シャルル・フェリサ・プルソンの場合

 肌の手入れも済ませドレスの新調もし、メイドのメリッサに手伝ってもらってようやく準備完了。

「終わりましたわ! ドミニク、行きますわよ!」

 ソフィア様にみっともない姿を見せるわけにもいかず、令嬢として恥ずかしくない格好をしたわたくしは護衛騎士であるドミニクと共に庶民階層を目指した。ドミニクが言うには途中までは馬車で、そこから先は歩きでしか行けないという説明を受け馬車に乗っているのだけれど。貴族階層と違って庶民階層になった途端馬車がガタガタと大きく揺れる。道が綺麗に舗装されていないのですわね、と少しだけ横揺れに酔いつつ馬車は進んでいった。

 そうしてしばらく揺られ辿り着いたのは庶民階層でも端のほう。少し見上げてみれば森が見えて本当にこの先にソフィア様がいらっしゃるの? と不安になってくる。ドミニクがその裏の森で倒れたのは聞いていたけれど、その、思った以上に端のほうで驚いてしまった。

「シャルル様、この坂の先になるのですが……シャルル様は残っていたほうが良いかと」

「えぇ?! 行きますわ! 折角ここまで来たのに!」

「……大変ですよ?」

「それでも! 案内してくだいなドミニク!」

「承知致しました。休憩しながら進みましょうね」

 他の貴族はわからないけれど、多分だけれどうちの騎士やメイドや使用人たちはわたくしに対して結構気さくだと思う。別にわたくしも腹立たしくはないし皆さんと仲良くできるから嬉しいのだけれど。

 ドミニクの差し出された手を取って馬車から降りる。降りてからわかったことだけれど、坂だと思っていたところは思った以上に坂だった。令嬢の移動は基本馬車、歩くことはあまりない。そもそもソフィア様の件で部屋に引き篭もっていたわたくしはあまり動いてもいなかった。

 目の前にある坂にごくり、と喉を鳴らして歩き出したドミニクの後ろをついていく。近くに他の馬車がいる様子もなかったからきっとソフィア様も自分の足でこの坂を登っているんだわ。そう思うと頑張れそうな気がした。

 気がしただけだった。

「はぁ、はぁ……ドミニク、今どの辺りですの……?」

「まだ半分も行っていませんよ」

「本当ですの?! はぁ、坂って、はぁ、大変ですのね、はぁ、はぁ」

「……シャルル様、まだ引き返せますが」

「い、行きますわ……!」

 確かに大変ではあるけれど、折角来たのだから確かめてみたい。本当に行方不明であるソフィア様なのか。

 ドミニクに気を遣われながら坂の半分を登り終え、少し休憩してから残り半分を登る。息切れひとつしていないドミニクの様子を見ていると普通だとこの坂も大した坂ではないのかもしれない。少しでも運動していればよかったですわ、とぐぐっと唇を噛み締めながら重い足を動かす。

「はぁっはぁっ……坂なんて初めて登りましたわ……!」

「だから馬車にいたほうが良いとあれほど……」

「いいえわたくしは行くと決めましたもの!」

 もう少し、もう少しと自分を励ましながらようやく登り終えた坂。パッと目に飛び込んできたのは開けた場所。よくわからない草のようなものがあちらこちらに生えていて屋敷では決して見ないようなものばかり。ドミニクの言う通り本当に端にあったのですわね、と物珍しく色々と見ていると視界に入った姿。

 分析の魔法を使ってその姿を凝視する。間違いなく、探していた女性。ドミニクの『目』に間違いはなかったのだと涙目で彼に視線を向ければ柔らかく微笑まれた。

 よかった、生きていたんですわ。修道院送りという噂ならまだしも野盗に襲われたや毒殺されたなど色んな噂が飛び込んできて、生死もまったくわからない状態で。綺麗で長い髪も美しいドレスもないけれど、その人は間違いなくわたくしの憧れの人。

「お会いしたかったですソフィア様!」

 無我夢中で走ってその手をしっかりと握りしめる。尚更美しくなった姿にほぅ……と感嘆の声を漏らした。


 屋敷に戻ってすぐに家庭教師の先生を探してもらうように頼んだ。装いもこのようなドレスではなくソフィア様が着ていたような庶民の服。令嬢として咎められたのであれば、ご友人のなればいい。そしてわたくしは友人になるためには色々と学ばなければならない。

 わたくしが部屋から出たことを喜んだお父様はすぐに先生を探してきてくれた。古い友人で魔法省で植物の研究をしていらっちゃった方。白いお髭を携えてのんびりと優しげな先生は「流石はあの人の子ですな」と笑った。社交界に出て思ったのだけれど、お父様は貴族の中でも変人として見られているみたい。わたくしにとっては素晴らしいお父様だから気にしたことはなかったけれど。

 そして始まった授業だけれど目の前に並べられた教材にびっくりして声を上げてしまった。物凄い数の本で、まるで英才教育を受けたときのよう。あのときと同じ知識量が必要なんだわとごくりと飲み込んだ。

