7.問題児たち
閉めっぱなしのカーテンを開ければ、アラタの部屋にも月明かりがしっかり入る。チルはしばらく外を眺め、目を閉じ、風景を浮かべた。アラタの知らない本物の月。アラタの知らない、海。アラタの知らない――。
息が、いつも以上にきれる。
「アラタ! 遅せえぞ!」
「んっ、だって!」
美術棟、校内を抜け、アラタとエンデは既にコンクリートの上、なのだけれど。
メアリの絵画が、まだ、追って来るような気がしてしまう。平坦なキャンバスが蠢き出す光景、命を奪おうと迫る勢い、壊す感触、恐怖――混乱。
「ねえっ、エンデッ! メアリさん、ほんとに、死んでないよね!?」
「だから、失神させただけだって!」
――メアリさんをあそこに置いてきてよかったのか。いやいや、さっきは不意をつけただけで、またあの聖母画にやられたら。そもそも何だったんだ、なぜ僕が? 何? アニマ……?
まだてっぺんにこない月が、道にアラタとエンデの影を伸ばす。早くどこかに入ってしまいたい、隠れてしまいたかった。
「エンデ、下を通ろう」
幾分か人目につかなそうな橋の下、河川敷へ下る。
ジュ、ジュシューーー。
――何の音? それと。
揮発性の高い、匂い。
月明かりが、彼の影を伸ばしている。あれは。
「リオン君……?」思わずアラタは声を出した。
――スプレー缶? 壁に描かれているのは、絵? いや、何かの文字?
ジャ、シャー。
スプレーが終わり、"リオン君"の視線がアラタを捉えた。
「……」
アラタと、エンデを見ている。
「アラタ、あれ誰だ」
「同じクラスの――」
アラタは、自分の言葉にはっとする。同じクラスの男の子、ほとんど学校には来ていないけれど、そう、"同じクラス"の――何か描く姿が、メアリさんとだぶった。
「……」
最後にリオンと会ったのはいつだったか。鋭い目つきは前からだけれど、今、無言でアラタを睨むそれはもっと強い気がした。
「あ」アラタから声が漏れる。
――メアリさんと、一緒だ。
壁にのった塗料が、動き出す。鎌のように、こちらに振りかぶる。
アラタとエンデ揃って、まず、逃げなくてはと思った。走り始めていた。リオンの何かが、それ以上追ってくることはなかった。
あまりにも無防備ではないかと思いながらも帰るところは家しかないし、アラタもエンでも、チルが心配だった。
「「チル!」」
「おかえり」
変わりない様子に安堵する。それどころか、
「予感、あたったね」
何もかも知っているのではと、アラタは思った。
「うん……。今日のこと、明日からのこと、整理したい」
***
『そうですか。お大事にね。行けるようなら病院に』
「はい、ありがとうございます」
アラタは電話を切った。
一晩、エンデとチルに相談し、考えてみたけれど結論はでなかった。学校でまた襲われたらたまらないし、それに――僕を襲おうとするのは、メアリさんだけだろうか――懸念があった。昨晩の、リオンの目が蘇る。取り敢えず1日、ずる休みをとることにしたけれど、問題を先延ばししているだけなのはわかっている。
「昨日、リオン君と会った場所、見に行ってみようかな」
彼がスプレーで描いたものも、動いていた。
「何か、わかるかもしれない」
エンデは無言で納得し、いつでもOKといった様子。チルは――。
ピン、ポーン。
「え?」
――誰?
3人顔を見合わせてから、アラタが音を立てないよう玄関に向かう。隔てるのは、ドア一枚――昨日の槍や弓が蘇る――緊張で胃の辺りが気持ち悪くなる。
ドアスコープを恐る恐る覗いた。
「……アラタ、居るだろ?」
――え、どうして?
一歩後退りする。エンデは臨戦状態で構えている。
「殴ったりしねえよ。早く開けろ」
――何で、リオン君が。
開けてはいけない気がする。でも、開けなきゃわからない気がする。
「昨日、悪かったな」
「あ、ううん」
普通だ。
「今日、お前さぼんの?」
「あ、うん」
ごく、普通だ。
「あのさ、リオン君、昨日のあれって――」
「アラタ、昨日のあれ誰?」
――そうだ、エンデ、見られてたんだった!
今、エンデとチルはアラタの部屋に避難、ダイニングでアラタとリオンは話している。
「えっと、昨日の、あれは」
誤魔化そうとして、自分には家族も親戚もいないことを恨んだ。
「創作物?」
「え?」
「お前が、創ったの?」
「どういう、こと?」
どういうことかは、アラタが一番わかっていたけれど、思わず訊ねる。
「……。こういうことだろ?」
リオンはバッグから油性マジックを取り出した。「何か、紙ある?」と訊かれ、電話横の付箋紙を渡す。
キュッキュ、付箋紙の上、不思議な型取りの文字が描かれていく。
〈BOUND〉
「わっ!!!」
付箋紙は丸くなり、ゴムボールのように跳ね始めた。
「クリエイション」
「え?」
「お前のも、そうだろ?」
「どうして、リオン君はそんなことを」
「……。俺は、2年前に付与された」
2年前、アラタたちが中等科1年の時だ。リオンはもともと学校に来ないことが多かったけれど、そういえば――
「母親が死んだ時だ」
「……っ!?」
「死んだ母親から、引き継いだ」
お母さんが亡くなって、リオンはほとんど学校に来なくなった。
「おかしいと思ったことはないか」
「……何が?」
「学校も、病院も。この世界の仕組みも」
――そういえば。
リオンのお母さんが亡くなって少しの間、病院でリオンを見かけたことがあるのをアラタは思い出した。アラタのように、治療を受けているのだとその時は思った。すぐ、見なくなってしまったけれど。
「学校が教えるのは、この世界への服従の仕方だ」
「服従……」
教科こそ分かれているけれど、その全ては"信仰"につながっている。それはアラタも思っていたこと、そして退屈に感じていたことだ。
「病院が出すのは――」
リオンが、ポケットから包みを出した。アラタがもらうのと同じ錠剤に見えた。
「猜疑心を奪う薬だ。飲むとぼうっとする、思考が絡め取られていく」
「ま、さか」
否定した自分の言葉を、
〈飲むと頭がぼうっとして作業できない〉
かつての自分の言葉が否定していく。
「アラタ、この世界は誰かに操作されてる」
――サヒナ先生は、昔のカルテを見つけてくれただろうか。
「そいつらの都合良く動くよう、あらゆることが制御されているんだと思う」
先程の付箋紙がほとんど効力を失って、ぺらりとテーブルに落ちた。
「じゃあ、これは、この力は何? 不都合でしょう?」
「ああ、不都合だ。俺が持っていることが知れたら、消されるだろうな」
「消されるって、誰に」
――あ。
「教団に」
――そうだ、まさに昨日の自分がそうじゃないか。メアリは熱心な生徒だ。熱心な、この世界の信徒だ。
「昨日の様子じゃ、お前、バレたんだろ? 学校側に」
やっぱり仮病を使って正解だったとアラタは思った。リオンは、それを懸念して、ずっと学校に来なかったんだろうか。
「昨日、メアリさんに襲われたんだ」
「メアリ?」
「うん。彼女は『アニマを宿す力を授かりました』って言ってた。絵が、実物みたいに、動いてた」
「なるほど。教団側の大人が、力を与えたのかもな」
「僕、これからどうしたら」
階段の踊り場から、エンデとチルの気配がする。
「アラタ協力しようぜ、俺ら」
久しぶりに、リオンの笑顔を見た。
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