その頃あなたはどうしてた?
セイファー・オリアスの場合 1
魔法省の中でも楽な仕事とされている生産業。決められた時間に決められた魔法を使うだけ、のわりには給料がいいのは食料を枯渇させないためだろう。攻撃魔法をあまり使えない人間にとっては討伐に行く必要もなく、安全な場所で簡単な魔法を使うだけでいいこの場所はいいところなのだろう。
ただしその生産性を上げるための研究は常に行われている。植物光化学に興味があった僕はもちろんそこに在籍していた。必要な仕事さえこなせば好きなだけ研究に没頭できる、ある意味最高の環境だ。
というのに、なぜかどことなく物足りなさを感じていた。
「オリアス、少しいいか」
「え? あ、はい」
研究室から出てきたタイミングで上司に呼び止められ、大人しくその後姿についていく。何かやらかしたことがあっただろうかと考えてみたけれど、仕事はしっかりやっているし研究室にこもっているばかりだから特に思いつくことがない。なんだろうか、と首を傾げて上司の部屋に失礼した。
はいこれ、と差し出されたのは一枚の紙。ますますもってなんだろうかと首を傾げつつ一応受け取り、書かれている文字に目を走らせる。
「……家庭、教師?」
「とある令嬢のご所望だ。別に断ってもいいがそこは任せる。途中で辞めるのもありだろうしな」
「はぁ……」
別に貴族の令嬢が魔法省に家庭教師を頼むのはめずらしいことでもない。身を守るのために魔法を使いたいという人もいれば、いらぬ争いに巻き込まれたくないという思いで魔法を覚える人もいる。そして誰に習うか、となればそこは魔法省に勤めている人間になるのだ。
でもまさか、自分にその話が来るとは思いもしなかった。僕はサポート系は使えたとしても攻撃魔法はほぼ使えない。それに、とチラッと手に持っていた紙に視線を落とした。注意事項に「植物に詳しい人」と書かれている。なぜ植物? と普通なるだろう。令嬢と植物の関係性なんてかけ離れている。もしかして花を愛でたいだけなのか? とも思ったけれどそれなら庭師に頼めばいいだけの話しだ。
「よーどうしたオリアス、浮かない顔して。おっ、家庭教師の依頼か?」
「うん、まぁ……そうだね」
「いいじゃんいいじゃん。令嬢と仲良くなれば逆玉狙えるかもよ?」
歩いていると同僚の男に絡まれ肩に腕を回される。研究室にこもっているばかりだったからこうして彼と親しく話す間柄でもないんだけど、とほんの少しだけ身体を引いた。
どれどれ、と勝手に紙を覗き込んだ彼はすぐさま「ゲッ」と声を漏らした。
「うーわフォルネウス家。あそこのお嬢さんかよ」
「君は知っているのか?」
「まー色んな噂聞くよ。気が強くてメイドを次々に辞めさせるとかパーティーのときに他の令嬢と喧嘩になるとか。いいイメージはねぇなぁ。断ったら断ったで何されるかわかったもんじゃねぇし」
「え……」
「ま、あんま関わんねぇほうがいいぜ」
不穏なことだけ言うだけ言って彼は興味をなくしたかのようにすぐに去って行った。なぜいらない情報だけを与えていった、と恨めしく思いつつもう一度紙を見る。何度見たって書かれている情報が変わることはない。
本当のことを言うのであれば、すぐに断りたい。そんな貴族とか社交界とか、今まで一度も関わったことのない世界に触れるのは嫌だ。しかも依頼主はあまりいい噂のないお嬢さん。他にも聞いた話だけれどたまにただ遊ぶだけで家庭教師を依頼した令嬢や、立場を利用して見下すだけの令嬢がいるということも何度も耳にした。
ぐぬぬ、と喉を唸らせる。そんないい話を聞かない中でもこうして悩んでいるのは、注意事項に書かれている文字だ。
しばらく廊下で立ち止まり頭を抱え、そして何度も同じ文字を読む。どうしようか、やっぱり嫌だ、いやそれでも、という言葉を何度も頭の中で巡らせた。
「……受けるだけ、受けてみよう」
そしていじめられる前に逃げ出そう、と僕はその家庭教師を受けることにした。
指定された場所に向かい口をパカンと開ける。立派な門構え、奥に見える豪華な屋敷、無駄に広い手入れがされた庭、こんなの今まで一度も見たことがない。門の前に立てば待ち構えていた執事のような人が深々と頭を下げた。
「セイファー・オリアス様でございましょうか」
「あ、はいそうです」
「お待ちしておりました。中へどうぞ」
