【現代】こちらの傭兵3
"千万死満"は特に気配を発してはいなかった。そんな事をしなくても一番面倒な上位は3位のネラファ以外は面識があり、ローガンの娘であるレイチェルに至っては、顔にぐるぐるに巻かれている黒い布の下にある顔も知っているくらいだ。
そして"千万死満"としての面識があるという事は、その恐ろしさも知っていた。
「か、か、帰れ!」
上擦った声を出す5位"申し子"レイチェルは、ローガンが傭兵の厳しさを娘に教えてやってくれと"千万死満"に契約したせいで、まだ傭兵として駆け出し頃に老竜の討伐に連れて行かれ、死神と老竜の決闘を間近に見せられた。山を崩し、嵐を巻き起こし、大地を裂く天災そのものと謳われる老龍に、たった一本のメイスで勝利した姿を。
なお、娘に傭兵を止めて貰いたかったローガンの目論見は失敗し、彼女は今でも傭兵を続けている辺り、傭兵として大事な才能の一つである根性が、父親からきちんと受け継がれているようだ。
なおなお、それでも彼女の一番のトラウマはお尻ぺんぺんで、それ以来ヒモとかお小遣いといった文字を、彼のメイスに書き込むことは二度となかった。
「む、むう……!」
あまりの衝撃で、未だ自分が椅子から立ち上がった事に気が付いていない、4位"満ち引き"ヴァンも分かりやすい。自らの二つ名に付けた"満"の文字は、まさに"千万死満"に肖って付けた程で、遠目からだがオーク1000匹潰し、近衛隊100人潰し、巨人潰しなど、様々な偉業にして異業を目撃していた。
(誰だよこんなの呼んだ奴……!)
3位"起こしてはならない"ネラファは"千万死満"が戦場に出なくなった後に台頭してきた、まだ20代前半の若い傭兵の為、伝聞でしか知らなかったが、普段感情がないのではないかと言われているその顔は焦りに満ちていた。
その上位5,4,3位の焦りとは裏腹に、直接関係ない世代の8位"黒巻く渦潮"シア、7位"夕暮れ時"カルサイ、6位"破壊の兆し"トルクトンは、こいつが今まで全く姿を現さなかった1位か、さてどんなものかと値踏みしながら眺めていた。
「あ? てめえが"千万死満"か?」
例外は、今まで全ての傭兵に喧嘩を売ったある意味伝説の持ち主、9位"狂犬"バーク
と
「久しぶりに遊びましょう」
2位"王神帝"レースだ。
「んな!?」
4位以下の全てのランカー達が驚愕した。彼らは"千万死満"を見ていたのに、その前にいきなりレースが現われたのだ。それはつまり、彼ら異常者達にすら気付かれないほどの速さで、レースが襲い掛かったという事だ。例外はネラファで、彼はレースが移動したことによって窓への道が開かれ、そのまま飛び込んで逃げようとしたのだが、今度はギルドマスターローガンが彼の逃亡を阻止するため、それとなく窓際に重心を向けたせいで、再び足を止める事になった。
そんな高度な駆け引きをしている二人だが、問題なのは2位"王神帝"と1位"千万死満"だ。
「お前も歳なんだからいい加減落ち着け。若いのは見た目だけでいいだろうが"童顔"レース」
ぎくりとしたのはその言葉を発した"千万死満"を知らない9位から6位だ。実はレースという男、"千万死満"やローガンのすぐ下の世代の傭兵でありそこそこな歳なのだが、威厳の欠片もない自分の童顔を結構気にしており、それを戦場で囃し立てた騎士やら傭兵は既に全員あの世逝き、街中で言った奴でも半殺にしていた。そして、そのぎくりとした者達も同じ間違いを犯した後で、街中であったため殺されはしなかったが、既にレースによってボコボコにされており、その時は彼等でも心身共に暫く立ち上がれなかったほどだ。
「いやあ、気持ちの方
そんなレースが気にしている事を言ってのけた"千万死満"だが、全く失礼ではない。
「気持ちの若さとパンチは関係ないだろうが」
