Ⅴ・潰れた蟾蜍の総菜店

ある狂信的宗教と司祭の嘘の記録書簡


「司祭様。今月のお布施で御座います。貧しき人達の為にお使い下さい。」

黒廃色の司祭の前に傅き、髭を蓄えた商人らしき男が箱を床の上に差し出す

木箱の中には当然金貨がぎっしり詰まっているが綺麗な金とは言いにくい。

商人が夜盗を雇い近辺の森を渡る商馬車を襲って奪った金である。


「ご苦労様です。貴方のような熱心な信者が居てくれるのは

正に神の思し召しでしょう。

さぁ。顔を上げて行きなさい。今後も教義を信じ善行に励むのです」

司祭は商人の肩に手を掛けて緩やかで温かい声を掛ける。

「有り難うございます。」真に瞳から大粒の涙を流し商人は頷いて深く頭を下げる。


黒廃色の司祭服を着込んだ司祭は、小間使いの男に受け取った布施を片付けるように

言い付けると、ふぅ〜〜と息を吐き出しそそくさと私室へと戻る。

何処にでもある地方の何処にでもある小さな村の本当に小さな教会であるが

来訪客は多い。

それに対応するだけで結構な労力を要するのではあるが

この教会に属するのは司祭と修道士と小間使いの三人だけである。


午前の説教と午後もそれ。

絶え間なく訪れる相談を持ち混む村人。何

処からか金貨箱を抱えてやって来る信者達それをたった三人で切り盛りするのは

至難の業である。

黒廃服の司祭は修道士が入れてくれた安物の辛茶を啜ると執務机に肘を突いて嘆く

「どうしてこうなったんだろう?僕は何処で間違ったんだろう?」

足下に転がる金貨箱を蹴飛ばしで又、愚痴る。

扉を開ければ倉庫代わりの秘密の部屋には高価な品や金貨が

燦然と詰め込まれている。

そこだけでは収まらず執務室や彼の寝室にまで布施と言う金銀財宝が山と

積まれている。


頭の中で記憶を紐解けば・・・。

最初から司祭と言う立場でも、それを好きで選んだ訳でもない。

単なるこそ泥であり掏りスリ師であった。その頃は好き勝手やって生活していが、

稼ぎが多い訳じゃなかった。


ある日、もの凄く運が悪かった。

街市場で目に付けたカモの財布を摺れば、中にはいっていたのは羊皮紙一枚。

後で知れば、それは悪党共が貴族を拐かす為の屋敷の地図であり、

伽面に取っては大事な物だった。

それを摺ったなら悪事がばれる。悪党の一頭は掏りスリ師を的人として

追い掛け回す。

騒ぎが大きくなり拐かそうとした貴族も悪党の一味と掏り師を追い掛け回す。

逃げる場所を失いつつあった摺り師はやっとの思いでうち捨てられた崩れた教会に

身を隠す。


そこには何もなかった。

何とか使えそうな物はないかと探し回って、やっと見つけたのが

煤けた黒廃色の師祭服だった。

寒空の中で少しでも体温を暖めようと師祭服に袖を通す。

今、思えばこの時が全ての始まりだったのだろう。

そしてこれが招いた物は人生に大きな影響を与えたと言える。

何もない朽ち果てた教会で地面に蹲り一夜を過ごして迎えた朝。

崩れ果てた壁の角で自分と同じように蹲る女を見つける。

酷くみすぼらしい女は盲目だった。

長く悪党家業に身を置いてきた摺り師であっても

人の子であったと言う事かもしれない

摺り師は盲目の女を手を取り抱きしめてやり

寒さに凍える女の体を自ら来ていた黒廃の司祭服で来るんでやる。

「此処でじっとしてるんだよ」と言い残すと思い付いて街へと脚を運ぶ。


危険であった。

街には首を狙う自分より強い悪党が目を光らせている。

しかし、何かの巡り合わせだろう。

彼らには見つからず街市場で少しばかりの摺り仕事が出来た。

得た金で男は女の為に食べ物と衣服を買い求め崩れ果てた教会に戻る。

盲目の女は出かけた時と同じように崩れかけた壁床に疼く待っていた。

食事と衣服を与え夜は冷たい体を寄せて抱き合い寒さを凌ぐ。


日が開ければ、摺り師は街市場に出かけ必要最低限の仕事をこなし

帰りは食べ物や必要な物を手に入れる。

そんな生活が続いていくとある日、崩れかけた教会に数人の輩がやって来る。

乱暴に詰め寄る男達に黒廃の司祭服を来たまま問いかける。


何があったのかと?

返って来た言葉は何処にでもある話だった。

盲目の女は奴隷女で自分達が所有権を持っている。

だから女を返せとぶっきらぼうに言う。

「それは出来ない。何しろこの女は既に我が教団に入信した。

つまりは信者である。信者を奪う者がいるなら守ってみせるのが司祭の役目だ」

と言い切る。


嘘である。真っ赤な嘘である。

もっとも、奴隷夜盗も意に返さない。

こんな古びて崩れ落ちた教会の司祭如きに何が出来ると。

「何も出来はしないかも知れないが、体を張る事は出来る」

虚勢をはって見せた司祭に夜盗が迫る。

多少の荒事は経験があるし、一人二人は何とかなるだろうと思った司祭は前に出る。


すると、夜盗達は自然に後ろへと下がる。

司祭が前に出る度に夜盗は下がる。

夜盗達が黒廃の司祭の後ろに見ていたのは影である。

霧と言えばいいのだろうか?

