Ⅲ・狗舌

紅き瞳の燄使いとぼさぼさ頭の善絲使いが痴話喧嘩する大陸から遙か遠く

地下深くの罪人牢獄


カビ臭い牢岩の床に無造作に投げされた固い麺麭を犬のように喰らって食べる。

僕にはそれしか出来なかった。長い時間が経ち黒く錆び付いた手枷に後ろ手に

括られている。

足だってそうだ。両の足を鎖で繋がれ更にその先には重い鉄球に繋がってる。

自分一人では長い距離を歩く事は出来ない。

何より悔しいのは口の中まで拷問されたことだ。

あのデブの拷問官がニタニタ笑いながら変な道具を口の中に

突っ込んでぐるりと捻ったんだ。

ぼくは絶叫を上げて止めてくれと哀願したが、彼奴はニタニタと笑うだけだった。

鋭い痛みが奔り僕の舌は裂け千切れてしまった。

だから僕はそれ以降、人と同じように喋れない。

舌が切れてるから滑舌が悪い。

幾らきちんとしゃべっても他人がちゃんと聞き取れる言葉にならないんだ。

最もこの牢獄では何かをきちんと話す事なんてない。

絶え間なく続く拷問に耐えつづけうめき声を上げるくらいだ。


あの男の事はよく知ってる。

拷問官のペペン。

初めてこの牢獄に投げ棄てられたその日の内に彼奴の味は覚えさせられた。

刻まれたと言ってもいいだろう。

貴族だった僕は成人の儀のその席上で策略に嵌められこの牢にぶち込まれた。

女の肌も体も知らない僕に彼奴は男と雄の味と快楽を彼奴は教え込んだ。


それに何より彼奴は見た目は醜男の癖に獲物を弄ぶ術に長けている。

僕を弄び嬲り、わざと快楽を与え覚えさせるてから痛みを言う絶望を与えるんだ。

苦痛を快楽、痛みと悦楽。交互に与えたり酷く長く責めて少し抱け快楽を与える。

苦痛が強ければ強いほど、その先に与えられた小さな快楽は甘美な物となる。

その味が忘れられず希望にすがりやがては溺れ、やがては従順な犬となって行く。


僕自身もその快楽と希望に溺れ彼奴の言うがままに咥え尻を

振り奴隷家畜とまで墜ちている。

勝手の優雅で健美な若い貴族などでは無く、言葉も旨く喋れず話せず

求められるままに痛みと快楽に溺れ彼奴の体を求め迎え入れ喜んで尻を振る

雌犬が今の僕の姿だ。


「ペペン。どうだ?彼奴は仕上がったのか?そろそろ売り時じゃないのか?」

「はい。旦那様。確かに雌墜ちしてますし、責めれば喜んで尻を振りもします。

鞭撃てば、ワンワンとさえ鳴いて見せるほどに仕上がってますが・・・」

「なんだ?それだけ仕上がってるなら高値で売れるだろ?

貴族院主席五人衆の息子だぞ?誰もが飼い慣らし嬲りたいだろう。

つまり、人気の商品だ。出来れば次の競りの目玉にしたいんだ。

何が問題だと言うんだ?」



「人気が出るのは判ります。あの白い肌はまるで女のようですからね。

紅く晴れた傷が良く栄えるです。しかし、目が死んでない。判るでしょ。この意味」

「なんだと、この後に及んでか?此処に投げ込んから二年だぞ?

