アリス・ハルファスの場合
いつものように祈りを捧げているとギィ、と後ろから扉が開く音が聞こえた。
「ハルファス様、いらっしゃいました」
「わかりました」
いつも呼びに来てくれる人にお礼を言って至聖所から移動する。聖堂の中はどこも清められていて許可がなければ立ち入れない場所も多い。来たばかりの頃、なんて場違いな場所に来てしまったんだろうって思った。応接室に迎えば座っていた人がスッと立ち上がって私に一礼してくる。そんな立場じゃないんだけどな、っていう言葉も何度も飲み込んだ。
「こんにちは」
「こんにちは、セイファーさん。今日もよろしくお願いします」
「こちらこそ」
キャロルの一件があってからセイファーさんは聖堂に足を運ぶようになっていた。祈りをしに来たんじゃない、傷を癒やしてもらうために来たんじゃない。
「では始めましょう」
「はい」
呪いを解くために、聖女の力を必要としてやってきている。
ここに来て色んなものを学ぶようになっていたけれど、今まで禁術も呪も実際目にしたことはなかった。ただ恐ろしいもの、決してこの世にあってはならないもの、そういう類を使う人間には近付かないこと。約束事のように教えられた言葉に頷くだけだった。いつも最後には「この場にそのようなものを使う輩は入れないので大丈夫ですよ」という言葉がついていたから。だからそれがどういう仕組みで、そして聖女としての力がどう効くのかちゃんとわかっていたわけではなかった。
そんな私にセイファーさんは丁寧に教えてくれる。聖女の力は普通の魔法とはまた違うから勝手が違うかもしれないけれど、それでも魔法の基本的なことは覚えていても不便になるようなことはないからと。魔法の構築がわからなくても、そこもセイファーさんがすべてやってくれている。
今やっている作業も呪を人から剥がす構築を組み立てている最中で、私はというと浄化の力をそこに注ぎ込んでいるだけ。
「……私、なんでここにいるのかなって……いつも思います」
ただの庶民だった。父は物心つく頃にはいなくなっていて母とふたり暮らし。それでも決して不満はなかった。いつも私に愛情を注いでくれる母、そんな私のために頑張ってくれているお母さんの力に少しでもなれればと小さなことから手伝っていた。どんな些細なことでもそれは幸せで、周りの人たちも優しくてきっと私は恵まれていた。
ある日近所に住む小さな男の子が転けて怪我をした。血も結構出てて男は頑張って我慢していたけれどそれでもちょっと涙が流れていた。そんな子を助けたくて力を使った。
色んなものを癒せる力。最初に使ったのは枯れようとしていた花が可哀想で手をかざしたときだった、淡い光が生まれてその花がゆっくりと元気を取り戻してそのとき初めて自分にそういう力があるんだと気付いた。つらい思いをしている誰かを癒せる、周りの人たちが笑顔になってくれるのなら私はその人たちの傷を癒やそう。そう思って身近な人たちには使っていたのだけれど、それを王族の関係者に見られるなんて思ってもみなくて。
気付けば使いの人が来ていて、母は頭を下げてあの子のことをよろしくお願いしますと言っていた。この力は特別で、だからちゃんとしたところに居たほうがいいのよ、そう言ってくれたけど私が出て行ったらお母さんはひとりになってしまう。そんなの寂しくて、私は最初は断ってと頭を横に振った。ここにいたい、お母さんの傍にいることの何が悪いのって。それでも、私の背中を押したのは母だった。
お母さんは目に涙を浮かべながら、笑顔で私を見送った。手紙を書くから、つらいことがあったら帰ってきておいで、と。
いつの間にか聖堂に来ていて気付いたら周りに知らない人がたくさんいた。あれをしてください、これを学んでください、色んなことを言われてわけもわからないまま勉強するしかなかった。寂しくても母の言っていた通りこの力は特別で、色んな人の役立てにならないといけない。