黒い霧の影。

ユラユラと揺れ司祭の体に纏わり付くのはどことなく女の形にも男の形にも見えた。

司祭が前に出る度に黒影の数は二つ三つ、四つと増えて行き

、六つとなると夜盗達に襲い掛かる。

黒影は生きていて飢えていた。

捕らえた獲物を掴み刻み引き裂き喰らう。



黒霧の餌場となった教会の庭先で、元摺り師の司祭は自分が何者かを思い出す。

黑霧喰種と言う亜人であり、その成人時期は遅い。

他の亜人属より成長の遅い彼らは体内で黑霧を生成する。

極小の細胞の集まりであるが、それもまた彼等の体の一部だ。

人種で言う口からも若干の栄養を摂取する事は出来るが、それでは足りない。

彼等は体内から黑霧を放出し餌を捕食する。食事が終われば黑霧は体内に戻る。

それが黑霧喰種であり、自分がその時初めて成人したと知る。


噂はすぐに広まる。

司祭は悪い噂かと懸念したがそうではなかった。

古く朽ちたあの教会の司祭は優しいと。逃げだした奴隷を夜盗から救ったと

評判になる。噂は風より早く奔り、人が集まる。

始めは貧しいもの達や虐げられた者達だった。

元摺り師の男は盲目の女と同じように彼等の面倒をよく見た。

昼には街市場に出かけ仕事をする。夕方には食べ物を持って帰る。

夜は皆で抱き合って眠る。


噂が広がり人が集まってくると彼等を養うのは元摺り師の男だけでは無理になる。

すると、何人かの者が彼を手伝うようになる。

同時に他の者も自分達で出来る事を始める。

崩れ落ちた壁や屋根の修復。寝床や部屋の整備。畑を耕し食べ物を造り出す。

暫くすると教会らしい物が出来上がる。

何とか自給自足出来るようになると摺り師は仕事を辞めた。

皆が求めたのは摺り師ではなく司祭としての振る舞いだった。

虐げられ生きてきた者達は本能的に何かにすがりつく。

その対象が必要だったのだ。

何処からか持ち込まれた宗教教本を読んでみたり時間があれば他の宗教の説教を

聞きに行ったり知っていく内に自分の中に信念が芽生える。それは教義となった。

皆み自然とそれを受け入れる。自分達を助けてくれた司祭が

唱える教義を受け入れる。


奇妙な事にそれは教会の外にも広まる。

この地が貧しかったのもある。助けが必要な人を必ず助ける。それが教義であった。

勿論、無償である。それが大前提であり譲る事はなかった。

月日があまり経たない内に朽ち果てた教会で生まれた新しい教会の教義は近隣の

村や街を呑み込んで行く。

決して正しいやり方ではないと司祭自身も思っていたが、悪党が消えて行く。

理由はあったが、それは黙される。


教会の教義が広がって行くと、人が集まってくる。

恵まれない者もいれば恵まれている者もいる。

皆、助けを必要とする者であれば誰であっても司祭は手を差し伸べた。

貧しくない者達でも、訳ありの者達であっても。

特に見返りを求めたことはないが、貧しい者は奉仕を。商い人は財を。

悪党は悪行を。

それぞれの形で教会に布施として納めるようになる。

そして教会に人が集まるようになり、教義が人の心に広がって行く度に

