第28話
アリスの悲鳴が上がる。もう一体何度その悲鳴を聞いただろうか。でもそうね、ヒロインは元は庶民の出身で争いとは縁遠かった。穏やかに暮らしていてたまたま癒やしの力が使えるから聖堂に呼ばれ、そして聖女とされた。
思えば彼女にも自由はあったのかしら。癒やしの力が使えるってだけで浄化の力が使えるってだけで、聖女とされ道を勝手に決められた。別に彼女がそれに納得しているのならばいい満足しているのならいい。でも他にしたかったことがあったのではないの、と道から離れた私だからこそ思う。そもそも選択肢すらなかったのかもしれないけれど。
ヒロインは攻略対象の好感度を上げるための選択肢はあるのに、ストーリー上自分で聖女になるかどうかの選択肢は選べないのだ。
「エリーさんッ!!」
真後ろからそんな声が聞こえて、大袈裟なのよと内心苦言を呈する。
いつの間にか使えるようになっていた強化魔法があってよかったと、このとき初めて思った。瞬時に強化してここまで一気に距離を縮め、そしてアリスを射抜くはずだったボウガンの矢は私の右肩を射抜いたのだから。
右腕はもう呪に掛かっているから今更三度も四度も掛かろうと私にとってはそう大したことではない。物理的な痛みは確かにあるけれど、三度も耐えれば四度目の痛みにだって。
「痛っ……たく、ない?」
耐えれる、と思った痛みはあまりなかった。肩を押さえつつ首を傾げる。確かに矢が刺さった痛みはあるけれどそれだけで、呪によっての痛みがあまりない。
呪で作られたものだったのか、矢はそのまま私の右肩に吸収され姿を消した。血も出るはずだけれどそれも呪なのか、禍々しいオーラがあるだけ。ますます意味がわからず首を傾げている私に対し、絶句していたのは矢を射った男とそして――オスクリタだった。
「まさか……呪耐性だとッ……?!」
「耐性? あら……私耐性ついたの?」
「もしかして解術と浄化の力で一度治療をしたから、でしょうか……?」
「まぁ。副作用、というやつかしら?」
伊達に三度も呪を喰らったわけではなかったわね、と口角を上げ弓を構える。顔を青くし腰が砕けた男に狙いをつけた。
「やめッ――」
矢は真っ直ぐに飛び男の左手に命中した。勢いを殺さぬままに飛んだものだからそのまま後ろに壁に突き刺さり、左手が磔の状態になっている。
その直後、男の情けない悲鳴が上がった。あのときと違って悲鳴を上げられるだけまだマシよね、と思いつつもやっぱり私の予想は正しいのかもしれないという思いつつ一歩ずつ足を進める。
「とっても痛そうね、お父様」
「ソ、ソフィアッ……お前ェッ!!」
「自業自得というものではないかしら。どうせ甘い言葉に誘われてこの場にのこのこと現れたのでしょう?」
目の前で立ち止まり、目を合わせるように身を屈めてにっこりと微笑む。そして徐ろに矢に手を伸ばせば男は引き攣るような悲鳴を再び上げた。
「見苦しいですわよ」
可哀想な父親のことを思いひと思いで矢を引き抜いてやったというのに、男は左手を押さえて蹲り転がるだけだった。一歩下がり矢をくるりと回転させて矢尻に目を向ける。血痕がついているけれどそれ以上に、矢は矢尻を始めとして禍々しいオーラをまとっていた。
やっぱり思っていたとおり。呪で呪を跳ね返す、ということはできないようだ。
禁術は時間をかければ解術できるけれど、呪は解術と浄化の力を併せ持ってしても完璧に治すことはできなかった。それだけ呪いというものは複雑でそして禍々しいもの。そもそも動物に移り『核』を成して身体の作りを変えてしまうほどのものだ。
私の仮説、だけれど。呪を呪で跳ね返すことはできない、となるともしや逆に呪で呪の効果を上げてしまうことはあるのではないか。跳ね返すのではなく、上掛けする。男はさっきまで呪で作られたボウガンを持っていたのだから少なからずその手は呪いに掛けられていた。だから同じく呪いに掛けられている私が放った矢にあそこまで激痛に襲われていたのではないか。所謂呪で痛みがより通りやすくなった。
でも私がこうして呪に掛かっている矢を持っていても平気だということは、きっと先生の言う耐性のおかげなのだろう。解術と浄化の力のおかげで呪との繋がりがそこまで濃厚ではなくなっている。
「この矢でもう一度射ってみたら、お父様どうなってしまうのでしょうね」
「お前ッ……それでも人の子かッ……う、うぐぅッ」
「あら、あなたがそれを言いますの? でも、そうですわね」
男から視線を外し、身体を向き直す。矢を構えれば面白いほどビクリと肉塊が身体を跳ねさせた。
「私はあなたたちが仕立てあげようとしていた、悪役令嬢ですもの」
禁呪と呪は別物、だけれど呪と『核』は種類としては同じ。ということは、あれほど『核』を吸収したその肉体に呪を放てばどうなるのか。
「……その矢を下げてはどうだろうか、お嬢さん」
「あら今更怖気づいたとでも? 私が呪に掛かったのはあなたのせいなのだけれど。因果応報という言葉を知っているかしら?」
そもそも人を呪う術をフォルネウス家に掛けなければ、人を操ってまで反乱を企てなければ、人の血肉と大量の『核』を飲み込まなければ、このような状態にはならなかった。
人の姿ではなくなったくせに今更人の言葉を喋り如何にも知識のある人間を装う。悪役もここに極まれりね、と弓はキリキリと音を立て徐々に肉塊との距離を縮める。
