妙に博識な男

「おいお前」


「……」


 逃避行の真っ最中、荷馬車の中からルーナが、馬の御者をしているグレンを呼ぶ。


「おい!」


「……」


 しかしグレンはそれに反応せず、ぼけっと前を向いているだけだ。


「グレン!」


「なんだい嬢ちゃん?」


 名前を呼ばれてグレンはようやく反応を返した。ルーナからいつもいつもお前と言われている彼は、名前で呼ばれるまで無視する作戦に出たのだ。


「お前は妾達の事を嬢ちゃん呼ばわりの癖して!」


「はっはっ! 生意気なちんちくりん共は嬢ちゃんで十分。もう少し大人なナイスバディになったら名前で呼ぶさ」


 だがグレンも人の事は言えない。たまに少女達の事を名前で呼ぶが、最も口にしている呼称は嬢ちゃんであり、ルーナの怒りも当然だろう。


「貴様ー!」


「不敬です」


「貴様、ひ、じゃなかった。ルーナ様に向かって!」


「はっはっは!」


 荷馬車の隠し部屋でぎゃんぎゃん言い始めた三人を笑いながら、荷馬車を操作するグレン。


「おっと、山賊か野盗かだ。じっとしてな」


「は?」


 だが突然グレンがそんな事を言い出し、ポカンとする少女達。


「おーい、警告は一度だけって傭兵1000ヶ条にも書いてあるから言うけど、やるなら殺し合いだからな。それに藁しか積んでないから襲っても赤字だよ」


 荷馬車を置いて、少し先の草むらまで歩を進めたグレンは大声を出す。


「気づかれた!」

「やっちまえ!」

「死ね!」

「馬は傷つけるなよ!」


 突然草むらから槍が四本飛び出した。


 この付近で活動する野盗だったが、目当ては当然藁ではなく、高価で取引される馬である。特に荷馬車として訓練されている馬は、調教の手間が省けるため高価であり、野盗達にとって大金そのものだ。


「馬目当てかあ、そりゃ困る。しゃあない赤字だけどやるか」


 藁が欲しかったら少しは分けてもいいぞと言おうとしたグレンだが、荷馬車を引く馬、ハンス曰くプリンを奪われると移動手段が無くなってしまう為、動いた分赤字だ赤字とぶつくさ言いながら


「ぎゃべっ!?」

「ぎょっ!?」

「ぐびっ!?」

「びゅ!?」


 一瞬の内にその頭をメイスでカチ割った。


「金目の物……金目の物……指輪か短剣……赤字を補填しないと……」


「手伝います」

(路銀の足しにしなければ)


「おうあんがとテッサ」


 その死体をがさがさと探るグレンに、お腹の中が黒いテッサが手伝いを申し出て、早速同じように金目の物を確認していた。破裂した頭蓋を見ないようにして。


「槍はいいのか? それなりの値段で売れるんじゃ」


「ハンスもありがとさん。槍はなあ、嵩張る上ちゃんとした戦争が起こってないと需要が低いし、在庫を抱える側もスペース圧迫するから値段もいまいちなんだよ。それならどこでも需要がある短剣の方が、すぐ捌けるから値段も安定してる」


 腹黒というか逞しいハンスも同じく手伝う。


「おい。どうして二人の名前を今言った?」


 その時ルーナは、テッサとハンスの名前をグレンが言ったことに気が付いた。


「何言ってんだ。働かざる者名前を呼ぶべからず。ほら、一人余ってるからお前も金目の物を探すんだ。頼んだぞルーナ」


「き、貴様ああ!」


「不敬です」


「だからひ、じゃなかったルーナ様を!」


 わざとらしくルーナと呼ばれ彼女は顔を真っ赤にするが、側近達が自分の為に路銀を回収しているため、その本人が何もしない訳にはいかず、結局は彼女も死体から金目の物を探すこととなった。


「そういやさっき俺を呼んだのは何でだ?」


「これが終わった後の報酬の事だがもう知らん!」


「はっはっは! ちんちくりんが報酬と来た!」


「貴様!」


 まだきちんと自分達を逃がした後の報酬について、話をしていないなと思ったルーナがグレンに声を掛けたのだが、不敬極まる男の笑いに彼女は怒りの声を上げるのだった。


 ◆


 ◆


 ◆


 ◆


 ◆


 時は大きく過ぎ、現代のバンベルト王国王城、ルナーリア女王の執務室。


「国家として隣国に傭兵を派遣するか考えている。意見を聞かせてくれ」


「お伺いしましょう女王陛下」


 ルナーリア女王の執務室など、極限られた者しか入れないのだが、そこの壁にもたれ掛かっている男、グレンは癖である、メイスを回転させてキャッチをしながら、ルナーリアの言葉に耳を傾ける。


 勿論色々とおかしい。まずグレンは王国の最深部と言えるルナーリアの執務室に入れるどころか、そもそも直接御目見え出来る身分ですらない。その上しかも、メイスという武器まで提げ、壁にもたれ掛かった不遜極まる状態で、女王陛下という言葉にもどこか笑いが籠っていた。そんな狼藉者など、もし彼女の臣下が見れば、即座に剣で切り捨てるだろう。