教会は力を得て行く。財力、権力、覇力、策略、悪事。

必ずしも良い事ではないだろう。

司祭自身はそう考えていたが裏腹に大きくなって行く教会の力を止める事は

出来なかった。


ミヌの女神が体を浸す大川が幾度も干上がり、

司祭も年齢をそれなりに重ねた今となれば

彼と盲目の修道士が開いた教会の名を知らぬ者は大陸にはいないだろう。

それこそが「義翼と偽天秤の黑廃教団」である。


常に涼しげな風が大地を舞凪がれる四つ目の大陸。ある総菜店を目指す亜人と従者

[この辺って聞いたけども?見つからないなぁ?]とイーライは羊皮紙を突いて

言葉を紡ぎ出す

「確かにこの辺で御座います。時間が早いのかもしれませんが。

手順があるとも聞きましたよ。御主人様」

黑細革鎧の従者イヴォンヌが高い背を活かして当たりを身回す。

[うん。解ってるよ。イヴォンヌ。だからちゃんと買い物籠を

二つ用意したんじゃないか。よくわからないけども。入り用だって。

菟の亜人がいってたしね]

「はい。確かにそう言ってましたね。それでも不思議です。

手順と言うより儀式に近いとも言ってましたね。

あっ。いました。あの方ではありませんか?きっとそうです。

ほら、行きますよ。御主人様。早くぅ」


イヴォンヌが教えて貰った風体の人物を見つける。

目当ての人物は普通のオバサンである。

夕刻になるといつも大きな買い物籠を4つ手に持ち現れ夕飯を買い求める

普通のオバサンである

しかしこの人物の眼鏡に適わなければ目的の場所には辿り着けない。

イーライとイヴォンヌはイソイソとオバサンの後ろについて歩く。

すると足音を察したか、オバサンは後ろを振り返り新人の顔をじっと見つめる。

イーライとイヴォンヌは跳ね兎の訪ね人に聞いた通りに買い物籠を

両手に持ちオバサンをじっと見つめ返す。

手に四つの買い物籠をもったオバサンが「うんむ」と頷くと「うんうん」と

新人二人が頷き返す。

同士よ!と、無言の絆を確かめると、買い物籠を四つもったオバサンは歩き出す。

目的の場所こそ、イーライ達を助けた旅の薬剤士ポテルに

教わった潰れた蟾蜍の総菜店である。


食通を気取る寡黙なオバサンの後ろをついていくと、

人がイーライ達の後ろに列を作るように集まってくる

一寸不思議な光景だなぁと思っていると目的の店潰れた蟾蜍の総菜店が

見えて来た。


潰れた蟾蜍の総菜店。

見た目だけを言えばそれほど立派な店ではないのかもしれない。

看板も刻印ではなく、あまり字が得意ではない誰かが勢いに任せ

書き殴った装丁だ。

それでも、客の為に書いてある注意点は又別の人物が書いたのだろう。

心遣いが見て取れる。


当店では人種・亜人の区別はもとより平民と貴族のそれもいたしません。

地位や名声を傘に着て騒ぐ輩は鉄拳を臣上げに差し上げます。

一応品書きはありますがお客様の要望に出来るだけお答えします。

又、大量注文の場合は事前予約となります。御理下さい。


乱暴な言い方ではあるが、この店の趣旨がきちんと書いてある。

店側と客の信頼関係が成せる技であろう。

この看板のおかげだろうか?

