13.紫煙と懺悔

「あ」

 芝生の上、白衣を羽織った女は「しまった」という顔してから、

「来てたんですかぁ?」

 へらりと笑った。

 格好が格好だから、それなりにしっかりして見えるはずなのだが。見えなくてはいけないはずなのだが。

 雨優は佐雛と目が合う少し前から彼女の姿を確認していた。きょろきょろと視線を彷徨わせ、白衣のポケットの中をごそごそと探って歩く様子は万引き犯か何かのようだった。

「来てちゃいけませんか」

 雨優ハルトは呆れて溜め息をつく。

「いえいえいえいえ、お仕事ご苦労様です! えっと――」

 "何か"訊きたそうに、相談したそうに間を空ける。

「ないです」

 "何か"の見当はもうついている。

「あ、やっぱり?」

「あるわけないでしょう! ここ養護施設ですよ!」

「ですよねぇ、へへ」

 へへへ、と佐雛が語尾を伸ばし続けている。期待の表れだ。

「ったく」

 雨優は小脇に抱えていたデバイスを取り出して起動した。ディプレイをなぞり、過去に創ったものから一つをピックアップ、現在の位置・環境に合わせて微調整を加え、空気の循環などを考慮し――指で線を増やす。

 ものの1分で、展開。

「おーっ!」

 佐雛と雨優を囲むように、透明な素材で出来た小さな建物が発生する。

「とっとと済ましてください」

「ははー、恩に着ますぅ」

 佐雛は、ようやっとという感じでポケットの中身を取り出した。タバコに携帯灰皿。

 ――また、くだらないものを創ってしまった。

 雨優はうんざりしながらも、煙の換気具合、外音状況などをメモして、データを保存した。

「ふはー。生き返った」

 佐雛が数段低い声で言った。

「あっちじゃ吸えないし。こっちにもなかなか来れないし――」

 ふう、と、また煙が吐き出される。

「これを機にやめたらどうです?」

「そうですね、あはは」

 やめない奴の返事だ。

「それにしても、良く日が入るとこですねぇ」

 佐雛が施設の中庭の方を見て、目を細めて言う。

「そりゃ、元気よく遊んでほしいので」

「え? 雨優さん作?」

「そうですけど」

「いえいえ、なるほど、納得です! 素晴らしいです!」

 褒められて悪い気はしないのだが、どうも佐雛が言うと。

「……ところで、あの子の様子はどうですか?」

 与太話は止めて、本題について訊く。

 佐雛はタバコを灰皿に下ろし、手を止め、真剣な表情になった。

「まだまだ様子をみる必要はありますが、体調に問題はありません。小蛾野に施されたものの後遺症も今のところない。おわかりでしょうけれど、問題は――」

 施設の建物から中庭に子供たちが飛び出してくるのが見えた。外で遊ぶ時間なのだろう。この簡易喫煙所は防音に設定したが、声が聞こえそうなほど、はしゃいで見える。

「心のほう、ですか」

 佐雛が頷いた。

 中庭にメアリの姿はない。一人、部屋にいるのだろうか。

「"神"の教えが全て、自分の感情を尊ばない生き方をしてきた子です。今は自分の感情に気付くことすらままならない。あの子には時間をあげてください。何年、何十年かかるかわからないけれど」

 一生かかっても無理かもしれない、そう言わないのが佐雛らしいと雨優は思った。ちらりと見れば、彼女の視線は中庭の子供たちにある。懐かしいものを見るようだった。

「わかりました。引き続き、よろしくお願いします」

 佐雛のタバコが終わるのを待って、喫煙所を閉じた。


 ***


 ベッドに横になっているけれど、眠れなくて、開けっ放しのカーテンの向こうを見ていた。

「私の感情」

 呟いてみる。メアリがいるだけの部屋、返事も音の反響もない。

 今、自分が何を感じているのか、わからない。

『本物みたい!』マリという女の子の言葉がリフレインする。心が捻り潰されそうになるから、何かを感じているのは、確かだった。

 星が見える。月が見える。けれど、今まで見てきたものと、違う。

 ざわざわと、胸が騒ぎ続けている。

 閉じてしまったスケッチブック。先端が削られないままの鉛筆。湧かない創作意欲。

 むしろ、なんだったんだろうか。信じることができた、居心地の良い世界とは――今までとは。

 どこからか、本当に小さく、歌うような、おしゃべりするような声が聞こえてきた。

 ――誰か、誰でもいいから、教えを。何か、教えをちょうだい。

 身を起こし、スリッパを履き、部屋の扉を開ける。

 ――誰か、オガノ先生、誰か、迎えに、見つけにきて。

 音の方へ、すがるように、歩く。

 ――誰か。

 音がしていたのは、メアリのところから2つ離れた部屋だった。

 ――知っている、匂いがする。

 扉を、開ける。

 ――絵の具の。

 電気を点けない部屋に、月明かりが差し込んでいる。こちらに背を向けて、床に座り込んで、誰かが手を動かしている。

 鼻歌のような、女の子の声。

 メアリに気が付かないのか、女の子は振り返らないし手も止めない。近づいてみれば、スケッチブックに絵を描いているのがわかった。3人、手を繋いだ、それぞれ背の高さの違う人が下手くそに描かれている。

 ――ああ。わかった。

 今、ぐつぐつと沸く感情。

 ――許せない。ここが本物だということが許せない。これまでが偽物だということが許せない。私が偽物かもしれないことが許せない。本物があるということが、許せない。

「パパ」

 小さく歌うようだった女の子の声の中、言葉が聞き取れた。ああ、この絵は、パパとママとこの子なんだとわかった。

「パパ、ママ」

 わかってもっと、許せないと思った。メアリにはパパもママもいない。オガノ先生がパパのようなものだった。そんな先生も今は、いない。

 ――もう、誰も、私を、私の大切なものを否定しないで。本物を抱えて、喜ばないで。

「うっ、うう」

 女の子から漏れているのが、鼻歌ではないと、ようやっと気が付く。

「パ、パっ、ママっ、うっ」

 泣いてる。

「どうして、うっ、マリのこと、ひっ、一人にしたの」

 壊してしまいたいぐらい許せないと、今さっき思ったのに。

「……え」

 気が付いたら、抱きしめていた。

「あ、メアリちゃん、えっ」

「ごめんなさい」

 抱きしめる女の子の体は、自分より少し小さかった。

「なん、で?」

 ぐすっと、鼻を啜る音に、泣くのをやめようとする気配を感じた。

「ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい」

 でも、メアリが泣くから、

「う、うっ」

 マリも再び泣き始める。

 ほとんど叫ぶような少女たちを月が見ている。

 紙の上、水彩で塗られた偽物のパパとママが乾いていく。

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