第29話 エピローグ

「よかったんですか? エリーさん」

「何が?」

 よっと軽く力を入れれば立派なラディッシュが土から現れた。うん、今回もいいできねと満足して軽く土を叩き落としたあとバスケットに入れる。

 あれから地上にいた騎士たちと連絡を取り合った王子は場を収束させ、地上に被害が出ることなく事は無事収束した。王子は騒動を収める力があると王や貴族たちに示すことができ、この国も安泰だという声はあちこちから上がっている。

「武勲が認められエリーさんであればフォルネウス家を継ぐことも認められたではないですか」

「先生、わかってないわね」

 あらゆる野菜を収穫し終えた先生がバスケットを持ちタオルで頬に付いた汚れを拭いながら、そう口にする。そんな先生に人差し指を軽く左右に振った。

「例え王子が認めたところで落ちぶれた家の名誉を回復させるにはとてつもなく労力がいるのよ。貴族たちにありもしない噂を流されてあっちでヒソヒソこっちでヒソヒソ。たまったものではないわ――それよりも」

 グッと腕に力を込めて引き抜けばごっそりとこれまた大きな野菜が掘り起こされる。いい天気も続いて土が乾いてしまわないよう小まめに水やりをしていたおかげか、いい成長っぷりだ。

「私はこうやって先生とのんびり過ごすほうがずっと好きだわ」

「……私も、同じ気持ちですよ」

「ならそれでいいじゃない」

 野菜収穫を終えて先生と一緒に移動する。前まで掘り当てた井戸を使っていたけれど汲み上げるのも大変だし、丁度裏の森にも流れている小さな小川があるからここまで水を引こうということになった。えっさほいさと設備を整えて今は畑の近くにその小川が流れている。その先には貯水所も作ったから利便性がよくなった。

「痛みはどうですか?」

「もうほぼないわ。色はどうなってる?」

「だいぶ薄くなってますよ」

「先生とアリスのおかげね」

 野菜の土を洗い流していたから少し濡れているけれど、先生はその手で右頬に触れる。あれから定期的に先生とアリスが呪の治療を行ってくれている。痛みはだいぶ引き変色していた肌も徐々に戻りつつある。だからこうして先生が私に触れても、そこから呪が移ることもなくなった。

 わりと呪耐性、というものは便利であったけれどふたりは治療を勧めた。耐性があるだけで実際また呪を掛けられたら痛みはなくても呪いは広がってしまう。そして私が故意に誰かを自分の身体を通して呪ってしまうこともできてしまう。そうなると普通に人との触れ合いもできなくなってしまうため、私自身も治療には首を縦に振った。便利ではあるけれど不便でもあったから。

 例えチート級の能力があったとしても普通の生活に支障をきたすのであれば、そんな能力は別に必要ではない。

 ゆっくりと頬を撫でていた先生だけれど私の頬が濡れていることにハッと気付いて、急いで綺麗なタオルで拭いてくれる。そんなに慌てなくてもと、なんだか先生の反応が面白くてついクスクスと笑みを零してしまった。

「そういえばこの間のウィルさんすごかったわね」

「あんなにはしゃぐとは思いませんでしたよ……魔法以外であんなに喜ぶなんて……」

 数日前突然ウィルが遊びに来たことを思い出し、先生はげっそりとしたように息を吐きだした。それはもう本当に突然だったのだ。

「セイファー、エリーちゃーん、遊びに来たよー!」

 両手を広げてやってきて、畑で作業していた私たちをキラキラとした目で見つめていた。「僕もやってみたい!」と言い出して先生が野菜を取るときのコツなどを教えていたけれどたった五分で力尽きた。体力のなさは相変わらずである。その人物が王族お墨付きの魔法省のエースだからもう何が何やら。

 結局食事に必要な野菜の収穫は私たちでやり終えて、いざ料理を作ろうとしたところ「手伝うよ!」と言ってそのやる気はよかったのだけれど一回包丁を下ろしただけで指を切った。最初の頃の自分たちを思い出しつつ、テーブルに大人しく待っているように告げたときのウィルはまるで子犬のようだった。この人物が今や魔法省のエース……と言うよりも、私にはもう先生の愉快な友人という認識でしかない。

 そんな愉快な友人がやってきた次の日には仏頂面の騎士が何かを持ってやってきた。相性の悪い彼と会えば自然と険悪な空気が流れてしまうのは仕方のないこと。私たちの間で先生がどう声を掛けていいのか右往左往している中差し出されたのは、バスケットに入っていたフルーツの盛り合わせだった。突然何、と訝しげていると視線を逸し小さく「父からだ」という言葉が聞こえた。どうやら私がまた呪いを受けたと聞いて見舞いに行けと言われたらしい。

「まぁ。それはわざわざありがとうございます。ディラン様にお礼をお伝えください」

「持ってきたのは俺だぞ」

「でもこれを持っていくように告げたのはディラン様ですよね?」

「くっ……!」

 悔しげな顔に口角をにんまりと上げる。ゲームでは親子の関係はそんなに良好というわけではなさそうだったけれど、でも今はこうやってお使いを頼むぐらいだから仲が悪いというわけでもなさそう。とは言ってもゲームの世界でだってルクハルトが一方的に父親に対して苦手意識に近いものを持っていただけだったのだけれど。

