第8話
「皆さん、プレゼンテーションのグループごとの発表ご苦労さまでした。どの発表も素晴らしかったです。これでこの講習会の全過程は終了となります。今回のパワーポイントで作成したプレゼンテーションをすべて一枚のDVDに収めました。帰りにアンケートの提出と引き換えにお渡ししますので宜しくおねがいします。ありがとございました。」
講義室の受講生はいつのまにか全員いなくなってしまった。講師用の机の上にあったDVDはすべてなくなってしまい、代わりにアンケートの束が残っていた。講師室の一番後ろの座席に座っていた雄一郎は、進が座っている講師用の座席に向かって歩いてきた。
「とても素晴らしい発表でしたね。特に最後のローリング・ストーンズの『ギミーシェルター』がとてもよかったですね」
「最初からずっと見ていたのですか?気がつきませんでした。」
「実は、僕も先週ローリング・ストーンズのライブに行ったんですよ。息子と行ってきたんですよ」
「息子さん、徹くんでしたっけ?」
「ああそういえば、打ち合わせを兼ねて夕食を一緒に食べた時、結構飲んでしまったみたいで・・・いろいろ話しを聞いてもらってあの時は本当にすみませんでした」
「徹くんはまだ学校へは行っていないのですか?」
「ええ、同じような感じです。でも先週ライブに一緒に行ってその帰りにレストランでちょっとしたものを食べに寄ったのですが・・・そこであの子の考えを聞くことができたんです」
「あの・・・迷惑じゃなかったら聞いてもよろしいですか?」
「僕と妻はあの子がいじめか何かとても嫌なことを学校で受けているのではないかと初めは思っていたんです。でも違っていたんです。いじめとか嫌がらせとか、そのようなことは一切なかったんです。学校はとても落ち着いていて本当に平和そのものなんです。生徒が皆良い子のようです。恐ろしいくらい良い子のようです」
「でも、それでなぜ学校へ行かなくなってしまったんですか?」
「私達が住んでいる地域は中学生のほとんどは公立の高校へ進学するのですが、全員が同じ高校へ進学するわけではないのです。成績によって違う高校へと進学するのです。成績上位のものは進学校へ、中間くらいの生徒は中辺の高校へ、成績下位の生徒は底辺校へ進学するのです」
「でも、日本ではどこでもだいたいそのような地域が多いのではないですか。でもそのことが、徹君が学校へ行かないこととどういう関係があるのです?」
「高校に進学する場合入学試験を受けるんですが、試験日の点数はもちろん重要ですが中学校での内申書というものもかなり重要なんです。内申書にはもちろん教科の成績がはいるのですが、それ以外に部活動の成績やボランティア活動も入るのです。でもそれだけではないのです。学校での生活態度に関するものがはいるのです。基本的生活態度とか」
「ええ、そのことがどう関係しているのですか?」
「つまり、学校の成績がいくら良くても生活態度が悪いと希望の高校に進学できないのではないかと思っている生徒やその親が多いみたいなんです」
「でも、普通に生活していればいいことだと思うんですけと」
「普通はそう思うでしょう。でも、その生活の評価をつけるのは教師ですから。いくら親から良い子だと見えても、教師から見た目ですから。教師によって見方がいろいろ違うだろうし。幼稚園とか小学校などの小さいときなど特に運動会で親は自分の子供しかみないですよね。他人から短所に見えても親には長所に見えることよくあることですよね。子供は親にとって宝ですよね。でも教師にとっては、生徒は他人ですよね。相性というのがありますよね。気に入った生徒、気に入らない生徒が出てきますよね。大学時代の友人で教師をしているものから聞いたんですが、一般的に教師の多くは真面目で、信じられないくらい真面目な人が多いみたいなんです。だから多くの教師は自分の私情を抹殺して仕事をしているみたいです。並大抵のことではないと思います。でも中にはほんの一部ですがそうでない教師がいるみたいです。そのような教師にあたったときです。教科担任ならまだしも、担任であるとき・・・相性がよければいいのですが・・・相性が合わない時悲惨です。そのようなことから多くの生徒が異常に良い子になっている。徹はとても繊細な子で、そういう雰囲気というものを敏感に感じる子みたいなんです」
「つまりそういう学校の雰囲気というものを感じて学校に行かなくなってしまったということなんですね。」