それでも未だ、外に出る希望をもっていると言うのか?」

「ええ、確かに時間は長いですが、ああ言う奴は儚い希望にすがりつくんです。

どんなに責めて嬲って体は溺れても、心は決して折れないんです。

たまにいるんですよ。体の快楽より精神がそれより強いって奴が。

彼奴はそれですね」

「厄介だな。極めて厄介だ。今回は駄目でも次回までには仕上げろ。

それがお前の仕事だ」

「へい。判りました。十悪両舌の旦那」


岩壁の向こう側で潜めもせずに密談をするのは良いが

僕は話せないだけで耳が聞こえないわけでもない。

その内容も分からないほど快楽に陶酔してるわけでもない。つまり馬鹿でないのだ。

壁牢の隅でうずくまっているから寝てると思ったのだろう。

僕を嵌めた張本人の声は幾度か聞いたことがある。その名も消して忘れない。

更に奴等が何の目的で僕を貶めたかも知っている。あの話の通りだ。

僕の父は貴族院主席五人衆の一人だ。貴族社会において絶大な権力を持っている。

五人衆制度は相続制であり何時かその時が来ればその座は僕が付くはずだった。

今となってはそんなのは夢の彼方ではあろうが


彼奴等が言っていた精神の強さは自分でも少しだけ思い当たる節がある。

確かに快楽に溺れ痛みを求め進んで尻も振るが、何処か冷めているのだ。

与えられる痛みと快楽が体から抜け落ちると変わりに涌いてくるのが怒りだ。

それは快楽に溺れてる時の自分より遙かに大きな獣の怒りとなる。

獣の怒りが体を覆うと僕は豹変してしまう。唸り猛り。

壁に爪を立て、拳を打ち付け、頭をぶつける。

吠え猛り狂い抑さえきれない怒りに岩牢の壁に体を打ち付けて暴れる。

そうなると拷問官ペペンでさえも手が付けられず僕自身が落ち着くまで

放っておくしかない。


兎に角、僕は後二週間もすれば十悪の輩の貴族奴隷の競りに出される。

そこで競り落とされれば、競主の所有物となり主人として飽きるか

捨てられるまで尽くす事になる。

父は敵も多い。その腹いせに息子を拐かし貴族奴隷にした上で売り飛ばす。

何とも醜悪な悪巧みである。しかし、それも又よくある事でもあるのだろう。


「でも、どうするんだ?あれは厄介な犬だぞ。」

「なぁに。簡単な事だ。必要の物を与えず、与えてやれば良いんだ。

簡単なことだな」

同じ牢獄に詰める拷問かに聞かれペペンは鼻の脇を掻きながら嗤ってみせる。


ペペンの言う通りだっだ。

人が体を動かすのには食べ物と水がいる。

この二つが無いと至る所は餓死だ。これほど単純で効果のある拷問はない。

普段は何かしらの方法で食べ物は手に入る。食堂に行く。露店で買う。

貴族には当たり前のように専属の料理人が用意し、森に住んでいるなら自ら狩り

をするだろう。

奴隷に身を墜としても、主人が最低限の食料を与えてくれる。

主人も奴隷に死なれたら嬲る者がなくなるのだ。だから最低限は与えてやる。


僕はそれを絶たれた。

最初の二日くらいは以外と何となるものだ。

それが三日四日となると変わってくる。

喉の渇きは餓えになり、空っぽの胃袋が軋む。

六日を超えると絶望になる。

体は動かず意識も朦朧とする。餓えほど辛い物はない。

指先一つ動かす事もできなければ目を開けることも出来ない。

今、ペペンが手の平に貯めた少しの水を差し出したら歓喜し喜んでその手を

舐めるだろう。

全身全霊でペペンの為に尻を振り一生彼の靴裏さえも舐め回し

それを悦びとするだろう。

僕はその時が来るのを信じていた。

あの男の為に一生捧げ尽くしてやると心にさえ誓っていた。


低く、唸る声が岩牢に響いている。

聞き慣れない声だ。

僕の声ではないだろう。

僕の声はこんなに旨く喋れない。


肉が喰いたい・・・

肉を喰らいたい・・・

鮮血の滴る肉が喰いたい・・・・

腹が減った・・・・

肉をよこせ・・・・

肉が喰いたい・・・


一度聞こえ始めた声はそれからずっと聞こえている。

肉を喰いたい。肉をよこせと誰かに強請っている。

