第2話 赤い斑点
翌朝ベッドから起きて、違和感を覚える。
瞬きを数回繰り返して、それでもダメだったので手で擦ってみてもそれは全く取れなかった。
赤い斑点が見える。
目玉だけを動かしても小さなそれはついてきて、自分の目に異変が起きているとそれで分かった。
俺の部屋に鏡なんてないので、違和感のある目を気にしながら階段を下りて洗面所へと行き確認すると、しかし眼球に変なものは付着していなかった。
「何だよ、これ……」
ゴロゴロと痛くもなく、ただ視界に赤い斑点があるだけの普段と違う落ち着かなさ。
既に起きて朝食を用意している母親にも、コーヒーを啜って新聞を開いている父親にも確認してもらったが、特におかしなものは付いていないと言われる。
母親には眼科に行くかと聞かれたが、痛みもないから別にいいと言って断った。
部活の朝練に遅刻する訳にはいかないので、パパッと朝食を摂って玄関で靴を履く時にビニール袋を被ったままの赤い傘がちらと視界に入ったが、帰ってからでいいかとそのまま家を出た。
あのニュース番組の天気予報は当てにならないので、父親が読んでいた新聞を覗き見て確認したら今日は晴れ。
傘を持つことなく、ランニングも兼ねて通学路を走って登校し、そのまま男子バスケ部の更衣室へと直行。
「はよ」
「よ、涼太」
三年生は既に引退しており、俺達二年生と一年生しかいまは活動していない。
一年生に元気よく挨拶されそれに応えながら友人の元へ行く。既に着替え終わったらしいユニフォーム姿の友人と挨拶を交わして、俺も着替えようとロッカーを開けたところで話し掛けられた。
「お前昨日無事に帰れたかぁ?」
「だから今ここにいるんだろ」
「いやー、だって涼太ん家が昨日の
先に行かずにどうも待つようなので、会話しながら着替える。
「帰ったらすぐ風呂入ったし。実は路地で傘拾ったからそんなずぶ濡れにはならなかった」
「え。路地? うわ、お前そんなトコで拾うなよ!」
「ないよりマシだと思ったんだよ! 確実に捨てられていたけど、新品みたいに綺麗だったしちゃんと開けたから」
「だからってなー。ゴミ拾うとか引くわー」
うわーと言う友人にムッとしながら、しかし赤い液体のことが頭を過ぎったので文句は言えなかった。
俺自身ちょっと気持ち悪い思いもしたので、やっぱり今後は落ちている物は拾うまい。
ユニフォームに着替え終わって、連れ立って体育館に向かう途中。
ドサッと何やら物が落ちたような音にそちらを見れば、見覚えのある男子生徒が地面に尻もちをついて数人のガラが悪そうな男子生徒から見下ろされていた。
「おい。あれ池田だよな?」
「ん? ……あー、そうだな」
校舎の影になってはいるが、俺達のいる場所からだと見える。
池田は部活の後輩だ。様子を見る限りじゃ、とても仲良しには見えない。ガラが悪そうなのも俺達の学年じゃ見たことないヤツらなので、池田と同じ一年生だろう。
アイツはウチの部の時期エース候補で大事な戦力だ。怪我なんてされたら一大事である。
割って入ろうと足の先を向けた俺の腕を、しかし友人は掴んで「止せよ」と止める。
「あ? 何で」
「逆恨みされたらどーすんだよ」
「はあ? ここで見捨てる方が後味悪いだろうが!」
大体こっちは先輩だぞ。一年生にビビっていられるか!
