【現代】馬泥棒
「うーんうーん……額が……額が多すぎる……」
バンベルト王国王都、ルナーリア女王の執務室でグレンが唸っていた。小さな書記官用の机に座っている彼の前には、何やら書類の束が置かれている。
「100人単位の金って……物って……うーんうーん……あれ、予算が合わないぞ? なんで数が合わないんだ?」
「しまった。個人の見積もりは早い癖に、大掛かりな人と金の動きには途端に頭が止まるんだったな」
知恵熱でも発しそうなグレンは、偶にルナーリアの書記官として駆り出されるのだが、個人や10人単位での予算の見積もりなどの計算や試算は得意で、そこそこ彼女の役に立っているも、それが100人単位となると途端にポンコツ化して、脳みそがオーバーフローを起こしてしまうのだ。
「うーんうーん……というかこの予算なに?」
「お前……」
グレンがふと思い出したように尋ねるが、確かに説明したルナーリアは頭痛を堪えるように目頭を押さえる。どうやらオーバーフローを起こし過ぎて記憶が飛んでしまったようだ。
「仕方ないもう一度言ってやろう。最近他国において馬泥棒が活発化しておるからの、ウチのを盗られたらたまらん。そのため臨時に予算を組んで、警備の強度を更に上げて馬を守る必要があるのだ」
「ああ、なるほどね」
馬は人類の足だ。日常でも戦地でも活躍するこの生物だが、当然訓練が必要で飼料などの維持費も掛かる高価な存在だ。そんな訓練されている馬を戦争が絶えない国で売れば、バンベルト王国より2倍も3倍も、ひょっとしたらそれ以上の値が付くことだろう。そのため馬の産地でもある王国で馬を盗み、他国で売るのはそれなりに危険に見合うのだ。それなりに。
「特に王都の近くにある牧場は、その近さゆえに賊は来ないだろうと思い込まれておったから、その辺りがおざなりだ。至急予算を組む必要がある」
「なるほどね。それでもう一つ聞きたいんだけど、数字がいつの間にか合わないんだけど、どうしたらいいかな?」
「やり直し」
「ちーん……」
グレンは普通に計算していたはずなのに、全く数字が合わない。それを正直にルナーリアに打ち明けたが、帰って来た返答は当然やり直しである。彼はわざとらしく、椅子の上で死んだ振りをした。
「と言いたいところだが、人には向き不向きがある。その牧場の下見と馬の数が合うか確認してきてくれ」
「行ってきまーす!」
忘れてたとはいえ、グレンに合っていない仕事を割り振ってしまったルナーリアは、特に怒る事も無く彼の性に合っている仕事を頼んだ。いや、ひょっとしたら無意識に、グレンと一緒にいるため忘れていたのかもしれない。その言葉を聞いたグレンは、先程まで死体だったのに椅子から飛び上がると、仕事の為に駆けていく。
「全く……ふふ」
その後ろ姿に、ついつい苦笑を漏らすルナーリアであった。
◆
「うーんやっぱりお馬さんは素晴らしいなあ。なんといっても増えて一頭、減っても一頭なんだ」
木っ端書記官として牧場に訪れていたグレンは、ニコニコ顔で牧場の馬をチェックしていた。なにせ牧場の馬は金と違って、一日に増えても生まれる馬が一頭か二頭の単位で、その上、馬の数を調整して牧場内に放たれているから、数えるのも馬がよっぽど動かなければ間違わないときた。金を数えるよりは楽に決まってる。傭兵の癖にだが。
いや、寧ろ傭兵だからこそというか、戦場で馬の数や兵力といったものの計算なら、例え1万を超えても得意なのだ。そのため牧場内で動き回る馬達の数も、すぐに確認し終わった。
「ちょっと待て……馬の数が二頭足りないぞ!?」
そう。確認し終わった筈なのに、ここでもまた数が合わない。
「今牧場の外に何頭出てます!?」
「え、全部いる筈だよ?」
慌てて牧場の管理員の一人に、馬の貸し出しについて尋ねるが、帰って来た返事は一頭も外に貸し出していないという答えだった。
『最近他国において馬泥棒が活発化しておるからの、臨時に予算を組んで、警備の強度を更に上げて馬を守る必要がある』
グレンの脳内に雷光が走り、それと同時にルナーリアの言葉が蘇る。
(予算を組む。つまり数が合わなかったら俺のせい!?)