キィ、と門が開かれ中へ促される。あまりキョロキョロ見渡さないように執事さんの背中を見ながら足を進めていた。とは言っても視界に入る装飾品、一体どれだけの値がするんだ。触っただけでも怒られそうだと内心ビクビクしていたのだけれど。そうこうしているうちに執事さんは立ち止まり、ひとつの扉の前で頭を下げた。
どうしよう、この先に例のお嬢さんがいるのだろうか。扉を開けた瞬間物が飛んできたりしないだろうか。そうなったらすぐに魔法を使うけど、とおっかなびっくりで扉を開く。せめて第一印象だけはよくしておこうと笑顔を貼り付けた。
「初めまして。セイファー・オリアスと申します」
当り障りのない挨拶を済ませる。愛想だけでもよくしていれば物は飛んでこないだろうと踏んで。軽くお辞儀をして顔を上げて、そして正面にいる女性……というよりもまだ少女とも言える年頃のようだけれど、そんな女性に目を向ける。さらりと流れるストレートな髪に、少し気の強そうな顔立ち。
「初めまして。ソフィア・エミーリア・フォルネウスと申します」
その少女は僕の挨拶にふんぞり返って対応する、なんてことは決してなく寧ろスカートの裾を軽く摘んでお淑やかに挨拶を返してきた。顔に出さないように気を付けたけれど実はかなり驚いていた。
すぐに執事さんに指示を出し僕は椅子に促される。それから会話をして、そして持ってきてもらったお茶を飲んでとしていたけれど噂は所詮ただの噂なのだと実感した。物を飛ばしてくることもなければ怒鳴ることもせず、寧ろ話し方やその所作は育ちの良さがよく現れている。まさに令嬢とは彼女のことを言うんだなと思えるほどだった。
正直に言うと彼女との時間はかなり充実したものとなった。まさか令嬢が土いじりをしたいなどと言い出すとは思いもよらなかったけれど、それでも彼女の目は本気だったし何より物事の考え方に好感を覚えた。今この時代で農作業をやりたいと思う人間と出会ったことはなかった。野菜は定期的にきちんと安定して市場に出回る。不作に陥り食べ物で困る人が出てこないように国の仕組みとしては立派だ。
そう、魔法省で十分の給料をもらえて好きな研究に没頭できるという最高の環境にいたにも関わらず何か物足りなさを感じていたのは、彼女と同じように僕も本当は土いじりがしたかったからだ。
魔法に頼らない、昔ながらの方法で野菜を育ててみたい。色々と大変だろうし天候にも左右される。それでも、自分で食べる分ぐらい自分で育ててみたかった。それを前に一度同僚の前でポロッと零したことがあったけれど。
「なんでわざわざ面倒な方法でやりたいわけ? 時間の無駄だよ、無駄」
そう言われ鼻で笑われた。彼の言い分もわかる、無駄に時間を使わず便利さに頼るのだって快適に生きるための知恵だ。それもよくわかっているからそれ以来そのことを同僚の前で口に出すのも億劫になった。
けれど彼女の前なら、それを口にしたっていい。寧ろ彼女は知識がある僕を「先生」だと言ってくれる。同じ気持ちの人がいるのであれば持っている知識をあげたくなる。君ができる範囲でいいからやれることがあるならぜひやってみてほしいと、背中を押したくなってくる。
来るときあれだけ億劫な気持ちが帰る頃にはパッと晴れやかなものに変わっていた。
彼女の噂を教えてきた同僚と顔を合せたときに「どうだった?」と聞かれた。噂はただの噂だったよ、と手短に返すと「令嬢っておっかねぇなー」とわけのわからない言葉が返ってきてそれ以来言葉を交わすことはなくなった。出会ったことも話をしたこともないのに噂だけで人を判断することに違和感を覚える。確かに、僕も最初はそうだったけど。でも彼女と会ったからこそその考え方を改めた。
それよりもと少し小走りで廊下を走る。彼女に教える時間を増やしたいけれど、でも残念ながら僕には僕の仕事がある。どちらが重要だと聞かれたら魔法省の仕事のほうになってしまうのだ。彼女にも本職を優先してほしいと言われてしまったし。
時間があるときに彼女に色々と教えているけれど、会う度に驚きを覚えてしまう。彼女が勉強のために使っている紙にはいつもびっしりと文字が書かれている。予習、復習をしっかりとこなしていて僕が教える頃には大体のことを覚えていた。とにかく勤勉なのだ、彼女は。
けれど逆に、だからこそあそこまで綺麗な所作が身についているんだなと納得できる。幼い頃からきっと作法について学んできたんだろう。
でも疑問も出てくる。なぜ令嬢である彼女があそこまで必死に勉強しているのか。
