小説療法

尾八原ジュージ

過文症

 過文症かぶんしょうです、と医者は言った。こんなに放っておくひとも珍しい、と呆れたように付け加えた。

 ぼくは頭を抱えていた。医師の口から出た「過文症です」という音声が文字となり、頭の中で早くも膨らんでみちみちと音をたて、ひどい頭痛と目眩がした。

 過文症は、投薬でゆっくり治すしかないという。すぐさま入院が決まり、報せを受けた母が、ぶつぶつ文句を言いながら荷物を持ってきてくれた。母の「あんた大丈夫なの?」という言葉すら、頭の中で膨張してみちみち言うので、ぼくにはうなずくのがせいいっぱいだった。母は眉をしかめ、無言で手を振って帰っていった。

 病室にあるありとあらゆるものが、ぼくの頭に文字を流し込んできた。これがまったくひどいもので、たとえばカーテンを見るだけで「カーテン」という単語が脳に滑り込んできて膨張し、頭が割れそうに痛むのだ。ぼくは元々ひどい頭痛持ちなので、この症状が過文症の典型的なものだと気付くのにずいぶん時間がかかってしまった。その結果ここまで重症化させてしまったのだ。

 ぼくは目を閉じた。「目を閉じる」という行為すらも言葉となり、文字となって頭の中で膨らみ始めた。地獄だった。

 ベッドの中で丸くなって耐えていると、看護師がやってきた。彼女はぼくにラップトップを差し出し、「小説を書きましょう」と言った。

 過文症の症状を緩和するために小説を書く、そういう対症療法があるということは知っていた。だが、それが本当に病院で採用されているとは思わなかった。カーテンを見てさえ頭が痛くなる人間に、自ら言葉を紡げというのだ。そんなことをしたら、ますます病状が悪化するのではないだろうか?

「試してください。文字が頭から出ていきますよ」

 看護師はそう言い残して、病室から出ていった。

 ともかく言われたとおりにしよう。縋るような思いでぼくはラップトップの画面を見た。大手小説投稿サイトの編集画面だった。治療用のアカウントが、あらかじめ作成されているらしい。

 小説療法は孤独にやるより、他人に読まれることを意識した方が、より高い効果が期待できるという。だからこうしてわざわざネット上に公開するのだろう。

 さて、とりあえず書きだしてみると、意外にこれは有効な方法らしいということがわかってきた。ぼくの頭の中に溜まってぎちぎちになっていた文字たちが、画面を文字で埋めていくにつれてスーッと頭から抜けていき、みるみるうちに頭痛が軽くなっていく。

 しかし、果たしてこういうものを小説と呼べるのだろうか? ギチギチに詰まった文字を頭の中から掻き出すように、思いつく単語や文章をほぼランダムに書き散らしているだけだというのに――。虚空に文字をまき散らすような気分でひたすらキーボードを叩いていると、一時間ほどしてさっきの看護師が戻ってきた。ぼくの表情を見ると、看護師はほっとしたように微笑んだ。

「効果あったみたいですね。よかったらタグ使ってください。閲覧数が増えるかもしれないので」

 なるほど、「#過文症治療中」というタグを辿ってみると、ほかの患者が書いたと思しき文章がいくつかヒットした。読みはしなかったが、同じような病状のひとが結構いるらしいということはわかった。

 こうして、ぼくは入院中、せっせと「小説」を書くことになった。タイトルは書いた日の日付にした。頭の中にぎちぎち詰まったものをでたらめに吐き出しただけのぼくの文章には、初日に100を超えるPVがつき、思っていたよりも読まれているらしいということがわかった。コメントもついていたが、頭の中でみちみちと膨らんでしまうから読むことはできない。好意的なものだといいなと思いながら、ただ書くだけだ。

