第6話



 レキの話は筋が通っているものの、不自然な点が多かった。

 由貴が死ぬ前に電話をかけてきたことは、千代原が携帯の発信履歴から確認した。しかし、レキの話によると、由貴は彼の目の前で飛び降りている。となると、由貴はレキに見せ付けるように飛び降りたことになる。何故、そんなことをしたのか。



 もう一つ。これはシキョウが言ったことだが、吸血鬼には確かに吸血欲が衝動的に沸き起こることがあるが、定期的に一定量の血を摂取していればそうないことだという。血を見て目の色が変化し犬歯が発達することはあっても、欲求を我慢出来ないほどではない。レキは新宿に定住する際にINAPOに保護を求め、定期的に食用血液を配給されている。衝動を抑えられないほど血液を摂取していないとは考え辛かった。




 翌日十日の夕方、ヒバリは大学にいた。本日最後の講義が終わり、リュックを背負ってエレベーターで下の階に下りながら、千代原が朝方に送ってきたメールの最後の一文に目を通す。要約すると、以上の理由でまだ怪しい点があるのでレキについてはもう少し調査します、といった内容だった。捜査に関して素人以下のヒバリに対し、随分と丁寧に説明してくれたようだった。


 ──警察は、レキさんが『由貴が落ちた後に血を吸った』んじゃなくて、『血を吸って殺した後に誤魔化すために落とした』んじゃないかって疑ってるのか。


 ほとんどの学生が既に校舎を出ており、学務室の職員も帰った時間だった。冬の夜は訪れるのが早い。日が落ち、白い照明がわざとらしく周囲を照らす。


 ──そう疑われるのは、鈴木由貴が自殺した動機がわかってないから。


 十代の少女が自殺する理由。真っ先に思い浮かぶのは、学校か家庭に何か問題があった可能性だ。だが、千代原のメールによれば、学校では春香以外にも友達は多くおり、成績も優秀で、毎日楽しそうに通っていたという。家庭環境は、養子だったらしいが良好で、両親はまだぼうぜんとしていたが「ちゃんと送り出してあげたいです」と葬式の準備を進めている。それらしい痕跡は、どこにも見当たらなかった。


 ──でも死にたくなる理由は人それぞれだしな……。


 誰にも気付かれない孤独もある。それをヒバリはよくわかっていた。しかし一方で、突然押しかけて勝手に自宅に上がり込んだ自分達を追い出そうともせず話をしてくれたレキに肩入れしたい自分の感情も自覚していた。シキョウの態度が酷い分なおさらだった。


 ──そうだよあの瘦せっぽち雪だるま……どうすればいいのあれ。

 ──なんか凄い腹立って口論みたいになっちゃったけど、もしかしたら私がどっかで変なこと言った……かも……?


 初対面で顔をガン見したからだろうか、と一人でもんもんと悩んでいると、仕事用の端末から着信を知らせる電子音が流れた。画面を見ると、千代原の名前が表示されている。

 伝え忘れたことでもあったのだろうかと首を捻りながらも、画面をスライドさせる。


「千代原さん?」

『ああ、ヒバリさん。今時間あるかな?』


 足を止めながら「大丈夫ですよ」と返す。


『シキョウ君には既に伝えてあるのだけど、少し状況が変わったんだ』

「状況?」


 道の端に寄りながら、端末を持ち直す。

 千代原の声が、どことなく緊張しているような気がした。重い石を地面から引き剝がすときに似た、一つ一つの音をようやっと発音するような強張り。しかし一呼吸分間を空けると、落ち着いた口調で千代原は話を続けた。


『先程レキさんが新宿警察署うちに来た。鈴木由貴さんから預かっているものがある、受け取ってほしい、とね』

「預かっているもの? なんです?」


 人気のないキャンパス内を進みバス停に向かいながら訊くと、千代原が何か応えようとして、しかし透明な壁に阻まれたように言葉をつまずかせた。う、に似た音の吐息が数度ヒバリの耳に届くだけで、正確な回答はいつまで経っても返ってこない。

