第12話

 僕たちが乗ったバスはホテルを後にしてドゴール空港へと向かっていた。朝の太陽の光を浴びてパリの歴史的建造物が美しく輝いていた。夕べ乗った遊覧船がセーヌ川を走っていた。セーヌ川は純白の光を反射させて眩しく輝いていた。その純白の光の中で宝石のような無数の輝きがあちらこちらで点滅していた。それはまるで夜空に夥しく輝いていた星の光を蓄えていて、今それを放っているかのような輝きであった。その宝石のような輝きにうっとりとしている間にバスはドゴール空港の近くまで来ていた。バスの車窓からドゴール空港の独特な形が目に入ってきた。

セキュリティーチェックを受けるため僕ら家族4人を含めたツアー一行は搭乗口近くのセキュリティーチェックの入口までやってきた。ツアーコンダクターは一通りの説明をした後、航空券をグループや家族の代表に渡した。僕たちが乗る飛行機の出発時刻まで2時間以上あったのでセキュリティーチェックを受けるのは1時間後くらいで大丈夫であるとのこと。免税店で買い物をしたい人はすぐにセキュリティーチェックを受けるといいとのことであった。広いラウンジの中で僕たちがいる場所から離れた方からピアノの音が聞こえていた。僕たち家族全員は免税店での買い物に興味はなかったので、ピアノの音がする方へと歩いていった。ピアノの音がするところには大きな人集りができていることがわかった。人集りの隙間からグランドピアノが見えた。グランドピアノには30歳前後に見える青年がショパンの名曲をメドレーで弾いていた。しばらく聞いているとショパンのメドレーの背後にビートルズのメドレーが潜んでいることに気づいた。人集りの中で僕たちの近くに盲導犬と一緒の盲人がいることに気づいた。彼はサングラスをかけていたが、目から流れてきた涙が頬の上で光っているのが分かった。彼以外にも涙ぐんでいる者が少なくないことが分かった。青年の演奏が終わると、空港のラウンジ全体に響くのではないかと思われるほどの拍手喝采があった。青年は自分の演奏の反応に満足して嬉しそうにセキュリティーチェックのゲートの方へ向かって歩いていった。しばらくすると溢れるばかりだった人集りはまたたくまに疎らになっていった。気がついてみるとグランドピアノの近くにいるのはあの盲人と盲導犬だけであった。盲人はいつまでもピアノから離れようとしない様子であった。兄はその盲人をじっと見ているようであった。

 気がついたら兄がピアノの椅子に座っていた。両手はすでに鍵盤の上にあった。ピアノから先程の青年が弾いていたのと同じショパンの名曲とビートルズの名曲それぞれのメドレーが融合した曲が流れてきた。先程の青年が弾いていたものとは寸分違わぬ曲のようであった。やがてその曲に徐々に兄のオリジナル曲で『天からの贈り物』が折り込まれていった。曲がクライマックスにきた頃にはショパンとビートルズの名曲はほとんど姿を消してしまっていた。ピアノから流れてくる曲はまさしく『天からの贈り物』であったが、いつも弾いている『天からの贈り物』とは別の曲であった。いつもの『天からの贈り物』は星の数ほどの無数の音からなる沈黙から始まり、数少ない音からなる旋律でクライマックスに達し、ふたたび星の数ほどの無数の音からなる沈黙で終わる曲であった。しかし今日の『天からの贈り物』には最初から最後まで沈黙と旋律が同時に存在していた。星の数ほどの無数の音からなる沈黙と虹色を彷彿させる7プラス5つの音からなる旋律が同時に存在していた。兄が曲を弾き終えた時、ピアノのまわりにはあの青年のときよりも遙かに多くの人集りができていた。そしてエンディングの残響が消えると同時に人集りからあの青年の時よりも遙かに多くの拍手喚声が沸き上がった。ピアノのすぐ近くに最初からいた盲人はサングラスを外していた。彼の目からは涙が止めどもなく流れていた。やがて彼はポケットからハンカチを取り出して目と頬の涙を拭き取った。その後、盲導犬をしばらくじっと見ていた。彼の顔には溢れんばかりの笑みがあった。彼は盲導犬のリードを掴むとセキュリティーチェックのゲートに向かって足早に歩いていった。盲導犬は最初戸惑った様子であったが、すぐに素直についていった。

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