エンドロールのその先

彼女は慕う

「お義母さん、洗濯物ここに置いておきますね」

「ええ、ありがとう」

 教育係を引退し優れない私の体調を気遣って、息子夫婦と共に田舎のほうへ引っ越した。首都から離れてしまったけれどストラス国の領土内であるこの地で、狩人として働いている息子とその妻は本当によくやってくれている。一時はしっかりしない息子を憂いたけれど、人を見る目だけはしっかりとしていた。

 狩りに出ている息子の代わりに継娘がせっせと家の中で働いている。私も手伝ってあげたいのだけれど歳を取ったせいもあるのか、以前以上に身体が動かなくなっていた。今もロッキングチェアに腰を下ろし邪魔にならないよう本を読むだけ。

 こうして田舎に住むようになり窓から景色を眺めながら、ふと、あの頃のことを思い出す。最後に受け持っていたふたりの姉妹。正反対で一筋縄ではいかなかったけれど、貴族の令嬢として鍛えなければと心を鬼にしながら教えていた。片や、家のためにと弱音を吐かず自分を殺してでも必死で勉学に励んでいた姉。片や、我が儘を言いながらもそれでもいつもにこにことしていた妹。

 本来なら姉妹ふたりで遊ぶ時間があってもよかったはずなのに、主の言葉で引き裂かれた姉妹。あの姉妹はあのあと、しっかりと仲良くできたのだろうか。

 いや、きっとできなかったのだろう。そうでなければ姉が行方不明だなんて噂が流れなかったはずだ。

 とても危惧していた。果たして本当に行方不明なのだろうか。あの当主は姉のことをよく思ってはいなかった。見放し、教育さえも放置し、いない者として扱った。もしや行方不明などではなく、本当は……そう思うと眠れぬ夜も多くなった。

「……駄目ね、歳を取ると消極的なことばかり考えてしまう」

 ふるりと小さく頭を左右に振った。よかれと思い、厳しく教えたけれどそれがあの子たちのためになったのかはわからない。特に、姉のほうは。とても努力家で勤勉だったあの子を一度も褒めることはなかった。親の愛情を受け取れず寂しい思いをしていたにも関わらず、それを知っていたにも関わらず。厳しく接することが、厳しい社交界で生きるあの子のためと思って。

 コンコン、とどこか遠慮げにノックが鳴らされる。身体の弱った老人に遠慮することなんてないだろうに、と苦笑交じりに返事をすればゆっくりと開かれる扉。

「お義母さん、ちょっといいかしら」

「何かしら」

「お義母さんにお客様が来ているのだけれど」

「お客様?」

 はて、と首を傾げる。田舎に引っ込んでから私に客が来たことはない。最後に務めた屋敷の人間たちとも外に出れば繋がりはぷつりと切れた。

「お通しして」

 こんな身体だし継娘が心配するのはわかる、けれど一体誰なのか会ってみないことにはわからない。一応会うことを決めそう伝えると、継娘は小さく頷いて客人の迎えに行く。膝に乗せていた本をパタンと閉じ、ロッキングチェアを揺らしながら足音に耳を傾けた。ひとりは継娘の、そして……客人はふたりかしら。歩幅の違う音が一緒に向かってきている。

「お義母さん」

「ありがとう。お茶の準備をお願い」

 万が一のためにも、この子だけは安全な場所にいさせないと。その気持ちが伝わったのか戸惑っている継娘にゆるく微笑みを向け部屋から出て行くように催促する。そして、入れ違うように入ってきた頭まですっぽり隠しているローブ姿の人物に視線を向ける。

「ごめんなさいね、こんな格好で。身体があまり言うことを聞かなくて」

「いいえ」

 声は澄んでいて、顔が見えなくても女性だということはわかった。一歩前に踏み出したその女性はゆっくりとフードを外していく。ふわりと、レグホーンの短い髪が揺れた。

「私のこと覚えているかしら、アネット」

 ターコイズの瞳が小さく細められ美しい笑みを浮かべる。目を見張り口は意図せずぱかりと開いた。知っている姿よりも随分と大人びている。淑女の嗜みとして長く伸ばされた髪ではない、白く透けるような色ではなく健康的に焼けている肌、細く頼りのない小さかった身体は立派に成長している。

 想像していた姿ではなかったけれど、見間違うわけがなかった。

「ソフィア様……!」

「ごめんなさい、アネット。あなたの教えをすべて無駄にしたわ。その名前をもう捨てているの」

 立ち上がって迎え入れたいのに、悔しいことにその力が湧いてこない。それでも手を伸ばそうとしている私にソフィア様はロッキングチェアに歩み寄り屈み込む。そう、初めて会ったときはこのくらい小さかった。小さかった子が、今は身体を縮こませて私を見上げている。

