ドミニク・アガレスの場合
部屋の前で中の様子を伺っている姿。ほぼ毎日と言っていい光景にそっと息を吐きだした。
「シャルル様はまだ出ようとは?」
「はい……何度もお声をお掛けしているのですが、今日も……」
「そうか……」
護衛しているプルソン家のご息女、シャルル様がこうして部屋に篭もられて随分と経った。原因は社交界で広がっている噂だ。
フォルネウス家のご息女、ソフィア・エミーリア・フォルネウスが行方不明になっているという。なぜ行方不明になったのか詳細はわからず様々な噂が好き勝手に飛び交っていた。そのどれもがシャルル様の耳に入ってしまい、そして現状に至るわけなんだが。
たかが貴族の令嬢ひとり、と思うがその令嬢が問題だった。あれはまだシャルル様が社交界デビューを果たしてすぐのパーティー、勝手がわからずただ壁の花となるだけか話しかけてくる令嬢に愛想よく相槌をすることしかできなかった頃。不慣れとシャルル様の性格もあって何を言われても彼女は言い返すことができず俯くことしかできなかった。騎士である自分はそれに口出しも手出しもするわけにはいかず黙って見守るしかなかったのだが、そんな中人の目を惹きつけながら現れたのがソフィア令嬢だった。
「貴族であるならば背筋を伸ばして立っていなさいよ!」
その一言はシャルル様の心に響かせるには十分だった。ソフィア・エミーリア・フォルネウス、シャルル様より僅か二個上だというのにその存在感は異彩を放っていた。見るからに洗礼された佇まい、無駄のない美しい所作、どんな話題にも返せる頭の回転の良さに、例え悪い噂を嘲笑混じりで言われたところでそれを一蹴できる気の強さ。シャルル様にはまだ足りないものをすべて備え持っていたソフィア嬢は、シャルル様にとって一段と輝いて見えたのだろう。
そこから憧れとなったのには時間が掛からなかった。あれだけ渋っていたパーティーにも積極的に参加するようになりその度にソフィア令嬢を探し目で追う日々。
俺はあのときの一言は決して、シャルル様を奮い立たせるような言葉ではないということはわかっている。明らかに苛立った様子で何も言い返せないシャルル様を見てただその苛立ちをぶつけただけだろう。けれどその八つ当たりのような一言もシャルル様にとっては必要な言葉だったのだ。
少し気の小さなところがあったシャルル様が必死で社交界に立ち向かおうとしている。それを主が喜ばないわけがない。いい傾向だ、そんなあの子を見守っていてくれと仰った顔はとても優しいものだった。
そんなシャルル様が社交界デビューを果たす前に逆戻りするかのように、いや、それ以上に塞ぎこんでしまった。パーティーに出れば憧れの人の聞きたくもない噂を聞かざるを得なくなる。少し前まではそれでもと己を奮い立たせてパーティーに出席していたものの、途中で顔色を悪くし屋敷に戻る頃には号泣して次の日寝込んでしまうほどだった。愛娘のそんな姿を目の当たりにした主はつらい思いをしてまで出席する必要はないと告げた。
「ドミニク、シャルルの様子は相変わらずかい?」
「はい。今日も部屋から出てくる様子はございません」
「そうか……悲しい思いをしているあの子を無理矢理出すわけにもいかないしね……もうしばらくそっとしておこう」
「はい……」
シャルル様の護衛騎士である俺は毎日同じ報告を主に告げる。主も奥方も、そしてこの屋敷にいるすべての人間が元気のないシャルル様に心を痛めている。ほんの数カ月前まで活発に動き、皆がそれを笑顔で見守っていたのだから尚更。
「そうだドミニク、しばらく討伐部隊のほうに合流してくれないか? このままだと君の腕も鈍ってしまうだろうから」
「しかし、それだとシャルル様の護衛は……」
「シャルルがまた元気に部屋から出てきたときに頼むよ。隊長には私のほうから言っておこう」
「……かしこまりました」
確かにシャルル様の専属の護衛騎士のため、ここのところ護衛として外に出ることもなければ個人で鍛錬するしかなかった。主が心配しているようにこのままでは俺の腕が鈍ってしまう。しばらくシャルル様も外に出る様子でもなく、主の言葉に頭を縦に振った。魔物を討伐している間にもしかしたらシャルル様は部屋の外に出るかもしれない。主の部屋を出てシャルル様お付きのメイドと顔を合わせ、もし部屋から出てくることがあればすぐさま連絡を入れて欲しいと伝える。彼女が頷いたのを確認し、俺は討伐部隊のほうへと合流した。
それからと言うものの、ほとんど討伐部隊のほうで過ごす日々だった。結界を張っているとはいえそこから出れば魔物は当然いる。鈍っていた勘を取り戻すように討伐していれば同僚からは「そのままこっちにいれば」と声を掛けてもらえたが、それでもやはり頭の片隅にはあの小さな少女の姿があった。皆に心配かけさせているということは自覚しており、食事だけ抜かしてはいないところが今のところ救いだ。
「なんかちょっと、ちょっとあれなんだよなぁ」
「どうした?」
