第7話
3
警察は、レキを容疑者として捜査するどころではなくなった。
どういった手段を取ったのかわからないが、由貴が録音した電話音声は、男が仲間と日時と場所を相談する内容だった。手帳の内容は、その会話から書き起こしたものだ。十名の警察官が廃ビルに待機すると、由貴の記した車両ナンバーの黒ワゴンが
車内には、三人の男と、一人の女性が乗っていた。
男達は逮捕され、女性は無事に保護された。
翌日になってヒバリが大学に行くと、友人達が携帯端末を片手にある動画を見ていた。由貴の母親が、自分の娘の身に起こったことを、SNSを通じて発信したのだ。
暴行事件の被害者である十代の少女が自殺した──。
母親は同じことが二度と起こらないよう、加害者の三人組に正しい裁きを下すことと、被害者が泣き寝入りすることがないようにと訴えた。この動画は一夜の内に世界中に拡散され、多くのコメントがつき、犯人達への批判に染まっていた。
新宿西口から都庁方面に歩いて十数分、VAビル。
INAPO東京支部は、このビルの十五階から最上階の十八階までに当たる。昼間に活動出来ないシキョウは、十五階の『生活課』にある仮眠室で睡眠を取っている。
昼の十二時、部屋の寒さで目覚めた彼は、仮眠室のエアコンが壊れていたことを思い出した。布団を引っ張り上げたところで、仕事用の携帯端末のランプが点滅していることに気が付く。ホーム画面を開くと、留守電が入っていた。千代原だ。
『シキョウ君? 昼間にすまないね。別件でこれから数時間電話に出ることが出来ないから、進捗を伝えておく』
千代原は、由貴の母の動画のことや、三人の事情聴取、三人が逮捕されたニュースを見て過去の被害女性が連絡してきたことをシキョウに伝えた。まだ半分
『そうだ──三人のことなんだけど、少し妙なことがあったんだ』
『現場を見られて観念したのかな、過去の暴行については認めているんだけど……鈴木由貴さんについては、「その女は知らない」って供述を貫き通してるんだ。三人とも』
やがて、脳が覚醒してくる。眉間に深いシワを作って、シキョウは体を起こした。
『由貴さんの件について騒ぎになってることは三人とも知ってるから、何か弁護士に言われたのかなとも思うんだけど、少し気になって。それだけ。じゃあ、また夜に』
留守電は、そこで終わる。
──……鈴木由貴のことだけ?
仮眠室はシキョウ専用の部屋になっており、窓は完全にベニヤ板で塞がれ、その前に本棚が置かれている。おかげで昼間だというのに夜のような室内の床に、シキョウは足を下ろした。あまりの寒さに、温かいものを飲もうと給湯室に向かう。
INAPOは夜に活動するため、昼間はシキョウを除いて無人になった。たまに残業している者もいるが、それでも大半は午前の内に帰る。最後に帰る人間は窓を遮光カーテンで遮ることが義務付けられており、オフィス内もまた映画館じみた暗さだ。シキョウは廊下の灯りをつけ、給湯室に入った。
──今までの犯行を認めているのに鈴木由貴については認めないのは矛盾している。
──弁護士が指示した? そうするメリットがわからない。
湯が沸くまでの時間、シキョウは例の動画を再生する。母親は涙一つ見せず気丈に振る舞っているが、声が酷く震えていた。
《私と由貴が親子関係であった時間は、たったの数年でした。養子でしたから……、けれど、大事な娘です。誰かに傷付けられたら、私は傷付けた相手を許せません》
養子──。そういえば、と思い出す。千代原から送られた資料に、由貴が十三歳のときに児童養護施設から引き取られた旨が書かれていた。
ヤカンから湯気が吐き出される。レキの家の紅茶と、春香の笑顔を思い出した。何か妙な引っかかりを覚えながら、インスタントコーヒーを作って部屋に戻り──。
──部屋の正面。塞いだ窓が目に入った。