僕だって同じだ。いや、きっと声の主より僕の方が飢えているはずだ。

限界はとっくに越えてしまい身動き一つ出来ない。

意識も殆ど無いのに肉を強請る声だけはずっと聞こえている。


岩牢の拷問官ペペンはそろそろ頃合いだと考える。

既に餌を絶ってから八日が過ぎた。

多少やり過ぎた感はあるが、これくらいしないとあの犬は墜ちないと考えたからだ。

褒美のつもりでいつも与えてる食事より少しだけ豪勢にしてやる事にする。

もっともいつもの固麺麭を余計に一個増やすだけだが。


白い雄の犬の牢獄の前に来るとペペンは小窓を開けて中を覗く。

岩牢の隅っこでボロ布の上にうずくまりぴくりともしない。

辺りに様子を伺い知る事さえも出来なくなっているんだろう。

まぁ口の前に固麺麭を添えてやれば何か反応もあるだろう。

旨くすれば自分の手から直接食べるかもしれん。

その後はいつものように咥えさえ尻を振らせてやれば言い。

ペペンは久しぶりに白い雄犬を犯す事に下劣な笑みを浮かべる。


牢扉を開け、一応の用心の為に締めておく。

あくまでの用心のためだ。

白い雄犬に近づき腹を靴先で軽く蹴る。

「生きてるか?白い雄犬。飯だぞ。飯。欲しいだろ?ほれ」

顔の前に投げて落としてやるがぴくりとも動かない。

かすかに胸下が上下してるから息はしている。

「面倒くさい奴だなぁ〜。まぁここまで耐えたんだ。ほれ。褒美だぞ」

ペペンは落ちた堅麺麭を拾い白い雄犬の鼻先に突き出してやる。


肉だ!

肉の匂いがする。

肉だ・・・。


白い雄犬がうっすらと目を気だるそうに開けた。

ゆっくりと顔を固麺麭の方へ首を向ける。

四肢に力を込めて這いずりグイと口を開ける。

それは麺麭を囓るには開きすぎだと思われるくらい。

白い雄犬は大きく口を開け牙を剥き出しにした。


「えっ?」ペペンが声を上げた瞬間に雄犬の四肢が勢い良く跳ね上がり

獲物に喰らいつく。

白い雄犬が太い牙をむき出しにして喰らい付いたのはペペンの手だった。

「ぎゃ!此奴何しやがる。離せっ」手の平を雄犬に噛まれ焦って身を

引いた途端に転ぶ。

あまりにも雄犬の牙力が強すぎて足を滑らせ岩床に転がってしまう。


グイと雄犬が首を振るとペペンの手の平は半分千切られ裂ける。

初めての肉を雄犬は咀嚼もせずに呑み込んだ。

そのまま倒れ込んだぺぺんの上に飛び乗り本能のままに喉元に喰らい突く。

鮮血が吹き出し雄犬の顔を紅く汚す。喉に注ぎ込まれるペペンの血液を喉を

鳴らして呑み込む。

それは雄犬の体に異変を成して行く。


手足がギチギチと軋み骨の形が変わる。

筋肉が膨張しメリメリと盛り上がる。

薄く貧弱だった胸板も硬い肉の鎧をまとう。

か細い指さえも太く逞しく成り先端に鋭い爪が這える。

その爪は獲物の腹を簡単に裂き散らし腑を覗かせる。


肉だ。

肉だ・・・。

旨い肉だ・・・・。

紅い血が滴る肉だ・・。


獣犬は悦ぶ。

初めて獲物を捕らえ、その腹を裂き腑に食らいつき頬張る。

肉を喰らい。血を啜り。骨を砕き。命を奪う。


獣犬はこの時初めて自分が何者であるかを知る。

弱く下劣な少年ではなく、誇り高く気高い狩人であると自分の本当に姿を

知る事になる。


随分と長い時間を掛けてゆっくりと久しぶりの食事を僕は堪能していたと思う。

飢える饑餓から解放され自分の好物を貪るのは快楽だった。

後から考えれば積年の恨みも有ったのかも知れないけれども目の前にあったのは

ただの肉の餌でしか無かったとも思う。


腹が膨らむと体の中に静けさが戻る。

体の中の怒りと力が抜けると眠気が沸き上がる。

意外と牢は静かだった。多分夜なのだろう。それも深い夜だ。

その中でジャラと音がする。

自分を繋ぐ鎖かと思ったが、それは途中で途切れている。

手枷は既に外れているし足枷こそ付いているが重りとは繋がってもいなかった。


ジャラリと鎖が床を滑る音が又すると、小さな嗚咽さえ聞こえてくる。

以前より耳が良くなったか?小さな音のはずなのに僕にはきちんと聞こえた。


誰か居るとでもいうのだろうか?

