朝となって

 翌朝、零次は奇妙な感覚に目を覚ます。いつもの安いアパートの自室。迎える朝もいつもの風景のはずだった。

 違ったのは匂いだ。焼けたパンの匂いがする。それにフライパンを熱する音もだ。


「…………?」


 零次は料理が出来ない。食事はスーパーの総菜を買い米を炊く程度。時折熱海家や五反田家にご馳走になるが、アームズブレイヴァーを解雇されてからは全くだ。その為、この家に調理器具なんか置いてないはず。

 布団から出て隣の部屋、居間の方に向かう。

 襖を開けるとちゃぶ台に肘を着いてテレビを見るラン、その奥でエプロン姿のノアがいた。


「……………………お前らまた勝手に入ったのか」


「おはようお兄ちゃん。ご飯もうすぐできるからね」


「話し聞けよ……」


 呆れながらも仕方ないと諦めるようにため息をつく。時空を移動する力を持つノアからすれば、家の扉なんて無いようなもの。諌めた所で無意味だろう。


「ハァ。ランもおはよう」


「おはよ。しっかし何も無い部屋ね。ノアがわざわざあっちの地球から道具持ってきたのよ」


「うるせぇ」


 料理をしない事は瑠莉から何度も注意されている。しかし苦手なものは苦手だ。料理が出来ずとも生きてはいける。


「はいはい、喧嘩しないの。とりあえずご飯たよ。私達もこれからこっちの地球で調べ物があるから、朝食はしっかりとね」


 ランはまだ何か言いたげに零次を睨むも、料理が出されると態度を一変させる。

 トーストにスクランブルエッグ、そしてコーンスープと簡素な朝食だ。

 嬉しかった、温かかった。簡素とはいえ久しぶりの手料理は心にしみる。

 もう何年も一人だった。頼れる親族はいない。けど今は従妹が、祖父がいる。そう思うと自然と笑ってしまいそうになる。


 楽しい時間はすぐに過ぎてしまう。零次は急いで学校の準備をし外に出る。

 いつものように優人の家の前に行くと珍しい光景があった。


「あれ? 広瀬と伊集院……珍しいね。家、逆方向じゃん」


「ええ……ちょっと、ね?」


「まあな」


 ニヤニヤとお互い顔を見合せる。その様子に零次は首を傾げる。

 普段は学校に着いてから会う二人に挟まれる優人。そして少し離れた場所で瑠莉が大きく欠伸をしていた。


「瑠莉も眠そうだな」


「まあね…………って、どうしたの零次その手」


 零次の右手に包帯が巻かれている事に気付く。当然本当の事は言えない。君の槍で怪我をしたなんて。


「あー、ちょっと転んで切った。大したことないから」


「そう……」


 眠気は吹っ飛んだのか顔色も変わる。そんな彼女に早苗は耳打ちした。


「もしかして聞こえてました?」


 瑠莉の顔が強張る。おそらく彼女は解って言っているのだ。


「…………おかげさまで。まぁ、寝れなかったから調べ物する時間は作れたけど」


「まぁ、そんな無粋な事なんかしないでこっちにいらしたら良かったのに。わたくしも真美さんも歓迎しましたよ」


 この女は何を言っているのだろうか。ぶっ飛んだ言動に瑠莉も目が点になる。脳が再起動すると早苗の言いたい事を察し、怒りとも侮蔑とも言えぬ感情が沸き上がる。


「私はそういう趣味は無い。そもそも優人に恋愛感情が無いんだから行かないって。早苗達が好きなようにしてなさいよ」


 きっぱりと断った。友情以外の感情を抱いていないのだから当然だ。しかし早苗は憐れむような視線を瑠莉に向ける。


「瑠莉さん、一度精神科医に診ていただいた方が良いかと。良いお医者様を紹介しますよ」


「余計なお世話だって! 寧ろおかしいのはあんた達でしょ!」


 思わず叫んでしまい視線が瑠莉に集まる。何事かと彼女を見る奇異の目が突き刺さった。


「…………気にしないで」


 イライラするようにそっぽを向いてしまう。

 彼女の様子に事態を理解していない優人は笑い、真美も釣られて笑おうとしたが零次の後ろにいるノア達に気付く。


「ん? そういや矢田の後ろにいるやつ。もしかして優人が言ってた矢田の親戚か?」


「はじめまして、矢田ノアです。彼女は私の友達の魚岸ランです」


 ノアはにこやかに挨拶し、ランは口を閉ざし一瞥するだけ。ランはあからさまだったが、ノアも内心穏やかではない。いくら利用されているとはいえ、アームズブレイヴァーそのものに遺恨はある。

 彼女達も被害者だと自分に言い聞かせ、表面だけは平然としていた。


「ふぅん。あたしは広瀬真美」


「伊集院早苗です」


 二人も挨拶をするが、彼女達の目は値踏みするようだった。足の先から頭のてっぺんまでじろじろと。

 そうしていると瑠莉はある事に気付く。二人は零次と一緒に部屋から出てきた事を。そして昨晩の出来事がフラッシュバックする。


「……ねぇ零次。もしかして…………彼女達泊まってたの?」


 凄く嫌な予感だった。まさか零次までなのかと。


「え、いや……」


「そうですよー、私は泊まってました」


 零次は勿論否定しようとしたが、ノアが割り込む。ニヤニヤと意地の悪い笑みを浮かべながら、瑠莉が何を想像しているのかを理解しているようだ。


「え……」


 ショックを受ける瑠莉。そんな様子にノアは詰め寄る。


「あれあれー? 何を想像してるんですかぁ? 私とお兄ちゃんは血縁者、従兄妹同士ですよ。それに父が双子ですから、ぶっちゃけ母親違いの兄妹ってレベルなんですから。何か問題あります? 親戚の家で泊まって」


「…………!」


 挑発するような、小馬鹿にするやうな物言いに少し苛立つが、ノアの言葉に冷静さを取り戻す。


「そ、そうね。親戚なんだから問題無いわよね。私ったら何考えてたのかしら」


 苦笑いをしながら頭を抱える。昨晩の衝撃的な出来事、具体的に言うと隣の三人のせいだと内心悪態をつく。


「ハハハ、親戚同士仲が良くていーじゃん。零次の事、頼むぜ。こいつ、家族を失くして長いからさ」


「……ええ、勿論」


 複雑そうにノアは笑う。

 アームズレッドである事が残念だった。もし違うなら、零次の事を気に掛けてくれる素敵な友人だと思って仲良くなれただろうと。


「あ、そういえば今度の日曜、うちでホームパーティーするんだけど零次達も来ないか?」


 思い出したように手を叩く。優人の申し出にノアとランの目付きが変わる。

 今一番疑わしい、何かしらの鍵を握っていると考えられるのは優人の父、アームズブレイヴァーの司令官である熱海勘助だ。彼に接触するまたとないチャンスに大きく反応する。


「…………そうですね、是非とも。ね、ラン?」


「うん」


「そうだな。みんなで行こうか」


 頷く二人の様子に零次も不安そうに視線を下げる。彼女達が何を考えているのか知っているからだ。そして何より、零次は勘助を信じたい。大切な幼なじみの父を、地球を守ろうとした仲間として。


「じゃあ私達はここで。行こうラン」


「失礼します」


 二人は零次達とは別の方角へと歩き出す。それと同時に零次達も高校へと向かった。

 ただ零次は気付かなかった。ゆっくりとノア達を追跡する黒いバンとすれ違った事に。

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