それとも過去に鉄拳を臣上げに貰った輩がいるのだろうか?

話題の総菜店の味にありつこうとする客達は多様であるに関わらず比較的

落ち着いている。

談笑をしながら店が開くのを待つ客達には、主婦もいれば何処かの食堂の買い出し人

見るからに怪しく悪党家業のその者もい

強面の面構えであるがきちんと列に並ぶ。

主人の食卓に店の総菜を乗せるために貴族服を着込んだ従者もいる。

彼等さえも近場の馬車止めに馬車を止め、急ぎ脚で列に駆け寄るが順番は守る。


それに目を配ってるのが店の護衛番とでも言うのだろうか?

一際背に高い女性の亜人が腰に手を起き胸を張って首を巡らしている。

粗相をすれば彼女の重い拳骨を喰らう事になるのだろう。

涼しげに当たりを身回すが鋭さも見て取れた

イヴォンヌに促されその女性に一礼をする。相手は軽く頷いただけだ。

程なく店の丁稚がパタパタと駆け寄ってきて盆を差し出す。

その上には小さな柔菓子と御茶が二人分乗っている。

「初めてのお客様と存じます。ご来店有り難うございます。

それに礼を尽くす御方だとも。礼には礼を尽くすのが当店のしきたりで

御座います。」ぺこりと丁稚は頭をさげた。

丁稚に礼を言うとイヴォンヌは菓子と御茶を口に運ぶ

案内してくれたお礼だと食通のオバサンにイーライは自分の分の柔菓子を譲った。


もう少しかかるかと思っていたが、以外と早く潰れた蟾蜍の総菜店が

営業中の看板を上げる。

比較的早い順番に並ぶことが出来たがそれでも店の中に入るには時間掛かり

そうだった。

列が進み一歩前に進む度にイヴォンヌは体を揺らしソワソワと体を揺らし

落ち着かない様子である。


[コラ、イヴォンヌ。行儀が悪いぞ。ちゃんとしないといけないんだぞ]

「そんなの無理です。御主人様。こんなに美味しい匂いで一杯なんですよ?

ソワソワするなと言う方が無理です。ああ。どうしよう。何が良いかな?

アレもこれも美味しそう。」

イヴォンヌは亜人の女性としても背が高い方だ。

その背丈を活かして店内の看板を身回しあれこれと指刺している。

しまいには前に並ぶ食通気取りの寡黙なオバサンにお勧めは何ですかと

訪ねまくってさえいる。

イーライも本当の事を言えば輪に入りたかったが塩海を渡り大陸を越えてまで

総菜店を訪ねるのには理由があった。

巡回医療師ポテルが示した進むべき道の最初の一歩が此処となっていたからだ。

食欲をそそる匂いを振り払いピンと背筋を伸ばすイーライ。

その後ろで我慢出来ないと口の中の唾を飲む込み、

そわそわと楽しげにイヴォンヌが体を揺らしている。


店机棚の向こうでは二人娘と一人の女性が客を捌く

人種の娘が丁寧に客の注文を羊皮紙に書き留めると壁穴の紐に括り付ける。

グイと紐をひき下ろすと下にあるだろう厨房の丁稚が羊皮紙を読み上げ

注文を復唱する同時に料理人達が声を上げ確認する。

作り置きがあれば軽く火を通して料理箱に乗せられる

それを扱うのが背の高い亜人女性だ。

先ほど表で睨みをきかせていた女性と良く似てる

違うのは髪の毛の色くらいだろう。おそらくは姉妹かも知れない。

厨房から声が上がると女性は壁穴の鎖に重りを付ける。

すると錘鎖が下がり厨房から料理箱が上がってくる。

「よっこらせっと」声を上げ料理取り出して客の籠に丁寧にいれる。

それを横で見る猫族の娘が「これで全部かにゃ?