掴まれた腕をそのままに、俺は大きく口を開けた。
「おい池田!! 朝練サボって何してんだ! 一年は先輩より先に準備する決まりだろうが!」
俺の大声に一斉に視線が向けられ、ガラの悪い一年どもはビビったのかそそくさと立ち去って行った。
それを
「大丈夫か?」
「あ。すみません、桂木先輩」
変なところを見られた羞恥からか顔を赤くし、俺の手を取って立ち上がった池田は「ありがとうございます」と礼も口にした。
「お前、イジメられてんのか?」
「……えっと。何か俺、目立ってるらしくて。それが気に入らないみたいなんです」
「池田はイケメンだもんなー」
可愛い後輩を見捨てかけた友人が後ろから口を出す。
池田は「いや、そんな」と手を振って謙遜するが、俺の目から見てもコイツは普通にイケメンだ。練習中に応援に来た女子からキャーキャー言われているのをよく見るし耳にする。
つまりはモテないヤツの
「俺は良い後輩だって池田のこと思っているぞ。ちゃんと準備も片づけもしてくれているし、戦力だし、女子にモテるのもひけらかさないしな」
「ホント出来たヤツだよなお前」
先輩二人から揃って褒められ、照れる池田。
「あ、ありがとうございます。その、俺、頑張ります!」
「よし。じゃあ着替えてこい!」
宣言に頷き、指示してタッと更衣室へ走っていくのを見届けた後、目的地の体育館へと歩みを再開させる。
友人が俺の肩に腕を回してきた。
「涼太ー。さっすが指名キャプテン! 後輩のメンタル管理もバッチリってかー?」
「ああ? 部員守るのは当然だろ。つか部員見捨てんな副キャプテン」
「俺は日和見主義なのー。怪我して試合出れなくなったら嫌じゃん」
そんなことをあっけらかんとして言う友人を横目で見た後、まぁ考えは人それぞれかと小さく溜息を吐く。
その時、一瞬だけ目がズキッと痛んだ。
「つっ!」
「涼太?」
「……いや、大丈夫」
そう返し、もう何ともない目をけれど何度か瞬きさせる。
起きた時に痛みはなかった。ただ、赤い小さな斑点が映っているだけ。
そしてそれは、今もまだあった。
一日またどこかで痛むようなら、母親の言う通りに眼科に行ってみてもいいかもしれない。
そんなことを思いながら、友人とともに朝練に励んだ。
◇+◇+◇+◇+◇+◇+
あれから目の痛みは襲ってこなかった。
無事に放課後の部活もこなして、新聞の天気予報通りに晴れたままで家に帰ることができた。
玄関の鍵を開けて中に入って、何気なく視線を遣ってみると思わぬものを目にして動きを止める。
昨日拾って帰った赤い傘の持ち手の部分……そこに油性ペンで書いたのか、『桂木 涼太』と俺の名前が書かれていた。
え、ちょっと待ってくれよ。高校生にもなって、しかも傘に名前書かれるとか!
どんな羞恥ゲームだと靴を脱ぎ捨て、リビングに直行し夕飯の支度をしている母親に詰め寄った。
「母さん! 俺のものに勝手に名前書くなよ! 俺もう高校生だぞ!?」
「は? アンタ何言ってんの?」
「は?じゃないだろ。書いただろ傘に、俺の名前!」
そう伝えても、母親の顔は困惑したまま。
「書いてないわよ?」
「え?」
「というか、触ってもないけど。私じゃなかったら……お父さんは有り得ないしねぇ」
本気で心当たりがなさそうなその様子に、父親もそんなことをする性格じゃないので、だったら誰がと混乱する。間違いなく俺じゃないのは確かだ。
「……分かった。ごめん」
不可解だったけど、謝るより他なかった。
見間違いかと思って再び確認しに行っても、確かに俺の名前が書かれている。ビニール袋を被ったままのそれを取り出し、傘だけを出して全体を確認すると当たり前だが乾いている。
今度は先端部分を見て……よく目を凝らして見ても、あの赤い塊は見当たらなかった。
ぐるりと回しても、どこにもない。
「溶けた?」
ボソッと呟いて袋に落ちているのかと見て、驚愕する。
何もなかった。
そこには、何も。
昨日確実に見た、母親も見た、薄い赤い水が。
乾いても跡くらいは残る筈なのに。綺麗さっぱり、最初から何もなかったかのように。
「……え? あったよな? 何で」
自分の名前が書かれた、赤い傘を見つめる。
その時何となく、このただ赤いだけの普通の傘に薄気味悪さを感じていた。
……イ……ラ…… …………ニ…………イ……
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