いや、多分拷問官が居るだろう。

でも、彼奴等は足枷を鎖で繋がない。自由に動ける。

鎖の音をさせるなら囚われている奴隷だろう。

助ける義務もそんな気持ちもなかった。

ただ、自分の他に囚われている者が居るとは思わないでいた。

そしてそれが気になってしまう。


出来るだけ足音を立てないように忍んで岩牢を進む。

思ったより広く嫌な匂いがただ寄っている。

どの岩牢部屋も殆どが空で、何かあってもぼろ切れか、骨と皮の遺骸しかない。

それでも音がした方に近づいてみるとズルズルと岩床の上を這いずる音がする。


僕が囚われていた岩牢と殆ど反対側にそれはいた。

鉄格子の隙間から覗いてみるとそれは黒くうずくまった物に過ぎない。

でも、僕にはよく見えた。

黑い革鎧で全身を包んだ女性だった。

囚われているのだから身動きは出来ないだろう。

しかし何かが違う感じでもあった。


女性の革鎧は細い革板が折り重なっているようだ。

一枚の革板ではなく細い革板を組み合わせ織り込み編んで鎧のようにしてある

細い革板は幾重にも重なり女性を後ろでにきつく拘束する。

頭も顔も胸も腹も尻も足も足先も黑革の鎧が女性一人その物を拘束している。


見た事もない拘束具であったし、見た事もない拷問だった。

女性が体を動かす度に拘束具はぎしぎしと音を立てて女を拘束する。

兎に角、物珍しかった。

変な言い方ではあるけども、僕だってあらゆる拷問をこの体で受けてきたはずだ。

それでもこんな拘束具も拷問も見た事はない。

どうなっているのか仕組みを知りたくなったのは純粋に好気心からだ。

鉄格子の枠を握り少し押すとガチャンと音がしてそれは外れる。

予想外ではあるが今はそれどころでもなかった。


黑い拘束具の女の前に立つと、んんっ。と呻く。

少なくても僕とは違い、ある程度の力は残っているのだろう。

誰か目の前にいるとも認識出来る力もあると言う事だ。

黑い拘束具の女は顔を僕の方に向けて持ち上げる。

んん〜〜。んん。と何か強請るように大きく首を上げて見せる。

良くみると首の下辺りの革板に丸い何かが見える。

何か意味があるのだろうと思い丸いそれに触れて少し押してみる。


シュルリと音がして革板がずれて女の鼻と口が現れる。

女はぜぇぜえと息を吐く。やはり革板の拘束はきつかったらしい。

ゲホゲホと嗚咽さえ漏らし喘ぎ息が出来るようになったのか安堵して力なく

顔を床の上に落す


半開きになった唇から涎が垂れたかと思うと何かを吐き出す。

舌だ。

長く紅い舌だ。

亜人であればそれぞれの特徴をもっている。

この女のそれは長い舌だった。

ウネウネと動き床をずりずりと這いずると僕の裸足の足に辿りつく。

餌を得た動物のように舌は僕の足に絡みつき味を味わうように歓喜に震える


絡み付く紅い長い舌は心地良い。

温かい温もりとヌルヌルとなすり付けられる女の唾液は服従と快楽を

捧げているようでさえである。

捧げた物には褒美を与える必要がある。

それは一種の主従関係の契の儀式のようでもあった。

僕は自分が食べ残し手に握っていた肉界の塊を女の顔の前に落としてやる。

肉の塊の匂いを嗅ぎつけた女の舌は床を這いずり餌に辿り付くと悦び、

ぐるりと餌を巻き取り口の中に運ぶ。

くちゃくちゃと咀嚼する音が続き、最後にはゴクリと喉を鳴らして呑み込んだ。