今日は阿呆鶏の燻製がお買い得にゃ。追加するにゃ?

明日は棒蛇の胡麻和え粥がおすすめだにゃ。えっと全部でこれくらいだにゃ」

いちいち言葉尻に猫族特有のにゃ!を可愛らしく付けて話すが

しっかり宣伝もしている。結構やり手だなぁとイーライは思う。


順番が来るとイーライより先にイヴォンヌが大きな声で注文をしてしまう。

「私は、まず虹蛇の唐揚げを3皿。次が牡蠣牛のステーキを6枚ほど。

焼き方はレアとミディアムを半分で。

それとお米も食べたいから甘蛭蛙の姿煮粥を2杯。

金川魚のお刺身が2皿で。大角鹿の包み焼きが3本

鮹大挟蟹の湯上げが8匹とぉ〜〜。それから。棘苺の壺焼き菓子が12個で。

あと本日のお勧めを三人前で・・。」


今週分どころか今月の自分の小遣いを全部突き込んでしまいそうな勢いのイヴォンが注文する間に背の高い女性がイーライの顔を覗き込む。

「お連れさんは丈夫な胃袋を持っているようだけども。

お兄さんは何にするんだい?」と聞いてくる。


意表を突かれて少したじろぐが文字が刻んである羊皮紙を取りだし

少し恥ずかしそうに口を開けて傷付いた舌を出して見せる


[僕は、怪我をしてしまい。言葉を旨く話せません。御免なさい。

注文は千本脚鮹の茹で煮と、潰した蟾蜍の脚の唐揚げを2本。初めて食べるんです]と羊皮紙の文字を突く。


「解りました。旅の御人様。確かにご注文は承りました。

しかし、蟾蜍の脚の唐揚げは調理が難しく、これから作る事になります。

この札を持って待ち部屋の方に脚を運んで頂けますか?

勿論、お連れ様の料理が出来次第其方に御案内いたしますので」

背の高い女性は丁寧に微笑み木札を渡し待室へ案内してくれる。


イーライが注文した品物は実際には存在しない食べ物である。

しかしそれには意味があった。その筋だけで通じる隠語である


彼の王族が滅んだ十三匹の蟾蜍の国に潜む炎蠅の王と仕えるその従者に面会を求む。

尚、当方初めての依頼を持ち込むとなり。

意味を明かせばそうなるが、これを教えてくれた人物こそポテルである。

彼女の知恵が無ければ、沢山の総菜を買い込んで、ただ帰る事になるだけだろう

膨れるのはイヴォンヌの胃袋だけだ。


「お客様。お客様にゃ。料理長の手が空いたから厨房に降りて来て欲しいのだにゃ」

待室の扉が半分開いて猫の亜人が顔出す。

あまり長い時間待たされたとは思わなかったが、正直少し辛かった。

もの凄く美味しそうな匂いが待室一杯に充満してるのに、

自分の前には水の一杯しかなかったからだ。

狗の亜人としても人に化けていても、これは胃袋に悪い。

軽く拷問されている気分だ。


可愛げに尻尾を振って歩く猫の亜人娘について厨房に降りていく。

旨そうな匂いで一杯であったが料理人達は戦争の兵士のように怒声を

上げながら歩き回っている

手に持つ武器剣や槍ではなく鉄鍋や菜箸と言うだけだ。

通されたのは厨房の奥。料理長と呼ばれた男の執務室ではあろう。

最も、仕事をする場所とは言いがたく、雑多にいろんな物が積み上げられている。

料理の羊皮紙本であったり、形の変わった鍋であったり、生きてウネウネ動く植物が籠に詰め込まれていたり

執務室と言うより料理人の工房と言う感じだろう。


猫の亜人娘に勧められ接客椅子に身を落とすと、

すぐにイヴォンヌがにこやかに部屋に入ってくる。

イーライの隣にストンと座っても尚、甘蛭蛙の姿煮粥椀を放さず当たりを身回す。

なんか未だ、美味しい物を逃してるじゃないかときょろきょろと首を回す。


[そんなに食べると、拘束鎧がはち切れるんじゃないか?太るぞ?]

