セイファー・オリアスの場合 2

 何度か来てみて思ったけれど、貴族の屋敷って普通こんなものなのかなと首を傾げていた。確かに造りは立派できらびやかな装飾品なども飾られている。

 けれど、ここに来て一度もセバスチャンさんとお嬢様以外の人の姿を見ていない。

 今もお茶を運んでいるセバスチャンさんとたまたま会って一緒に部屋に向かっているけれど、人の気配がないせいかこの屋敷はいつも静かだ。

「あの、セバスチャンさん」

「なんでございましょう?」

「私は一度もソフィアお嬢様のご両親と出会ってはいないんですけど。挨拶などはしなくてもいいんでしょうか」

「……ええ。旦那様はセイファー様が家庭教師として雇われていることをご存知ではございません」

「えっ?」

 それっていいのだろうか。そうなるとお嬢様が勝手に僕を雇っていることになる。一応手当ては貰っているけれどそしたらそれはお嬢様の懐から? お嬢様の資産運用はどうなっているんだろうかと心配になってくる。貴族の仕組みがまったくわからないためその辺りもどう回っているのかもわからない。

「えっと、メイドさんもどうなっているんですか? 一度も目にしたことはないんですけど……」

「メイドもございません。この屋敷には、お嬢様ただひとりだけの別棟ということになっております」

「え……」

 こんな広い屋敷が別棟で、しかも住んでいるのはひとりだけ? 流石におかしいということはわかる。彼女に物凄く問題があって別棟に追いやっているとかだったらまだ少しは納得できるかもしれないけれど、でも彼女と関わってそんな彼女に問題があるだなんてまったく思えない。あれだけ勤勉で、寧ろ優等生だ。それなのに、なぜこんな。

「メイドはおりました。けれど旦那様が送られてくるメイドは主を主と思わない不出来のメイドばかりです。流石にお嬢様も耐えかねて辞めさせております」

「……ちょっと、おかしくないですか。こんなところにひとりぼっちだなんて、ご両親は一体どんな気持ちで」

「どんな気持ちにもなられてはいないのです」

 セバスチャンさんが立ち止まりこちらに振り返る。今まで彼と当り障りのない会話をしたことはあったけれど、いつだって彼は執事の表情を崩さなかった。でも今目の前にいる彼は、小さく顔を歪ませ唇を噛み締めている。

「妹のキャロル様を溺愛するだけで、ソフィア様に愛情を注がれないのです。ソフィア様がどれほど令嬢として正しい振る舞いをしても、正しくない振る舞いをしても、何の関心も抱かない。それがフォルネウス家の主です」

 なんだろうか、なぜか今腹の底から沸々と怒りが湧いてくる。それはもう親としての義務を放棄しているということだろう。

 そこでやっとわかった。何かに追われるように必死に勉強している彼女の姿、きっとこの状況をどうにかしようと足掻いている姿なんだ。あんな細い身体で必死に藻掻いている。

「セイファー様」

 今まで淡々としていたセバスチャンさんの声に、感情が乗っている。思わず姿勢を正して目を合わせた。

「もしそのときが来たら、ソフィアお嬢様をここから連れ出してくださいませ」

「……へっ?」

「どうか、お願い致します」

 連れ出すとは、となったんだけども。いいんだろうかそんな人攫いのようなことをしてしまって。そして執事長である彼がそれを勧めて。

 けれど深々と頭を下げる彼のその行動が何よりの気持ちなのだろう。そんな彼に頭を上げてもらって「もちろんです」と言葉を返した。僕だって、彼女に何かできることがあればしてあげたい、その気持ちはあったのだから。


 この屋敷から出る、という彼女の言葉にセバスチャンさんの予想が的中した。流石は執事長、ひとりぼっちの彼女のことを想っていた彼にはお見通しだった。

 ただ彼女の計画がひとりこの屋敷から出て市場で下働きをしてお金を稼ぎ、貯まったら住む場所を見つけるということで驚きのあまり目が飛び出すかと思った。いや普通に考えたら別におかしなことじゃない、庶民階層の人たちにとっては普通のことだ。

 けれど彼女は貴族だ、今まで働いたこともない令嬢だ。確かに出会った頃に比べて多少たくましい身体つきにはなったけれど、庶民について熟知しているわけじゃない彼女がひとり放り出されて果たして生きていけるだろうか。この国は治安はいいほうだけれど決して安全というわけでもない。ゴロツキだっているし騎士が見回りをしていても事件に遭遇してしまう女性だっている。

 ふと、脳裏にあの空き家がポンと出てきた。いや、いやいや、タイミングが良すぎじゃないか。

 僕も確かに魔法省を辞めて荒れ果てた土地のある家に移り住もうとはしていた。そこで田畑を耕して自分で野菜を作りたいと夢見ていた。そして彼女も、ひとりで生きていくために野菜の育て方を僕に教わっていた。

 だからと言って、年端も行かない女性とのふたり暮らしはどうだ? 彼女もしっかりしているとは言え家族でもない男とふたり暮らしなんて嫌だろう。うんうんと悩み、そして取りあえずはと提案していみる。彼女がひとりで放り出されるよりはマシだと思って。