「御主人様・・。」低くかすれた声で黑い拘束具の女は呟く。


妙な感覚だった。

僕としては自分が食べ残した塊を落としてやっただけにしか過ぎない。

それでも拘束具の女は僕に感謝の言葉を継げる。


「ご主人様。お顔を拝見しとう御座います。

お手間を取らせてしまいますが首後ろの黒水晶を押して頂けないでしょうか?」

肉塊を腹に収めたのからだろう。少し声に張りが出てきたようにも思える。

僕もこの女の顔を見たくなってしまい。言われた通りに首後ろの水晶を押す。

多分同じ仕組みだと思い後ろ手の手枷と足枷の水晶も押してやる。


シュルルゥと黑革の細革が形を変え白く長い髪がはらりと落ちる。

持ち上げたその顔は美しい。僕よりも白く透き通る肌にスッと通った切れた目

睫さえも白く長く瞳も淡い銀色で鼻筋も通り、唇だけが異様に紅い。

今まで見た事などないほど美しく輝く肌を持つ女性だった。


首を持ち上げるとしなやかな仕草で僕の前に膝を折り広げ、

その上に手を返して乗せる。背筋を伸ばし胸を突き出す。

昔一度だけ、父に連れられて奴隷市場に連れて行かれた事がある。

子供心に無邪気に喜んでいたけれども。

その時奴隷達が客の前で命令されると拘束具の女と同じ姿勢を取っていた

事を思い出す。

女が僕の目の前で見せた姿勢は確か主人に対しての服従と待機を意味するもの

だった気がする。おぼろげな記憶ではあったが。


少しの間、気まずい雰囲気が流れる。

当然だろう。僕自身どうして良いか判らない。

美しい女性が目の前で傅いているのだ。


「どうかなさいましたか?御主人様。おきに召しませんか?私の事が・・・」

少し寂しそうな表情で僕の顔を見つめる。本当に美しい女性だった。

何か伝えなければならないと思い、僕は少し屈んで口を大きく開けて舌を

出してみせる


「ぼ・・ぼく・・ちた・・舌。怪我・してる。しゃ・・しゃべ・・れ・・ない・・う・まく」

「なっ。何て事。彼奴等がやったのですか?大事な舌をこんなに・・酷い・・。

判りました。御主人さま。今後、無理に話す必要は御座いません。

私が御主人様の言葉を紡ぎます。ご安心下さい。

全てこのイヴォンヌ・オヒ・クエンが御主人様をお世話します。全てを捧げます。」

言葉を紡いだその瞬間、美しい顔が憤怒と鬼の顔になる。


「お前等ぁ〜何してる?牢を勝手に抜け出して密会とはいい度胸だなぁ」

「おいおい。ペペンの奴はどうした。今日の詰め当番は彼奴だろ?」

嗄れた声が聞こえ振り返ると数人の拷問官達がズカズカと靴音を鳴らし

こっちに迫ってくる。

聞こえる靴音と感じる気配で5〜6人と知れる。


「お前かぁ〜?お前が御主人様の舌を裂いたのはお前かぁ〜〜」

先に動いたのは拘束具の女イヴォンヌだ。

一瞬のうちに待機姿勢から四肢を伸ばし岩床を蹴って跳ね

繋ぐ鎖さえ千切り飛ばす。

宙に居る間に拘束具を自ら脱ぎ落とし男達の前に着地すると

口を開け紅く長い舌を吐き出す。


ドピュと短い音が最初の拷問官の頭を貫かれる

イヴォンヌの長い舌は最初の拷問官の頭を貫いたまま、

更に伸び二人目の胸を突き通す。

長いイヴォンヌの舌はズボッと音を立てて二人の男の命を奪い、

血に濡れたまま口の中にもどる。

舌が喉に収まり血にまみれた唇を手で拭うと叫ぶ。


「お前か?お前等かぁ〜?私の愛しい御主人様を嬲ったのはお前等かぁ〜?