突談で文句を言う。

「何いってるんですか?此処は天国ですよ。胃袋を満たす天国です。

此処で食べなければ何時、食べるんですか?それに食べたら運動すれば良いんです。

夜の運動の時間と回数を増やせばいいんですよ。だから食べても良いんでぅ」

プウと頬を膨らませてイヴォンヌは卓の上に出された蛇頭の唐揚げ

を口の中に投げ込む

「んん〜〜〜〜〜〜〜。美味しぃ〜〜。にじみ出る汁が逸品です」

ニコニコと笑い、又一つ口の中に放り込む。


「うむ。中々の食べっぷりだな。お付きの御婦人は。

料理人みよりに尽きると言う訳だ。」

元々はちゃんと白い生地で作られたはずの料理服も鍋から上がる火と煙、

飛び散る汁に染められば汚れもするだろ。

何処にでも良そうな中年の年頃らしい亜人の料理人は

最近出てきた腹を摩りながらイーライ達の前に現れる。


料理人はその筋の輩にしては少しぽっちゃりとしてるようにも見える。

最も、容姿だけでその才は測れる物ではないが

それでも似つかわしくない仕草で腹を叩く。

「何、最近一つ大きな仕事をこなしてな。長く気になっていた事でもあるし

やっと、肩の荷を下ろす事が出来たのはいいが、今度は店のほうが忙しくなってな。

それに加えて嫁を娶った。彼奴の作る飯が又旨いんだよ。

料理人の俺が言うのも何だが逸品でな。ついつい食べ過ぎてしまうんだ。

それでこの様だ。夜伽の数を増やした方が良さそうだ。」

ニヤニヤと膨らみ始めた腹をさすり薄汚れた料理服の埃を払いながら彼は笑う。


「お前様の腹が出てきたのは私の性では御座いません事よ?

あれやこれやと客にせがまれ新作を作る度に味見と称して皿ごと食べ尽くすからで

御座いましょう」

静かにそして艶やかな声が耳に届くと音もなく白紫の衣服を着込んだ女性が現れ

料理人の隣に腰を下ろす。

「ちなみに、夜伽の回数を増やして頂けるなら大歓迎でございます。」

にこやかに微笑み卓の上の蛇頭の唐揚げを摘まんで口の中に入れる。

奇妙な事にこの女性だけは料理人の衣装を着ていない。

むしろ貴族風であり、腰の辺りには大きな裁ち鋏を括り付けてさえいた。

明らかに異質ではあるが、料理人をお前様と呼ぶのは婚姻関係にあると

言う証明でもある。


少し腹の出た料理人とその妻らしいが大きな挟みを腰に括りつけた淑女。

旅礼服の若い白い肌の狗の若者と黑い細革鎧を着込む舌の長い女性。

此処に役者が揃う・・・。


「王族が滅んだ十三匹の蟾蜍の国、それに連なる魔女。

模写士が一人。八鍋腕のジャンヌ・ダルク。先代から継いだ名となる。」


五つの大陸にて亜人優遇主義を唱える国ではあるが、法と人の理を無碍に踏めば

人種も亜人も容赦なく的にし、必ず仕留める暗殺教団の技師である


「壊れよ。畏怖せよ。鳴き叫べ。苦しみの果てに滅せよ。

我等女王の御姿に。祖の国。

暗闇の部屋に住まう28人の下僕。鋏を使う者その一人。シシリヤ・レレノ・ダグン

で御座います。縁あって、夫様に心と体を捧げている者で御座います。」

静かに頭を下げると蛇頭の唐揚げを一つ摘まむ。


[公の場で言葉を旨く話す事が出来なくて申し訳ありません。

長い間、拷問を受け舌先を失ったのです。ただの狗の亜人。イーライです]

