狂気:前編

 数日後の早朝。勘助はスーツに着替え仕事の準備をしていた。表向きは家政婦である椿の用意した食事を食べコーヒーを楽しんでいた。

 優人はまだ起きていない。この家で起きているのは二人きりだ。


「さてと。ではそろそろ出る」


「…………」


 席を立った勘助に椿はジャケットを渡す。


「二三日は向こうの仕事だ。その間、家と優人の事は任せた」


「かしこまりました…………あ」


「どうした?」


「いえ。汚れかと思いましたが、気のせいでした」


「そうか。では行ってくる」


 家を出る勘助に深々と頭を下げ見送る。扉が閉まる音が家の中に響き、ゆっくりと顔を上げた。


「ハエがたかるとは……汚物に相応しいな」


 吐き捨てるように言った。誰にも聞こえないような声で。

 だが彼女は気付かなかった。そのハエが何なのかを。それがこの先、何をおこすのかを。







 勘助は外に停まっていた車に乗り何処かへと向かう。部下が運転する車は街中から高速道路に、そこから長い距離を走り続ける。

 次第に建物は少なくなり、緑が増え山の中へと景色を変えていく。

 どれだけの距離を走っただろうか。二時間は経過し、すっかり都会から離れた山奥まで来ている。

 木々に隠れた先に建てられた一軒の建物。窓の一つも無い鋼鉄の箱のようだ。

 厳重な門を越え車は建物の前に着くと、地面が隆起し入り口が現れる。本来の場所は地下だ。

 車から降りたその先は真っ白な廊下だった。まるで病院か研究所のような場所。清潔感よりも潔癖さを感じる異様な白さだ。

 車を運転していた部下を連れ勘助は廊下を歩く。すると前方から声が聞こえる。


「あークッソ。お気に入りが生産体制に入っちまったんだよ。次どうするかな……」


「じゃあ先週捕獲したイグアナはどうだ? 歳も十六だし楽しめるだろ」


「ガキはちょっとな。それよりも哺乳類型の方が好きなんだよ。冷え性だからさ、人間より体温高いと具合が良いんだ」


 白衣を着た二人の男が歩いてくる。彼らを見ると勘助はにこやかに声をかける。


「おはよう諸君」


「あ、おはようございます所長」


「おはようございます」


 緊張したような面持ちで二人は立ち止まり一礼する。


「工場での生産かな。君達にはもっと頑張ってもらわないとね」


「いえ、これも仕事ですから。本当に上にやりがいがあります」


「そうですよ。こんな仕事、外には無いですから。贅沢を言うなら、もっとやる気が出るようなのが入ると嬉しいんですがね」


「馬鹿、そんなん人気が出て直ぐに生産体制に入っちまうだろ」


 二人は笑っている。いや、嗤っていた。とても下品かつ醜い笑顔で。


「結構。生産数も足りないからねぇ。もっと頑張ってくれ」


「はい!」


「喜んで」


 男達に手を振り勘助は再び歩き出す。彼が向かった先はとても広い部屋だった。

 まるで管制室のような部屋だ。正面には広大なモニターが設置され多くの職員が忙しそうに作業をしている。


「おはようございます所長……」


 部屋に入った時、一人の男が勘助に気付く。小柄で小太りした中年の男だ。三白眼にしゃくれた顎とお世辞にも整っているとは言えない顔立ちだった。

 勘助は彼を蔑むような冷たい目で見下ろし、自分の席に座る。


「おはよう山崎君。私の不在の間は問題は無かったかな?」


「…………何も。工場も順調です」


「うむ。君にはいつも助かっているよ。流石だな」


「副所長ですから」


「後はその醜い面さえどうにかなれば、素晴らしい人材なんだがね」


 山崎は悲しそうに目をそらし俯く。


「フフフ、そんな顔をするな。ここなら君は輝けるだろ。外は君を見ようとしない、私だけが君を評価しているのだからね」


「ありがとう……ございます」


 二人の力関係は明白だ。所長と副所長の立場だけではない。もっと根本的な所で支配しているように見える。

 彼らの話しは突如聞こえた女性の悲鳴に止められる。

 見ると画面に若い女性が襲われている映像が流れていた。どこかの部屋に女性が腰を抜かしたまま必死に逃げようとしている。そんな彼女を襲っていたのはタコ型のアンフォーギヴンだ。彼の腰にはヴィランユニットが巻かれている。


