キャロル・アレット・フォルネウスの場合
「ああ可愛い可愛い私たちのキャロル、お前はそのままでいておくれ」
物心つく頃からずっと、お父様とお母様は私を愛してくれた。私が欲しいものはすべてプレゼントしてくれて、褒めてほしいときは笑顔で褒めてくれる。傍にいて欲しいときはいつもいてくれる。怖くて眠れない夜は本を読み聞かせてくれた。私ももちろん、そんなお父様とお母様のことが大好きだった。
「キャロル様、今日はこのようなドレスは如何でしょう?」
「かわいい! とっても素敵ね! それにしてくれる?」
「かしこまりました」
周りには可愛いドレス、可愛い装飾品、私の好きなものでいっぱい。メイドたちもいつも私に可愛いと言って手伝いをしてくれる。この屋敷で一番可愛いのってもしかして私なのかな? そう思いながら毎日が楽しくて仕方がない。
けど一度だけ、お父様に疑問に思ったことを口にしたことがあった。
「お父様、いつになったらお姉様に会えるの?」
私にはひとつ上の姉がいたはず。ここのところずっと見ていないのだけれど何かあったんだろうか? 単純にそう思ったから口にしただけだった。それなのにお姉様のことを聞いた瞬間、お父様がとっても怒っている顔をしてそれがとても怖かった。ビクッと身体が勝手に怖がって、どうすればいいのかわからなくて泣きたくなってくる。
「あれはね、お前と違って可愛くないんだ。だから今後決して口にしてはいけないよ。いいね」
「う、うん……」
「それとキャロル、プレゼントしたブレスレットはちゃんとつけているかい?」
「もちろんよ! だってとっても可愛いもの! お父様、ありがとう!」
「成長するとサイズが合わなくなるだろうからね、その度に父が調整してあげよう」
「うん!」
五歳の誕生日のときにお父さまからもらったプレゼント、淡いピンク色でキラキラしている装飾品はとても可愛くて私のお気に入り。なくさないように気を付けてるしいつも身につけている。
そういえば、お姉様がプレゼントをもらったところを見たことがない。もしかしてお父様が言っていたように可愛くないからもらえなかったのかな。可哀想なお姉様、可愛くないって大変で悪いことなんだなってお父様と手を繋ぎながら思った。
好きなことを好きだけしていいんだよ、お父様とお母様にそう言われてそうなんだって好きなことばかりしていた。たまにお勉強でやってきた先生のアネットは好きじゃなかったけど。厳しくていつも私に怒ってくる。なんでそんなこと言うの、ってぷくって顔を膨らましても「はしたないですよ」って言うだけ。だからそんなこと言うアネットはちょっぴり嫌い。
そんな私の好きなものに囲まれながら育った私だけど、等々令嬢としてデビューする日が決まった。ダンスとか所作とか一応習ったけど面倒でちゃんと勉強してない。でもお父様はそれでいいんだよって言ってくれた。キャロルは笑顔でいればそれでいいんだって。言われたとおり鏡に向かってにっこりと笑顔を向ける。
鏡の前にいる私はみんなが可愛いって言ってくれたピンク色のドレス、ふんわりとしたスカートにきめ細やかなレース。まるで絵本に出てくるお姫様みたい。
「お父様お母様、行ってきますね」
「可愛いキャロル、気を付けて行くんだよ」
「いつも笑顔を大事になさいな」
「うん!」
両親に見送られて馬車に乗って初めての社交界のパーティーに出席した。
パーティー会場はきらびやかであちこち綺麗なものばかり。もっと可愛いのもあればいいのにな、って思っていると色んな人から声を掛けられる。笑顔で自己紹介すればみんなこぞって「可愛らしい」と言ってくれる。きっとこの場にいる人たちの私のこと愛してくれるのね、嬉しくてにこにこしていた。
そう思ったのは最初だけだった。
