ゆきと赤いきつね
森下 四郎
ゆきと赤いきつね
木枯らしの吹く寒い日の夕暮れ。私は妻にメールで頼まれたトンカツソースを買いに会社からの帰り道にある駅前の小さなスーパーに立ち寄った。
賑わう時間帯で、その店も混雑していたが、客のほとんどが会社帰りの人らしく目当ての物を買うと足早に去っていく。
狭い店内を、人をかき分けるようにして食品売り場に向かうと、一番目立つ場所に置かれてあった赤いきつねに目が留まり、僕は立ち止まってしまう。
あの頃のことを思い出す。
私たち、いや僕たちは長い間、こいつを手に取ろうとしなかった。
それはもう10年以上も前になる、僕がまだ30歳のときだった。
その頃僕は、仕事人生の中でも絶好調と言っていい時期で、会社の新規開発プロジェクトのメンバーに選ばれて本社に栄転していた。
そのプロジェクトは会社の浮沈をかける、という当時のトップの発案で始まった一大計画で、数年後に大阪に開業する大規模エンターテイメント施設のすぐ隣に大型のラグジュアリーホテルを建設するというものだった。
そのプロジェクトは社長直轄とされ、社内から30歳前後の若手社員5人が集められた。僕はその一人に選ばれる。
プロジェクトの発足式で5人を前に社長が厳命したのは、建設期間を考えると半年以内に、今までの日本に無いホテルをプランニングしろ、ということだった。あとは好きなようにやれ!経費はいくら使ってもかまわん、と。
僕たちのプロジェクトには、仲良くチームを組むような奴は一人もいなかった。横一線で全員がライバルだった。まずそれぞれが、1カ月間をかけて見たい所を見、体験したい所を体験することだけを話し合いで決めた。
僕は早速、ヨーロッパからアメリカにかけて回ってくることにした。
仕事での海外旅行は初めてだったが、現地ガイドとの2人旅は今でも思い出として残っている。
僕たち夫婦は、僕が25歳、妻が23歳の時に結婚した。職場恋愛だった。それから5年間で3回もあった地方への転勤も、もちろん一緒に引っ越していた。妻は大人しく優しい女性だった。
僕たちに子供はいなかった。
妻はそれぞれの転勤先でアルバイトをしていて自分の小遣いは自分でやり繰りをしていたので、僕は家賃とか生活費を渡すだけで後は自分の自由に使えたことも遊びに拍車がかかった一因だったと思う。
当時は体力も有り余っていたし、女性関係も派手だった。
毎日の様に仕事の後は、遊び歩いて帰宅は深夜、下手をすると明け方になる。毎日、早朝に会社に出勤する毎日だったし、特にこのプロジェクトの期間はひどかった。
仕事では企画を考えては練り直す日々が続いていった。企画が煮詰まると視察と言っては、沖縄とか北海道に行って、女友達と経費で豪遊して発散する。
メンバー5人それぞれが自分の提案は秘密にして、自分こそが勝つ、と信じている集団だった。僕たちは競合他社ではなく、同じプロジェクトの他のメンバーと戦っていた。最後の2ヶ月くらいに至ってはほぼ泊まり込みで、誰一人休もうともしなかった。
勝ちたい。ただその一心だった。
あっという間に半年は経ち、役員会へのプレゼンの日がやってきた。
プロジェクトメンバーが順番にプレゼンをしていく。僕の順番はなんの偶然か、最後だった。有利だ。ツイてる。
その日、僕は今までの人生の中でも最高の思いを込めて熱弁をふるった。あらん限りのテクニックも使ったし、前にやったメンバーの論点も上手にやんわりと否定して、自分の論理性の高さを感じてもらうように誘導する。徹底的に調べ上げた資料は完璧だったはずだ。
プレゼンが終わった日。さすがにその夜はいくら飲んでも酔えず、眠れもしなかった。他のメンバーも同じだっただろう。
翌日の午後。内線が鳴り、僕一人が社長室に呼ばれた。他のメンバー全員の視線が僕に集まるのを背中に感じる。
社長室をノックすると中には全役員が揃っていた。
そして僕の提案が採用されたことが専務から告げられた。
ついては君に開発責任者として大阪に行ってほしい。と言われた。喜んで受け、社長からの握手を受け止める。僕は役員からの拍手を受けて部屋を出た。
社長室を出てから、僕は密かに、強く、拳を握り締めた。
それは新規開発プロジェクトの同僚であり、ライバルたちを完全に引き離した瞬間だったからだ。これで僕がこの世代でトップになれる。そう確信した。
プロジェクト室に戻ると他のメンバーに申し訳なさそうに言ってみた。僕の案で決定したみたいだよ。ごめんな、と。