「――やめろこの小娘ッ!!」
「やめろと言われてやめる人間がいるかしら」
私があれほど本体に矢を射ろうとしてけれど叩き落とされていたのは、オスクリタもいち早くわかっていたから。
複数の腕がうねり物凄い早さでこちらに襲い掛かってくる。私の前に魔法のシールドが現れ後ろでは魔法によって腕が弾け、目の前では斬撃で斬り落とされる。
今までチートもご都合主義もなかったけれど、まさか最後の最後にこんなチート級な能力が身につくなんて。いえチートだなんて言えない。チートであればあれほど痛みに苦しむことはなかった。三度もほぼ同時に喰らって、あのとき怒りで紛れてはいたけれど痛いものは痛かったのだから。意識を飛ばすほどの呪に掛かり、そして治療するときだって激痛に襲われそれでも完治ができなかった。腕は相変わらず変色していて、もし令嬢のままだったら嫁の貰い手すらない。社交界では行き遅れるほど周りの視線は冷たく厳しいものになりそして噂の種となる。まぁ、今は令嬢ではないからそれについてはもうどうだっていいのだけれど。
チートならばもっと楽に、苦痛の果てに手に入るようなものではないものがよかったと笑みを零す。
腕がうねることなく直進してくる。まともに当たったら吹き飛ばされるか、もしかしたら身体に穴が開いてしまうほどの勢いだ。けれど私は構えを解くことはしない。目の前に現れた鎧が事もなげにその腕を斬り飛ばしてくれた。
「これで貸し借りはなしだ」
「十分よ」
狙いを定め、矢を射る。
矢尻は腕の隙間をぬって本体へと当たり、禍々しい呪いが一気に肉塊に駆け巡る。所々に埋め込まれていたコアが鈍く光るように反応したかと思うと片っ端から砕けていく。
「ヒギィッギャァアアッ!!」
あの肉塊はもう呪いの塊と言っていい。だからあそこで放心している男とそして私が感じた以上の激痛が、身体中に走っているはず。断末魔のような雄叫びは空間に響き渡り、まるで恐れを抱き呪いから逃げるように吸収されていた肉が弾け飛ぶ。『核』も壊され肉が剥がれ落ち、最後に残ったのは生命力のない細い老人の身体。
自分を支える力さえ残っていない身体はそのまま倒れ込み、か細い呼吸音が聞こえてくる。これが反乱を起こそうとしていた人間の末路だなんて。もうとてもゲームの世界を感じ取れる状況ではない。
「……可哀想な人」
静かになったこの場はアリスの小さな声でも響く。指を組み横たわる老人の姿に王子の制止の声も聞かずゆっくりと歩み寄った。
「……こ、の、憎らしい、国を……破壊、する……」
「あなたに、少しでも人を想う気持ちがあれば……呪だなんて、掛けようとは思わなかったはずなのに」
「お、のれ……」
「せめてあなたに浄化の力を」
聖女が祈りを込めて力を発動する。淡い光に包まれて老人の身体を覆っていた禍々しいオーラが徐々に消えていく。
呪いを込めて矢を放った悪役令嬢と、浄化の力でラスボスですら癒やそうとするヒロイン。ここでもそういう差が出るのねと苦笑が漏れる。私はあそこまで慈悲深い感情を持ちあわせてはいない。因果応報と言った口が自分に呪いを掛けた人間をそう簡単に許せるだろうか。
きっとアリスも許したわけではないけれど、それ以上に老人が哀れで仕方がなかったのだろう。
やがて淡い優しい力は収束し、苦しそうな呼吸音はなくなった。背中しか見えないけれどきっと祈りを捧げているのだろう。小さく鼻を啜る音は彼女の優しさがあふれていた。
「……上の騎士たちに連絡を。みんな、よくやってくれた」
王子の静かな声も響き、そして歩み寄るとアリスの肩を支える。ルクハルトは剣を収めウィルはホッと息を吐いていた。人の気配を感じて視線を上げれば、心配げな先生の顔。
「エリーさん……」
「痛みはあまりないけれど、その顔を見る限り私の顔ってすごいことになっているのね」
苦笑すれば尚更先生の目が痛ましげに細められた。その先生の視線が右頬で留まっている。肩に当たったのだから呪いが更に広がり変色が頬まで行ってしまったのだろう。触れようとする先生の綺麗な手を左手で制した。
「ヒッ、ヒイィッ!」
聞こえた悲鳴に視線を向ければ腰を抜かしながらも必死に逃げようとしている姿。弓を構えたけれどはたと思い、腕を下げた。
「今の私では呪い殺してしまうわ。ルクハルト、お願い」
「了解した」
距離があったけれど大股でズカズカと近付いたルクハルトはすっかり怯えてしまっている男の目の前に立ち塞がり、そして首に手刀を入れ気絶させた。罰から逃れようとした罪や、更にそうなってでもオスクリタに加担しようとした罪。もう辺境の地へ送るだなんて軽い罰にはならない。
親としての愛情も貰わなかったし、ほぼ教育放棄されていた状態だったから同情の気持ちすら湧かない。ただ同じ血が通っているだけ、ほんの少しだけ哀れと思うだけだ。男がこんなことになったのも甘い蜜を啜って生きてきた代償だろうから。それよりも利用された妹のほうが不憫でならない。
「いや~疲れたよ。ここから出てセイファーとエリーちゃんが育てた野菜を食べたいよ僕は」
「ちゃっかりしているな君は」
「前々から食べてみたいと思っていたんだよ」
友人同士の会話に重々しかった空気がほんの少しだけ和らぎ、自然と笑みが零れた。
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