パーティーに出席する回数が増えるにつれて、周りが難しいことを言い始めた。今の国の情勢をどう思っている、他国との貿易などは、騎士たちの配属など。そんなこと私に聞かれたところでどうすればいいのっていうものばかり。だってそういうのってお父様のお仕事でしょう? 私はただここにいてにこにことしているだけでいいって、そうお父様が。
それに、最初はみんな私の周りに集まって可愛い可愛い言ってくれたのに、今ではとある人物が現れたらみんなの視線は一斉にそっちに向かってしまう。今日だって、笑顔で私に話しかけていたのに扉が開いた瞬間その視線はすぐに私から外れた。
「ソフィア令嬢だ」
「相変わらず美しい佇まいですわね」
「ドレスもよくお似合いで」
小さい頃、まったく顔を合わせることがなかったお姉様が私の社交界デビューと共にその姿を再び見ることになった。最後に顔を合わせたのは私が五歳、その頃のお姉様もまだ子どもだった。
それなのに私とたった一歳しか違わないお姉様は、そんな子どもらしさは既になくなっている。スッと綺麗に伸びている背筋、何にも臆さない力強い瞳。私と同じ血のはずなのに、お父様が言っていた通り可愛らしさはないのに、それでもお姉様は美しくなっていた。
私の傍にいた人たちが次々にお姉様の元へ向かっていく。口々に称賛を口にして男の人なんて鼻の下が伸びていた。お姉様はそれに気付いたのか、笑顔で対応することはなく小さくあしらいご年配の貴族の人たちに挨拶をしに行く。淑女らしく、お辞儀すらも綺麗。真っ先に自分たちに挨拶をしに来たのが嬉しかったのかご年配の人たちは感心しながら応対している。
屋敷では私が一番だった。みんな私のことを可愛いって言ってくれて、私の言うこと何でも聞いてくれる。私が愛されていたお父様もお母様も私を愛していた。でもそんなの屋敷の中だけ。一歩外に出てみれば、世界の中心は私ではなくお姉様だった。
「キャロル令嬢は可愛らしいんだがな」
「この間情勢について聞こうとしたんだがまったく答えられていなかったよ」
「ソフィア様はその手の話しについてとても賢いですわよね」
「嫌ですわ、教養なんてもの身につけなかったのかしら。淑女の嗜みですのに」
手に持っていたクッションを思いきり床に叩きつける。いい素材のはずなのにそれは衝撃で布が破れ、中に入っていた羽根が一気に飛び出した。
「どうしていつもお姉様と私を比べるのよ!」
成長するにつれてどんどん、どんどんお姉様と比べられる。パーティーに顔を出せば令嬢たちからクスクスと笑われて次にお姉様と比べる言葉が出てくる。あんなにも私のこと可愛いと言っていたのに、どうして姉妹というだけでお姉様と比べられなければならないの。
「お父様だって、私が可愛ければいいって言っていたのに!」
「キャロル様、落ち着いてくださいませ……」
「あなたもそうでしょう?! お姉様より私のほうが可愛いって思うわよね?!」
「も、もちろんでございますキャロル様」
「早くここ片付けて!!」
鈍くさいメイドに叱りつけて片付けている間にどっさりとベッドの上に座る。私は何回も言ったわ、どうしてお姉様と同じパーティーに出席しなければならないのって、同じ場にいたくないって。それなのにお父様はいつも「いないものと扱えばいい」だなんて。そんなことしたくても、みんな私よりお姉様を見るんだからできないじゃない!
近くにあった枕を手に持って床を掃除しているメイドに投げつける。枕なんて柔らかいものなんだからそこまで痛がることはないのに。メイドの反応も気に食わなくて近くにあった花瓶を床に叩きつけた。
「キャロル様、メイドに当たってどうします。それよりもお勉強の時間ですよ」
「っ、私いまそんな気分じゃない!」
「気分ではなくてもやらなければならないのです。さ、身なりを整えてこちらにいらしてください」
社交界デビューしたのに相変わらず教育係のアネットに勉強を押し付けられる。ちゃんとできていないからって、淑女らしい立ち振舞を身につけるまで続けますよって。そんなの、お姉様がデビューしたときはそこで終わったって聞いていたのに。なんで私にはしつこく勉強勉強言ってくるのよ。