「やぁセイファー。家庭教師しているんだってね」
「ウィル。戻ってきてたのか」
「ついさっきねー。討伐から戻ってきたばっかりだっていうのに次は魔法省での仕事しろってさ。休みぐらいほしいよ」
「大変だな……」
友人であるウィルは魔法省でも優秀な人間だった。あらゆる魔法を扱えるし持っている魔力も大きいため、よく魔物討伐の声が掛かる。ウィルは魔物討伐したいから魔法省に入ったわけではないと、出発する前日いつもそう小さく零していた。
「どう? 家庭教師」
「そうだな……勤勉なご令嬢でいつも驚かされるよ。今度は鉢植えでの野菜の育て方を教えようと思って」
「へぇ、そうなんだ。めずらしいよね、令嬢が野菜作りなんて。暇つぶしか何かなのかな?」
「……それにしては」
「何か問題でも?」
「あ、いや、そうじゃないんだけど」
なんだか言葉にするのも憚れるな、とその先を濁す。魔物討伐から戻ってきたし色々と話したいこともあるけれど、彼はこれからまた別の仕事が入ってるし長い時間呼び止めるのもなと思い挨拶を済ませてすれ違おうとした。けれど資料やら何やら一気に持っていたため紙が数枚パサパサと音を立てて落ちた。屈み込んで取ろうとしたんだけどまだ手に残っている資料も滑り落ちそうで慌てて手で止める。その間にウィルが落ちた紙を拾ってくれていた。
「あれ? これって空き家?」
「え? あっ」
「セイファー引っ越すの?」
「いや、それは……」
ちょこっと、チェックしていたものだ。街外れにある荒れている土地とボロボロの家だけれど、だからこそかなりの安値で売られている。畑仕事するには打って付けの場所だな、と研究しながらなんとなく手につけていた紙だった。
「……育ててみたいんだ、野菜を。魔法に頼らず、自分の手で」
ポロッと零れた言葉に驚いたのは僕自身だ。誰にも言うつもりがなかったのに。もしかしたら彼女に対して言葉にしてしまったから口が軽くなったのかもしれない。
けれどウィルは、同僚とは違い決して鼻で笑うことはしなかった。寧ろパッと目を輝かせて「いいね」だなんて笑顔を浮かべていた。
「それがセイファーのやりたいことなんだろう? 素敵じゃないか。いいことだと思うよ、僕は」
「ウィル……」
「……寧ろやりたいことがあるセイファーが羨ましいよ。僕は自分が何をやりたいのか、わからなくなってる。魔物討伐をしたいわけでもないけどでも何をしたいのか聞かれたら言い淀んでしまう。あったとしても、果たしてそれが許されるのかもわからない……大きな力には、大きな責任も伴うからね」
今までウィルのことを羨ましいとか妬ましいとか思ったことはない、ただあらゆる魔法を使えることはすごい才能だなと思っていたぐらいで。でも、ウィルの言う通り大きな力を持っている人には、その人なりの苦労や悩みもあるのだろう。そんな彼に対して特に特化した才能があるわけでもない僕が言える言葉なんて、ないのかもしれない。
「ねぇセイファー。思いきってみたら? 言葉にするぐらいやりたいことじゃないの?」
「それは……」
「いい傾向だと思うよ僕は。だって君、そういうの言葉にしないだろう? きっとその令嬢がそんな君のこと変えてくれたんだね。いい出会いをしたじゃないか」
そうなのか。まだ彼女と出会ってそんな長い付き合いというわけでもない。少ない時間の中ただお互い勉強を教え教わっているだけの間柄に過ぎない。けれど確かに僕はそんな彼女の力になりたいと心のどこかで思っている。何かに追われているような彼女の手助けになればいいなと。
そしてそんな彼女も僕の背中を押してくれている。今までだったら思うだけで行動に移そうとは思わなかった。ただ物足りなさを感じながらも何気なく同じ毎日を繰り返すだけなんだろうと。でも僕は気付いたらこの空き家が記載されている紙を手に取っていた。
「……僕が魔法省を辞めたら、君は怒る?」
「まさか! でも引っ越したら僕を呼んでくれないと、そのときは怒るかな! 突撃してあげるよ」
「はは、わかったよ」
友人の数は少ないけれど、それでもいい友人を持っていると思う。彼にも軽く背中を押してもらい、いよいよ魔法省を辞める準備を始めた。
けれどそう思った矢先、まさか彼女からあんな相談をされるとは思いもよらなかったけれど。
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