 いつまでもバスケットを持たせるわけにもいかないか、と礼を言いつつ左手で受け取る。ルクハルトとディランが騎士だということを忘れていた。受け取った瞬間意外にもずしりとした重みが加わって腕が下に引っ張られる。しまった落としてしまう、と思う前に急いで差し出された手がバスケットを受け止めた。

「……無理はするな」

「あら、ありがとうルクハルト」

「ッ……俺は用事を済ませたからな!」

 まるで言い逃げのように、言うだけ言ってさっさとルクハルトは去って行ってしまった。いきなりなんだ、と目を丸くして後ろ姿を見送るしかない。なんていうか、さっきの反応はまるで。

「ツンデレね」

「つんでれ……? ですか?」

「ええ、普段はツンツンしてるのに急にデレるのよ」

「ああ、エリーさんですか?」

「私はツンデレではないわよ?!」

 何を言っているのよ! っと怒っても先生はにこにこと私からバスケットを受け取って家に入っていくだけ。私にツンもデレもないわよとひとりごちりつつそんな先生のあとを付いて行った。

 とまぁ、アリスは定期的に来ているし王子は今は忙しい身であるから顔を出すことはないけれど、たまに使いの人からの手紙を頂く。とは言っても書かれているのはほとんどやってくるアリスの様子についてだ。私の体調を気遣う言葉がひと文、あとは全部アリス。最初こそはちゃんと読んでいたけれど最近では面倒でまったく読んではいない。寧ろやってきたアリスにその手紙を渡しているぐらいだ。

「エリーさん、そろそろやってくるんじゃないですか?」

「ええそうね」

 野菜も洗い終えて家の外に並べていたテーブルの上に置く。このテーブルも天気のいい日では外で食事をしたり、そしてたまに野菜を干したり漬けたりするときの作業机として役立っている。

 ドアに掛けられているベルがカランと反応した。予想通りだと先生と顔を見合わせて小さく笑って、坂のほうへと視線を向ける。相変わらず賑やかで楽しげな声に、後ろから追いかけるように前を歩いている足音より少し重い足音。ふたつの音が徐々に近付いてくる。

「エリーお姉様~!」

「相変わらず元気ね」

 苦笑していると見えてくる揺れるツインテール。動きやすい格好にブーツ姿のシャルルは畑を横切って思いきりこっちに駆け寄ってきた。抱きついてくる小さな身体を受け止めて、一度ギュッと力を込めたシャルルは話しやすいように小さく距離を取った。

「やっと遊びに来れましたわ! はぅっ?! あぁっまたしてもお顔が……!」

「そして相変わらず大袈裟ね……」

 ふらついた身体を腕を引っ張って支える。

「これでもだいぶマシになったのよ? ね、先生」

「ええ。かなり肌も元に戻ってきてますよ。呪を受けた当時の私の衝撃はシャルルさん以上でしたけど」

「そうだったの?」

「そうですよ」

「でもほら、シャルル、もう触れられるほど回復したわ」

 今の私の右手はしっかりとシャルルの腕を掴んでいるけれど、そこから呪が移ることはもうない。今まで来ないようきつく言いつけていたのはそうさせないためだったけれど、ようやく解禁だ。もう大丈夫だと連絡を送り、受け取ったシャルルは即行でここに来ることを決めていた。

 私の手を握り返して涙目で右頬に視線を向けてくる。少しでも突けばぽろぽろ零れそうな水分はギリギリのところで保っている。

「エリーお姉様、痛くありませんの?」

「ええ、先生と聖女様のおかげでね」

「わたくし、何もできなくてっ……会いたくても会いに行けませんでしたし、わたくし、わたくしっ……わーん!」

「ああもう泣かないの!」

 突かなくても簡単に溢れた。子どものようにわんわん泣いているシャルルにどうすればいいのかわからなくて先生に視線を送るけれど、にこにこと笑って見守っているだけ。子どものお守りなんてやったことがないのだからどう対処すればいいのかもわからない。

 すっかり困り果てた私を見かねてか、後ろに控えていたドミニクがシャルルの肩を支え取りあえず私から引き剥がしてくれる。そのあとゆっくりと背中を擦っていると徐々にシャルルの涙が引っ込んでいく。流石、扱いに慣れているわね。

