第8話

 自分の座席へ戻ると2人の中国人の大学生がIBMのノートパソコンを取り出してゲームをしていた。離陸の時、僕が座席に座って数分後位で彼らは乗り込んで来たのであるが、彼らは席に座ると、いきなり僕に英語で話しかけてきた。僕の英語力はお粗末なものであるが、彼らがネイティブスピーカーでないことぐらいは分かった。我々の貧弱な英語を補ってくれたものは漢字であった。彼らは自分たちの英語力で表現できないときは、メモ用紙を取り出して、そこに漢字を書いて伝えようとした。日本人と中国人はお互いにこういうときは便利であると思った。このようなやりとりで分かったことは、次のようなこと

であった。彼らは上海出身で、オーストラリアの留学生である。休暇のため上海に帰る途中なのであるが、日本とヨーロッパを旅しながら帰るということであった。彼らが言うには中国では上海や北京のような都市部に住む中国人は移動することが可能であるが、農村部の住民は困難であるということであった。彼らがパソコンでプレーしていたゲームはテロリストゲームなるもので画面上に町の廃墟のようなものが映し出されていて、建物の物陰から機関銃を持ったテロリストらしき者たちがもぐらたたきのごとく現れてこっちに向かって撃ってくる。画面手前にはプレーヤーの機関銃が映っており、そこからテロリストらしき者に向かった銃が発射されるという何とも暴力的なゲームである。9.11のことがあったからアメリカではなくオーストラリアを留学先に選んだというのである。テロリストゲームをしながらそんなことを言うのである。ゲームの後日本のアニメを見ていた。彼らのノートパソコンの中には日本のアニメや日本のポップミュージックなるものがたくさん入っていた。フォルダーの中身を見せながらこれらがみなネットからダウンロードしたということを言っていた。彼らがノートパソコンを買った中国の店ではソフトをいくらでもインストールしてくれるということだ。何ともコンピュータ無法地帯中国というところか。

 そのうちパソコンのバッテリーが切れたらしく、カバンの中へパソコンを戻して、座席前にある端末で映画などを見始めていた。僕も自分の前にある端末で映画を見始めた。やがて機内食が運ばれてきた。食事が終わると、突然抗うことのできない睡魔に襲われた。機内食や飲み物のサービスの度に目が覚めて、ふたたび映画を見始めたが最後まで満足に見られた映画は一本もなかった。いつの間にか深い眠りに落ち入った。

 シートベルト装着のアナウンスで目が覚めた。前面のスクリーンには上空から撮られたロンドンの町並みが映し出されていた。いよいよ僕が恐れていた時間が近づいてきた。着陸する瞬間は離陸する瞬間の何倍も嫌いであった。僕は自分のシートベルトの締まり具合を異常なくらい何度も確認した。手の平が冷や汗でびっしょりぬれているのを感じた。僕は枕を膝の上に置いて枕に顔をつけた。後頭部で両手を組んでいると体中が少しずつ震え始めてくるのを感じた。その震えがますます大きくなっていくのを感じた。その震えは止まらなかった。機体が少しずつ下へ向かっていくのを感じた。耳鳴りがし始めた。耳の痛みを同時に感じ始めた。近くの乗客の声が聞こえなくなり、遠くの乗客の声が聞こえ始めた。機体が着陸したことを知らせるように突然振動が伝わってきた。その瞬間震えが止まった。顔を上げて前面のスクリーンを見ると機体が滑走路を走っているのが分かった。

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