許さない。許さない。絶対に許さない。

手を千切り足を砕き腹を裂いて腸を引き抜いて首に巻いてやるぅ

それでも飽き足らない。一物を引き抜いて口に突っ込んで

目玉を片方づつくり抜いてやるぅ」

激怒し鬼の顔に怒りを燃やし身構えるイヴォンヌの先を疾風が舞う。


それは白い犬であった。

二本脚で牢床を蹴り風より疾く。大きな口を開けて獲物の喉に喰らい付く

一度、二度と首を振れば咥えた喉と胴体が千切れる。

勢いで振り回して凪いだ鋭い爪は近くにいた男の胸を引き裂いた。

喰らい付いた首から上を口を開けて向きを変え咥え直すと一気に顎を閉じる

グチャと鈍く音が鳴るといとも簡単に拷問官の頭は砕け散る。

肉の筋と血と脳髄の濃い味が口の中に広がる。

隣では又一人、いとも簡単にイヴォンヌの紅い舌に顔を貫かれ絶命している。


漏れた声は獣の犬の物だった。

自分の声ではあったが聞き慣れない獣が漏らす息だった。

それでもそれが自分の姿であると知っていた。

先日まで拷問官に犯され尻を振っていた僕の本性は獣の犬だった。

それも猛々しく人のそれを遙かに凌ぐ獣犬だった。


「お前。そこで待ってなさい。御主人様と私は食事を済ますから。

良いわね。最後まで観てなさい。そして自分の雇い主に伝えるのよ。

此処で起きた事全てを漏らさずに。判ったわね?」

鼻先まで紅い舌を突きつけられ最後に残った拷問官の男は手に持った鞭を

落とし膝をガクガクならして頷く。


「さっ、御主人様。いや、お狗様。食べ残しは良くありませんから

片付けてしまいましょう」

イヴォンヌは僕の事をお狗様と呼び、僕はフゥと息を吐き出し震える拷問官を

一瞥すると足下に転がる新鮮な肉の塊に喰らい付く。


一通り食事が終わると僕と黑い拘束具のイヴォンヌは最後に一人残した拷問官に

案内させ長く閉じ込められていた苦痛の館を脱出した。

本当はこんな場所遭ってはならないし、全て燃やし尽くしたかったが時間もない。

腹いせに拷問官の腕と手を握り潰し足を折ってやった。

無事に残してやったのは片方の足だけだ。

彼奴には雇い主への伝言の仕事をやって貰わないといけないからだ。

「面倒ですから、残りの足もへし折ってその辺に捨て置いてしまえば良いのです。

巡回に来た仲間かどっかの商馬車が適当に見つけるでしょうに」

平然とイヴォンヌが言い捨てる。

旨く、喋れないから言葉にはしなかったけども、拷問とは完全に叩きつぶすのは

良くない。本の少しの希望を残してやる事が大事なのだ。

その希望にすがりつけば付くほど痛めつけた苦痛の度合が増して行く。

それは僕が一番良く知ってる事でもある。


忌々しい牢獄から抜け出した僕とイヴォンヌは森の中に逃げ込んだ。

イヴォンヌは僕より長く牢に囚われていたし僕自身もそうだ。

貴族だった頃の自分とは違ってしまってるし、あれからどれ位の時間が

経っているのかもわかない。

これから先何をどうするかより、まず逃げる事を優先したのもある。

追っ手は必ず来るとも確信してた。


先の事を考えなければ森での生活は快適でさえある。

まず、水と食料には事欠かない。

腹が減れば動物を狩り水辺で獲物の返り血を洗い落とす。

夜はイヴォンヌと体を寄せ合い洞窟の中で眠る。

女性の肌のぬくもりを知ったのは良いがその先に進むのは気が引けた。

何故かと言う問いに答えるのは難しい。

自分が未だ何者でありこれからどうしていけば良いのかも解っていないのも

一因だろう。


まどろむ午後、小さな魔兎を獲物と決めて緩やかな風が吹き抜ける叢くさむらに潜む

兎と付く名前からは想像出来ない技を持つ彼らを捕まえるのは以外と手間が掛かる。