部屋は、暗く、寒く、夜のようで。シキョウは息を吞み、仕事用の端末に飛びついた。
講義が開始した直後に端末が振動して、ヒバリは眉根を寄せた。
振動のパターンから、チャットアプリやメールの類いではないと気付いて溜め息を吐く。受講中に電話をかけてくるなと文句を思い浮かべつつ、この時間にヒバリに連絡を取ろうとする人物を脳内にリストアップする。母親か、弟か──どちらもこまめに連絡するタイプではあるものの、仕事と学校で昼間は忙しいはずだ。
後でかけ直そうと思い、一度目の着信は無視した。二度目がかかってきて、緊急性があるものかもしれないと判断し、講義室から廊下に出る。画面に非通知と表示されているのを見て首を捻りながら電話に出た。
「はい、もしもし」
が──相手の声は返ってこない。眉間に盛大にシワを寄せつつ「どちら様ですか」と続けたが、それでも相手は名乗らなかった。
「間違い電話ですか? 今忙しいので切りますね」
昼は大学で夜はINAPOという無茶な生活のせいで若干勉学に遅れを感じ始めているヒバリは、時間を無駄にしたくなかった。端末を耳から離そうとしたとき、鋭く息を吸う音が聞こえた。聞き覚えのある音だった。普段音のしない人間が口を開くときにだけ聞こえた、さざ波のように人を不安にさせる音──。
「……シキョウさん?」
相手は、答えない。けれどヒバリの中に確信があった。相手はシキョウだ。
「……、何かあったんですか?」
『……ああ』
たったの二音の中に、複雑な感情が
あれだけヒバリを毛嫌いしているシキョウからの電話。活動時間ではない昼間。宮月でも千代原でもなく、ヒバリを頼った。緊急性があると判断したのは間違いではなかったということだ。「どうしたんですか? 大丈夫ですか?」と問う。
『……君しか
「はい」
『私は、外に出ることが出来ない』
「はい。ともかく、私はどうすればいいですか?
『いや』シキョウが、少しずつはっきりとしてきた口調で否定する。『葬儀場だ』
「葬儀場? ……ちょっと待ってください」
ヒバリは通話状態にしたまま端末をジャケットのポケットに突っ込むと、講義室に戻って荷物を取った。エレベーターに乗りながらどこの葬儀場か訊くと、新宿区内の葬儀場の名前を伝えられた。タクシーを使えばそう時間はかからない距離だ。
「今から向かいます。多分二十分くらいで着くと思います」
『……理由を訊かないのか』
「訊いた方がいいですか?」
相手が困惑する気配が電話越しでも伝わった。エレベーターが開き、一階で降りる。
「別にいいですよ。あんたを信用します。ともかく向かうんで、その間に説明出来そうならお願いします」
シキョウの感情は読めなかったが、それは沈黙として表現された。
駆け出してバス停に向かう。ここでタクシーを呼んで待っているよりも、駅まで戻って拾った方が早い。バス停に着くと、電光掲示板に次のバスが五分後と表示されていた。
『……遺体が、』車が道路を通ったゴウという音に紛れて、シキョウが語り出す。
『発見されたのは、午前二時過ぎ。現場検証を終えた後、新宿警察署に搬送された』
「……はい、そうですね」
『鈴木由貴は夜間の高校に通っていた。昼間は外に出ない』
「まあ、夜の間は学校なんで、昼間はバイトするか寝るかでしょうね」
『ああ。──私の生活と、よく似ている』
また一台車が通って、冷風がヒバリのコーヒーブラウンの髪を
「──……」
『吸血鬼がどう生まれるのか、まだ話していなかったな。吸血鬼は、師となる者が首を
メールで届いた少女の写真。
目蓋を閉ざした彼女の丸い輪郭を、ヒバリは、静かに思い出した。
『鈴木由貴──彼女は吸血鬼だ』
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