なにせ童顔と言ったのはレースが拳を放った後であり、それをガチリと掌で抑えつけている真っ最中なのだから。
「は!?」
またしても9位から6位は困惑する。レースが拳を放った瞬間も分からなかったし、何よりかつて自分達を一撃でぶっ飛ばした男の攻撃を、"千万死満"は今も難なく抑えているのだ。
「ローガンさんは衰えてないだけですけど、そちらはまた少し強くなりましたね。いい歳なのに落ち着いてないのは同じでは?」
「人間日々成長するもんなんだよ"童顔"」
再び"千万死満"が童顔と口にするが、これまた失礼ではない。なにせレースの反対の手からまたしても拳が放たれ、同じように掌で抑えつける羽目になっていたからだ。
「っていうかよくお許しが出ましたね。まあ、生存圏危険事態ですから、当然と言えば当然なのかな?」
「なに? 生存圏危険事態? 聞いてないぞ?」
「ええ……」
「会議を始めるぞ! ネラファ、逃げるのを諦めてとりあえず聞け!」
端的に言って人間ではない力がぶつかり合っているが、それを全く感じさせずに談笑する二人と、未だに逃げる事を諦めていないネラファを無視して、もうとっとと会議を終わらせたいローガンが開始を宣言する。
「サリーン帝国の未開平原から、オークとオーガが大侵攻! 総数約10万! 帝国と教会が生存圏危険事態に則る大契約を申し出たためこれを受託した!」
「大事じゃねえか」
「大事だから呼ばれたんですけど、ひょっとして要件を聞かずに何かで釣られました?」
「……」
立ったまま仲良く手を繋いでいる"千万死満"とレースだが、口ではレースの方が圧勝の様だ。まさに"千万死満"は碌に用件を聞かず、ローガンの秘蔵の酒に目が眩んでやって来ただけなのだ。
一方二人の存在に目を奪われていた他のランカー達も、流石に人類の生存圏が縮小する危険性がある案件には黙って耳を傾ける。まあかなり危ないバランスだったが、なんとか殺し合いが起きずに会議が行われているため、ローガンも秘蔵の酒を手放す甲斐があったというものだろう。
「報酬は完全に歩合制! とっとと行ってぶっ殺してこい! 以上!」
ローガンが表のランカー達にした説明とは雲泥の差だが、裏のランカー達に義務だの何だの言っても碌に意味がない事が分かり切っていたので、彼はそれはもう分かりやすく説明した。
たったこれだけ。たったこれだけを説明するために、ローガンは世界に名を轟かす"千万死満"を呼び寄せたのだが、実際"千万死満"が来る前の騒ぎを考えると、会議にならなかった可能性が高かった。
「はあああ……」
ようやく終わったと、それはもう大きなため息をつくローガン。この会議の気苦労に比べたら、この後など大したものではなかった。
なにせこの後は……
単なる飲み会なのだから。
◆
◆
◆
「おおこりゃ美味いな!」
「そうだろうそうだろう!」
まだ昼過ぎだというのに、よりにもよってギルドマスターの部屋で秘蔵の酒を飲む"千万死満"こと、黒い布を取っ払ったグレン、この部屋の主ローガン。
と
「いや本当に美味しいですね!」
"王神帝"レース。
傭兵ギルドのギルドマスターと、表ランキング1位、裏ランキング1位が揃っているのだ。下手をすれば世界の今後に影響する話が出来るのに、今の彼らはレースを含めて、全員酔っ払って顔が真っ赤だ。このトップスリー、腕っぷしに比べて酒の強さはそれほどでもなく、酒が入ると一気にポンコツ化するのだ。
このレースという男、実は結構グレンとローガンと仲がいい。だがローガンと彼の率いる傭兵団に本気で殺しに掛かった事もあるのに、お互い気にした事もなかった。契約でコロコロと敵味方が入れ替わる、傭兵らしい感性と言えばそれまでだろう。
「おっ! この豆のつまみもいけるぞレース!」
「こっちのもいけますよ! あはははは!」