大きな耳で気配を察するのは当たり前で、更には匂いにさえも敏感だから

風上に陣取り追い込む必要があるからだ。

元貴族の僕としては、森で動物や魔物を狩るのは初めてだ。

手取足取りイヴォンヌが手ほどきをしてくれるが中々旨く行かない。


「そこのお狗の亜人さん?可愛いお尻が丸見えで御座いますわよ?」

叢に屈み込み忍んで居たつもりが、すぐ後ろで声が響く。

「ぐぉっ」あまりに突然で意表を突かれてしまい、僕はびくんと体を振るわせて

しまうし追い詰めかけていた魔菟も僕は逃がしてしまう

「まぁまぁ。可愛いお尻だと。一寸撫でてよろしいですか?オホホ」


何処かひょうきんな声で僕の後ろに立つ女性はオバサンだった。

歳の頃はきっちりオバサンの域に入ってるだろう。風体もオバサンその物だ。

ぽっちゃりと言うには小型の樽と言う感じであり

髪の毛は頭の上でお団子一つに纏めている。

肩に掛けた鞄の中から得体のしれない草木の枝草がはみ出てる。

中にはウネウネと自分で動く草まで観てと得れる。

這い出ようとする草を無理に鞄に押し込みながら、

空いた片方の手には大きな胡麻固煎餅がしっかりと握られている。

しかも二枚だ。


「私奴、流しの戦場治療薬草士を生業としてる。ポテルと申します。オホホ。

それにしても可愛いお尻です事。ちょっと撫でさせてくださいますか?」

驚いたのもある。すごく恥ずかしいのもあった。

それに何より僕は旨く話せない。

叢の中で身を屈めオバサンに尻を見つめられてる所へ

「此方の御方は、お狗様と仰います。怪我をして舌先を失ってしまい。

話す事がままならぬのです。お許し下さい。旅の治療士様」

逃したはずの魔兎二匹をきっちり捕まえイヴォンヌが戻ってくる。


「あらまぁ〜。大変な思いをなさったのですね。ふむふむ。

ほら。看て上げるから此方に来るのですよ。それから私は医術の従事者です

恥ずかしがらなくて結構ですよ。若いお狗さん。クック」

治療士ポテルの言う通りだった。

あの牢獄を急いで抜け出したのもあって、何も持ち出す事は出来なかった。

つまり僕はイヴォンヌは兎も角、見ず知らずの女性

(オバサンであろうとも)に全裸を晒して居たわけである。

相手が医術従事者と言い切り、怪我を看てくれると言うのであれば

素直に従うのが筋であろう。

僕は気恥ずかしさを堪えつつもおずおずと叢から立ち上がる。


「は〜〜い。お尻の魅力的なお狗さぁん。あ〜〜んして。あ〜〜ん。舌出してねぇ〜

ふむふむ。これは酷くやられたわねぇ〜〜。大変な思いをしたわねぇ〜」

ポテルの前で膝を抱え、出来るだけ大きな口を開けてみせる。

素っ裸で口を開けて舌を出してると言う姿は中々情けない。

心配そうにイヴォンヌが後ろで見つめている。

なんか保護者に連れられ医者の前で縮こまる子狗のようにも見える。


「う〜〜ん。舌先が千切れてるし、何カ所か亀裂が入ってるわね。

これじゃ〜人の言葉を話す事は難しかもしれないけど・・

あら?こんな所に虫歯があるわ。肉ばかり食べてるからね。

ちゃんと野菜も食べないと・・。

それでもこれじゃイヴォンヌさんとも満足に話せないわね。

えっと・・・・たしか・・・・」口の中を覗き込むのを一度やめたポテルおばさんは

生きて蠢く薬草の鞄をゴソゴソと弄り羊皮紙を取り出す。

ついでに胡麻方煎餅梅風味を二枚しっかり右手に握る。


「私はね、いろんな戦場を回ってるのね。

そうするといろんな亜人の方々に会うんだけども

やっぱり、方言とかあるわけね。中には話す事を禁呪とする種族もいるわけ。

でも、治療するには症状をちゃんと知らないといけないわね。

(ぱりっと煎餅をかじる)