気が付けば「聖女様」と呼ばれていた。癒やしの力を使えるものは数人いるけれど、浄化の力を使えるのは稀なのだと。あなたはこの国にとって必要な人です、大丈夫何があっても守りますから、そんな言葉の数々がプレッシャーになっていく。
だから魔物が襲撃したとき、やっとその期待に応えることができるのだと思った。たくさん襲いかかってきた魔物に対して浄化の力を使う。使うまでには時間が掛かるけれど、けれど大勢の人たちを助けることもできる。ちゃんとやらなきゃ、しっかりしなきゃと思いながら力を溜める。成功すればきっと聖女として働きを認めてもらえると。
それも、失敗してしまった。
友達だと思っていた人のことを悪く言いたくはない。邪魔されたから失敗したんじゃない、きっと私に集中力が足りなかったから。もっとちゃんとしていれば例え止められようとしていても力を使うことはできたはず。
それを巻き返したくてディラン様と王子様に付いて行ったのに。浄化の力で禁術を解くはずだったのに私は結局何もすることができたなかった。ただ物凄い魔法の中ふたりに庇ってもらうことしかできなくて、結果、傷付かなくていい人が傷付いてしまった。
「私、聖女なのに。あのとき私が動いていれば、あんなことにはっ……」
「……私も同じことを思いましたよ。先に禁術に手を触れていればと……私は」
浄化の力と解術の魔法が合わせって綺麗な光を発している。それでも今はまだこの光があの禍々しい色を綺麗に元に戻せる気はしない。
「私はエリーさんを止めようとしました。魔法を暴走して苦しんでいる人がいるというのに、それよりも彼女の身の安全を優先した。禁術がどういうものか知っていたから。だから動きが遅れた」
懺悔のような告白の中でも、セイファーさんは手を止めない。
「あのとき手を伸ばせたのはきっと、優しくて……そして勇気のある人だけです」
本当はあまりの禍々しさに怖くて震えていた。あんな恐ろしいものが存在しているなんて、そしてそれを人に使うなんて。どうしてそんなことができるのって。ふたりに庇ってもらいながらその実私はあのときふたりの背中に隠れていた。私は、あの魔法の渦の中で突き進むこともできなければ、苦しんでいる友達に手を伸ばすこともできなかった。その勇気が、なかった。
キャロル。聖堂でひとりぼっちだと思っている私に笑顔で声を掛けてくれた人。無邪気で明るくて、歳も同じだったからすぐに打ち解けられた。聖堂に来てから外がどうなっているのかあまりわからなくて、だから最近の流行とかどんなお菓子が人気なのかとか、まるで庶民に戻ったみたいで楽しくていつもキャロルを待っていた。
でも、最近そんなキャロルの様子が変わっていっていた。聖堂に務めるにはどうすればいいのか、癒やしの力ってどうやって手に入るのかそんなことばかり聞いてくる。癒やしの力は持って生まれたものだから持とうとして持てるものではないと学んだから、それをそのまま言ったんだけど彼女は顔を歪めて話を中断して去ってしまった。気に障ること言ったのかな、そう心配した次の日今度はプレゼントが贈られてきた。綺麗なブレスレット、手紙には「昨日急に帰っちゃってごめんね」って書かれていて、気を遣わせちゃったんだってブレスレットに手を伸ばす前に聖職者の人に止められた。部外からの物に不要に手を触れてはいけませんと。
後日わかったことだったけれど、それは禁術付加のブレスレットだった。そのまま私が付けていたら聖女としての力を封じられる可能性があったかもしれないと。そしてあの件があって、キャロルが私と友達になるために近付いてきたわけじゃなかったんだと知った。
悲しかった。教会で言われた言葉だって。そんなこと私が誰よりもわかってる。浄化の力が使えるだけ、それなのにみんな私のこと「聖女」と呼ぶ。私は功績を上げたこともないしそんな立場に見合った人間じゃないっていうのに。それを友達と思っていた人に言われて、その友達も本当は友達じゃなくて。