そのまま逃げたかったけどでもそうするとあとからまたうるさく言われるから、渋々着替えて部屋を移動する。部屋を出るときまだ掃除しているメイドを睨みつけるとメイドは怯えるようにビクッと身体を強張らせた。言うことが聞けないのならそうやって私に怯えていればいいのに。私の言うことだけをしっかりと聞いていればいいのに。
「キャロル様、そこは先日も致しましたでしょう。覚えていないのですか?」
「だ、だって、難しくて……」
「難しくとも覚えなければなりません。ソフィア様は教えたらすぐに覚えられましたよ。さ、しっかりとなさい」
パーティーだけでもイライラするのに、この勉強の時間は尚更イラつく。アネットはこうやっていつもお姉様の名前を出す。私とお姉様とは違うのに、同じようにしろと言う。だから嫌だった、もうアネットがどっかに行っちゃえばいいのにそう思ってしまうほど。
そうだ、メイドと同じようにお父様にお願いすればいいのよ。優しい家庭教師に変えてって。アネットじゃ覚えられるものも覚えられないって。そうと決まれば勉強が終わったあとすぐにお父様の部屋に向かう。何かあればすぐに来ていいんだよって言ってくれたもの。例えお仕事をしていても私を優先してくれる。
ノックをすればすぐに返事はあると思ったけれど中々お父様の声が聞こえない。ノックの音聞こえなかったのかな、ってゆっくりと部屋の扉を開けてこっそり中を覗き見てみる。
「だから賢いのは腹立たしい。思い通りにはいかん。その分あれはうまく操れ……」
「お父様……?」
誰かと通信中だったかしら、遠慮がちに声を掛けてみればバッと勢いよく振り返ってきてそれにびっくりしてしまった。目を丸くしていると険しい表情だったお父様がすぐににこっと笑顔を向けて、両手を広げて迎え入れてくれる。
「おお、どうしたキャロル。何かあったのか?」
「お父様、お願いがあるの。アネットをクビにしてくれない? いつも私に意地悪ばかり言うのよ」
「しかしキャロル、アネットは優秀だろう?」
「優秀でもなんでも私が嫌なの!」
「……仕方がないなぁ、可愛いキャロル」
お父様は私の前で膝をつくと視線を合わせ、両手を肩に添えてきた。困り顔をしていたけれどそれもすぐに笑顔に変わる。
「優秀なアネットをクビにするのは体裁が悪い。そうだな、彼女も体調が悪くなればずっとここには居られないだろう」
「え、でもアネットは元気よ?」
「私にいい考えがある。キャロル、アネットの飲み物にこれを淹れるんだ」
そう言ってお父様は小さな小瓶を私の前にかざす。色はついておらず透明で、小瓶の中をちゃぷんと音を立てて揺れていた。
「魔法のお水さ。これを淹れればアネットもここに居られなくなる」
「そうなの? でもお茶の準備をするのはメイドよ?」
「ならそのメイドに頼めばいい。お前は何もしなくもいいんだよ、可愛いキャロル」
小瓶を受け取れば、お父様がぎゅっと抱きしめてくれる。やっぱり私を一番に愛してくれているのはお父様なんだわ。私もお父様に抱きしめ返した。お父様とお母様がいれば私はいつだって一番、一番幸せになれるのよ。
しばらくすればアネットは教育係を辞めた。理由は体調が優れないから田舎に戻って療養するんだって。本当にお父様の言った通りになった。代わりに来た教育係は優しい人。私が嫌だって言えば「そうですよね、やめましょうか」っていつも言ってくれる。難しい勉強はせずにお茶と美味しいお菓子を食べて時間を過ごしていた。
すると、今度はお姉様が行方不明になったっていう噂をメイドから聞いた。別棟の状況はまったくわからないしお父様も知る必要はないって言っていたからまったく気にしていなかった。けれど、今の私はもう嬉しくてたまらなかった。
やった、やった! やっと邪魔者が消えた! これでどこにいようとも私が一番だわ!