 サッと綺麗なハンカチを鼻に当て、涙と共に出ていた別の水分を拭い取ってあげたあと「シャルル様」と持っていたものを差し出した。

「エリー嬢に見てもらうのでしょう?」

「そうでしたわ! エリーお姉様、見てください。わたくし自分で育てましたのよ!」

「これって……ミニトマト?」

「はい!」

 バスケットにコロコロと転がっている赤い実には見覚えがある。ツヤツヤと輝き実もしっかりとしていて、大事に育てていたことがわかる。

「種か、もしくは苗はどうしたの? 一般的に出回ってはいないでしょう?」

「そこはお父様の伝手をお借りしましたわ。魔法省にお友達がいらっしゃって、少しだけ分けてもらいましたの!」

「……魔法省って少し緩くないかしら」

「以前にも言いましたが種も苗も十分の量が保管されているので、少しならば融通が利きますよ」

「……そうだったわね」

「お姉様、よかったらお食べになってくださる?」

 目がキラキラと輝いていて、まるで食べて食べてとしっぽを振って待っている子犬のよう。本当に既視感。約三年前の私もこうだったのかしらと苦笑が漏れる。こんなにも期待の眼差しでセバスチャンのことを見ていたのかしら。

 それならば、とひとつだけ摘んで口に放る。噛めばパチンと皮が弾けじゅわっと果汁が溢れた。程よい酸味にそして広がる甘味。小さい子どもでもしっかりと世話をすれば育てられる野菜だけれど、令嬢であるシャルルが土で手を汚し日当たりの良い場所へ置いて、そしてしっかりと水やりをしていたのだと思うと感慨深くなる。

「……どうですの?」

 黙々と咀嚼している私に不安げな瞳が向かう。自分が美味しいと思っても相手もそうだとは限らない、けれど。

「甘くて美味しいわ。よく頑張ったわね、シャルル」

 あのときセバスチャンがそうしてくれたように、笑みを浮かべポンと軽く頭を撫でる。シャルルの顔がパッと輝き嬉しさのあまりに頬を紅潮させていた。こうやって素直に喜びを表せることができるのはいいことだけれど、あのときの私はこれができなかったし今もできるかと言われたら、まぁ、うん、そうね。

 長年染み付いた令嬢としての作法が取れるのは、まだまだ先みたい。

「そうだ、そろそろセバスチャンも戻ってくる頃でしょうし、一緒に料理を作ってみる?」

「わたくしが、エリーお姉様とご一緒に?」

「ええ、嫌なら別にいいけれど」

「やりますわ! やってみたいです! ぜひお願い致しますわ!」

 本当に好奇心旺盛ね、と思いつつなんなら外で料理するのもいいかもしれないと一度キッチンに道具を取りに戻ろうとする前に、ドミニクからそれとなく呼び止められる。

「あの、シャルル様は料理を今まで一度もやったことがありませんが」

「……危ない感じ?」

「そうですね」

「……いざというときは包丁を取り上げるわ」

「お願いします……」

「お嬢……エリーさん、セイファーさん、ただいま戻りました」

 タイミングよく市場に買い出しに行っていたセバスチャンが戻ってきた。執事姿ではなくラフな格好をしている彼はバスケットやら何やら色々と持っていて穏やかに微笑んで歩み寄ってくる。

「パンが焼きたてということで買ってきました」

「マリーさんのところのパンね。うん、いつもいい香りだわ」

「それと、欠けていた農具もございましたので修理に出しそれも取りに行って参りました」

「すみませんセバスチャンさん、色々と」

「いいえ、大したことではございません」

 セバスチャンからパンを受け取り、先生は農具を受け取る。それとなくサポートしてくれるところが流石は元執事と言ったところだ。手に取ったパンからふわりと流れる香りに、ハッととあることを思いつく。

「このパンを使ってサンドイッチはどうかしら? シャルルが持ってきたミニトマトや色んな具材を挟んで」

「美味しそうですわ!」

 サンドイッチならば包丁もそう使いはしないだろう。ドミニクと目を合わせ小さく頷き合う。そうと決まれば庭にあるレタスとセバスチャンがパンと一緒に買ってきてくれた卵、そしてまだ残っていたフルーツに保存食として取っておいたお肉をベーコンの代わりに挟むのもいいかもしれない。

 それぞれがサンドイッチを作るためにいそいそと動き出した中、農具を戻しにに行っていた先生が戻ってきて私の隣に並ぶ。

「こうやってみんなで、というのもいいわね」

「そうですね。また今度狩りに行きますか?」

「ええ、そうね」

 結界は張られていても森を抜ければ外に魔物はいる。悲しいことだけれど魔物がいなくなる日なんて来ないと思う。人の負の感情だなんて、簡単に溢れてしまうものだから。

 それでも毒などが回っていなければ人を襲うことしかできない魔物をありがたい食料として頂く。少し前までなら呪のせいで矢を射った魔物は同じように呪に掛かってしまっていたけれど、今ならその心配はない。

 エリーさん、という言葉に隣に視線を向ける。先生がいなかったら私はあのまま屋敷で操り人形になっていたのかしら。それとも癇癪を起こして頭を強打していなければ、恋愛シミュレーションゲームのシナリオから外れることなくそのまま悪役令嬢としての役割を果たしていたかもしれない。

「これから何をどうしたいのか、目標とかありますか?」

 穏やかに微笑む先生に、同じように笑みを返す。頭を打ったことによってなかった選択肢が生まれ、私はそれを自分の意思で選んだ。

「もちろん、私の目標は一人前の狩人になることよ!」

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