進の言葉に雄一郎は軽く頷いた。ほんの一瞬の沈黙の後、進は続けて言った。
「うちにも高校一年になる男の子がいるんですが。峰男というんですが。確かあの子も中学のときに、徹君ほどではないと思いますが、それらしいことを言っていましたね。峰男は徹くんほど繊細な子ではないけれど、学校のそういう雰囲気に無感覚であるほど鈍感ではなかったんでしょう。それらしいことを当時言っていたかもしれません。でも、あの子は自然に楽しく中学生活を送っていましたね。あの子は肩肘を張っていなかったというか・・・学校に対して何か達観した見方をしていたというか・・・深刻な思いで向き合っていなかったというか。まあ私達親が力を抜いたスタンスでいるのをみていたからなのかもしれませんが。といって学校を軽視していたわけではないんです。ちゃんとPTAの行事に対しても協力的に対応してきましたし、社会における学校の必要性・重要性は人一倍感じていた方だと思います」
「峰男君のように育って羨ましいですね」
「それは徹君の個性だと思うんです。そのような雰囲気を敏感に感じる。彼の繊細さ、それは彼の個性の素晴らしさだと思うんですが」
「そういってくれると本当に嬉しいです。あの打ち合わせを兼ねて夕食を食べた時、飲みすぎてしまってよく覚えていないのですが。何か似たようなことを言われて励まされたことだけはなんとなく覚えているのです。本当にあの時は浜田さんと話してよかったと思っています」
「その口ぶりからするとこれからのことを決めてしまっているように思えるのですが。伺ってもよろしいですか?」
「実は、妻と時間をかけて話し合ったことなんですが。徹には夫婦で決めたことを説明したのですが。彼の反応は全く予想していませんでした。まるで賭けのように私達は感じていました。嬉しい驚きだったのですが、徹は私達の考え・計画というものを喜んで受け入れてくれたんです」
「その考え・計画というものを伺ってもよろしいですか?」
「私は仕事を辞めて、自宅を売り払って、家族でイタリアへ行くことに決めたんです。自宅は高値で買ってくれそうな買い手が見つかりそうなのです」
「イタリアでどのような計画をもっているのですか?」
「北イタリアのクレモナというバイオリンの工房がたくさんある街があるのですが、そこに家族で移り住んで、徹をそこの職人に弟子入りさせようかと思っているんです」
「えー随分思い切ったことを決断されたんですね。で、なぜバイオリン職人なのですか?」
「以前、徹が小学校5,6年の頃かな、家族でバイオリンのコンサートに何度か行ったことがあるんです。クラッシクとジャズのジャンルのものだったんですが、僕も妻も徹もとても感動したんです。バイオリンの響きっていいなと思いました。冗談ながらこのような楽器に関わることが何か出来るようになったらいいねと言ったものでした。だから僕のバイオリンに対する思いというものは、徹が中学に入学するまでの1年位の間僕の心の内で熟成していたのかもしれません」
「それは良かったですね。家族で意見が一致して、新しい夢に向かって挑戦できるなんて。僕も陰ながら応援します」
「ありがとうございます。今回浜田さんにインストラクターをしていただいて本当によかったです。受講生からの評判も良かったです。また機会があったらよろしくおねがいします。と言っても、もうその頃は日本にいないかもしれませんね」
「こちらこそ。松山さんには肝心なところをいろいろ手伝ってもらってありがとうございました。忙しいところ講習の一部に出ていただいて申し訳ありませんでした。エクセルとパワーポイントは松山さんにいろいろ教えていただいて本当に助かりました。松山さんのパソコン能力って本当にすごいですね。受講生の皆さん本当にすごいと感嘆していましたよ。パソコンはどちらで学ばれたんですか」
「独学です」
「独学でもそこまで習得することができるんですか。驚きました」
「それでは今回本当にありがとうございました。また何か機会がありましたらよろしくおねがいします」
「こちらこそまた何かありましたらよろしくおねがいします。それではご家族で気をつけてイタリアへ行かれてください。ご健闘をお祈りしています。さようなら」
「浜田さんもお仕事頑張ってください。さようなら」
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