つとつと文字が刻まれた羊皮紙をついて言葉を記す。


「同じく。拷問の果てに傷を負い。お狗様の慈悲にすがる者

イヴォンヌ・オヒ・クエンで御座います。」

黑い細革ギシリと軋ませ頭を下げると、又ひとつ蛇頭の唐揚げを一つ摘まむ。


「それは難儀でだったな。ふむ。舌を怪我したのは災難だったな。

しかし、良くやってる。うむ。頑張って生きてるのは伝わるぞ。若いの。

それでも黙するべき輩、模写士を訪ねたのは何故だ?」


[はい、八鍋腕の模写師様。討つべき相手がいるからです。]

「的人か。名は・・・。?」


[十悪会の一人。瞋恚・・・。]


「うぉっ。これは大きく出たな。小僧。」

イーライの突いた言葉に手に持った茶杯を揺らし模写士ジャンヌが笑う。

隣のシシリヤも目を細めて微笑むと、唐揚げを摘まむ。


「お前。自分の言ってる事が解ってるんだろうな?小僧。

十悪会を狩るのは暗黑騎士の輩のみと知れるぞ。

そう、あの・・、十悪の暗黑騎士だけだ。

お前、それと知って十悪会の輩を的にするのか?

長く影に潜む我等、模写士でさえ見つけられず討った事もないんだぞ?

若造?それでも討つのか?十悪会の瞋恚を・・・」


一笑に伏されるとイーライは解っていた。

中傷され蔑まされるだろうとも。

それでも、自分が決めた事だ。標された道を進むと決めたのだ。

だからもう一度、強く指に力を込めて文字を突く。


[討たねばならないのです・・・。それが僕の進む道なのです]

膝の上で握った拳に力が入る。


[[その甘さが牙となる。]]

八鍋腕の模写士は胸元で手を組み指を折る。

それはクルクルと形を変えて読める者だけは知れる言葉を紡ぎ出す。


イヴォンヌがはっと、息を飲み、胸元で指を組み返礼する。

イーライはそれが何なのか解らなかったがイヴォンヌの指が様々に変わり

ジャンヌがそれを見て又、指を折り返す。

これは印手と呼ばれる言葉の伝達方法の一つである。

彼の妖精王国が発祥であり、戦場の密偵や斥候。

街では吟遊詩人が物語を紡ぐ時にも。

妖精王国では王が仕切る儀式でも使われる物であり

イヴォンヌの種族の言葉と伝達方法でもあった。


「小僧。事情は分かった。

やはりお前は討つべきだ。十悪会の瞋恚を。

面倒をみてやる。やれやれ、先代の敵を討ったと思えば

次は弟子持ちになるとはな。

まずは、名をくれてやる。狗の亜人らしいな。

そうだな・・、人狗の模写士。今日からそう名乗れ。但し、見習いだぞ?」


「はい。有り難うございます。お師匠。」歓喜の声を上げて答える。

旨く聞き取るのは難しかったが、紛れもなくイーライの口から出た言葉だった。


「まずは、休め。修行する前に傷を癒やして体を作らないとならん。

腹も減ったろ?オイ、賄いを持ってこい。大盛りだぞ。」

声を上げる上げるジャンヌの横でもう一つの戦が始まっていた。


鋏を使う暗殺者と黑細革鎧を纏った女性。

殺気さえ絡み合い互いの視線の先には、

たった一つ残った蛇の唐揚げが残った皿がある。

どちらが最後の一個を食べるか?


それは真に女の胃袋の戦だった・・・。


Guest character from

怠惰な模写士はそうと知らずにジャンヌの名を継ぐ: ジャンヌ・ダルクとその一党


to be continue…..



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