深くフードを被って、ローブを握りしめる。お父様は反乱を企てていた罰としてお母様と一緒に遠い地に飛ばされた。私もそうなるところだったんだけど、長年禁術を掛けられていたせいだということで治療を兼ねて修道院送りになった。少しの療養のあと身体を診られて、移動するには問題がないとなって判断されてふたりとはかなり遅れて修道院に移動する。
私は愛されていると思っていた。お父様からも、お母様からも。でも、ふたりは私のことなんて愛してはいなかった。都合のいい操り人形。嬉しくて肌身離さずつけていた淡いピンク色のブレスレットは、そのための道具だった。
あれだけ私のことを可愛いと言ってくれていたメイドも使用人も騎士たちも、一緒に修道院に付いてきてくれるのかと思いきや一斉にそっぽを向いた。中には、「やっと解放された」だなんて言っている人もいた。今の私の周りには誰もいない。こうやって町の中を一緒に歩いている人だって、修道院から来てくれたお付の人。無事に来れるようにと禁術に侵された私を支えるために来ただけの人。
「もう少しゆっくり歩きましょうか?」
父の罪を被ることはなかったけれど、でも私は聖女の邪魔を二度もしてしまった。その罪があるため馬車に乗ることも許されず、徒歩で向かうことになった。
歩みの遅い私に迎えの人はそう言ってくれるけど、もうどうでもよかった。周りに可愛いものなんてない、私を愛してくれる人だっていない。もう、どうでもいい。どうなってもいい。修道院がどういう場所なのかも何が待っていようが、今の私にはもう、どうでも。
「ほら、急ぐと転けますよ」
「だって! やっと会いに行けますのよ?! この逸る心を抑えられませんわ!」
賑やかな庶民階層で、近くにいた男女ふたりからそんな会話が聞こえてきた。ほんの少しフードの隙間から視線を向ければふたりとも庶民の格好をしていたけれど、でもどことなく貴族の雰囲気も持っている。
「キャロル、自分で立ち上がりなさい」
そんな声が聞こえたような気がした。
そうだ、あれはまだお姉様と会えた頃。庭師が綺麗なお花を植えたからってお姉様と一緒にそれを見に行った。でも私は楽しみで仕方がなくて、後先考えずに走ったから足がもつれてそのまま転けてしまった。そのときにお姉様が言っていた言葉だ。
いつもならお父様かお母様、もしくは近くにいたメイドが慌てて駆け寄ってすぐに助けてくれる。でもそのときのお姉様は私を助けてはくれなかった。転けている私の前に立って、手を差し伸べることもせずに言葉だけを向けていた。
「キャロル、いつも周りが助けてくれるとは限らないのよ。デビューすれば尚更。自分で立たなければならないときもあるのよ」
難しいことばかり言っているお姉様、涙目で見上げてみてもまったく助けようと動いてくれない。痛くて悲しくて、でもこのままだとお花も見に行けない。どうすればいいのかわからないけれどお姉様の言う通り、ひとりで立つしかないんだって泣きながら立ち上がった。
「よくやったわ。えらいじゃない、キャロル」
するとすぐにお姉様の手が伸ばされた。ひとりで立ち上がった私を笑顔で褒めてくれて、自分の手も汚れるのに私の頬に付いた汚れを拭ってくれる。砂まみれになったスカートもパンパンと軽く叩いて払ってくれた。擦りむけた膝には持っていた綺麗なハンカチをあててくれる。そのハンカチもお姉様のお気に入りだって、ついさっき聞かせてくれたものだった。
「おねえさま、ありがとう……うぅっ、いたい……」
「あとで手当てをしてあげるから。どうする? お花、見に行く?」
「みにいく……」
「そう、そしたら今度は転けないようにしっかりこの手を握っているのよ?」
「うんっ……」
それから私が転けないように、お姉様はずっと手を握っていてくれていた。
私、どうして今まで忘れていたんだろう。お父様の言葉ばかりを聞いて、信じて。小さいときも、そして魔法を暴走させたときも、いつも真っ先に私を助けてくれたのはお姉様だったのに。誰もが私を見捨てた中お姉様は決して私の手を離さなかった。
「お姉様に会えるのが楽しみですわ!」
ツインテールの子が顔を赤くしながら嬉しそうに告げている。どうして私はあの子のようになれなかったのだろう。行こうと思えば別棟に行けた。お姉様に会おうと思えば会えたのに、私は自分のことばかりでそれをしようとはしなかった。もし、あのときお姉様に会いに行っていたら何か変わっていたのだろうか。私は転けたとき、自分の力で立ち上がることができていたのだろうか。
お姉様がいなくなった別棟にたった一度だけお忍びで行ったことがある。そのときは残っている装飾品で、好みのものがあればもらっちゃおうそう思って行ったのだけれど。
あの別棟は思った以上に何もなくて、寂しかった。お姉様、ずっとあんなところにたったひとりでいたなんて。
「ごめん、なさい……ごめんなさい、お姉様っ……」
謝ることも、助けてくれたお礼を言うこともできなかった。私、妹としてできることがきっとあったはずなのに。
何度もごめんなさいを繰り返す私に、修道院の人が背中をゆっくり擦ってくれる。この手の温かさがあのとき私を助けてくれたお姉様の手の温かさと同じで、尚更涙が止まらなかった。
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