 嫌な予感がした。首筋に冷たい針を刺し込まれるような感覚を覚えながら、ヒバリはもう一度「何を預かっていたんですか?」と問う。


『……聞いていて気分が悪くなったら、いつでも切っていいからね』


 そう前置きしてから、千代原はぽつりぽつりと、話し始めた。

 太陽の気配がせた暗闇に佇みながら、ヒバリは、彼の話に耳を傾ける。

 夜が足音もなく直ぐ後ろに立ち、ヒバリの肩に冷たい手を置いていた。




 千代原からの電話が終わると、ヒバリは直ぐにシキョウと合流した。

 シキョウも千代原から話を聞いていたのだろう、険しい表情で、いつもの辛辣な言葉もなく、二人は黙って新宿警察署に向かう。

 千代原は、一階の応接室の前で茶封筒を手に待っていた。彼が転じさせた視線の先──応接室の中で、中年の男女が警官と何か話していた。


「由貴さんのご両親」千代原は居心地が悪そうに視線を落とす。「ご両親にもレキさんから『届け物』があったみたいで……今、こっちに届いたものと内容を確認してる」


 母親が、真っ青な顔でうつむいて、スカートの裾をぎゅうと握った。父親が落ち着かせるようにその背中を撫でている。

 千代原はシキョウとヒバリを隣の部屋に案内した。全員がソファに座ってから、持っていた茶封筒からローテーブルに中の物を取り出す。USBメモリと、厚い手帳、写真が数枚。ヒバリは三つのうち丁度自分の目の前に置かれた写真の束を手に取った。三人の男が、正面や横顔、斜め上からなどの角度で写っている。


「……こいつらが?」


 意図せず、ヒバリの喉から低い声がた。千代原は気分が悪そうにみぞおち辺りに手を添えて、頷く。次に手帳を手に取って開くと、写真の男達の情報がこと細かく書かれていた。名前や年齢や職場、ここ数ヶ月の行動。そして、由貴が死ぬ三ヶ月前に彼女の身に起こったこと。


『筆記用具を買いたくて春香と別々に帰った。いつも寄っている店でマーカーペンが売り切れていて、別の店に行った。そうしたら、帰る時間が遅くなった』


 ページをめくる。若い女性にしては達筆に思える文だ。


『黒いワゴン車だった。早く帰ることに気を取られて、あまり気にしてなかった。家の近くだったから、人気のない道でもいつもの安全な帰り道だった』


 文字を追うごとに、じわりと手の平に汗がにじむのがわかった。


『振り返って運転手と目が合う。早歩きにしたら車が追ってくるのがライトの動きで』


 ──手帳を閉じる。閉じて、ヒバリはその先を読まなかった。神経に電流を流されたように指先が強く震えて、やっとの思いで手帳をテーブルの上に戻した。


「こういった事件の被害者のほとんどは、被害届を出せない。事情聴取で屈辱的な質問をされることや、被害者も悪いというような言い方をされることがあること……そして、事件の立証が難しいことを知っているから」


 千代原が膝の上で組んだ手に力を入れる。シキョウが嘲るように「は」と笑う。


「怠慢だな」

「……由貴さんは、それを知っていたんだろうね。だから調


 千代原は手帳の最後のページを開く。そこに、ワゴン車のナンバーと、次に男達が『実行』する日時が書かれていた。──今日の午後十一時半、新宿の廃ビル。


「USBに、彼らがクラウドに上げていた動画と、電話の音声が入っていた」


 手帳の最後にはこうあった。「もしレキ君から手帳がちゃんと警察の手に渡ったのなら、次の女の子を助けてください。私は生きていけません。私を殺した男達を、ちゃんと裁いてください」──。


「私達はこの廃ビルに向かい、彼らを待ち伏せる。電話内容を聞かせれば上も納得してくれるだろう」


 千代原は、写真などの資料を纏めると部屋を出ていった。

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