【過去】馬泥棒

「よし、買うもん買ったしとっとと街からずらかるか」


「ずら、かる?」


「あーっと、脱出? とかそういう感じ」


 必要な物を買い込むと、すぐにこの街を発つと言ったつもりのグレンだが、生憎と育ちの違いから、少女達全員に言葉のニュアンスが伝わらなかった。


「傭兵仕事をするのではなかったのか?」


「お前さんらがいなきゃありだったんだが、生憎託児所を知らん」


「託児所だと!?」

「不敬です」

「また子供扱いしたな!?」


 グレンが態々傭兵ライセンスなるものを取得し直したのだから、少女達はてっきり彼が傭兵仕事をこの街でするかと思っていた。しかしグレンとしては、自分が離れている最中に彼女達を襲う刺客がやってくる危険がある以上、戦場へ考えなしに飛び込む訳にはいかなかった。


 一応少女達もそのグレンの気配りには感謝していたが、一々子供扱いをしてくるグレンに対して、素直に礼を言えないのはまあ、お年頃なのだろう。


「それに街の中に入って分かったけど、思った以上に余裕がないからプリンが心配だ」


 グレンがこの街を早く離れたい原因があった。それは馬のプリンの事だ。


「なぜプリンが?」


「徴収されてるかもしれん」


「なに!?」

「はい?」

「なんだって!?」


 そのグレンの心配は的中していた。


 ◆


「ほらいた」


 入る時と違い、すんなり街の外に出ることが出来た一行だが、プリンを預けている厩舎の前に行くと、10数の兵達が厩舎の前に集結していた。


「あの兵達がプリンを徴収しようとしているのか!?」


「あのプリン、結構いい感じの馬だろ?」


「当然だ。我が家の馬は、どこでも戦えるように特別に訓練されている」


「どこでも戦えるような馬なら、どこでも欲しがるのさ。つまり徴収しようとしてるな」


「なに!?」


 プリンの元の持ち主であるハンスが大憤慨していた。なぜならハンスが父から、武門の生まれとして、命を預ける馬の世話をするのは当然だと命じられ、プリンを子馬の頃から世話をしてきたのだ。それを勝手に徴収などと、彼女が憤慨するのも当然である。


 これが立派な馬車と一緒なら兵達も躊躇ったであろうが、プリンの隣に置かれてある物は外見上オンボロな荷馬車であり、馬自体が立派であることに目を瞑れば、持ち主が有力者という線も薄かった。そのため兵としても若干訝しんではいたが、今は馬一頭でも欲しい状況であるため、プリンを徴収しようとしていたのだ。勿論無断で。


「む、厩舎の者は止めんのか?」


「御上に睨まれてまでしないさ。預けた奴に詰め寄られても、御上に言えで済むしな」


 ルーナの問いにグレンは首を横に振る。


 外からやって来た馬を預ける厩舎の職員も、御上の兵士がやって来て馬達を徴収すると言われれば、はい分かりましたと言うだけだ。元々自分達の物ではないし、自分達の責任問題にならないのであれば、態々御上に逆らうはずがない。


「まあでも、今の時代はこれも仕方ないのさ。おっと、皮肉じゃないぞ。困ったことに、負けたらもっと多くの物が無くなるんだ。領主だけじゃなくて領民もな。だから必要な物は何でも集めなきゃならんが、それに応じてこれは自分のだから絶対に渡さん! ってのは困るんだわ。負けたら酷い時は、街の中が皆殺しとかになるんだぜ? それに比べたら馬の徴収なんて可愛いものさ。嬢ちゃん達も必要な時には躊躇っちゃいけないぞ」


 世は乱戦なのだ。戦時中なら一々下の者の持ち主と持ち物がどうこうと、御上が取り合ってくれる時代ではないし、また、そうするべき時代でもない。負けたら全てを失う。それが乱世なのだ。だからグレンは、自らも平民だが、その権利云々なんてものは言わなかった。まさしくその時代ではないのだ。特に三人娘の身分なら、もっと上の視点が必要なのだ。


「ま、やり過ぎたら戦う前に、民衆から反乱起こされて首が飛ぶけどな」


 そのため一応、やり過ぎて不満を溜めると、そんな事が起きるとだけ言うに留まるのであった。


「でも俺らは俺らでやる事がある。という訳でこっちの出番って訳」


「む、いつの間に」

「それはっきり言って不審者です」

「プリンを取り返す!」


 グレンは三人娘と話している間に、自分の顔に黒い布を巻きつけ終わっていた。


 そう、"千万死満"が現われたのだ。


 なおテッサの言う通り、普通に見るとその姿は不審者のそのものであった。


 ◆


「俺の馬に何か用か?」


「っ!?」


 馬を徴収するために厩舎を訪れていた兵達は、後ろから掛けられた声に反応出来なかった。声を出すことは勿論、体すら振り向くことが不可能だったのだ。まるで、見たらその瞬間死んでしまうナニカが、背後に現れた様な反応だ。


「ないなら退いてくれ」


 しかし、そのナニカは自分から馬に近づき、彼らの視界に入ってしまった。顔に黒い布を巻きつけた死神が。そしてその死神の声には魔力があるかのように、兵士達は足を震わせながら馬の前から逃げ出していく。


「よし。出発する」


 荷馬車に馬を繋ぎ終えた死神は、厩舎の影に隠れた兵士に見送られながら、街を後にするのであった。


 ◆


「傭兵ギルドでも思ったが、何をしたのだ?」


 兵士達は気が付かなかったが、死神と、グレンと一緒に三人娘も荷馬車に乗り込んでいた。


「気当たりさ。自分の気配を大きくして相手をビビらせるんだが、慣れてるから嬢ちゃん達には当ててないぞ。気遣いに感謝してくれ」


 ルーナの問いにグレンが応える。彼女達からすればグレンは何もしていないのに、まるで竜でも現れたかのような反応をしているのだ。


「なんですかそれ。無敵じゃないですか」


「それがそうでもない」


 単なる気当たりでああも出来るのだ。テッサは無敵と表現したが、実際はそう簡単な話で無かった。


「殺してやるっていう、人間の大事な線を超えちゃってたり、戦場なんかにいて感情がパンクしてたりすると効かないんだ。つまり、街中の人間をビビらせられるだけなんだよ」


「そう都合のいい技なんかないか」


「そうとも。だから毎日欠かさず素振りだ」


「勿論だ!」


 ハンスはグレンが言う気当たりの欠点に頷きながら、毎日素振りしてやると胸を張る。


「ルーナとテッサもな」


「……妾もか?」


「私も?」


「当たり前だ。けけけけけ」


 しかし、自分の細腕をちらりと見たルーナとテッサも例外ではないようで、グレンは意地の悪い笑い声を上げながら、馬車を進めていくのであった。


「なら代わりに、妾達が落ち着いたら末端の書記官として雇ってやる」


「だっはっはっは! それなら俺は書類仕事の勉強だな! だっはっはっは!」


 全く適性のない練習をすることとなったルーナの苦し紛れの言葉であったが、後年グレンは、この時の安請け合いを後悔する事となった。

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