「……そうか、今日は撮影だったな。前回はムカデ型だったが、また節足動物か?」


「い、いえ。すす、スポンサーから本物の触手ものが見たいと依頼されまして。で、あのタコ型が選別されました」


 楽しそうに見る勘助と違い、山崎は青ざめ画面を直視出来ない。二人だけでなく他の職員も画面を見るが、彼らはみな笑っていた。


『やだ、来ないで!』


『…………』


 ゆっくりとした足取りで怪人となった男性は女性に近づく。しかし彼は手を伸ばせば届く距離なのに動くのを躊躇っている。


『……ダメだ。俺には出来ない』


 女性を襲う事を拒絶していた。そんな彼の様子を職員達は望んでいない。一人の職員がマイクを取った。


『困るなぁ。タコ人間がご希望なのに、君がやる気になってくれないと撮影が進まないじゃないか。彼女が問題なのか? どんな女が好みなんだ』


『違う! 女性を強引になんて出来るか! 俺には妻も娘もいるんだ。そんなクズみたいな事を……』


 彼の言い分は尤もだ。ましてや妻子を持つ男性が女性を暴行するなんて真似が出来るはずがない。

 しかし職員からすれば、それはあってはならない。


『へぇ、断るのか? なら君の娘が彼女の代わりになっても良いのかな。いや、娘のような小さな女の子と遊びたいって依頼もあったなぁ』


『…………なっ!?』


 娘を人質にされ男性は震え出す。怒りと恐怖に目が揺れていた。


『待て! 頼む、娘には手を出すな!』


『ならこちらの指示に従え。それに悪い事じゃないだろ。可愛い娘に弟や妹をプレゼントしてやると思えばね』


『…………っ』


 画面の中で女性の顔が青ざめる。


『嫌……止めて……』


 彼女に求められているのは、このタコ怪人に蹂躙されその子を産む事だ。事情を知らず、友人がアンフォーギヴンであったせいで人質として拐われただけ。

 背中から四本の触手を伸ばしながら異形のタコ怪人が迫る。


『すまない』


 彼は目に涙を浮かべる。自身の罪を、彼女を地獄へと叩き落とさねばならない事が苦しい。

 画面から響く悲鳴。それを職員達は笑って見ていた。女性が助けを求める度に男性を囃し立て、泣き叫ぶ姿を楽しんでいる。


「う……ぐっ……」


 そんな狂気に飲まれた世界で、山崎だけは違った。彼女の惨状に今にも吐きそうになっている。


「……全く、金持ちの考えは理解不能だな。こんなくだらない、化け物の交尾が見たいとは。だが……」


 勘助も頬をゆるませる。暗く醜悪な笑顔で。


「怪人を作る事すらビジネスになるとはな。アンフォーギヴンの小娘と遊びたがる者もいれば、ショーを楽しむ者もいる。愚かだが助かるよ。優人の為にね」


「…………」


 山崎の怯えるような視線にも気付かず、うっとりとしながらデスクに置かれた写真、幼い頃の優人が写った写真を取る。


「怪人を作りヒーローが倒す。そして優人は英雄として称えられる。最高だ。やはり私の息子こそ世界の中心、現し世の主人公だ……!」


 この施設こそ零次が、ノアが探していた場所。アンフォーギヴンを誘拐し繁殖させ、怪人として死地においやる黒幕の居城。

 その悪魔こそ熱海勘助。彼こそこの戦いの元凶だった。

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