6.正統派女子

「「おかえり」」エンデとチル、2人に揃って出迎えられ、

「ただいま」アラタは頑張って笑顔をつくった。

「何だよ、その顔」

 エンデがアラタを小突く。あ、と思った。

 ――エンデは、チルは、どう思ったんだろう。自分の生きている世界が創作物だと思い当たったとき。知ったとき。

「なんか湿っぽいな! 早く飯食おうぜ!」

 ――どうして、そんなことに気が付かなかったんだろう。

 アラタの中の不安、この世界は本物なのか、それはエンデとチルが経験したそれと同じはずなのに。自分は、ただただ、2人に会えたことが嬉しくて、2人の気持ちには思い至らないで。

「あのさ」

「ん?」エンデが振り返る。チルがテーブルに料理を運びながらこちらを見る。

「ごめんね」

 ――自分勝手に生み出して、ごめん。

「まだ終わってねえから」

 アラタの思考を遮ったのはエンデの声だった。

「え?」

「この世界を見せてもらう。その約束、終わってねえから」

「……そう、だね。はは」

 アラタは息を吸い込んで、

「あ、チル。僕これ大好きなんだ! グヤーシュ! すごい、熱々だね、湯気が」

 涙が出そうなのを堪えた。

「それ作ったの俺!」

「エンデもお料理上手だから」

 ――ねえ、こんなに業が深い僕が、こんなに幸せでいいんだろうか。


 皿を空にしてしばらくリビングでダラダラと過ごし、アラタはあることを忘れていたのに気がついた。

「そういえば」

 放り投げたスクールバッグから、手紙を取り出す。

「どうしたの?」

 チルがテーブルに肘をついて、前のめりになって訊ねる。

「うん、学校で。まだ中身見てないんだけど――」

 封筒は無機質な白。差出人の名はない。びりびりと手で封を破る。



  アラタ君


  同じクラスのメアリです。

  今日20時、美術棟に来て。


  メアリ



 ――名前の横には、ペンで書いた女の子の絵? 何か、これ。

 疲れているのか、絵が動き出しそうに見えた。そんなわけないと目をこすって開けると、チルがすぐ近くで覗き込んでいた。

「ねえ、アラタ、もう」

 中身を確認し終えた様子のチルが、壁掛け時計を指差す。19時40分。

「え、あ、嘘!」

 ――というか何だ、この手紙。

 アラタはまだ収集がつかない頭で、何を持って行ったらいいかとわたわたする。

「どうしたー!?」

 洗い物をしていたエンデが顔を向ける。

「ねえ、アラタ」

「何? チル!?」

「エンデを、連れて行って」

「え? どうして?」

「嫌な、感じがする」

 チルは手紙の女の子の絵を指差した。

「何ー!? 俺が何ー!?」

 エンデが叫ぶ。

「エンデ、私が洗い物変わる」

「チル、嫌な感じって……」

 何のことかもわからないまま、アラタは腕に端末をつけ、訊ねる。チルと入れ替わりでやってきたエンデも要領を得ない様子だが、準備をする。

「気をつけて」

 チルが言ったのはそれだけ。


(真っ暗だな)

(うん)

 明かりのない美術棟は、静まって冷える。人の気配はないのに、壁や廊下に並ぶ美術品の目がこちらを向いている錯覚を覚える。

 ――どうして、メアリさんが。

 何か期待する気持ちより、不安が遥かに大きかった。

(あ、アラタ。あの部屋)

(電気。いや、ロウソクの明かり?)

 一室、ドアのくもりガラス越しに光が漏れて見える。

 ――こんな時間に、あんなのところに?

 疑いながら足を進める。部屋の前まで来て、人の気配を感じた。

(行くね)

(おう)

 こん、こん。

 ノックに返事はない。

 がら、り。

 ゆっくりとドアをスライドさせた。

「こんばんは」

「……メアリ、さん」

 メアリと、メアリの描いた絵を立てたイーゼルとロウソクがいくつも。

(おい、何だ、これ)