 出来ないが。


「隣国のスーワルドだが」


「ゴタゴタしてるな」


「そう、そのゴタゴタに介入したい。いつまでも国王派と王弟派で争われては、国境が不安定化して困るのだ。それで戦後に我が国が有利な方を支援する。だが名分がない」


「ああはいはい。正規の軍を送ったら周りに角が立つから、代わりに傭兵ですって形で軍を送りたいんだな」


「いや、そこまでいかない。身元がばれたら煩いから騎士は送らず、送るのはあくまで傭兵から取り立てた者達で、後方での支援に限定させて活動させたい。前線で活動できるほどの数も周りを刺激するからな」


 ルナーリアが口にしたのは、どう考えても下民にする話ではなかった。本来それは国政であり、軍事に関わる重臣達とする会話の筈だ。


「なるほどねえ。それなら相談に乗れるな」


「向こうの大陸で似た事例が?」


「事例どころか。当事者だよ。送られた側の」


 だがこのグレンという男、王国がある大陸の隣からやって来た男であり、しかもその土地では知らぬ者がいないほどの傭兵団に所属、どころか一番の腕利きだったのだ。そのため風土や軍事的な事に関して、そこらの学者や騎士、大臣にも劣らぬどころか勝っている知識がいくつもあり、身分や立場さえ考えなければ、相談役として中々重宝する存在であった。


「所属していた傭兵団が送られたのか」


「そうそう。高度な柔軟性を維持しつつ臨機応変に対処出来る団は限られてたからな」


「結論は?」


「年寄りなだけあって経験だけはとんでもない親父でも、臨機応変じゃなくて単なる行き当たりばったりになったくらい面倒。やっぱ政治的な繊細な場所に傭兵団が単独で行っても、舐められて碌な目に会わない」


 当時の事を思い出しながらあっけらかんと話すグレン。


「なるほど」


 それにルナーリアは頷きながら続きを促す。


「扱いが良くないんだよ。送った側が何度説明しても、送られた側は正規の正面戦力が来ると思ってるんだわ。均衡を崩すために送られたんだから、それ相応の軍だってな。傭兵っていうのも名目でそういう態ね、分かってる分かってる。内外にもそう言っておくよ。は? 本当に傭兵じゃんふざけんな、忠誠心なんて期待できない奴らに、重要な情報なんて渡せるかってなる。俺ら超有名だったのにだぜ? そんで繊細な行動しないといけないのに、情報が無いのは本当に困る」


「いつの世も、苦しい時ほど希望が勝手に現実となるか」


「そ。そんで上がそういう扱いをしてたら、末端もそれに習ってお互いギスギスし始める。もうこうなったらどうしようもない。俺らはほぼ孤立無援で、補給線の警護をする羽目になった」


「それでも重要な仕事は任されたのだな」


 軍の生命線ともいえる補給だ。その経路を守るとなると、信用されていなければ任されない。筈だった。


「ところがどっこい。荷馬車の警護は任せてくれなかった。持ち逃げされると思ったんだろうな。そんでしまいには、傭兵なんだから、前線で戦えって意見が上から出始めて、実際そういうことになった」


 だが当然、国家に所属せず忠誠心が期待できない傭兵に、そんな重要な場所を守らせる筈がない。彼らはいつの間にか前線で戦う事になっていたのだ。


「ああ分かった。帰ったな?」


「その通り! 親父は俺らはあくまで後方支援のために来ているのであって、契約でもそうなってる。これは完全に契約違反だから、俺らは帰りますねって告げて帰った」


「目に浮かぶようだ」


 日頃から契約契約と煩いグレンの育て親なのだ。契約違反が発生し、それが是正されないとなると団ごとその国から撤収した。


「結果としては戦う事もなく、依頼もすぐ終わったから完全に黒字も黒字だったんだけど、親父は俺の気苦労の割にあってない。ってぶつくさ言ってたな。まあ結論として、やるなら送った側も十分な支援が必要。情報も常に送り続ける。御上同士の情報共有を常にする。そんで一番大事なのは、代表とその側近はきちんと身分のある奴、現場の判断で交渉できる権限の奴。と色々あるな」


「ふむ。名のある騎士の派遣は厳しいな。なら現時点の情勢では無理か」


 徹底的に身分階級が分けられているこの世界で、やはり傭兵が派遣された一団の代表なのが特にまずかったとグレンは分析していた。実際、これがどこぞの公爵や国王直轄で、かつ名のある騎士なら舐められることもなく、支援も無理難題も言われなかった筈だ。


「……なあ」


「うん?」


「黒字の報酬で思ったのだが……」


 話が一息つくと、ルナーリアが非常に珍しい事に、目を伏せてぼそぼそと喋る。常に威風堂々としている女王ルナーリアの姿ではない。


「あの日から妾達は、お前に十分な報酬んむぐっ!?」


 ルナーリアの心にあるのは、逃避行で出会ったあの日から、自分達は傭兵であるグレンに十分な報酬で報えているかという自問であったが、それを発した彼女の赤い唇は、グレンの口で塞がれていた。


「ぷは。うーん。こんないい女達を手に入れられるなんて、金じゃ無理な報酬だな。うんうん」


「……馬鹿」


 グレンがルナーリアから離れると、そこには唇と瞳に負けないほど顔を赤くした女の顔があった。


「……今夜は覚悟しておけ」


「そいつは怖い」


 精一杯の強がりを言うルナーリアに、グレンは昔と変わらぬ笑みを浮かべるのであった。


「それで今月の小遣いだが」


「はい。ちょっとだけ増額を……ほんのちょっとだけ……」


「さて、どうしてくれようか」


 気を取り直してニヤニヤと邪悪な笑みを浮かべるルナーリアに、最敬礼で沙汰を待つグレン。


 まさに尻に敷かれてしまっていた。

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