わかりやすく全員が落胆している中で、僕は心の中では、勝った!見たか!と叫んでいた。僕はそんな人間だった。
その日は、週末だったこともあって当時遊んでいた女性と祝杯をあげ、その子と朝まで過ごした。
早朝に家に帰ると妻はもう起きていた。もしかすると寝てなかったのかもしれない。
僕は悪びれることもなく、来月から大阪に転勤するから準備しといて。とだけ言って寝室に入った。
転勤が2週間後に迫った日、妻に準備の具合を聞くと初めて切り出された。
私はここで一人暮らしをするから一人で大阪に行ってほしい、と。
もちろん僕はその申し出をあっさりと了承した。そろそろ別れるときかも、と考えていたからだ。女は他にもいるし、仕事は絶好調だ。むしろ一人の方が何かと都合がいい。
僕が大阪に行ってから1年半が経った。
仕事では難しい場面はたくさんあったが、何とか乗り越えてきた。そして大阪都心部に用意された社宅は高層マンションで豪華で快適だった。
しかし、全ての判断を任されている僕は、とにかく忙しかった。現場が動いている時間は現場事務所に詰めているし、様々な工程を一人で全て確認しかなければならなかった。
定期的な社長報告や担当役員への根回しも決して欠かすことは出来なかった。
そんな状態で、妻とは忘れた頃にメールをやり取りするくらいで会うこともなかったし、ほとんど存在自体を忘れていたぐらいだった。
ある日、妻からメールが届いた。一度くらい私のアパートに遊びに来ない?と。
面倒だ。僕は正直うんざりした。
ただ、そろそろ決着をつけるときかもと思い直し、行くことにした。
翌月、本社での社長報告会のついでに、初めて妻のアパートに行った。
そこは古くてボロいアパートだった。
部屋にはたいした家具も無かった。ただ、きれいに掃除されていて、きちんと暮らしていることがわかった。
ちゃぶ台のような低いテーブルの前に手持無沙汰に座っていると、妻が手料理を作ってくれた。
それは新婚当時、僕の好きだったチンジャオロースだった。新婚当時ははそればっかり頼んで作ってもらっていた気がする。
妻は結婚するまでは料理も洗濯もしたことがなかった。そんな妻の手料理で唯一、最初から美味しかったのがこれだった。
そう言えば義理のお母さんが言っていたな、妻は僕のために料理を、洗濯を、掃除を初めて覚えたって。
そうだった。やっと思い出した。
チンジャロースは美味しかった。味噌汁もご飯も漬物まで手作りで美味しかった。
食べ終わった後、食器を片付けに狭い台所に行くと、そこには赤いきつねが大量に置いてあった。一緒に暮らしていたときは料理を勉強するためにと、インスタント食品は一切食べなかったのに。
久々に食べたら、美味しくてはまっちゃった。恥ずかしい。と妻は笑った。
あれ?
僕は自分が泣いていることに気づいた。
見ると妻も泣いていた。
涙が溢れて止まらない。
僕は何のために働いてるんだろう?
僕はなんでこんな優しい人を泣かせてるんだろう?
僕は何がしたかったんだっけ。
考えもせずに言葉が口から勝手に出た。
「ゆき。もう一度、一緒に暮らさないか?」
久しぶりに呼んだ妻の名前だった。
「うん。」
ゆきは何一つ変わっていなかった。
僕が大切なことを忘れていただけだ。
この人を幸せにしよう、と決めたあの日のことを。
僕たちの結婚式から帰ってきた次の日だった。
ゆきが料理を大失敗して、その日に食べるものが無くなったので僕がコンビニまで走って買ってきた2個の赤いきつね。
ゆきは半べそをかきながらこいつを食べていた。
僕はその顔を見ながら笑顔で美味しいね。と言って食べた。
そうだ、あのとき僕は思ったんだ。
この人を幸せにするんだって。
随分後に聞いたが、あの時妻は、僕と会うのも最後と思って自分の名前を書いた離婚届を用意していたそうだ。
僕は本当に大切な人を失うところだった。
その後、プロジェクトの完成を見届けてから僕は退職し、地元の会社に転職した。
それからあっという間に10年が過ぎた。
スーパーでトンカツソースと赤いきつねを3個買った。
さあ急いで帰ろう。明日の休みは、ゆきが好きだと言ったこいつを家族で食べよう。
たまにはお母さんを休ませてあげようね、でいいじゃないか。
きっと、今までで一番美味しいはずだ。
ゆきと赤いきつね 森下 四郎 @shiroumorithanks
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