08話.[分からないまま]

「やべえよやべえ」


 いやまあ、本当のところを言えばなにもやばいことなんてない。

 姉も久実も俺も別にいつも通りだった。


「行ってきます」

「気をつけろよ」


 まあ、久実の方はこうして父がよくいてくれるからというのも大きい。

 息子としては最近帰宅時間が早くて心配になってくるが、お前は余計なことを気にせずに自分のことに集中しろと言われればそれまでのことだった。

 父は玄関から戻ってくるとどかっとソファに座った。


「はぁ、本当に相手は女の子なのかねー」

「嘘はつかないだろ」

「でも、意識したらあっという間だってことは美子の件で分かっているからな」

「ああ、確かにそうかもな」


 まずモテるために頑張らなくていいというのが俺とは違うところだった。

 求められる人間なんだから意識を変えるだけでどうにかなるということも分かる。

 長女の時点でそれを経験しているから余計に気になってしまうんだろう。

 でも、父とか家族にできることなんて見守ることだけだ。

 娘のことを考えて動いてもそれをよく思ってくれるかどうかは分からない。

 それどころか嫌われてしまう可能性だってあるから大変な立場な気がした。


「正直、あっさり帰ってきたときなんかはどう声をかけていいのか全く分からなかったからな」

「理由が理由だからな」


 つか、そうでもなければ戻ってくることなんてない。

 俺からしたら五年ではないが、あの五年が物語っている。

 きっと浮気事件なんてものがなかったら俺は顔も見ないまま死んでいただろうな。


「最低かもしれないけどよ、理由がどうであれ帰ってきてくれて嬉しいと考えてしまった自分もいるんだ」

「父さんは親なんだから最低じゃないだろ」

「でも、喜んでいることには変わらないんだぞ? もしかしたら表に出していないだけで物凄く傷ついていたかもしれないのに俺は……」


 そんなの本人じゃないから分からない。

 ただ、分からないなりに動こうとするのが人間というものだろ。

 頭ごなしに怒鳴って傷つけるようなことをしたわけではないんだから堂々としていればいい。

 帰ったら気持ちが悪い弟がいたってソレよりは遥かにマシとしか言えない。


「一応、クリスマスなんだからもっと楽しくいこうぜ」

「クリスマスなのに久実がいない……」

「仕方がないことだ」


 なんでも小学校最後の、そういう見方をしているだろうから無理だ。

 友達と過ごしたがっているを引き留めようとする方が最悪だからこれでいい。


「なんか食いに行くか?」

「父さんに任せるよ」


 どっちにしろ母と姉が帰宅するのを待つしかない。

 だらだら過ごすぐらいならとそれまで課題をしておくことにした。

 後になればなるほど面倒くさくなるということはないが、先に終わらせていた方が気持ち良く休むことができるから頑張っておいた方がいい。

 とはいえ、先程父がああ言っていた気持ちも部屋にいたらなんとなく分かった。

 もう帰ってきたときからハイテンションで、全部付き合っていたら冬休みに寝込むことになるというぐらいには久実の存在が目立っていたから。


「静かな場所ってのは落ち着けるけど……」


 学校にいることが多いからその差に少し寂しくなる。

 誰かと盛り上がれたとかそういうことでもないのにこれなんだから、悠介とか中籐であれば尚更そう感じていることだろう。

 ま、もしかしたらあのふたりはふたりでいられればそれで十分なのかもしれない可能性もあるがな。

 で、結局あった時間をそんなことで無駄に使ってしまったことになる。


「たまには外食もいいよな」

「外で食べるのなんてかなり久しぶりだわ」

「俺も」

「俺達もそうだよな?」

「うん、だっていつもは健太郎が作ってくれた美味しいご飯を食べられるからね」


 そういうお世辞はいらないです……。

 まあいい、こうなったからには沢山食べて今日を楽しもう。

 久実もいま頃、好きな友達達と楽しんでいるはずで。


「んー、久実ちゃんがいないと物足りないなー」

「料理は美味しいんだがな」


 いやでも、この忙しい時期に決められた金額を払えば美味しい料理が食べられるというのは大きい。

 誰かが頑張ってくれているから楽しめているんだ。

 だから美味しい料理を美味しいと味わっておけばそれでいい。

 どんなに言ったところで明日まで帰ってこないんだから切り替えていくしかない。


「俺達が外で食べるってことにしたら大体はここだよな」


 家の近くの大人気とまではいかなくても来店客が絶えないそんな店だった。

 家族全員で食べに行けたことはほとんどないが、みんなここでなんにも不満はないから自然とこうなる。


「ああ、昔からここはずっと安定しているからな」

「それに私はお父さんとここで集まることが多かったからね」

「お、そういうのを重ねた結果がいまに繋がっているんだな」

「そうだよ。もっとも、ここに集まったときは常に戦いだったけどね」


 大食いができるというわけでもないのにどういうことだろうか?

