13.

 園児達が概ね帰宅した夕方、待っていたかのように警察が現れる。しかし頭を下げたのは、五十くらいに見える恰幅の良い刑事だった。同じように顔色悪く目つきが鋭いものの、沢岡ではなかった。

「ニュースは、ご存知ですか?」

「はい、なんとなくは。刑事さんがいらっしゃったということは、やっぱり彼だったんですね」

「ええ。それで改めて聞き込みが必要になりまして」

 口にされた訪問理由に、視線を落とす。

――なんか、殺されたらしいよ。

 子ども達のいる場所では、決してすべき話題ではなかった。でも帰りもせず園庭で集っている母親達は、憚ることなく話し合っているのだろう。

「担任になってからは特に、彼のことは注意して見ていました。でも、特別仲のいい保護者の方はいらっしゃいませんでした。挨拶は誰とでも気軽になさってましたけど」

「彼が一番よく話していたのは、先生だそうですね」

 思いもしなかった反応に、弾かれたように顔を上げる。

「私、疑われているんですか」

「ああ、そういうわけじゃないんです。先生は、というより先生のような若い女性にはまず無理ですから。安心してお話しいただければ」

「無理って、どう」

 狼狽えながら尋ねると、山際やまぎわは自分のずんぐりとした首の辺りで手を引く。悪人顔は、その筋でもやっていけそうな厳つさだ。

「死体、頭が引きちぎられてんですよ。持ってた免許証と指紋で身元判明しましたけど。頭は今も探してます。あ、これまだ外に流してないんで内密にお願いしますね」

 頭が、引きちぎられて。

 衝撃的な内容をどうにか受け止めた途端、吐き気が胃を突き上げる。慌てて中断し、トイレへ走った。

 今日二度目のトイレで、どうにか詰め込んだ給食が逆流する。食べ物を粗末にしたいわけではないが、耐えきれない。火照るように熱くなった頬を押さえて、荒い息を吐いた。

 殺したから、殺されたのか。殺した時より、もっと無残な方法で。

――だってバカにされたら、かわいそうっすから。特に女の子だし、「きたねえ」とか「くせえ」とか言われたら、小さくたってすげえ傷つくじゃないすか。

 私はただ、このまま飽きずに薫子の世話をして欲しくて、褒めただけだった。「お世話をしてくれるって喜んでました、すごいですね」とか、そんなとってつけたような台詞だったはずだ。でもしょーくんの答えは、心からの言葉に聞こえた。

――先生、みつあみみたいなあの、上の方からガッとしてあるあれのやり方、教えてもらえませんか。

 「上の方からガッとしてあるあれ」は編み込みだった。薫子に頼まれたらしいが、ネットを見てもいまいち要領を得ないらしかった。あの時はお迎えの波が去るまで残ってもらって、実際に薫子の髪を編み込みながらレクチャーした。しょーくんは私の手つきを動画に撮りつつ学んだあと、反対側で編み込みをした。たどたどしくぎこちなく、時々薫子に「いたい」と言われながらも、それでも最後まで諦めずに仕上げた。もちろん私がしたものとは比べ物にならない出来だったが、薫子は嬉しそうだった。

 罪は罪だ。庇いようがない。でも本当に、こんな死に方が必要だったのだろうか。最期まで償いながら生きるのでは、許されなかったのか。

 どうにか気持ちを収めて戻った教室で、園児サイズの椅子に腰掛けた山際がすまなさそうに頭を掻いた。

「すみません、気持ちのいいもんじゃないですよね」

「お気になさらないでください。お伺いしたのは私ですし」

 殺人だのなんだの、普段から事件や死体に関わる仕事だ。だんだん麻痺してくるのだろう。沢岡も、気遣いは苦手そうだった。

「あの、沢岡さんはお元気ですか?」

 二日前に会ったのに、「お元気ですか」は微妙か。しかし話題の箸休めに投げた問いは、苦笑で返された。

「この前、ここへお伺いした帰りに事故りましてね」

 不穏な言葉に、血の気が引く。

「大丈夫ですか」

「ええ。自損ですし、軽いものですから。今は内勤で書類に埋もれてます」

「そうですか、良かった」

 安堵の息を吐き、顔をさすり上げる。不幸中の幸いか。悪いことは重なると言うが、事件だの事故だの、どうしてこう心臓に悪いことばかり続くのだろう。

「あいつ今年三十二なんですけど、あの調子で仕事しかしてないもんで全く縁がないんですよ。早く結婚して、ちゃんとしたメシ食わせてもらえって言ってるんですけどねえ。真面目だけど不器用で、うまいこと言えないんで損してるんでしょうね。いい人がいればありがたいんですけど」

