【現代】行軍2

 威風堂々と進むバンベルト王国の軍は、既に祖国の国境を越えて久しかったが、その足取りは微塵も揺るいでいなかった。


 馬上で上等な鎧を身に纏わせ、槍と剣を持つ鍛え抜かれた騎士達に、その主に恥をかかせまいと、同じく実戦経験豊富な従卒が続き、農兵ではなく職業軍人としての兵も力強く歩を進める。


 そして長い蛇のような軍勢の尾には、軍の糧食では補給されない嗜好品を売り捌く行商、旅の道中の安全を求めてくっ付いた一行、果ては娼婦までいる始末。しかし、純軍事的に見て眉を顰める者もいるが、現実問題として、嗜好品、安全、そして女はどこにでも付き纏うのは当然で、経済的な効果も、まあ、あるので黙認されていた。


「立派になったものだ……」


 そんな軍勢を見て呟いている一人の老将軍がいた。


 彼の名はジャクソン将軍。バンベルト王国軍の表向きの総指揮官であり、齢60を超えているが未だ生気溢れる顔付で、首元まで伸びている豊かな髭が特徴だった。


 その戦歴は古く、単なる末端の騎士から将軍に上り詰めた叩き上げの男であり、今回の遠征軍にも指揮官として指名されたのだ。


「かつては、なんというか、バラバラな軍だったと聞いています」


「ふっふっふっふっふ」


 年若くも、将軍であるジャクソンの傍にいる事を許された優秀な騎士が、彼の呟きにそう曖昧に答えたが、曖昧な言葉は老将軍の琴線に触れたようで、目を細めて笑い始めた。


「そう、バラバラだった。反乱を起こした宰相の重税に耐えかねた農民は錆びた槍、一山当ててやろうとしたごろつきは粗末な革鎧、儂だって骨董品のような剣を持っただけの木っ端騎士。目的も装備も、何もかもバラバラだった」


 かつての内乱時に置いて、ルナーリア女王側の戦力はまさにバラバラだった。目的、人種、装備、その全てに統一感など欠片も無かった事を思いだした老将軍は、それが年寄りの悪い癖だと理解しながら、ついつい昔を懐かしんで笑ってしまったのだ。


「それと忘れちゃいけない傭兵」


『おお……』


 騎乗で老将軍を囲むようにいた騎士達が、どよめきの声を上げる。一人の男が彼らの元までやって来ていた。鍛えられた騎士だからこそ分かる、その存在感、その圧、その密度、そして何よりその強さ。顔を黒い布でグルグル巻きにしている怪人など、普通はこの軍の指揮官であるジャクソン将軍の元まで辿り着けるはずがない。


 となると当然、その存在は普通ではないのだ。


 かつてのバンベルト王国内乱に置いて、ルナーリア女王に勝利をもたらした立役者にして、今なお最強の傭兵を語る際に、"王神帝"レースを並び挙げられる、"千万死満"であった。


 現在彼は、自軍の中ではあるものの、長らく活動していなかったため、"千万死満"が舐められるのは百害あって一利なしと、それなりの圧を発していた。尤も、正体であるグレンの方は、それこそ舐められ切っていたが。


 なお彼が騎乗している馬は、昔日に置いて愛馬でもあった旅の友、プリンの血を引く駿馬である。彼やルナーリア達にとって残念ながら、高度な訓練されていても単なる馬であったプリンは、既にこの世にはいなかったが、その血は今も受け継がれていた。


「あまり一人歩きは感心しませんな」


「軍全体については心配し過ぎだったからな。これなら俺がいなくても問題なかっただろう。だから傭兵擬きがいないか様子を見に行ってたんだが、時間が経つのもそう悪い話じゃないらしい。契約のスタイルについては色々文句があるが、昔に比べて"傭兵"を分かってるのが多いのはいい事だ」


 ジャクソンが肩を竦めながら、一応苦言を呈する。


 表の指揮官がジャクソンであるなら、裏の実質的な指揮官は"千万死満"グレンだ。遠征の能力については疑問符が付くバンベルト王国軍だったため、ルナーリアが勅命としてグレンを付けたが、その心配は杞憂で、軍は離脱者を出さずに行軍していた。


 そのためグレンは、彼の中では未だに本職だと思っている、同業の傭兵達の様子を見に行っていたのだが、これもまた杞憂だった。かつての動乱渦巻く王国内での傭兵達とは違い、安定している王国内から出発した傭兵には、彼が傭兵擬きや偽傭兵と表現する野盗崩れの様な者は存在していなかった。


 もし、補給だと言って村を襲うような者達がいた場合、そこには死が訪れる事となっていただろう。


 そして老将軍と"千万死満"の姿に、周りの騎士達は畏敬の視線を送る。


 共に混迷の時代を切り抜けた男達であり、軍の頂点に位置しているのだ。というのも"千万死満"の方は、と言うかグレンは軍籍をとっくに抜けたつもりなのだが、実はまだ肩書だけなら大将軍のままだった。


「野営の準備が終わったら来て下され。少々今後の予定を立てましょう」


「お邪魔しよう」


 老将軍の誘いに"千万死満"が頷く。


 そんな二人が、夜に何か話し合いを行うのだ。騎士達はきっと何か、今後を左右する大きな事を相談し合うのだろうと思っていた。


 ◆


 ◆


 ◆


「儂、そろそろ楽隠居しようかなあって」


「俺も俺も」


 まさしく大事な相談であった。


 老将軍の楽隠居はそれほど大事な事なのだ。多分。


「もう60超えてるし、家督は息子に譲ってるから、趣味の世界に生きてもいいよね?」


「いいよいいよご苦労様。ルナーリアには俺の方からも言っとくよ」


 体の方は全く問題ない老将軍であったが、流石にもうお役目御免でいいだろうと、"千万死満"ではなく昔からの付き合いがあるグレンに相談したかったのだ。


「じゃあ俺も楽隠居して、嫁さんとイチャイチャしながら子供達と遊んで、メイス普及活動を頑張ろうかな!」


「どうやって生活するん?」


「……」


 楽隠居と聞いてグレンも自分の予定を話すが、肝心な生活費の事がすっぽり抜け落ちていた。老将軍は家督を譲った息子が支援してくれるが、グレンの方はというと、妻であるルナーリア達になるだろう。それはつまり


「ひ、ヒモ……完全なヒモ……! そ、それだけは……! それだけはダメ……!」


 世間ではヒモと言った。


 この男、ルナーリア達が相応しい地位に戻った後、また彼女達に何かあった時用の貯金はしているものの、それ以外はほぼメイスや酒代に費やしており、生活費なんてとてもではないが捻出できないのだ。つまりこのまま楽隠居しようものなら、妻達のお小遣いで生活しなければならず、完全なヒモとして暮らす事となるのだ。


「まあとにかく、儂、この戦いが終わったら楽隠居します」


「そ、そんな!? これからもずっと一緒にお仕事しよう!」


「さっきと言ってる事違うじゃん!」


「うっせえ! 1人だけ楽隠居なんて許さねえぞ!」


 グレンは自分を置いて楽隠居なんかずるいぞと宣い、老将軍に現役続行を要請した。


 まさに大事な相談事。自分の限界を感じて職を辞そうとする老将軍に対して、"千万死満"はまだまだ若い者達を指導してやってくれと引き留めているのだ。


 大事に決まっている。

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