「過文症の患者さんが書く小説を愛好するひとって、結構いるんです」

 看護師は言う。ぼくの担当で、長島さんという二十代後半のすらっとした女性だ。「私も下村さんの読んでますよ。今日のは特に、とてもよかったです」

 きれいな女性から、自分が作ったものを褒められて悪い気はしない。が、これ以上の会話はできない。長島さんはさっと病室を出ていく。彼女の残した言葉がさっそくみちみちと膨らみ始め、ぼくはそれを吐き出すためにキーボードを叩く。今日は雨から風に吹き荒れて窓の外の栗の木は楓の紅葉から下に鳥の巣のような変わった花の色を引きずっていました。看護師の制服の背中の水色の十一月の庭先の大きな音をたてる二層式洗濯機。金魚を飼っていた昔の庭の小さなほとりに烏が卵を産んで川上に登っていく山は霞んでいて泣けました。

 こうやって文章を紡いでいる間はとても楽だ。パンパンの風船に小さな穴が空いて、そこから空気がシューッと漏れ出していく、そんな気がする。ついでにそれを長島さんがほめてくれると、フワーッと頭が軽くなるのだ。

 こんな生活がずっと続けばいいのに。ぼくはふと、そんなことを思ってしまう。


 もちろんそんなうまい話はない。入院から二週間を過ぎた頃、投薬が効き始めたのか、症状がみるみるうちに軽くなっていった。

 ぼくはようやく長島さんと、まとまった会話を交わすことができるようになった。ひさしぶりのまともなおしゃべりは楽しかった。両親ともようやく連絡がとれるようになった。

 代わりに、小説を書くことができなくなっていった。ぎちぎちに詰まった脳から言葉が漏れ出してくるような、あの感覚がだんだん失われつつあった。頭痛が比較的軽いときに、あえて何か書こうと思ってラップトップに向かってみても、途方に暮れて終わってしまうことが増えた。

「それは病状が回復してらっしゃるんですよ。よかったですね」

 長島さんの話す声は澄んでいて、会話のテンポも心地よい。彼女と普通に話せるようになってきたことが、ぼくは嬉しかった。

 だが、彼女が小説を褒めてくれる機会はどんどん少なくなっていった。ぼくの小説を「とてもよかった」と言ってくれた彼女に、ぼくは小説を読ませることができなくなっていく。

 もちろん、わかってはいる。長島さんはぼくのことが特別好きだから小説を読んでくれたわけではないし、ぼくに文才があったわけでもない。ただの医療行為だったのだ。あの耐えがたい苦痛を和らげるためだけに、「作者」と「読者」という関係がほんの一時作られた。それだけだ。

「下村さん、退院が決まりましたよ」

 ある日、主治医がぼくに告げた。

 ぼくは喜んでみせた。もう頭痛はほとんど感じられなくなっていたし、あふれ出てくる言葉もなかった。「下村さん、退院が決まりましたよ」という医師の台詞は、もう頭の中でぎちぎちに膨らむことはなかった。それは実際、本当に喜ばしいことのはずだった。

 それなのに、胸に穴が空いたようなこの気持ちは何なのだろう。

「過文症が完治したあとも小説を書き続けるひとって、結構いるらしいですよ」

 退院の日、長島さんがぼくにそう言った。

「治療法だと思って書いているうちに、くせになっちゃうことがあるみたいです」

「へぇ、そうなんですか」

 治療中についたPVを改めて確認させてもらった。症状が軽くなるにつれてどんどん数字が小さくなっている。「わかりやすいなぁ」と呟くと、長島さんは「ふふっ」と笑った。

「こんなこと言ったらいけないんですけど、ちょっぴり残念です。私、本当に下村さんの小説が好きだったんですよ」

「そんな……」

 何と返したらいいのかわからなくなって、ぼくは曖昧な笑みを浮かべる。「それはその、残念ですね。もう治ってしまった」

「はい。でも、それが一番です」

 そう、そのはずなのだ。

 ぼくは荷物をまとめ、なじみ深い病室を後にした。病院を出るとき、長島さんはエントランスで手を振ってくれた。ぼくは頭を下げた。

 ひさしぶりに帰宅したぼくは、自宅のデスクトップの電源を点けた。治療に使っていた小説サイトを立ち上げると、そこに新しく自分のアカウントを作成した。

 見慣れたはずの編集画面を開いてみたが、そこに書くべきことは何も見つからなかった。真っ白な画面を前に、ぼくはいつまでも途方に暮れていた。

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