何がどうなってそうなったのか全く不明なのだが、グレンは予算と数が合わないという言葉に、訳の分からない化学反応を起こしていまう。
(何とかしないとルーナに怒られるううううう!)
しかも完全にテンパっているグレンは、何故かこの状況は自分のせいだと思い込み、牧場を飛び出すと周りをぐるりと駆け始めた。
なお、テッサやハンスと違い、ルナーリアのルーナは愛称のようなものともいえるため、彼女は時折閨の中でグレンに甘える際、ルーナと呼ぶよう命じることがあり、彼もまた長らく呼んでいたその名をつい言ってしまう事がある。今は完全にテンパっているからだが。
(ここだ間違いない!)
グレンは牧場外周の柵が、一度切り取られた跡を発見した。その柵は雑な工作で繋がっている様に見えるだけで、馬泥棒達が速度を優先していたことが分かる。
(ここから森の中を通ったか。なら追いつける!)
牧場の外は森が広がっているのだが、蹄の後がその森に続いていた。どうやら馬泥棒達は、動きやすいが目立つ街道では無く、時間が掛かっても人目に付かない森を通ることを選んだようだ。しかし、単純に時間が掛かると言っても、馬は木の枝を嫌がり地面から隆起した根に足を取られるので、非常にその歩みは遅いはずだ。そこに勝機があるとグレンは踏んだ。
(逃がさねえぞゴラァ!)
即座に森の中へ消えていくグレン。
かつて所属していた団の傭兵達に、あいつに追いかけられるくらいなら、飢えた餓狼と熊に蛇を足した怪物から逃げた方が生き残れると言われた男が、しっかりと蹄と
人間の足跡を捉えていた。
◆
◆
「これで俺らも大金持ちだ!」
「ああ!」
森の中を男が二人、それぞれ一頭ずつ馬に付けた縄を引きながら進んでいる。彼らは偶々隣国で売られる馬の値段を聞いた野盗崩れだが、とりあえず馬を盗んで国外に行けばいいと考えているだけで、その計画性のなさが滲み出ていた。
いや、確かに全て上手くいけば一財産を気付けるのだが、相応のリスクを全く分かっていない。国家にとって戦略物質の馬を盗んだのだ。最低でも危険な鉱山送り。もしくはそのまま縛り首。
それか
死神に追われるとか。
「傭兵100ヵ条により一度だけ警告する。武器を捨てて投降しろ」
「ひっ!?」
「ひゃあっ!?」
死神が、死が追い付いた。
野盗崩れたちは後ろを振り向けなかった。見たら死ぬ。そう確信するほどのナニカが、自分達のすぐ真後ろにいると分かった。
しかし、足も歯も震え、涙すら流しながら、死神が発した言葉だけは言霊のように彼らを支配して、その腰に下げた剣だけは素直に地面に下ろした。
「素直でよろしい。尋問と鉱山の刑期も、すっこしだけ手心を加えるように言っておこう」
「あ……」
その最後に聞こえた言葉を最後に、馬泥棒達が次に目を覚ましたのは牢獄の中であった。なお尋問と刑期だが、国家の戦略物質に手を出したのだ。やったことはやったことだと、ほんの少し手心は加えられたが、それ相応であったとか。
◆
「ふ、メイスに長けているという事は、トンカチにも長けているのだ。こんな柵を直すなんてちょろいちょろい」
そんな馬泥棒の未来はさておいて、グレンはトンカチ片手に柵を直して、その日の仕事を終えるのであった。
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