そういえば私はキャロルのこと何も知らない。貴族の娘ということだけで、いつも話しかけられることばかりだったから私がキャロルに何かを聞いたことはあまりなかった。姉妹がいたのだって、まったく知らなかった。
「……セイファーさん、エリーさんって、どういう人ですか?」
前にディラン様にお願いして会いに行った人。キャロルのお姉さんで、でも身分も名前も捨てて庶民になった人。ほんの少し、羨ましかった。私も庶民に戻りたいって少しだけ思っていたから。
会ってみたらキャロルと似てなくてびっくりした。顔もキャロルみたいにふんわりした感じじゃなくて、もっとしっかりした感じ。ちょっと見た目が怖いディラン様にも怯えることなく堂々としていて、ますますキャロルと正反対だと感じていた。
「エリーさんですか?」
「はい。セイファーさんから見てのエリーさんってどういう感じですか?」
「そうですね……なんというか、放っておけませんね。目を離した隙に何かしそうで」
「えっ、そうなんですか?」
「行動力があるもので、だって魔物の肉を食用にしようと普通思います?」
「えぇっ?! 魔物って食べられるんですか?!」
「ちゃんと処理すれば食べられますよ。はは、私も最初びっくりしました。まず食べようとは思いませんから」
最初弓矢を扱ったときも矢が真下に放たれて、エリーさんの足に刺さるんじゃないかとヒヤヒヤしましたと苦笑で話してくれるセイファーさんの表情は朗らかで優しい。あ、私この瞳を知っている。
「セイファーさん、エリーさんのこと好きなんですね」
最近、王子様が私に向けてくれるものと一緒。その瞳で見つめられる度にドキドキして、ちょっと胸が苦しい。
でもそう言われたセイファーさんは目を丸くしてパチパチと瞬きを繰り返しているだけだった。あれ? 違っていたのかなって首を傾げていると彼は眼鏡を元の位置に戻して顎に手を当てた。
「ん~……」
「違うんですか?」
「いえ……今まで研究に没頭する人間だったので、そういうのがわからなくて。でも」
顎から手は離されて、彼は苦笑した。
「普通のこと、もっと知ってほしいとは思いますよ。人を頼ることだって、心配されることだって……普通のことじゃないですか。彼女、それすら知らなかった」
絞りだすような声にハッとした。私がキャロルに言われたように彼女もまた言われていた、血の繋がった実の父親に。私は優しい人たちに囲まれていたから優しいお母さんだったから、あんな酷いこと平気で我が子に言える人がいるなんて知らなかった。あんなこと言われたら私はきっと泣いてた、なんでそんな酷いこと言うのって。でも彼女は一度も泣かなかった、寧ろそんな父親と真正面で向き合って堂々としていた。
「そんな彼女の支えになってあげたいとは、思いますけど」
「……素敵ですね」
こんなにも想ってくれる人がいるから、エリーさんもあのときセイファーさんに身を任せた。セイファーさんも自分に呪いが移るかもしれないのに手を伸ばそうとしたのはそういうことだったんだなって、今もこうやって必死なのはすべてその人のため。素敵だと思わないわけがない。
いつか私にもこんな風に想い合える人が現れるのかな、そう思ったときに王子様の顔がポンと浮かんだ。な、なんだか私のはふたりと違ってそんな素敵なもののようには思えないんだけど。
それよりも、と手元に集中する。最初にセイファーさんから完璧に治すのは難しいかもしれない、そう言われていたけれど難しくても何でもやるしかない。だってこの国で浄化の力を使えるのは私だけ。
エリーさんの呪を治せるのは私とセイファーさんしかいない。
「セイファーさん、エリーさんのために頑張りましょう!」
「はい、そうですね」
今はまだ小さく淡い光だけれど、あの禍々しい色を治せるほどの強い光となってくれますように。そう気持ちを込めて集中した。
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