いつもと同じように討伐に赴いていると、隣にいる同僚が首を傾げた。そいつが言うには最近何か魔物の動きに違和感を感じるらしい。
「魔物って統率取れねぇじゃん? でも最近なんかさ、タイミングよくいっぺんに襲いかかってきてねぇかなぁって」
「……それを隊長に進言はしたのか?」
「したした。隊長も同じこと思ってたって――うぉっ?!」
隣にいたはずの同僚が声と共に姿を消す。急いで身構えれば目の前に討伐したはずの魔物が二体。同僚は僅かに飛ばされただけで地面に転がりながらも剣を構えていた。
「おいこれさっき倒さなかったか? なんでまたっ」
「後ろだ!」
「え?」
事前に数を確認しそして討伐したはずだった。その魔物たちがまた数を増やして襲いかかってくる。さっき自身を攻撃してきた魔物の対応していた同僚の後ろには、倒れたはずの魔物。のそりと起き上がりその鋭い爪を振り下ろそうとしている。
急いで同僚と魔物の間に身体を滑り込ませ攻撃を塞ぐ、が、一歩間に合わず爪が足の肉を抉る。周りにいた騎士たちもお互い声を掛け合いながら対応しようとするが、新人が動揺してしまいベテランがそのサポートで手一杯になり辺りは一気に騒然としだした。
魔物は『核』を破壊すれば倒せる、というわけでもない。分析の魔法を使える騎士が同伴していたがまさか弱点が違ったのか、と思考を巡らせていると魔物の視線が一気にこちらに振り向く。魔物は、血の匂いに敏感だ。
「ドミニク!」
数体を引き連れ森へと駆け込む。数を減らせば討伐部隊でも十分に対処できるはずだ。ここで障害物を駆使して対応すればなんとかなるだろう、とそう思ったが確かこの森を抜けてしまえば庶民階層へ出てしまう。ということはここでこの魔物を倒す必要がある。
足に傷を負い踏ん張りが利かなくなっているが、弱音を吐いている場合ではない。騎士は人を守るのが仕事だ、危機に陥れることは決してあってはならない。一体目を倒し二体目を倒し、迫り来る攻撃を躱しながら一体ずつ確実に仕留めていく。仕留めたあとは『核』を破壊し、魔物のきちんと処理しなければならない。血がどんどん減っていき息が上がってくることを自覚しながら、ただ剣を振り続けた。
「はぁっ、はぁっ……終わったか……」
そうして戦い続け、目の前には数体の魔物の転がる姿。しっかりとすべて倒したことを確認し、『核』を取り出し破壊する。魔物の亡骸は持っていた火種で燃やし処分する。
すべてやり終え、そこでふと気を抜いてしまった。ぐらりと視界が揺らぎ踏ん張ろうとしてみたものの足に力が入らないことを忘れていた。身体が崩れ、瞼が重く感じたときには遅かった。
意識朦朧とする中うっすらと目を開ける。どこか感じる懐かしさ、誰かが声を掛けてきてくれているような気がするが、うまく言葉を発することができない。男性と、そして女性の声。水が飲めるかとやっとのことで聞き取れた声に首を縦に小さく動かし声を出した。喉を通る水がこんなにうまいと感じたのは初めてだ。この場所が一体どこなのか、ふたりは一体誰なのか、それを確認する前に再び意識を手放してしまった。
次に目を覚ました頃には意識はしっかりとしていた。足に痛みが走ったが手当てをされていたのが目に入る。再び眠る前に声を掛けてきたあの若夫婦だと思われるふたりが暮らしているのだろうか、とベッドから立ち上がりドアを開ける。ふたりの姿は見当たらず、もしや出掛けてしまったのだろうかと外に出るドアを開けた。
そして目を疑った。
「は、畑……?」
目の前に広がる野菜だと思われる数々。実際こうして育てられているのを初めて目にする。魔法省が別の場所で確保している場所なのだろうか。それにしては設備はそこまで整ってはおらず、幼き頃歴史の勉強で教えられたような育て方だ。まさか自然と野菜が育った、というわけでもない。確実に人の手は加わっているようなこの場所でただただ唖然とするしかなかった。
するとだ、更に目を見張る光景が飛び込んでくる。女性がひとり、育てられている野菜の間をぬって顔を出してきたのだ。手と顔は若干土で汚れてしまっているというのに、平然としている。
「あら、起き上がれるようになったのね。おはよう」
まさか食料が行き届いておらずここで自分たちで作っているというのだろうか。動揺のあまりそれをそのまま口にすれば、なんとこれは趣味だと更に驚く言葉が返ってくる。女性とそんな会話をしていると男性がひとり、収穫したと思われる野菜を持って戻ってくる。こちらも女性と同じような格好をし土で汚れている。趣味で、わざわざこんな、と思わざるをえない。
それからふたりと会話をしてみたが、決して悪い人間ではないようだ。趣味は驚くものだったが倒れていた俺を介抱ししかも怪我が治るまで居座らせてくれるらしい。いい人たちに見つけてもらってよかったとホッとしたのも束の間、とあることを思い出す。この家の裏にある森は突き抜けてしまえば結界から出てしまう。魔物の被害もあるのでないか、と不安視していればやはり魔物が現れるようになっているとのこと。
