8.車屋さん

「こんばんは」

 静まった診察室に男の声がして、サヒナはメスを動かすのを止めた。

「あら、こんばんは。オガノ先生」

 デスクの上の肉に、包みをかぶせる。

「こんな遅くにすみません。うちの生徒が倒れていまして、診ていただきたいのですが」

 オガノに抱えられたのは、中等科の女子生徒のようだった。

「それは大変。こちらへ――」

 サヒナは診察ベッドへ運ぶよう促した。

「何がありましたか?」

「彼女、絵に熱心な生徒でして、ずっと描き続きけていたようなんです。たまたま私が校内を巡回してましたら、キャンバスの前で倒れていまして」

 オガノの情報を聞く間に、サヒナは女子生徒が気を失っているだけであることを確認し終えた。

「そうですか。気を失っているだけのようですが、念の為、検査を」

 少女の手は汚れがなく、きれいだった。


「一通り、終わりましたよ」

 夜勤の看護師に手伝いをお願いし、オガノには待合室で控えてもらっていた。声をかけ、再び診察室に入るようサヒナが促す。

「特に問題はありませんでした」

「ああ、よかった」

「ただ――」

 脳の検査画像を映す。

「通常、あまり活動しないはずの領域に急な負荷がかかったようなのですが」

 オガノの様子を伺う。

「心当たりは?」

「ああ、そういえば、最近の彼女はますます絵に傾倒しているようでした」

「そうですか」サヒナは微笑した。

「どうされますか? 目が覚めるまでこのままこちらで休ませましょうか?」

「いえ、連れて帰ります。教団の方で休ませます。あ、サヒナ先生」

「はい?」

「明日、もしアラタ君が来たら渡してもらえませんか?」

 サヒナに1通の手紙が手渡された。

「わかりました。どうぞ、お大事に。オガノ先生」

「ありがとうございました。おやすみなさい、サヒナ先生。また、"学会"で」


 ***


「糸引いてるやつ、大方の予想はつく。学校側は、たぶんオガノだろ」

「オガノ先生が?」

 アラタは想像してみるも、あの優しい笑顔しか浮かばない。

「ああ。教師連中はいろいろいるけど、実質学校側仕切ってるのはオガノだ。関わりがない方が不自然だ」

 リオンが紙に相関図を描く。イラストが動き出し、丸でボードゲームのように動き始める。

「すげえー!」

 エンデが無邪気にはしゃいでいた。チルはリオンの描いた猫を撫でている。

 気付けばもう夕方。アラタの部屋で行われた作戦会議は、リオンの知っている"クリエイション"の説明と、エンデとチルの出来事を話すのに費やされた。

「オガノをつつけば何かしら動きがあると思う」

 ピンと、リオンがイラストのオガノを弾くと、教団のイラストの大群が押し寄せた。

「でも、そんなことして僕ら本当に殺されちゃったらどうするの?」

「保険かけとく」

 リオンは線があまり交わらない、一人の人物を指差した。

「サヒナ先生?」

「ああ。サヒナ先生は無宗派を公言してる。医師であるために、何にも縛られずありとあらゆる知識を得ていたいってスタンスらしい。医者は少ないし、じいちゃんばっかですぐ死んじまう。若いサヒナ先生は貴重な存在だから、彼女の主張や立場は認められている」

 アラタは、サヒナになる前は、主治医がおじいちゃんの先生だったことを思い出した。あの人は、亡くなってしまったのだろうか。

「でも、あの薬を出してるのはサヒナ先生のとこの病院だよね? やっぱり協力関係にあるんじゃ?」

「まあな。多少の圧力はかかってるんだと思う。でも、自ら無宗派公言してる先生だぜ? 自分の意志で処方してると思えない」

 アラタは相関図を見回した。教団との接点の薄いサヒナ先生、逆に言えば、他の誰もが教団と密接につながっている。

「僕、今日病院行くよ。実はさ、サヒナ先生に頼んでたこともあって」

「頼んでたこと?」

「うん。僕の、出生がわかるカルテを見せてほしいって、頼んだ。だから、このことも少し話してみたい」

 リオンの描いた絵や文字が、順々に元の形に戻っていっていた。

「俺も行く。本当は俺も通わなきゃいけねえし。サボってるけど」

「うん。一緒に、サヒナ先生のとこ行こう」


「あら、2人で来たの? リオン君はいつぶり? 元気にしてた?」

「はい。すみません、通院サボって」

「ふふ、借りてきた猫みたいになってどうしたの」

「先生、あの」

「あ、アラタ君、ごめんねぇ――」

 いつものように、診察が始まる。

「カルテ、まだ見つけられてないの。もう少し待ってね」

「はい」

「じゃあ、次リオン君、こっちにどうぞ」

 リオンはサヒナの前まで行って、診察椅子に座り、訊いた。

「先生は、教団側じゃないんですよね?」

 サヒナの手が止まる。リオンが続ける。

「もし、教団側に殺されかけてる人間がいた場合、サヒナ先生は診てくれますよね?」

 しばし沈黙して、サヒナは診察セットをデスクに置いた。

「診るよ。救えるかはわからないけど」

 場が一気に緊張する。アラタが唾を飲み込む音が、ごくり、大きくなった。

「刺されたなら縫うし、撃たれたなら弾抜くよ。それが、誰の弾丸でもね」

 サヒナはデスクの引き出しから、手紙を1通抜き出した。既に、封が開いていた。

「アラタ君、勝手に読んでごめんね。これ、オガノ先生から」

「え、僕に?」

「サヒナ先生経由でですか?」リオンが訊いた。

「うん。昨日の夜、オガノ先生が女の子を連れてきてね。同じクラスかな? メアリさん。その時に預かったの」

「だ、大丈夫でしたか!? メアリさん」思わずアラタは訊ねる。

「大丈夫よ。気絶してただけ」

 それより、というように、サヒナは手紙をペンで指した。アラタは急いで中身を確認する。

「……これ」



  アラタ君


  君の知りたいことを全て。

  21時、礼拝堂。


  (宛名なし)



「渡さないでおこうかなと思ったけど、この様子じゃ放っておいても、ね」

 サヒナは、アラタとリオンそれぞれを見た。アラタとリオンが顔を見合わせる。

「行くのはおすすめしない。と、忠告しておくよ」

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