第9話
僕たちはヒースロー空港を出るとすぐに、ツアーがチャーターしたバスに乗った。バスはロンドンの主だった観光名所をまわっていった。途中中華料理店で昼食をとった後、ウインザー城と大英博物館をたっぷりと観光した。バスは夕食の会場であるレストランへ向かっていった。僕達が入ったレストランはざっと見ただけでも100人以上は楽々入れそうな大きなレストランであった。中央にはグランドピアノが設置してあって、白髪の白人男性がディズニー音楽をメドレーで弾いているところであった。食事はツアー旅行についているよくあるようなメニューであった。生野菜中心の前菜の後メインデッシュとしてビーフステーキ、そして最後にデザートとしてケーキといった具合である。デザートを食べ終わってコーヒーか紅茶が運ばれ始めたころ初老のピアニストは演奏をやめて、マイクを手にして客に向かって話し始めた。日本人のツアー客がいるということを知ってのことか、英語で話し終えてから片言の日本語でも英語で話したことと同じ内容らしきことを話し始めた。話し終えた後レストラン内はしばらく話し声がしなくなって静かになっていたが、やがて前と同じようにみんな話し始めてまたにぎやかな状態に戻った。ピアニストはがっかりした様子でピアノの椅子に座ろうとした時、兄がピアノの方へ向かって歩いていった。彼らはしばらく言葉をかわしていた。急にはちきれそうな笑顔になったピアニストは兄にピアノの椅子に座るように合図した後、ピアノの横にある椅子に腰を下ろした。兄はピアノの椅子に座るとすぐに弾き始めた。『天からの贈り物』がレストラン全体に流れ出した。ピアノの鍵盤が創り出す無数の音がレストランの喧噪を一瞬のうちに消し去ってしまった。星の数ほどにも思えるピアノの音が繰り広げる沈黙だけが静寂の中で唯一鳴り響いていた。無数のピアノの音が数えられる程の音の集まりに向かっていくにつれてメロディーが少しずつ存在感を増していき、メロディーは少しずつその存在を見えなくしていった。演奏が終わった後、厳然として沈黙が続いていたが、やがてレストランの客があとからあとへと一人ずつ立ち上がっていき、ものすごい拍手と喚声でレストラン内は一杯になった。多くの客が目を潤ませていた。初老のピアニストは両手で涙を拭いていた。僕達のテーブルの隣に座っていた車椅子の老婦人は声を出して泣き始めた。すると彼女は突然立ち上がって拍手をし始めた。同じテーブルに座っていた老紳士は唖然とした様子で彼女を見ていた。
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