10.英雄と異端
「どーも、ご苦労さん」
手枷を外してくれた刑務官に陽気に声をかけると、キッと睨んで返された。
「はっ、仕事熱心だねぇ」
嘲りながら、拘置所の単独室に入る。
「ああー! やっと体伸ばせるわー!」
「……おかえりなさい」
部屋の隅、作業机の前にいたハルトが声をかける。
「どうでした?」
「いつも通りの茶番だ。陪審員はビビってやがるし、サクラで入れたんだろうオヤジもイマイチ。先方も大変だねぇ」
「そうですか」
ハルトは再び作業に戻った。
「お前も熱心だなあ? ずっと仕事してんの?」
ハルトはまたコクマを振り向いた。今度はかなり、怒りのこもった様子で。
「あ、な、た、の! 案件ですよ!」
そして部屋の反対側を指差す。
「本当にいるんですか!? あれ!」
球技の練習場である。
「あー、頼んだっけ?」
「あ、ん、た、ねえええ」
逆鱗に触れたようだ。今ハルトに頼んでいるのは何だったかと、コクマはやや頑張って考えた。そうだ、屋根裏っぽい空間を創ってくれと頼んだのだった。児童文学に出てきそうな、ノスタルジックなやつ。怒りに震えるハルトの前、ディスプレイにはほとんど完成した設計図があった。
拘置所の一室、コクマの単独室はその辺の金持ちの家より広い。かつ、コクマを退屈させないよう様々な設計がなされていた。というか、コクマがさせた。
「僕がやることってあなたが考えている以上にたくさんあるんですよ。あなたの諸々の手続きだとか、あなたに頼まれた諸々の根回しだとか、関係者への挨拶だとか! あなたのその知的好奇心を満たすためにも寝る間惜しんで作業してるんですよ! 少しは労え!」
「ありがとう、優雨(ゆう)ハルト君。君は最高の助手であり、最高のクリエイターだ!」
"最高のクリエイター"という言葉に、ハルトが反応したのがわかった。
「ま、あ、やりますけど」
――そして最高のおもちゃだ!
コクマは声を漏らさないよう笑った。革のソファに寝転ぶ。
「向こうはどう?」
「その件ですが、佐雛氏から気になる連絡が」
「佐雛ぁ?」
「女医ですよ、女医。あなたこないだ電話出たばっかでしょ」
呆れのため息を吐いてからハルトは続けた。
「教団側の者が、中等科の生徒に権限を付与し同じクラスの生徒を襲わせたそうです」
「ふうん」
「失敗に終わったようですけれど。急いて、自らも手を出しようで」
「……小蛾野か」
「ええ」
「巻き込まれた生徒は無事です。行方不明の1名を除いて――」
コクマは立ち上がり、芝の整備された床まで行ってリフティングの練習を始めた。
「ちょ、ちょっと、聞く気あります!?」
「いーよ、もうわかったから。しっかしなあ、テコ入れしてえな。そうだ、お前ちょっと見てきてよ」
「見てきてって……」
「俺ここから動けないじゃない? たまにはいいぜ。"下の階層"もさ」
***
「サヒナ先生、今の子で今日の患者さん最後です。お疲れ様でした」
「ありがとうございます。お疲れ様でした」
看護師の気配が去るのを待って、冷蔵庫を開けた。解凍させておいた肉をデスクに広げ、メスを持つ。
「こっちきてから全然裂けてない」
ビーッとメスを引けば、肉がぱくりと開く。
「練習不足で、いざという時使えなかったらどうしよ」
質感に不満を覚え、投げ出そうとしたその時、電話が鳴った。
「はい」
『あ、佐雛さん、お疲れ様です。優雨ですが』
「はあ」
『え、何? ため息吐きました?』
「吐いてませんよぉ。どうしました」
『小蛾野の処遇についてですが――』
『ハルトー、コロッケパンが無性に食いてえー』
『うっるさいな、電話中です! えっと、それでですね』
――コクマ様の声!
「はい! 佐雛、何でもやります!」
『え、何か態度違うくないです……? え?』
***
――どこ。
水の音が聞こえる。懐かしい匂いがする。
――眩しい。
目をゆっくり開けた。
「おはよう」
「……チル?」
にこりと微笑んだ。
――どうしたんだっけ、僕。リオン君と、話して、それで、えっと。
ステンドグラスが身を抉る感触がぞわり思い返された。
「ぼ、僕!」
腹を擦る。何の、痕もない。
「リオン君は!?」
辺りを見回す。他に誰もいない。ここは、泉? 違う。
「ここは、海」
砂の上、波が行ったり来たりを繰り返している。終わりの見えない、大きな、水たまり。
「海……?」
――懐かしい、匂い?
「この場所が、あなたを助けた」
チルが手を引いた。
「……ねえチル、僕、君を創った覚えがないんだ。君のコードのこともよくわからない。なのに君は端末にも自力で入ることができて、僕の知らないことも知っていて、君は――」
手を、前にもあったように指でなぞられる。
〈新汰〉
「アラタ。あなたの名前」
「僕の、名前」
こくんと、チルは頷いて笑った。
「君は、誰?」
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