そこで良く使うのがこれなのよ。突談とか指談と呼ばれるやり方なのよ。」


叢の上に広げられた一枚の羊皮紙をイヴォンヌを一緒に覗き込むと

そこには、一語一語、亜人標準語の基本文字が刻んである。

「こ・・これは、もしかして?」イボンヌの顔がぱぁっと輝く。

「呑み込みが早いわね。イヴォンヌさん。確かにお狗さんはの舌は千切れてるわ

旨く言葉を話すのは今後も難しいわ。

練習すれば今よりはそれらしく話せるだろうけども。

それでも完璧にとは行かないと思うの。でもね。

これを使えば自分の意思を誰にでも伝えられるわ」

そう言うとポテルは丸っこい指で羊皮紙の上の文字を指で突き単語を紡ぎ出す。

それは、こ・ん・に・ち・はと読み取れた


「お、お名前を教えて下さい。お狗さまの。お名前を」

我慢出来ずとばかりにイヴォンヌは僕の肩を両手で掴み体を揺らす。

ポテルも、三毎目の煎餅を鞄の奥から引っ張り出して来つつにこやかに頷いて促す。


僕自身、言葉をきちんと人と話す事はもう出来ないだろうと諦めていた。

そこに、治療士のオバサンが現れて口と舌で言葉を話すやり方ではなく

自分の指と羊皮紙で言葉を紡ぎ出す方法を示してくれた。


僕は、おずおずと、ゆっくりと確かめにように自分の名前を

羊皮紙の文字から拾っていく。


イーライ・ポズ・スケイルメリ・ダ・Ⅳ


「イーライ様ぁ〜。イーライ様ぁ〜。素敵なお名前でっすぅ」

人前であるのも忘れ歓喜の声で涙を流しイヴォンヌが抱きついてくる。

自分の主人の名を初めて知った悦びを隠そうともしない。


「なるほど。これは困った事になったわね。イーライさん。

その名は力が有りすぎるの物だわね。もう少し事情を教えて下さるかしら」

僕の名を聞いてさすがのポテリも煎餅を食べる手を止め真剣な表情で聞く。


「貴方の進むべき道を示して差し上げます」

僕の身の上を聞き終えたポテリは凜とした声でそう告げた。

僕とイヴォンヌはポテリの話す言葉に耳を傾け、

それから数日間を三人で過ごし色々準備をする事になる。

「そのままで、私は一行かまわないのですが!」

と言い張るイヴォンヌの意見を脇に置き

買い出しから返って来たポテリおばさんから服を一式受け取る。

随分と長い間地下牢獄で過ごしてきた僕にとって衣服を着ると言うのは

確かに違和感もある。

それでも一生森の中ですごく訳にもいかないのは事実である。

ポテリおばさんが言った道を標す、その言葉に嘘はなく。

僕自身もその道を進もうと心に決めている。

それが長く険しい道行きでも成さねばならない事だった。


「ちゃんと。お狗さんの面倒見て上げるのよ

きちんとしてるように見え得てるけど、結構小ボケかますからね。あの子。

それと教えた場所を訪ねるのよ。それから虫歯の治療もさせるのよ。

お肉ばかりじゃなく、お野菜も食べさせてね。それから・・・」

すっかり母親気取りのポテリオバサンは事細かく世話を焼くようにと

イヴォンヌに言い付ける。すっかり僕は子供扱いされているようだ。


[色々有り難う御座いました。]と突談で気持ちを伝えると

「いいから。行きなさいな。ほら。さっさと」

母親が子供を旅に出るのを見送るように心配そうな顔で

ポテルおばさんは手を振っている。


まだ、底冷えのする魔森をでて僕とイヴォンヌが目指す大地は四つ目の大陸。

その地に有名な総菜屋あるそうだ。

本来の目的はそれとは違うのはあるが、

イヴォンヌは美味しい物が食べられると心を躍らせ足早に歩いて行く


Guest character from 詩菟- 鐵弓の吟遊詩人:戦場治療薬草士 ポテル

(実在のモデルはコンビニで見かけたオバ様)



to be continue…..

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