「断るはずありません。先生さえ、よければ……! 寧ろよろしいのですか?」

 けれど彼女がパッと顔を輝かせて頷くものだから。それなら男女ふたりで、という考えではなくて初心者同士でという考えであればうまく行くかもしれない。

 それから土地は僕が買い取るつもりだったけれど退職金やら家庭教師で頂いたお金は当分の生活費にあてるということになった。土地は彼女のドレスや宝石を売ったお金で買い取るからと。確かに彼女が持っているものはすべて立派なもので市場で売ればそれなりの額になるだろう。

 彼女には市場でドレスなどを売ることを任され、男がドレスを持ち運ぶということ自体変な目で見られないかドキドキしながら行ってみたのだけれど意外にも店の人は平然としていた。どうやら彼女が言っていたように使用人がよく売りに来るらしい。お店の人が買取価格を調べている間に店内にあった動きやすい服に目を通す。屋敷から出たときにきらびやかな服装のままだと悪目立ちするだろう。彼女も動きやすい服は持ってはいたけれど、僕にでもそれが質のいいものだとわかるからきっと他の人も気付くはずだ。

 とは言っても、今まで研究室にこもってばかりの僕だ。自分の服ですら若干無頓着なのに女性の服に関心があるはずがない。ということで女性の服のサイズもわからない。

「あの……」

「なんでしょう?」

「えっと、身長がこのぐらいの女性の服のサイズって……どれがいいんですか?」

「贈り物でございますか?」

「えっ、いや、えっと」

 違うんだけど違ってはいないのか。どう説明すればいいのかわからず口ごもる僕に何の勘違いをしたのか、顔をにっこりとさせた店の人は意気揚々と女性の服を勧めてくる。最近の流行はこれだとかこういう性格の女性はこれが似合うとか。説明されたところで全然わからないんだけど。

「動きやすい服でお願いします!」

 取りあえず第一はそれだ。屋敷から街外れまで移動できる服。貴族階層から庶民階層に移動するから距離もそこそこにある。なるべく身体の負担にならないよう、尚且つ丈夫なものがいいですと説明すれば一瞬困り顔されたけれどそれもすぐに笑顔になる。勧められたものは庶民階層にいてもおかしくない服で、流石本職さんだなぁと思いつつそれを購入した。

 彼女の準備もしなければならないけれど自分の準備もある。魔法省での仕事の引き継ぎなどもあるしドレスなどを換金したら今度はそれであの土地を買わなければ。

 彼女を少し待たせてしまうけれどなるべく急ごうとバタバタとした日々を過ごし、今日魔法省をあとにしようとしたところタイミングよくウィルと出会えた。忙しそうだねと笑顔の彼に事のあらましを大雑把に説明する。

「君が女性と一緒に暮らす?!」

「しーっ! 声が大きい!」

「あ、ごめんごめん。でも……大丈夫なのかい? だって君は研究に没頭するタイプだろう? 食事も睡眠も忘れる君が果たして人と同じリズムで生活できるのかい?」

「そこは、努力するしか……」

「まぁそうするしかないだろうけど……いやでもさぁ、同じ趣味だからって一緒に暮らすことになろうとは……」

「ご令嬢をひとり放り出すわけにもいかないだろ……」

「いやうん、そうだけどね」

 そういうことだから令嬢の身の安全のためにもしばらく新しい家に呼ぶことはできない、と謝ると彼は笑顔で「仕方がないね」と頷いた。そもそもまず家と庭の手入れから始めなければならないから人を呼べる状況でもないだろう。

 魔法省を辞めれば次いつウィルと会えるかわからない。彼も彼で忙しい身だし連絡もそう簡単にやり取りできるわけでもない。滅多にいない友人に会いづらくなる、と思うとどことなく寂しさを覚え眉を下げれば「そのうち会えるよ」と笑顔で励まされる。

「セイファー、僕は君の夢を応援するよ。なぁに、別に他国に行くわけでもないんだし寂しいことなんてないさ」

「そう、だな……あまり無理はしないようにな、ウィル」

「君もね。僕ら魔術師は自慢じゃないけど体力がないんだからそこは気を付けようね!」

 彼らしいジョークに思わず笑みが溢れて、僕たちは笑顔で挨拶を済ませることができた。


 あらゆる準備を終えてひとつのカードを取り出す。趣味で作った魔法具だけれどこうして使う日が来るとは思わなかった。これと対で作ったカードへ向かって魔力を送り込む。場所だけ記したけれど聡い彼女はきっとそれだけでもわかってくれるだろう。

 少しだけ、セバスチャンさんの顔が脳裏に浮かんだ。あの寂しい場所で彼だけが彼女を大切に想っていたけれど、立場上それを表に出すことは許されなかったんだろう。せめて彼のその気持ちが、彼女にどうか伝わっていますようにと橋の掛かっている川の前でそのときを待つ。

 ほんの少し待っていれば声が聞こえて、顔を上げればこっちに向かって手を振っている彼女の姿が見えた。徐々に近付いてくることでわかった、髪や肩についている葉っぱや少し汚れてしまった服。部屋の裏にあった木で降りたんだなとつい苦笑を漏らす。

 駆け寄ってくる彼女に自然と手を伸ばし、彼女も差し出された手に迷うことなく自分の手を重ねた。これから来るであろう暮らしが楽しみで仕方がないことと、そしてようやく彼女があの屋敷から抜け出すことができてその感情が足に現れる。街の中を男女が駆け抜けるだなんて駆け落ちに見えてしまうかも、という心配があったけれどそれでも彼女の笑顔を見れば小さなことのように思えた。

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