 触れられた手は細く白い手ではなかった、節くれ立っていて手の皮は厚い。爪もしっかりと切り揃えられていて小さなささくれが見えた。今何をしているのかわからないけれどしっかりとした働き者の手だ。その手から伝わるぬくもりがじんわりと老いた身体に広がっていくようだった。

 その手をゆるく撫で、そして顔へ持っていく。ほんの僅かに変色している右頬、目の下には何かの切り傷が残っている。

「女性が顔に傷など……」

「ごめんなさい、説明すると長くなるのよ」

 苦笑してみせた顔はあの頃よりもずっと柔らかくなっている。ふと、視線をソフィア様から外しそこでようやくもうひとりの客人が誰だったのかを知った。

「セバスチャン……」

「お久しぶりです、アネット」

「あなた、今もまだ仕えているの……?」

「ははは、いえいえ、私は老後をのんびりと過ごしている近所の爺ですよ」

「そうなのよ。セバスチャンってばわざわざ近くに引っ越してきたのよ?」

「ほほほ」

 少しだけ呆れた物言いをしたソフィア様に、セバスチャンは何の悪びれもなく楽しげに笑っている。あの屋敷で唯一ソフィア様のことで心痛めていたのはセバスチャンだった。そんな彼の気持ちがソフィア様に伝わっているかどうかはわからなかったけれど、今のふたりのやり取りを見ているとどうやら杞憂だったようだ。

 するとドアが開かれ継娘がお茶を持って戻ってきた。雰囲気で何か起こったわけではないと察したらしい、「お茶をどうぞ」と穏やかにお茶を勧めふたりともそれに礼を口にする。

「あの、お義母さん」

「ああ、私の大事なお客さんだよ。最後に教育係を務めたところのお嬢様なの」

「エリー・ヘスティアと申します。突然の訪問申し訳ありません」

「セバスチャン・セーレーと申します」

 きらびやかなスカート姿ではなかったけれど、それでも彼女は恭しく頭を下げ名を告げる。今はそういう名前なのね、と思いながらもその所作に継娘はほぅ……と息をつき私も思わず口角が上がった。教えをすべて無駄にした、そう言ってはいたけれど彼女の中には私が今まで教えたものがしっかりと残っている。名を捨てたと言っていたけれど無事でいるならば元気でいるのならばそれでいい、と思ったけれどその所作は私たちが共にいた時間が嘘ではなかったことを教えてくれた。

「お義母さんの教え子さんなんですね。よくわかります。お辞儀の仕方がお義母さんにそっくりです」

「あら……そうなの?」

 パチパチと目を瞬かせているソフィア様に、どこかのんびりしている継娘はにっこりと笑みを浮かべている。ゴホン、とわかりやすく咳をすればクスクスと声が聞こえて尚更居た堪れない。自分で確認するのはいいけれど人から指摘されると少し、恥ずかしいものがある。

「お義母さん、私庭の手入れしておきますから用があったら呼んでくださいね」

「ええ、ありがとう」

 場の雰囲気を汲みとったのか、継娘は笑顔でそう言うとソフィア様とセバスチャンに一礼し部屋を出て行く。そんな継娘にふたりとも軽く頭を下げたあと出されていたお茶に口を付けていた。令嬢に飲ませるような立派なものではないのだけれど、そう思っていたけれどふたりの口からは「美味しい」という言葉が出てきた。それだけではなくソフィア様は「どんな土を」や「日照時間は」など言い始めるものだから、再び驚かされた。一体今、何をなさっているのか。

「ああ、ごめんなさいアネット。お茶を飲みに来たわけではないの。用があって……」

「用、ですか」

「ええ。どこにいるのかわからなくて、セバスチャンに案内してもらったのだけれど」

 なるほど、セバスチャンが同行していたのはそういった理由かと納得したのだけれど、きっとそれだけではないはずだ。彼に視線を向ければゆるく微笑まれてやはりそうなのだと彼だけにわかるように口角を上げる。首都から離れたこんな田舎に女性ひとりを向かわせるわけにもいかないだろう、彼も相変わらずのようだ。

「ちょっといいかしら」

 ティーカップを置いたソフィア様……と、今言っては失礼ね。エリーは再び私の前に屈み込むともう一度下から見上げ、そして手を取り次に私の顔に触れる。穴が空くほど見つめたかと思ったら、彼女は難しい顔をして手を離した。