 エンデと同じ感想がアラタにも浮かんで、ずずっと背中をなぜていく感覚がしていた。

「どうしたの? 何で、僕を呼び出したの?」

 炎でゆらり陰影のつくメアリの表情は、無機質だ。

「アラタ君は、イタン?」

「何? イタン?」

 メアリがイーゼルのひとつに手を置き、するりと撫でた。

「アラタ君はこの世界を信じていない?」

 どくり、血が、悪い巡り方をする。

「アラタ君は、この世界の神様を、天使を、英雄を――」

 ロウソクの炎で、目がおかしくなっているのか。キャンバスが。

「信じていないのでしょう? 信仰心がないのでしょう?」

「何の、はなし――」

「私は、アニマを宿す力を授かりました」

 ――正気じゃない。

「異端は沈め!!!!!」

 メアリの顔が大きく歪んだ。

 ――見間違いじゃない。キャンバスの絵が、

(アラタ、避けろ!)

 絵が、実体を。

「わっ!」

 驚きで、アラタは後ろに尻もちをついた。目の前には、槍を持った――。

 ――殺される!

 手と尻を床につけたまま、後退りする。

(交代しろ!)

(交代!?)

(感覚を!)

「天に裁かれなさい」

 メアリの目には何の慈悲も、躊躇もない。

(俺の感覚と、スイッチしろ!)

 アラタの感覚をエンデに流していた今まで。それを?

(スイッチ?)

 槍が振り下ろされる。

 大きな穴が。

 ――体が。

 木製の床に開く。

 ――体が、軽い。

 部屋の隅まで飛び、しゃがむ形になった体は、大きなイーゼルの上で器用にバランスを取っている。

(エンデ! これ!)

(いいから、このまま!)

「何? 何なの? 拒むの? ねえ、裁いてあげるって言ってるの!!!!!」

 槍のヤツだけではない、他のキャンバスも動き始める。

「メアリさん、落ち着いて! 裁きって何のこと!? これは――」

 対角線から弓。アラタの体は翻る、落下地点から短剣を携えた男、足で払うように蹴り飛ばす、また、弓、今度は曲射の数本、狭い部屋、間違えば、見逃せばどれか当たる、近くの邪魔なイーゼルを殴り飛ばす、キャンバスが大きく破ける音が――。

 ――さっきの一体、短剣の男が消えた?

(アラタ、こいつら、絵を壊せば消える!)

「ひあっ」

 メアリから、小さな悲鳴が漏れた気がした。

(ごめん、メアリさん)

 襲いかかる英雄たちを避けながら、キャンバスを破り進める。

「あ、あ、あ」

 メアリが膝から倒れる。

(あと、一枚)

 エンデの神経が、メアリの後ろの一番大きなキャンバスに向いた。

「ゆ、ゆ、赦されない」

 顔を手で覆ったメアリが震えるような声を発する。

「あなたは赦されない。誰にも赦されない」

 体に粟が立ち、自然と後ろに一歩下がる。

「あなたはこの世界に愛されない。哀れなこの子を、どうか、どうか、滅してください、聖母様」

 ――大きい!振り下ろされるのはその巨体。逃げ場が少ない、このままじゃ、潰れる。

 余地に無理やり、体をねじ込んでかわす。

 ――どうする、どうする、どうする。

 もう一撃が、やってこようとしている。

(エンデ! ――せて!)

(は!? 死ぬぞ!?)

(エンデは――を、僕は――)

(わかった)

 言い切る時には、もう動き出していた。キャンバスの、近くへ。

「わかりきってんのよ! こっちに来るのはー!!!!!」

 狙いすましたように、聖母の一撃はキャンバスへ向かおうとするアラタへ方向転換する。

「え?」

 メアリから、気の抜けた声が漏れ、次いで、体が力を失う。端末から解除されたエンデが、失神させたメアリの体を抱える。

「ごめんね」

 キャンバスの後ろで、振り落とされず終わった聖母の一撃が消えていくのをアラタは見送った。

「おい、失敗したら死ぬとこだったぞ!」

 エンデがアラタに怒号を飛ばす。

「うん、成功してよかった……はは」

 エンデが呆れ顔を浮かべた。

「それ、破らなくていいのか?」

 大きなキャンバスに描かれた聖母。それは今さっきアラタを殺さんとしたものなのだけれど。

「……メアリさんの、たぶん、大事な創作物だから」

 エンデはメアリを横たわらせた。

 ――何が、起こってるんだ。アニマって、何だ。

 部屋のロウソクは全てすっかり消えていた。月明かりが、あざ笑うように差し込んでいる。

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