が泣き笑いの様な表情をしつつ私の手を握ってお礼を言ってきた。


「今までお疲れ様でした。

ちなみに、幾ら要らない脂肪がたっぷりあるし、飢餓感がマシになったからって突然断食すると体に悪いからね。

一般成人女性の1日の食事量ぐらいは食べる様にして、頑張って運動をしつつ1年か2年ぐらい掛けて体重を元に戻す感じでいった方が良いですよ」

多分、呪詛を掛けられて突然四六時中食べる様になった時だって体にとってはかなりのショックで体調不良も起きたと思うが、呪いに抗いながらもこの体型になってしまうぐらいの期間、呪詛を掛けられているのだ。


四六時中無闇矢鱈と食べるという体にとっては無茶な事をする持ち主に対応して、既に体も現状に対する最適化をしているのだ。

急に呪詛前の状態に戻そうとしても体に悪いだろう。


確か、ダイエットって毎月1キロか2キロ(だっけ?)程度ずつしか減らさない方が体にいい筈。

2キロだとして2年で48キロ。

もしかしたら2年でも元の体重には戻らないかも?

かなりの巨体になっているからなぁ。


どのくらい標準体重からオーバーしているんだろ?


「取り敢えず、水中ウォーキングなり水泳なり、ちょっと負荷が高いめだけど関節に負荷がかかり過ぎない運動を毎日やって筋肉を落とさずに減量するのをお薦めするわ」

碧が付け足す。


確かに、この体重でジョギングなんぞしたら膝に悪そう。

単なるウォーキングでも余分な脂肪を担いで歩いていると思えば十分重労働になる気もするが、ガッツリ頑張りたいなら水の抵抗でも使って運動量を増やすのが最適だろう。


「そうですね。

色々とダイエットの為の研究はしましたから、頑張ってみます。

お祓い費用は幾らですか?

あ、あとこちらが私の名刺です。

北川美樹と言います。

また何かあったらご相談に乗っていただいてもいいですか?」

バッグから名刺入れを取り出して名刺を私と碧に差し出しながら北川さんが自己紹介してきた。


どうやらフリーランスのウェブデザイナーらしい。

まあ、この体格じゃあ毎日電車に乗って通勤するのも大変だろうしね。


「ご丁寧にどうも。

良かったら、後でこの住所近辺の信頼できる神社の詳細をメールで送りますね」

碧が応じた。

個人のフリーランスなせいか、住所の細かい番地は書いてないが、町の名前が分かれば最寄りの神社も判別できるんだろう。


「ありがとうございます。

ある日突然急に猛烈にお腹が空く様になって、最初は我慢していたんですがそのうち耐えきれなくなって・・・太り始めてからは地獄でした。

最初は悩みがあるなら相談に乗るといってくれた彼氏も家族もそのうち叱責してくる様になるし、職場でも明らかに私を見る目が変わってきて。

通勤電車に乗ろうとするのにも差し支える様になって、諦めて会社を辞めてフリーランスになった時点で家族に叱責されたり心配されたりするのが辛過ぎて殆ど没交渉になってしまいました。

呪いだって仰ってましたが、何に呪われたんでしょうか?

別に変なホットスポットとか遺跡とかには行った記憶はないんですけど」


疲れた顔で自分の手を見つめながら北川さんが呟き始め、最後にこちらを向いて聞いてきた。


「あ〜、悪霊に憑かれたのではなく呪詛だったんで、どこかに行って憑かれたのではなく、個人的に北川さんが誰かに狙われたんだと思いますよ」

まあ、先日のアホ呪師みたいのもいるけど。


「個人的に?」


「北川の事を好きだった男性を狙っている女性か、北川さんに振られて逆恨みした男性かと言うのが一番ありそうなケースでしょうね。

周囲の人と没交渉になったんでしたら、暫くしたらまた友人や元の職場の人と連絡を取って、誰か急に太ってきた人が居ないか情報を集めてみると良いかも?」

碧がアドバイスしている。


呪詛返しの消去って最初の一回だったら『悪気は無く、悪戯のつもりだった』って事で退魔協会に依頼して返ってきた呪いを消してもらうのも可能だが、自業自得って事で普通の呪詛返しや悪霊祓いよりもかなり高いんだよね。

高い上に違法行為をやらかして返されたのを堂々と認めるのが微妙なのか、そう言う依頼自体が少ないらしいけど。


まあ、残念ながらその程度しか復讐は出来ない。

退魔協会にしっかり依頼して呪詛を掛けた人間への追跡までを含めた依頼を出せば損害賠償訴訟も出来たかもだけど、そんな高額な依頼を出す様に説得できると思わなかったからここで返しちゃったんで、今更呪詛の追跡は難しい。


「あら。

誰かが私の苦しみを自分で味合うことになるんですね。

楽しみにしています」

嬉しそうに北川さんが微笑んだ。


うん。

退魔協会で呪詛返しの消去も大金を払えば可能かも事は聞かれない限り言わないでおこう。




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