「やっぱり……アネット、あなた禁術に侵されているわ」

「禁術、ですか?」

 思いもよらない言葉に少し声が喉に引っかかった。禁術を知らないわけではない、教育係としてご令嬢のためにと知識を蓄えたのだからそれがどういうものでなぜ禁術と呼ばれているのかも知っている。けれど、なぜ私が禁術にと疑問が生じる。禁術に触れる機会など一度もなかったのだから。

「……手紙を、くれる子が教えてくれたの。それを読んで確認のために来たのだけれど」

 セバスチャン、と彼女が告げると彼は懐から何かを取り出す。美しい石がはめられているネックレスのようなものをセバスチャンは私に「失礼」と一度詫びを入れそれを首に掛けた。装飾品はひやりとするはずのものなのに、なぜか石からじんわりとぬくもりを感じる。

 彼の手が淡く光る。魔法を使っているのだとわかったけれど、一体どんな魔法までかはわからない。ただ彼の魔法に呼応するかのように石も淡く光を帯び、その光はやがて私の身体全体を包み込んだ。まるで湯に浸かるように、じわじわと光が肌を通り中へ浸透してくる。しばらくその光に身を任せているとやがて魔法はふっと儚く消え去った。

「どう? アネット……まだ身体がつらかったり、重かったりするかしら」

 彼女の手に誘われて、つられてロッキングチェアから離れる。あれだけ重みを感じていた身体はまるで若返ったよう。息子や継娘の手を借りなければ立ち上がれなかったのに今自分の力で立てている。しっかりと床を踏みしめているのもわかる。

「どう、いうことなの……?」

「あなたが動けなくなっていたのは決して老いのせいではないわ。禁術のせいで動けなくなっていたのよ」

 身体の不調がそういうことだったのか、と納得はできたけれどなぜ禁術に侵されることになったのか。エリーは「あの家のせい」と簡潔に説明をしたけれど詳しいことは言ってはくれなかった。この子が隠すということはそれなりの理由があってのことだろうとそれ以上追求することはしない。

「私はそういう魔法が使えないから、セバスチャンにお願いしたの」

「よかったです、上手くいって」

「流石は先生の魔法具ね!」

 おや、とここでまた首を傾げる。首に掛けているネックレスのような魔法具はすっかりセバスチャンが作ったものだと思っていたのだけれど。エリーから第三者の名前が出てくるなんて。しかも「先生」という呼び方からして敬い慕っているのだろう。

 それから完璧に治ったわけではないから解術を使える人に定期的に治療してもらうこと、ネックレスは禁術を解くための媒体だからあまり外さないこと。身体の体調を元に戻すための注意事項を告げられそれに頷きながらも内心苦笑する。こうして教える立場にいたのは私のほうだったのに、あれだけ小さかった子はこんなにも成長するのねと。もし解術を使える人が近くにいなければセバスチャンが定期的にやってくる、という話まで出てきて私は心の中で降参した。まるでお婆の体調を気遣っている孫のようだわ。

 そう、年回り的には私はお婆でエリーは孫と言ってもいいぐらい。

「エリー、ちょっと近寄ってくれないかしら」

「え? ええ、いいわよ」

 素直に私の言葉に頷いて距離を縮めてくれるエリー。あの頃からずっと悔やんでいた、たった一度だけでも、こうしてあげていればよかったと。

 大きくなった背に腕を回し、抱き込める。ゆっくりと頭を撫でてやればゆるやかな日の香りがした。

「よく頑張ったわね、ソフィア」

 ようやくあの身体を抱きしめて褒めてあげることができた。

「っ……! アネット……アネット、あなたのおかげで、私どんなパーティーでも胸を張れたわ……ありがとう、あなたのおかげよ」

 私の背中に腕を回し、肩に顔を埋めて彼女が震える声でそう言ってくれた。ずっと気にしていたのよあなたこと。ずっと悔やんでいたのよ、愛情を表に出してあげればよかったと。今も寂しい思いをしていないか苦しい思いをしていないか、あの当主のせいで酷い目に合ってはいないか、とにかく気掛かりだった。

 ああでも、本当によかった。今のあなたはひとりではない。心配してついてくれる人間がいる、あなたが敬い慕う人もきっと傍にいてくれているのねとようやく安堵することができた。

 名が変わろうとも何者になろうとも、あなたがあなたでいれることが何よりも嬉しかった。

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