セイファー・オリアスの場合 3

 自室で作業していると机の上に置いていた物が淡く光る。簡単な物は作ることはできるが専門家のように出来がいいわけでなく、使えるのは一度だけだと別れ際こっそり手渡されたものだ。

《お忙しいところ申し訳ございません、セイファー様》

 フォルネウス家の状況を知るために協力してくれた執事長であるセバスチャンさん。つい先日再会して顔を合せたばかりだ。とは言っても約二年ぶりの再会、しかも僕はお願いされたとはいえご令嬢を攫った身だ。何か言われるかもと身構えていたけれど彼は優しく微笑むだけだった。

「セバスチャンさん、私はもう家庭教師ではないですしそんなわざわざ『様』なんて付けなくても」

《しかしお嬢様の大切な恩人ですので》

「……恩人と言えるものでは」

 手にある布に魔力を込め作業を進めながら会話をする。僕に渡してきた、ということはエリーさんに聞かれたくない内容かもしれないと、前もってこの部屋には外に声が漏れないよう魔法を使っている。

《お嬢様は今どちらに?》

「畑のほうで作業しているので当分戻って来ないかと。大丈夫ですよ」

《然様でございますか》

 彼が小さく安堵したのような声を聞きつつ、次に出てくる言葉を待つ。さぁ僕は何を言われるのだろうか、お嬢様を戻してほしいだなんて言われてしまったら簡単に頷けないかもしれない。いや連れ去ってほしいと言っていたのはセバスチャンさんだからその可能性は低いか。

《……お嬢様がキャロル様と接触すると聞きました》

 渋るような声で重く吐き出された言葉に動かしていた手を止める。彼の情報網がどうなっているのかはわからないけれど、調べようと思えばいくらでも調べられるのかもしれない。そう思うほど彼が執事として優秀だと知っている。

 エリーさん、いや、ソフィア令嬢の妹であるキャロルさんが聖女の邪魔をしてからと聞いて、彼女はずっと思い詰めている様子だった。妹のことを聞いたと同時にオスクリタと繋がりがあるんじゃないかと疑われ、魔物襲撃があってから怒涛の如く色んなことが起こって彼女の心が安らぐ日がない。

 自分の選択が妹をそんな行動に走らせているんじゃないか、そればかり考えているような気がする。だからこそオロバスさんの言葉に彼女は頷いた。自分を囮にして相手を誘き寄せる、それがどれだけ危険なことか。彼女はわかっていると言っていたけれどきっとわかってはいない。

 だからこそ時間がない中自分で出来ることはないかと、必死でこの魔法効果のあるローブを作っている。

「セバスチャンさん、私には力不足かもしれません。ですがそれでも出来る限り彼女の力になってみせます」

《セイファー様……ありがとうございます》

 寧ろそれだけしかできないけれど。剣で彼女を守ることはできないし攻撃魔法で相手に攻撃をすることもできない。ただこうして自分が出来る範囲で彼女を守れる何かを作ることしか。

《ですがセイファー様、お覚悟してください》

「え……?」

 何を、と続ける前に静かにセバスチャンさんが言葉を続けた。

《お嬢様の突発的な行動力は尋常ではございません。こちらも、覚悟をしなければ》

 それはどういう意味でなのか、今の僕には理解できない。長年彼女の傍にいたセバスチャンさんだからこそわかることなのだろうけれど。そこをまだ理解できない自分がほんの少し歯痒く思う。約二年間、彼女の傍にいるけれど大体のことがわかるようになっただけですべてを知っているわけじゃない。突発的な行動力、行動力があることは知っているけれどいざ何かが起こったとき、どんな風に動くのか。そして僕はそれをカバーできるのか。

 より一層ローブに込める魔力を強めた。もう少し時間があれば物理も魔法も無効にできるローブが作れたはずなのに。魔物襲撃のときもそうだけれど何もかも突然に迫ってくる。

《お嬢様をよろしくお願い致します。事が落ち着けば、私もお手伝いに行けるはずです》

「……わかりました。お待ちしてますね、セバスチャンさん」

 淡い光は徐々に消え、魔法具はパキンと小さな音を立てて壊れた。


 巻き起こる風と氷の魔法。魔力の使い方も制御の仕方もまったく学んではいなかったと証明するかのように、魔力を最大限に暴走させている。ただ、ひとりの女性がこれだけの魔力があるとも思えない。可能性があるとすれば恐らくその腕につけている禁術で作られたブレスレットが干渉し、持っているもの以上の魔力を引き出させているんだろう。このままでは周りが傷付くのはもちろん、魔法を使っている本人が力尽きてしまう。

 ローブで攻撃魔法を防ぎながらなんとかその源へと近付こうとするけれど、暴走が激しく中々近寄れない。今彼女に一番近いのは囮として接触していたエリーさんだ。彼女も僕が渡したローブで魔法を防ぎながら彼女に呼びかけているけれど、当の暴走させている本人がそれを拒んでいる。そんな彼女の腕を見てみれば禁術によって支配されてきている左腕。禍々しいものが全身を包み込もうと蠢いている。

 最初こそは、ブレスレットを自発的に外させてるかそれとも大人しくしているところ解術で時間をかけてでも外させる予定だった。それだけ禁術は用心しないとどう動くかわからない代物。

