ハリボテの日常

 ピピピと聞こえるのはスマホの電子音。目覚ましが鳴り、布団の中から手を伸ばし止める。

 小さなアパートの一室。その部屋の主が布団から這い出した。

 くしゃくしゃの癖毛の少年、零次が大きく欠伸をする。

 彼は気だるそうに洗面所で顔を洗って居間に向かう。そこに彼以外の人影はいない。

 零次の両親は数年前に亡くなっている。この家には彼一人だ。

 他に頼れる親族のいない彼を支えていたのが優人と瑠莉、その家族達。幼なじみである彼らの支援、そしてアームズブレイヴァーとしての仕事。それらがあってこそ生活が成り立っていた。

 それも今は過去。数日前解雇を言い渡されたのだ。

 零次はいつものようにインスタントコーヒーを入れネットニュースを見る。自分の……アームズブラック引退の記事を開いた。

 何度見ただろうか。怪我による引退と書かれているが、実際は一方的な解雇。同意したとはいえ、心に引っ掛かるものがある。

 世間の目も冷たいものだ。


『こいつ弱いし、実際はクビじゃね?』


『だよな。ぶっちゃけいなくても変わらないし』


『新しいメンバー入るのかな?』


『てか完全にレッドのハーレムじゃん』


 ブラックの引退を惜しむ声は殆ど見られない。それもそうだ。弱く足手まといなのは自覚している。今回の件も受け入れている。

 そう思っていても、心の奥底では諦めたくない気持ちもあった。

 しかし今更異を唱えた所でもう遅い。大人しく引っ込むのが懸命だろう。

 零次は軽く朝食をすませ学校の制服、紺色のブレザーに袖を通した。

 解雇を告げられてから初めての通学。塞ぎ混んでいたのもあるが、それ以上に学校に行きに難い理由がある。


 アパートの外に出た瞬間、再び心に重りがのしかかった。


「おはよう零次」


「今日は学校行くんだろ? 待ってたんだからな」


 瑠莉と優人が待っていた。二人はアパートの向かい側に建てられた二軒の一軒家にそれぞれ住んでいる。

 二人の笑顔が痛い。自分だけが……そう思うと申し訳なくなってくる。


「おはよう。だいぶ吹っ切れたからさ、今日から学校…………いや、一般人生活に戻るよ」


「ああ、安心しろ。地球も、零次も俺達が守るからな」


 優人が肩を組んでくる。少し重いが嫌じゃない。瑠莉も微笑みながら頷く姿に、暗い気持ちも和らいでいくようだ。


「ほら学校行こう。休んでいた間のノートも見せてあげるからさ」


 そうして瑠莉に急かされ三人は学校へと向かう。もう何年もこの光景と過ごしてきたのだろうか。三人で幼い頃からずっと、いつも一緒にいた。

 アームズブレイヴァーに選ばれた時もだ。三人で一緒に地球を守ろうと意気込んでいた。でももう終わり、今は幻だ。


「……なあ優人」


「どうした?」


「後は任せた」


「当たり前だ。俺が守ってやるからな」


 優人も歩きながら笑顔で応える。

 これからの自分は、例えるならそう……ただの脇役だ。世界の危機に立ち向かう主人公達、彼らが帰るべき日常。その象徴となれば良い。優人と瑠莉の行く道を見送り応援する。そんな存在でいれば良いのだ。

 二人の顔を見ていると自然と受け入れられてくる。


(やっぱり、俺なんかいない方が良いんだ。俺は二人に添える飾りでいれば……)


 基本的口数が少なく暗いイメージを持たれるも、整った顔立ちに抜群のプロポーション、瑠莉に好意を抱く男子生徒は少なくない。

 それに優人もだ。何度も芸能事務所からスカウトが来るような男。その上真美と早苗は確実に優人に好意を抱いている。

 この二人が結ばれるなら、これ程嬉しい事は無い。


 そんな事を考えながら三人は学校へ到着する。他の生徒達に混ざる彼らを二つの人影が教室の窓から眺めていた。


「あーうっざ。矢田のやつ学校に来てんじゃん」


 寄りかかりながら真美は悪態をつく。その小さな身体に見合わぬ鋭い眼光で零次を睨みながら。


「ご近所ですし、彼も凡人となれば学校に通うのが道理ですよ。矢田さんのような雑兵にも価値はあります。今後も優人様の素晴らしさを映す鏡として役立っていただかねばなりません」


 真っ直ぐと姿勢を正し、丁寧な口調ながらも早苗は零次を見下している。


「しかし瑠莉さんも何であんな無能な方に気遣っているのでしょうか? わたくし達より前から優人様と一緒にいたのに、全然惚れた素振りを見せませんね」


「ハッ。矢田は手の掛かる駄目な弟って感じじゃねぇか? てか聞いたか、矢田の後任の事」


 早苗は目を細める。


「ええ、伺っております。司れ……お義父様から。何でも熱海家で家政婦をされてる女子大生だとか」


「ババァかよ。けど良いのか? 半分同居しているような奴だぜ。盗られちまうんじゃ?」


 恋敵の存在を仄めかしながらも真美は余裕の笑みを崩さない。自分が勝つと確信しているのか、それとも気にしていないのか。それは早苗も同じ様子だ。


「英雄色を好むと言います。わたくしや真美さんを魅了する、優人様の魅力を理解する同志が増えるのは悪い事ではありませんよ」


「だな。優人みたいな強くてイケメンな男、二人といないし」


「矢田さんのような下等生物にすら慈愛の心を持ち、命懸けで地球を守らんとする崇高な精神。ええ、正に人類の宝、真の英雄です」


 うっとりするように空を見上げ、真美も同感と激しく首を縦に振る。

 恋敵なんてものは存在しない。優人に恋い焦がれるのは常識であり、魅力を理解しないのは悪なのだ。

 そんな盲目的な恋心を抱いているからこそ、零次の事も妥協できた。優人の優しさ、強さを魅せる道具としてなら価値がある。

 踏み台として。

 彼女達がどう思っているのか零次は知らない。今しがた話していた内容を知る事は無い。

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