第4話 赤い傘は

 ベッドから飛び起きた俺は、未だ左半分が真っ赤なのもドタドタと踏み鳴らす音を聞いてリビングから出てきた母親を気にすることもなく、傘立てから赤い傘を引っ掴んで勢いよく家を出た。

 そうして全速力で向かう間にも、ポツッと顔に雨粒が当たる。それが次第に強くなっていっても、手に持った傘を開くことなく俺は――学校へと向かっていた。


 この傘が、この赤い傘が原因だった。

 視界の赤が広がる。ドッドッドッドッと鼓動が忙しない。


 目が痛んだのは、と思った時。

 激しい目の痛みと広がる赤は――警告だ。


「池田!!」


 声を張り上げて一年生のアイツの教室の扉をガラッと乱暴に開ける。

 誰も残っていない教室内で鞄が下げられている机を見つけ、走って確認すれば鞄には『池田 翔』と名前がある。


「クソッ!」


 教室を出て、人気のなさそうな教室や特別室を覗いてもいない。

 アイツが絡まれていた場所に行ってもいない。


「どこだよ畜生!!」


 運動部で培った肺活量で池田の名前を大声で呼びながら学校中を走り回れば、既に強くなっている雨は土砂降りという相様を見せている。

 嫌な予感がヒシヒシと迫る中で、ふと思い至って体育館へと走る。


 部活中には見なかった。

 大事を取らされていて、けどアイツは頑張るって言っていたから、もしかしたら部員が帰った後にこっそり練習しに来ているかもしれない。


 果たしてその考えは的中していた。

 体育館の扉を開けて目に飛び込んできたのは、床に押さえつけられた池田と、その池田の右手を今にも傘で突き刺そうと振り上げている生徒の姿で。



「――何してんだお前ら!!!」



 俺の大声にビクついたヤツらは池田から離れ、手を突き刺そうとしていたヤツに向かって俺は赤い傘を投げつけた。

 突然のことに避けられず、傘はソイツに当たった。


「いって!」

「いってじゃねぇ!! 池田に何しようとしてた! 何しようとしたのか分かってんのか! 犯罪だぞ!? 池田の手が使い物にならなくなってみろ! 池田の人生だけじゃない、お前らの人生だって滅茶苦茶になるんだぞ! 池田の親だってお前らを恨むし、お前らも、お前らの親だって池田に一生償わなくちゃいけなくなる! 一時の感情に負けてんじゃねぇ馬鹿野郎どもが!!」


 こんなに感情のまま怒鳴り上げたのは初めてだった。

 真っ赤になっている視界と連鎖して、感情でさえも赤く染まったかのようで。


 ビリビリと空気が震えるような怒声と凄絶な剣幕に、ようやく自分達のしようとしていたことを現実に見て青褪め出す。

 そして蜘蛛の子を散らすように体育館から出て行って、肩で大きく息を吐き出した俺は、立ち上がろうとしている池田の傍まで歩いた。


「池田」

「か、桂木先輩。あの、俺」

「何で言わなかったお前」

「え」


 小さく口を開けて、何も言えない顔をしている池田にも怒りが沸く。


「迷惑掛けたくなかったからか? 知られるのが恥ずかしかったからか? 迷惑とか恥も、俺らが知った時に全部もう意味なかっただろうが! 知ったんだからその時に洗いざらい話せよ! 気づかなくて、深く突っ込まなかった俺も悪かった! キャプテンで先輩なのに、そんな頼りなかったか。迷惑なんかじゃねーよ。俺はあの時、ちゃんとお前を助けただろ? ……ちゃんと、お前のこと守ろうとしたヤツが傍にいただろ」


 池田は小さく震えて、ポタッと涙を床に落とした。


「俺、俺……っ。すみませんでした……っ!」

「おう。あとそういう時は、ありがとうって言ってくれた方が嬉しい」

「ありがとうございます……!」


 言わせた感満載だが、吐き出して俺も感情が落ち着いて……ん?

 感情の波が引いていくと同時に、ふと気づく。


 真っ赤だった視界が、元の彩りを取り戻していることに。


 そして思い余って投げつけた赤い傘を拾って、その持ち手部分。

 『桂木 涼太』と書かれていたそれが、跡形もなく消え去っていた。




 小雨の雨の中を途中まで池田と帰り、傘もささず俺は家までの道を歩く。

 一人歩いていると、ふとあの路地が目に入った。相変わらずゴミが散乱している。


 何気なく路地へと入り、手に持っている赤い傘をジッと見つめた。


「……お前、探してんのか。持ち主を」


 左目を突き刺した、あの少年を。


 元あった場所へと静かに傘を置いて路地を出る。

 そうすると途端に雨は止み、薄く覆われていた雲から、晴れ間が顔を覗かせていた。




 ――赤い傘は、強い衝動。


 ――強烈なエネルギーを生み出す。

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赤い傘 小畑 こぱん @kogepan58

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