「ッ?! エリーさん、それに触れては駄目だッ!!」

 けれどこの暴走を収めようと、彼女はその禍々しい代物に手を伸ばした。僕の声はこの魔法の暴走で届かなかったらしい、手が禁術に触れた瞬間彼女の身体が強張ったのが見えた。

 エリーさんがブレスレットを引き千切ってくれたおかげで暴走は収まり、その身体は力なく崩れ落ちたけれど僕はそれどころじゃない。急いで駆け寄って蹲っているその肩を支える。額には汗を浮かべ顔は苦痛に歪んでいる。右手に視線を走らせれば、綺麗だったはずの肌はどす黒く変色していた。

 ブレスレットが外されないよう、呪が掛けられていたのだとこうなって初めて気付いた。

 呪は禁術とは違い何かを媒体することなく直接その人間に呪いを掛ける。強く人と癒着してしまうため解術で簡単に治すことができない。

 相当強い痛みが彼女を襲っているはずなのに、そんな状態にも関わらず彼女はあとから入ってきたフォルネウス家の当主とその妻の禁術もその手で破壊した。呪いに掛けられた人間が増えるよりも、ひとりが二重三重に掛けられたほうがマシだと言って。

「先生、私を受け止めて」

 気丈に振る舞っていても色々と限界だったはずだ。今まで自分のことを愛そうとはしなかった両親からあんなことを言われて、それでも令嬢としての振る舞いをしてみせたけれど何もかも痛かったはずだ。倒れてきた僕よりも小さな身体を受け止めて、肩を支えている手に力を込める。呪いは触れた人に移ってしまう、だからこの右手を握ってあげることもできやしない。

 辺りは一層と慌ただしくなり、あちこち人が走っているというのにそんな喧騒の中彼女は意識を飛ばした。呼吸は浅く早く繰り返している。汗も先程より流れていて顔色も悪い。三度掛けられた呪はきっとその右手だけには収まらないはず。

「……すまなかった」

 騒がしい中静かに聞こえた声。顔を少し上げるとダークブルーの髪を揺らしながら王子が小さく頭を下げている。

「……私は、あのときあなたが入ってきたタイミングがベストだとは思えない」

 もう少し王子が待っていれば、もしかしたらエリーさんが妹自身にブレスレットを外させることができていたかもしれない。妹が魔法を暴走させたのだって、彼が聖女と共に入ってきたからだ。

「貴族とか王族とかそんな仕組み私にはよくわからない。けれど、あなたの功績よりも、彼女の身の安全のほうが僕にとっては大事なんです……!」

「セイファー・オリアス。言葉が過ぎるぞ」

「いい、ディラン……彼の言う通りだ。功を急いだ俺の責任だ」

 このまま責めてしまいたかったけれど、でもそれをしなくても王子はわかっている。だからこそこの苛立ちをぶつける行方がわからなくなって唇を噛み締めるしかなかった。

 けれど彼だけを責めるわけにもいかない。僕だって、もう少し傍にいてあげれば手の届く距離にいれば。呪を掛けられている禁術に彼女が触れる前に、自分が触れていれば。

「ディラン、彼女を運んでやれ」

「はっ」

「……いいです、私が運びます」

 手を伸ばそうとしていたオロバスさんを言葉で制し、彼女の肩を支えたままもうひとつの腕を膝裏に差し込みそのまま抱き上げる。確かに僕は彼女と比べて力も体力もないし、意識のない人間の身体を運ぶのは大変だということはわかっている。だからこそ騎士であるオロバスさんが運ぶのが最適だということも。

 それでも今の彼女を誰かに任せる気にはなれなかった。二年前だと確かに運べなかったけれど、僕だって多少は成長している。

「坂の下まで馬車で送ってやる。そのほうが早く帰れるだろ」

「……ありがとうございます」

「お前も一緒に乗りな。心配だろうよ」

 あれだけ最初会ったときにエリーさんを追い詰めるような言葉を言っていたオロバスさんだけれど、でも今の彼は気遣うように言葉を投げかけそして僕の背中を軽くポンと叩いた。

 本当は優しい人だったんだな、って尚更顔を歪ませる。誰かひとりでも酷い人間がいたら八つ当たりできただろうに。彼女の両親にも本当はもっと言ってやりたかったし言葉を発せれない魔法だけじゃなく別の魔法も使いたかった。それでもそうしなかったのは、きっとそれをしてしまったら少なからず彼女を悲しませただろうから。

 やるせなさと、自分の情けなさが悔しくてたまらない。僕が彼女に囮になるということはどういうことなのかわかっていない、と思っていたように僕もセバスチャンさんの言葉をしっかりとわかってはいなかった。結局、彼女が傷付くかもしれないという覚悟ができていなかったのだ。

 馬車まで案内してもらって右手に響かないよう静かに下ろす。呼吸は相変わらず早い。少しでも楽になれるように解術を、と手をかざしてみたけれど少し魔力を込めただけで弾かれてしまった。

 馬車はゆっくりと走り出し貴族階層から庶民階層へと移動する。庶民階層の道は貴族階層よりも綺麗にされていないため馬車も揺れるけれど、きっと気を遣ってくれてあまり揺れないようにしてくれている。彼女を支えるように抱き寄せて、暗くなっている町中に視線を向ける。

 彼女はただ、彼女が言っていた物語の結末を迎えたくなくて抗っていただけなのに。穏やかに過ごすことを望んでいただけなのに、どうしてそれさえも許してくれないかなと顔を歪めて目を閉じた。

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