それはハイテンションなグレンに対してもそうなのだが、一つ違うのは現役時代のローガンを殺すための契約金の見積もりは出したことがあるレースだが、"千万死満"と直接殺し合う内容が含まれている契約には、絶対にサインしなかったことだろう。
いや、単に戦場で敵として出くわすだけなら、別にどうとでもなるのだ。グレンが契約するのは戦場での戦いそのものであり、一々傭兵個人に集中して追いかけることがない為、レースが逃げに徹すれば逃げ切ることが出来る。そのため敵の陣営に所属することは多々あった。
だが、これが直接"千万死満"と戦えとなると話は別だ。今は時代に合わせて柔軟にしているが、レースも古いタイプの傭兵で、出来ないことは出来ないときっぱり拒否するし、何より死にたがりではないと、かつてひっきりなしに依頼された、"千万死満"の殺害を全て断っていた。
なお余談だが、レースが提示したローガン殺害依頼に対する契約金の見積もりは、王侯貴族でも無理な金額であった。本人曰く、出来るけれどその後に傷が原因で死ぬ可能性があるから、これくらいは貰わないと割に合わない。との事らしい。契約金の適正価格に対する見積もりが優れている事でも有名なレースが当時そう言ったのだから、現役時代のローガンと、その傭兵団の凄まじさが分かるというものだ。
そしてそのほぼ同額を、"千万死満"の殺害を依頼をしてきた者達に提示して、向う脛をを思いっきり蹴飛ばすだけならこの金額でいいですよ。と言ってのけた。"千万死満"を相手にそんな事が出来ると言えるのはまさに"王神帝"だからこそなのだが、依頼人達は所詮馬鹿げた二つ名を付けた傭兵如きだと憤慨していたが。
更に余談だが、レースの言う"遊び"とは、本当にローガンとグレン的にも遊びの範疇で、ローガンはもうそんな元気な歳じゃないと思ってるし、グレンはそれこそ若いのは顔だけにして落ち着けと思っている程度だ。
「だっはっは! ローガン、レース! かんぱーい!」
「かんぱーい!」
「かんぱーい! あははははは!」
しかしここにいるのは傭兵ギルトトップスリーではなくトップ馬鹿スリー。彼らのバカ騒ぎは当分終わりそうになかった。
◆
「……はれ? ここどこ?」
「メイス愛好会会長のお前と副会長、それと外部顧問も交えて、随分話が盛り上がっていたようだなあ?」
「朝帰りになるとは思っていました」
「確かに」
「ひょえ」
メイスと酒瓶を抱きしめていたグレンが目を覚ますと、そこはなぜかルナーリアの私室で、目の前には愛しの恋女房が全員揃っていた。
「生存圏危険事態だからな。傭兵ギルドからの依頼で、お前にもサリーン帝国に行って貰う事になった。まあ我が国専属のお前が軍と行けば、それなりに貢献したと言えるだろう」
「し、仕事!? お仕事なんだな!? いやっほう!」
ルナーリアから告げられた、最近ご無沙汰だったちゃんとした傭兵としての仕事に、グレンは酒が抜けていないかのようなハイテンションで喜ぶ。
ちょっと早かったが。
「そうなるとお前は少しの間いなくなるという事だ」
「え、まあ、そうなるな……」
不吉な予兆を感じ取ったのか、ルナーリアの言葉にグレンのテンションが目に見えて下がっていく。いや、予兆なんてものは必要ない。ルナーリア、テレサ、ハンナの目を見れば一発で分かる。その肉食獣の目を。
「なら分かっているだろう」
「ご満足させて差し上げます」
「まあその、覚悟してください」
「ちょ!? ちょおお!?」
グレンはベッドの上。まな板の上。逃げ場無し。
「きゃあああああ!?」
彼は三人に押し倒されながら、気色の悪い悲鳴を上げて……。
生きているかは神のみぞ知る……。
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