第2話


 |国際夜行性動物保護機関《International Nocturnal Animals Protection Organization》──通称INAPO。

 表向きは国際自然保護連合I U C Nに属するフクロウなどの夜行性動物を保護することを目的とした保護団体だが、その実態は、半世紀前に存在を確認されたヒト様生物──『吸血鬼』の保護・共生を目指すの組織。

 それが、彼女──ヒバリが本日から所属する組織であった。

 吸血鬼に関する活動をするため、勤務は夜の九時からになる。帰宅ラッシュも過ぎ、ぐに帰る者は既に家に入り、街に繰り出す者は店に入った後の、ほんの少しだけけんそうが落ち着いた時間帯だ。新宿区・警視庁新宿警察署前、東通りを走り抜ける車のライトに時折横顔を照らされながら、彼女は耳元に当てた携帯端末に応答している。


「じゃあ、その人のことここで待ってればいいんですね?」


 刈り上げ寸前くらいまで短くそろえたコーヒーブラウンの髪は冷たい風に撫でられ、がり気味の眉と口角が上がった口元はどこか好戦的な雰囲気を醸し出している。サイズが大き過ぎる黒いデニムジャケットのせいで上半身のシルエットはボリューミーだが、穿いているスキニージーンズを見る限り体型自体は細身だ。美麗な少年のようなボーイッシュさと運動部員のような健全な活発さが奇妙に交ざり合って、彼女の気配の中で自然に同居していた。


『ああ、名前はシキョウ君。歩く花鳥風月みたいな顔してるさかい、直ぐにわかんで。警察署には着いた?』

「目の前です。デカ……大きいですね」


 少なくとも十階以上はあるだろう直方体の建物をほとんどるように見上げる。すっかり日は暮れているのに、まだ多くの窓から明かりが漏れている。


『ほな千代原さんに先に連絡しとこ。さぶいし、シキョウ君遅れるようなら先に中に入れてもらえるように言うとく』

「チヨハラさん?」

『そこの警察署の刑事さん。INAPOボク達に協力してくれとる。ボクらの仕事は基本的に吸血鬼の保護なんやけど、彼らが問題を起こしたときは警察と協力して捜査して、存在が明らかにならへんようにするんや。吸血鬼なんて皆パニックになってまうさかい、表向き未解決事件やらで処理するんやけど、書類の問題もあって、実際には吸血鬼関連の事件やったっちゅうのを確認してもらうんや。まあ見学や思て気楽にしとったらええ』


 へえ、とそう興味があるわけではなさそうな声音で返事をする。電話相手──宮月は、『ほな仲良うね!』とどこか含みがありそうなことを言い残して電話を切った。

 関西──否、京都弁だろうか、とヒバリは考える。おそらく出身がそうというわけではないだろう。男にしては高い声と跳ねるような口調、そして妙に軽薄な雰囲気は、非常にっぽいものだった。

 端末には、直前まで表示していた画面が映し出された。宮月から送られてきた、今回の事件に関する資料だ。一番上の行に『マンション七階から落下したと思われる十七歳女性。首にこうしようあり』と書かれており、その横には二つの穴が開いた首の写真が添付されていた。更にその下には、傷の持ち主の名前。


 ──『すず』。


 自分とそうとしの変わらない少女が、昨晩亡くなった。──首に謎の咬傷を残して。

 しばらく行き交う車のライトや、フロント越しに見える多様な人々の表情を見るともなしに見ていると、突然誰かに隣に立たれた気配がした。警察署の前で延々棒立ちしているのをとがめられるのだろうかと視線をやって、ヒバリは思わず目を瞬かせた。

 白い肌に白い髪、白いコート。瘦せっぽちな雪だるまのようなシルエットの男だが、顔立ちは人形作家が一生分の技術を集結して制作したように整っている。

 思わずほうけていると、相手が不快そうに顔をしかめた。じろじろと顔を見てしまっていたことに気付き、ヒバリは慌てて「すみません」と謝る。


「シキョウさんですよね。崎森ヒバリです。よろしくお願いします」


 男──シキョウは、薄く開いた唇からかすかにいきのようなものを吐き出した。それからヒバリが差し出した手を一瞥すると、滑るように目をらして歩き出す。足音のしない歩き方だった。そのまま警察署入り口まで白い後ろ姿が小さくなっていく。


 ──……シャイなのかな……?


 ヒバリは前向きな女だった。冷たくなった手の平をポケットに戻して、後を追った。

 ロビーはそれなりに広かったが、制服やスーツ姿の男女の中で白い衣服は目立った。シキョウは階段下辺りで誰かと話しているようで、背の高い彼に隠れてしまっているものの、黒いスーツ姿の男性だとわかる。


「シキョウさん、置いていかないでください」


 駆け足で近寄ると、話し相手がヒバリに気付いたようだった。

 都会の洗練された大人の男性、といった風な人物だった。三十代半ばほどだろうが、なんとなく年齢がわかりづらく、がっしりとした体格と伸びた背筋は活力を、携えたほほみは落ち着いた雰囲気を感じさせる。微かにシトラス系のコロンの匂いがして、ワックスで後ろに流された黒髪は乱れがなく、身体からだのラインに合った上品なスーツと黒い革手袋は紳士然とした印象を与えた。

 年上の男性に少しものじして会釈すると、微かに垂れた形の眉が、ぱっと跳ねた。


「ああ、貴方あなたが崎森ヒバリさんか」

「え、あ、はい」

「千代原です」男性が笑みを深め、胸に手を当てる。「宮月さんが、『バスケ部員みたいな女の子』って言ってたんだよ」


 実際高校生時代はバスケ部員だったため否定し辛い例えだ。一歩踏み出た千代原が差し出した手を取り、握手する。


「よろしくヒバリさん」

「よろしくお願いします、千代原さん」


 よろしくと言われたらよろしくと返す。これがだいたいの反応のはずだ。ヒバリは横に立つシキョウを見上げたが、本人はどこ吹く風で遠くを見詰めている。


「待たせてしまって申し訳なかった。揃ったことだし、行こうか」


 階段に足をかける千代原。「行くって?」とヒバリが問うと、穏やかな目が細まる。


「『現場から立ち去った男』のところ」


 上の階を指差され、ヒバリは資料の内容を思い出した。




 ──今日、一月九日の午前二時に、十七歳の少女が死んだ。

 第一発見者は彼女の母だった。夫と寝室で眠っていると、『ドン』という大きな音で目を覚ます。室内で何かが落下したのかと考えたが異変はなく、娘の部屋を見るとその姿がなかった。室内をもう一度確認し、その五分後、リビングのベランダの鍵が開いていることに気付き下をのぞんで、駐車場に倒れている人影を発見した。

 真夜中かつ駐車場には大きな照明は設置されておらず、更に七階と高所であったため、誰かが横たわっていることはわかったが倒れているのが自分の娘だと確信が持てなかった母親は、エレベーターで一階まで下り状況を確認しに行った。顔を見て娘であるとわかり、救急車を呼んだ。救急車が到着するまでの間心肺せいをしていると、首筋に鉛筆が差し込めるほどの大きさの穴が二つ開いていることに気付く。

 救急隊員が到着し心肺蘇生を続行したが、病院で死亡が確認された。けいの二つの傷から出血はほぼなかったが、その後の検査で体内の血液の約五分の一がなくなっていたことが判明した。事故・自殺以外に何者かによる殺人あるいは死体損壊の可能性があると警察に報告。その後、INAPO及び夜行性生物関連事件専門員・千代原みちひと警部に連絡、本事件に吸血鬼が関係している可能性を考慮し捜査が開始される。




  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る