 実は昔にはそういうのがやっていたということなのか?

 それとも、ただ単純に相手より食べようと頑張っていたのか、というところか。


「お母さんとお父さんはすごいわ、だって結婚してからずっと仲良しのままだから」

「ははは、喧嘩したことだってあったけどな」

「そうだよ美子ちゃん、お金の使い方とかでぶつかって一週間会話がなかったときもあったぐらいなんだからね」

「でも、離婚なんてことになったわけではないじゃない」

「そ、それはまあ……そうだけど」


 姉はすぐに「ご、ごめんなさいっ」と謝っていた。

 確かにクリスマスにわざわざしなくてもいい話としか言えない。

 だけど経験した者にしか分からないことだってあることだろうし、吐きたいことがあるなら後で吐かせようと決めた。

 ここから出てしまえばクリスマスも終わったようなもんだから気にならない。


「さ、先に出ているわ」

「あ、俺も」


 ゆっくりでいいからと残して退店する。

 外は暖房が効いていた店内と違ってかなり寒かった。

 

「姉貴、後でちょっとふたりだけで話さないか?」

「……別にいいけれど」

「色々吐きたいことがあるなら吐いてくれよ」

「吐きたいことはひとつだけあるわ」

「それも後で聞かせてくれ」


 少し慌てさせてしまったかもしれないが、出てきた両親と一緒に帰路に就いた。

 家に帰ってからは両親はリビングでゆっくりするみたいだったので、姉の部屋で集まることに。


「なんか少し前まで自分がいた場所とは思えないな」

「そう? あまり変わっていないと思うけれど」

「んー、なんだろうな、全体的に違う感じがするんだ」


 それでも気にせずに静かに床に座った。

 姉はベッドの端の方に座ってこちらを見てきた。

 吐きたいそれを吐いてもらわなければならないから急かしたりはしない。


「私があの人を受け入れるきっかけになった理由は人間関係なの」

「そういうのはどこでもつきまとう問題だよな」

「普通にしているだけだったけれど、同性の人からしたら面白くなかったのかもしれないわね」


 姉は転んでから「でも、そのときに助けてくれたのがあの人だったの」と。

 なるほど、そういう理由であれば気に入ってしまうのも無理はないか。

 

「それからは一緒にいることも増えて、気づけば結婚ということになっていたの」

「そこで引っかかったりはしなかったのか?」

「ええ、本当に優しい人だったから」


 でも、その先にあったのは幸せな生活ではなく、と決めつけてしまうのは駄目か。

 それがあるまでは本当にいい時間だったかもしれないしな。

 だから変なことを言ったりはしなかった。


「自分にも原因があったことは分かっているのよ、でも、正直本当のところが分かったときは呆然としたわね」


 そりゃそこで嬉々としている人間がいたら引くわ。

 あ、後ろめたいことがあったりしたらそういう可能性もあるか。

 相手が浮気をしているからこっちも~なんて考える人間もいるかもしれない。

 最初は好き同士でもずっと同じままでいられるとは限らないからな。


「いまでも好きなのか?」

「……さすがに好きではいられないわよ」


 結局、積み上げるのは大変だが崩れるのは一瞬ということだ。

 俺の周りには安定して人間が残ってくれないからよく分かっている。

 仲がいいときに発せられた言葉は所詮口先だけの軽い言葉なんだ。

 まあ、こちらの場合はただ相手が離れていくだけだから問題はない。

 だが、姉の場合は結婚までいってしまっていたから問題になっているわけで。


「あと、一緒の家で住むようになってから分かったことがあるの、それは家族と過ごすのとでは全く違うということね」

「そりゃまあそうだろ」

「その差に駄目だったの、どれだけ合わせようとしても無理だった」


 高校、大学時代はひとり暮らしだったのも影響しているかもしれない。

 もしかしたらそれで実家のよさというやつを思い出してしまった可能性がある。

 相手の男性からすれば結婚してもう家族のはずなのに微妙そうな雰囲気を出されて嫌だったことだろう。


「って、こんな話を聞かされても困るわよね」

「吐けと言ったのは俺だ、それを吐くことでまたいつも通りにやっていけるということなら全く問題ないよ」


 もうクリスマスも俺の中で終わったから大丈夫だ。

 別にその相手にむかついているとか偽善行為をしているわけでもないし。


「そうだ、それでも先に風呂に入ってくるわ」

「私も行くわ」

「あ、それなら先に入っていいぞ、姉貴は今日も頑張ってきているわけだからな」


 俺は半日で終わったのに久実が行くまでだらだらしていただけの人間だから先に入るべきではない。

 あと、いつまでもここにいるわけにはいかないからリビングに戻ることにした。

 客間よりやっぱりこっちの方が好きだ。

 今日は両親の会話とかもあって賑やかだからいい。

 転んでいると下手したら寝てしまいそうになるぐらいには穏やかな感じだった。


「太郎」

「まだ行かないのか」

「……太郎も来て」

「それなら洗面所にはいてやるよ」

 