「まずは基礎をお教えしましょうかね。わからないことがあれば質問してください」

「はい! お願いしますわ先生!」

 そうして張り切ったのだけれど。教えを乞えば乞うほどどんどんわからなくなってくる。まず覚える単語が多い、専門用語も多い、図で見せてもらった葉っぱはどれもとても似ていて区別が付きにくい。これならまだ令嬢の顔を覚えて答えろと言われたほうが簡単だと思ってしまうほど。

 覚えるのは葉っぱだけではなくて土やそこに住む虫たち。ソフィア様が教えてくださった「てんとう虫」は可愛らしいものだと知って、あのとき失礼なことを言ってしまったんだわと少し落ち込んでしまった。

「これはミミズですな。土の中にある有機物を食べて栄養のあるフンを分泌します。数が多すぎると問題ですが、程よい数であれば畑にとって良い働きをしてくれます。見つけたら良い土だという判断材料にはなりますな」

「まぁ……! 土にとっての妖精さんですの? 素敵ですわね」

「よ、妖精……ンンッ、実物を見るときは気を付けなされ」

 そこまで説明されると見てみたいものだけれど、先生はコホンコホンと咳払いをして次の説明に移ってしまった。今度ソフィア様のところに行ったときに見せてもらおうと内心楽しみにしつつ、次の先生の説明に耳を傾けた。

 それにしても、と勉強を終えたあと採寸してもらいながら色々と考えてみる。無事でいらしたのであればとても安心したのだけれど、まさか庶民階層にいるとは思いもしなかった。家の中も狭くて服だってキラキラしたものではなかった。

「ソフィア様も変わった遊びをなさっているのね」

 わたくしには思いつかないわ、と小さく零すとそれを聞き逃さなかったのか控えていたドミニクだ。採寸時に殿方を部屋の中に入れるのは一般的に非常識だろうけれど、ドミニクはわたくしの小さい頃からずっと仕えてくれている騎士だし緊急時の場合のことを想定してお父様もお許しになられている。服もすべて脱いでいるわけでもないし恥ずかしいことは何もない。

「名を変えているということは、フォルネウス家からの援助は一切ないということです」

「えっ、そうなんですの?」

「そうです」

 どこかいつもより厳しめにきっぱりと告げるドミニクに、目を丸めながら首を傾げる。てっきり他の貴族たちには内緒で家を出て、あそこでのんびり暮らしているものだと思っていた。飽きたらすぐに戻ってきて令嬢としてパーティーに出るものだと。

「自分たちで生計を立てながら畑仕事も食事も、そして森に現れる魔物討伐もすべて自分たちの手でやらなければなりません」

 生活に必要なものはすべてお父様と周りの人たちが準備してくれる。待っていれば食事は目の前に出されて身体を清めたかったらすでに張られている湯に浸かるだけ。髪だってメイドたちが洗ってくれる。朝起きるときも着替えの準備も、ひとりではなくいつも誰かが手助けをしてくれる。

「エリー嬢に『友人』として会いに行くのであれば、先程の言葉はお控えください」

 暗に遊びでできることではないと、ドミニクに諌められている。

「……ごめんなさい」

「いいえ。ですがシャルル様、物事は主観だけで見ると時に歪みを生じますのでお気を付けを」

「わかりましたわ……」

 美しく綺麗だった髪は肩までバッサリと切られていた。目の前で重いものを軽々と持ち上げて袖から見える腕は細くはなかった。透き通るような肌の白さではなかったし、自身を着飾る綺麗なドレスもない。綺麗に手入れされていた爪は短く切り揃えられていて手のひらは騎士たちのようにタコもできていた。

 わたくしがショックを受けて引き篭もっていた二年間、その二年間でソフィア様は様々なものを学びまた一段と自身を磨かれていた。先生に教えてもらっている今だからこそわかる、あれほどの知識をきっとソフィア様は行方不明になる前に学んでいたはず。

 あのようになりたい、と憧れを持っていた。美しく強いソフィア様のようになりたいと。けれど、「なりたい」と思うだけで何もしなかったら意味がないのだ。

「……装飾を、減らしてくださる? もっと動きやすい服にしてくださいな」

「え? しかし令嬢として……」

「この服は『令嬢』としてではなく、ひとりの『友人』として必要なものですの。お願いしますわ」

「わ、わかりました」

 無駄な装飾が一切なく動きやすさを重視された服。靴もヒールの高いものではなかったから、そちらも準備をしなければ。

「ドミニク。わたくし、頑張りますわ」

 美しく強かに生きる女性が格好良く見えた。持とうと思ってもわたくしにとっては中々持てないもの。周りに比べて成長が遅く身長も低ければ身体がまだ出来上がっていない。そんな中で、たった二歳差だとしても当時のソフィア様の今のわたくしと同じ歳で、それでも既に貴族の令嬢として出来上がっていた。だから輝いて見えて羨ましくて、憧れだった。

 けれどもそれは纏っているドレスが美しかっただけではなくて、「貴族の娘」という立場があっただけではなくて。内側から溢れていたものだとエリー様の姿を見て実感した。例え見た目も立場も変わっても彼女は彼女として何も変わってはいなかったのだから。

 わたくしも貴族の娘として内面を磨いていかなければ。きっとそうすればエリー様もわたくしのこと友人だと思ってくれるはず。自分に強くそう言い聞かせるように、この決意が揺らがないようにドミニクに宣言すれば彼は笑顔で頷いてくれた。

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