早急に調査が必要だと思案していたが、その日夕食に出された野菜スープが美味く思わず和らいでしまったのは騎士としてどうかと自戒した。
無事に屋敷へと戻ることができ、討伐部隊に心配をかけさせたと頭を下げた。それぞれが無事でよかったと口にしてくれ、あのあと残りの魔物も無事に討伐できたと報告を受けた。一度あの小さな家でプルソン家に連絡を取ったが、そのときもシャルル様が部屋から出たという報告は受けなかった。廊下を歩き、メイドと顔を合わせる。怪我の具合はどうかと労るような言葉に大丈夫だと返し、そして扉に目を向ける。
ふっと息を吐き出し、ノックをし声を掛ける。返事があったが覇気がない。
「シャルル様、少しよろしいでしょうか」
レグホーンの髪は長く伸ばされたものではなかった。服も庶民が着る服で動きやすさ重視のそれは決してきらびやかではない。
「……ソフィア令嬢を見つけたかもしれません」
慌ただしい音と共に少し派手な音を立てて開け放たれる扉。騎士として固く閉じられている扉を自らの手で開けることがなかったため、こうしてシャルル様と顔を合わせたのは本当に久しいものだった。
「本当ですの?! ドミニク、詳しいことを言ってくださる?! あっ、まずは部屋に入ってちょうだいな!」
「は、はっ、失礼します」
手首を捕まれそのまま部屋の中に引っ張られ、椅子に座れと催促される。あれだけ覇気のない声だったのに一体どこからそんな声量が出せたのか、と思いながらも住まいを正す。
「恥ずかしい話ですが、実は魔物に怪我を負わされ近くにいた庶民の方々に助けてもらったのですが」
「まぁ! そうだったんですの? 怪我は大丈夫なのドミニク。痛くはないの? 治ったの?」
「落ち着いてくださいシャルル様。治ったのでこうして戻ってきた次第でございますから」
「よかったですわ……そ、それで……?」
その助けてくれた庶民の方々のひとり、女性のほうがソフィア令嬢と佇まいが似ていたと説明する。とは言っても約二年前、長く伸ばされた髪にきらびやかなドレス姿を見たのが最後だ、あの頃はまだ幼さも残っていたがそれも取れていたため確証がどこにもない。趣味で畑仕事をしており平気で土に汚れ、しかもまさかの魔物の討伐さえもやっていた。血抜きを目の前でされたときは自分の目を疑い、まさか令嬢がここまですることはないだろうとすら思った。
しかし髪が短くなろうとも着ている服が変わろうとも、食事の際の食べる姿勢や仕草、ふと見せる佇まい。身体に染み付いている美しい所作は滲み出ていた。
「……わたくし、会ってみますわ。ドミニクを助けてくれたお礼、という名目で会えるでしょう?」
「しかしシャルル様、私も確証はございません」
「問題ありませんわ!」
勢いよく立ち上がったかと思えば、彼女はビシィッと自分の目を指差した。
「わたくしにはこの目がありますもの!」
それはシャルル様がまだ部屋に篭もる前、パーティーに出席していたときだ。言い寄ってきた男がシャルル様の財産目当てだったのだが当時無垢な彼女はそれに気付かなかった。男の言葉をすべて素直に聞き入れ、そしてもう少しでというところでメイドが異変に気付きその男はプルソン家によって退治された。素直なことはいいことだがあのときばかりは流石の主も肝を冷やしたようで、頼むから人を見る目だけは養ってくれと懇願されていた。そうして身に付けたのが魔法による『分析』だ。
正直人を疑うことを難しいとするシャルル様は社交界で揉まれて技を身に付けるより、魔法での習得のほうが合っていた。屋敷の者一同安堵したのは言うまでもない。
「それにわたくし、ドミニクの『目』も信じていますわ」
「……! シャルル様……」
騙されてしまう隙を持っているのは令嬢としてかなり欠点なのだが、けれど人を純粋に信じる美点も持っている。
「その装いで会いに行くおつもりですか?」
「え?」
「ドレスなどサイズが合わないのでは?」
「……きゃーっ! 本当ですわー!!」
部屋に篭もり外に出ていなかったが、食事はしっかりと取られていた。運動はせずに栄養はしっかり取っていた。つまり、そういうことだ。
心が弱りストレスもあったのだろう、肌も荒れてしまっているし髪の艶も落ちている。そんなシャルル様が真っ先にしたことはメイドを呼ぶことだった。大声で呼ばれたものだからメイドは慌てて駆け込んできた。
「メリッサ! わたくしを磨きに磨きますわよ!」
「はい! かしこまりました!」
それから一気に慌ただしくなる。部屋から出てきたシャルル様に皆が安心したものの、あまりの慌ただしさに釣られるように慌ただしくなる。屋敷が一気に活気にあふれ報告を聞いた主は満面の笑みを浮かべた。
ひとりの令嬢の行方不明、という言葉であれほど塞いだプルソン家の令嬢を元に戻したのは、またそのひとりの令嬢だった。
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