 さすり上げた手を下ろしきる前に、山際は箸休めを本題にする勢いで沢岡を売り込み始める。さっきの「良かった」は、そういう意味ではなかった。

「まあでも、先生はお綺麗だし彼氏くらいいますよね」

「いえ、そんなことは」

「じゃあ先生、沢岡はどうですか」

 世話焼き爺さんのような調子で、事件の話の時より身を乗り出す。さっきまで鋭くぎらついていた目は、人懐こい大型犬のように穏やかになっていた。

 そう言われましても、と苦笑した瞬間、背中に痛みが走る。釘を引き下ろされるような、あの痛みだ。

 今日のクラスは「かおるこちゃんはかみさまによばれるのをまってる」と言った彩乃のおかげで、随分落ち着いていた。見えることを肯定して良かったのか、もちろんケースバイケースだからいつでも正しい策ではないのだろう。でも少なくとも、今回は成功だった。園長のおかげだ。このまま一日が平穏無事にすむことを祈っていたのに、それは許されないらしかった。

「申し訳ありません、事件のお話に戻していただけませんか」

「ああ、そうですね」

 すみませんどうもお節介がすぎまして、と山際は気のいい笑顔で鼻で掻いたあと姿勢を戻す。次にはもう、視線は元の鋭さを取り戻していた。

「先生とよく話すようになったのは、昨年の冬頃とか」

「はい、薫子ちゃんの発作のあとからです。それまでもお見掛けしてはいたんですが、隣のクラスでしたので。挨拶を交わすくらいでした」

 うちの保護者には珍しいタイプの見た目と「彼氏」で、職員の監視対象になってしまったのは致し方ないことだ。私も挨拶をしつつ、動向のチェックは欠かさなかった。しかししょーくんは薫子を叩くことはもちろん、荒い言葉を吐くこともなかった。話をする時は毎回ちゃんと目線の高さまでしゃがんでいて、感心したくらいだ。

「彼と話すようになって、薫子ちゃん以外の話題はありましたか?」

「自分の育ちについて、複雑な家庭だったと仰ってました。詳しくはお伺いしていません。ただ薫子ちゃんに自分と同じ思いはさせたくないとお世話を頑張ってらっしゃったので、よっぽどつらい思いをなさったんだろうと」

「仕事の話は」

「夜の仕事だと、その程度です。私とは本当に、薫子ちゃんの話ばかりでした。鈴井さんが薫子ちゃんにあまり関心を払われない方だったので、このままずっとそばにいてあげて欲しいと願っていたくらいで」

 あまり悪く言いたくはないが、言っても煩がる幸絵より期待をしていたのは確かだ。中には結婚して自分の子どもができたら変わってしまう男性もいるらしいが、そうでなければいいとも願っていた。

「沢岡も言ってましたけど、先生は彼の評価が高いんですね。怖くなかったんですか?」

「確かに、見た目に怖いところはありました。タトゥーもありましたしね。でも薫子ちゃんの様子を見れば、保護者になろうと頑張ってらっしゃるのは分かりましたから」

 ハイテンションでたまに怒涛の早口でしゃべるから、思わず引いてしまうことはあった。でも話の内容は「薫子が朝なかなか起きらんない上に寝起きが凶悪でキレるんす」とか「髪を結ぶゴムに綿みたいなのがついてんのはOKすか」とか。逆に、見た目で判断してはいけないのだと戒めになったくらいだ。

「言いたいことはたくさんあるのに、もう何も、言えないんですよね」

 「何かあったら救急車って言ったじゃないですか」「園に連絡してくれれば」と、捕まったら恨み言半分で伝えるつもりでいた。でも存在まで消えてしまった今は、それすら叶わない。しょーくんの死亡で、事件の捜査も終わってしまうのだろう。

 気持ちの良い結末なんてありえないのは分かっていた。でもこれは、考え得る中でも最悪の結末だった。


 山際はそれからいくつか似たような質問をして、殺人事件の詳細と幸絵のその後を話した。

 しょーくんは薬物販売の胴元に助けを求め、逆に始末されたと思われているらしい。頭部がない理由はおそらく見せしめで、頭は今頃どっかで脅しの材料に使われてるかも、と人の所業とは思えない可能性を口にした。

 一方、しょーくんが死んだと知ってようやく口を開き始めた幸絵は、薫子の遺体を隠した理由を「仕事を休みたくなかった」と話したらしかった。

――通夜や葬式で休んでる間に、成績を抜かれるのが怖かったって。ゴールデンウィークもアポや接待で埋まってたようです。

 幸絵にとっては成果が目に見えづらい子育てより、すればするだけ形になる仕事が面白くてたまらなかったのだろう。それなら親権を手放せば良かったが、元夫は既に再婚して子どもも産まれている。薫子にはもう、しょーくんしかいなかったのだ。

 それにしても、関係者の私にそんな捜査内容を明かしても良かったのか。口は堅い方だが、誰かに話す可能性がないわけじゃない。見えない山際の思惑に、不安が募った。

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