 風呂場に移動したタイミングでこちらも移動した。

 多分、まだ引っかかったままなんだろうな。

 それでも前に進めようとしなければならないからバイトとかもして頑張っているという状態なんだ。

 部屋にこもりがちだった人が寝るとき以外は戻ろうとしないのもひとりにはならないようにしているのかもしれない。

 そうなると俺がした行為というのはいいのかどうか分からなかった。

 俺はひとりの時間だって欲しいだろうからと部屋を譲ったわけだが……。


「うわ!?」

「あ、やっぱりそこに座っていたのね」

「い、言ってからにしてくれよ……」


 壁ではなく扉に背を預けていた自分が馬鹿だとしか言えない。

 だから無様に転がって風呂場の天井を見上げることになった。

 姉はタオルを巻いてくれているが、正直、かなり際どい感じだから早く去りたい。


「濡れてしまったわね」

「もう入るから問題ない、姉貴はとにかく拭いて出てくれ」

「分かったわ」


 姉が拭いて出ていった後にささっと脱いで、ささっと洗って。

 湯船につかったら勝手にはぁと息がこぼれた。


「太郎がいてくれてよかったわ」

「お姉ちゃんが大好きすぎる気持ちが悪い弟だけどな」

「私はそう思わないわ」

「ふっ、優しい姉だ」


 ちなみに出るから出てくれと言ったのに聞いてくれない意地悪な姉だった。

 まあ、気にせずに拭いて服を着た瞬間にがばっとこられて倒れそうになった。

 ただ、流石に男だからそこは倒れるわけにもいかないということで頑張った結果、なんとかごちんと頭を打ったりするようなことにはならなくて済んだ。


「キスがしたいの」

「おいおい、両親が――」


 いるんだぞ、そうせめて全部言わせてくれよ……。

 しかもそれなら「したいの」ではなくて「するわ」でよかったと思う。


「……あなたは安心していいわ、だって私はあなたがうんと小さい頃からずっと好きだったんだから」


 と言っても、俺が小学生の頃に露骨なことをしていた、とかではなかった。

 そりゃ俺に対しても優しかったが、あくまで普通の姉弟という感じだった。

 でも、姉の言い方的に当時の姉は我慢していたということなんだろうか?

 流石に小学生に手を出すのは不味いと中学生の姉はそう考えたのかもしれない。


「我慢できた理由は他県の高校を志望することになったからよ、もしそうでもなければあなたはずっと私の被害者になっていたわ」

「俺は正直、姉貴が消えて寂しかったけどな」

「ふふ、私は明らかにおかしい人間なのにあなたは優しいのね」

「そんなこと言ったら俺もそうだろ」


 この話は意味がないから終わらせる。

 ちなみにまだ両親はリビングで盛り上がっていたから今日も客間で寝ることに。

 姉も布団を敷いて寝ようとしているから部屋を譲った意味ってあったんだろうかと考えてしまったものの、特に言うことはしなかった。


「あなたが好きなの」

「ああ」


 寧ろそういう気持ちもないのにキスなんてしてきていたら怖いしな。

 で、姉の方を見てみたら既に寝てしまっているみたいだった。

 働いてきているわけだから疲れたんだろうと片付ける。

 ガン見するような趣味はないから戻して壁を見ていた。

 残念ながら普通、とは言えなかった。

 これが義理の姉だったらもう少しぐらいは問題もなかったのかもしれないが。

 ただまあ、断るつもりなんてないから自分が普通じゃなかったということでこれまた片付けておけばいい。

 別に付き合っていることを誰かに自慢したいとかそういうことではないし、俺としてはやっぱり先程までみたいな会話ができればそれで十分だから。

 しっかし、やっぱりあまりにも周りから求められすぎると普通の恋じゃ満足できなくなるのかねえ?

 俺はそういう風に求められたことがないから分からないし、多分、死ぬまでずっと分からないままだと思う。

 でも、いまとなってはそれでよかったとしか言えない。

 だってその方が落ち着いて過ごすことができるからだ。

 だからこちらもごちゃごちゃ意味のないことを考えるのをやめて、朝まで寝られるように集中したのだった。

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