もうひとつの結末へと

第22話

「おはようございます、お嬢様」

「……令嬢ではないのだからお嬢様はやめて」

「ではエリー様」

「様なんて付けなくて結構よ」

 なんだか前にもこんなやり取りをしたような気がする。気のせいかしら。

 宣言通りセバスチャンは毎日訪れるようになった。起き上がれない私の身体を支えてくれて、身体を拭くための濡れタオルも持ってきてくれる。一通り身体を清めると着替えの手助けもサッとこなす。やっていることが屋敷にいたときと変わらないのだけれど。

 そうして身なりを整えてセバスチャンに支えられながら移動すれば、テーブルの上には先生が作ってくれた美味しそうな料理の数々。いつもホカホカの温かい状態で、私の体力の回復を少しでも早めようとしてくれている先生の気遣いがにじみ出ている。その先生の頑張りもあってベッドから動けるようにまでにはなっていた。

「先生、いつもありがとう」

「いいえ、セバスチャンさんも手伝ってくれているのでそこまで大変ではないですよ」

「ではお嬢……エリーさん」

 恵みに感謝をと手を合せたあと、セバスチャンからスプーンを左手で受け取る。

「エリーさん、シャルル様から通信来てましたよ」

 正面に座った先生が料理を取りやすいようにと私のほうへお皿を寄せながらそう報告してくれる。またなの、と苦笑しながら先生にお礼を言ってお皿から料理を取る。

「今度は泣き落としです」

「あの子ったら、もう手当たり次第じゃない。尚更来させるわけにはいかないわね」

「ですね。一応説得はしてみたんですけど」

 ドミニク伝いで私の容体を聞いたのか、毎日と言っていいほどシャルルは魔法具で通信して来る。内容はすべて「お見舞いに行っていいですの?」だ。そう言われる度に断っている。もちろん先生が出たときも同じように言っておいてほしいとお願いはしておいた。

 顔にほんのかすり傷を作っただけでふらりと倒れるような子だ、この腕を見た瞬間失神すること間違いない。失神するだけならまだしも下手したら駆け寄ってきて手を触ってしまうからもしれない。それを一番危惧しているためなんと言われようとも「駄目」と返すしかなかった。

 そんな会話をしつつ覚束ない手で食事を終える。ガチャガチャ落とさなかっただけでも良しとしてもらいたいところだ。利き手ではないほうの食事やその他もろもろ、色々と大変だ。私を気遣って先生が食べさせようとしたときは流石に恥ずかしくて断ったし、そのあとにセバスチャンからスッとスプーンをさり気なく口元に寄せられたときは避けた。この歳での「あーん」は恥ずかしい。

 目の前の食器は片付けられ部屋に戻った先生はすぐにローブ姿で現れる。ドアの前に立ち振り返るとセバスチャンに視線を向けた。

「それではエリーさんのことお願いします」

「はい、お任せください」

「気を付けてね、先生」

「行ってきますね、エリーさん」

 先生は野菜のお世話以外にちょこちょこと出かけるようになっていた。どこに出かけるのか何をしに行くのか一度も説明されたことはない。けれどいつも同じように出かける先生を見送る。

「……不安ですか?」

「いいえ。きっと先生も理由があって出かけていると思うもの。今は大人しく待っているわ」

「然様でございますか」

 見送りが終わって家の中に戻る最中、そんな会話をしながら妙にセバスチャンの笑みが気になって仕方がない。なんと言うか、眼差しが生暖かいというか表情はほわほわしているというか。前までは執事らしいセバスチャンの表情しか見てこなかったけれど今のこの表情はあれだ、まるで成長を見守る叔父のような近所のおじさんのような。

「……何よ、セバスチャン」

「いえいえ、何もございません。お嬢……エリーさんは、本当にセイファーさんのことを信頼なさっているのですね。このセバスチャン、いいお方を見つけ大変誇らしゅうございます」

「確かにセバスチャンが見つけたのが先生でよかったわ」

 植物に関して博識でできることなら土いじりを良しとする人、という条件の元探しだしてくれたのが先生で。植物に関して、というところは大勢いただろうけれど土いじり、の部分でどうしても狭まってしまうだろうなとは思ったけれどそのおかげで先生と出会えることができた。先生でなければ屋敷を出て一緒に暮らすだなんて絶対になかったことだ。

「先生に助けられていることはたくさんあるわ。この腕になっても色んなことをしてくれているもの」

「エリーさんが甘えられる人物がいて心の底からよかったと思います」

「……甘え過ぎかしら?」

「いえいえ、そのようなことは。それだけ信頼の証でございますから」

「そ、そう?」

 誰かに頼る、誰かに甘える、私にとって難しいことだけれど先生に対してはなぜかそれを自然と行えてしまう。お互い向き不向きがそれぞれあって、それぞれで補えるから自然とそうなっていったのかもしれない。

「ではエリーさん、お休みください」

「……起きたばかりだけれど」

「体力の回復にお努めください」

 何をさらっと自室に戻そうとしているのか。さっきも言ったように起きたばかりだ。けれど畑仕事はできないし狩りに行くこともできない、狩りにも行けないのだから武器の手入れをする機会もない。確かに体力を回復させなければならないけれど、一日中できることが何もないというのは中々苦痛だ。

「そうだ、先生が貸してくれた薬草の本でも……」

「では自室のほうで」

「……意地でも自室に戻すのね」

 別に椅子を運んで外で風に当たりながら本を読むことだってできるのに、セバスチャンは背中を支えしれっと自室のドアを開けた。そのままベッドの上に促されクッションを敷かれ、横たわらせると先生が貸してくれた本をスッと手元に置いてくれる。用意周到すぎて文句を言う隙もなければ本当に私のやることもない。

「……ありがとう、セバスチャン」

「ご用の際はお呼びください」

 屋敷にいたときと変わらないじゃない、とひとりごちりながら渋々首を縦に振って本を開いた。

 そして私は体力の回復に努め、時折出かける先生を見送りそして「おかえり」と出迎えて、たまにセバスチャンの小言を受けつつ日々を過ごしていた。聖職者が言っていた言葉だけれど、どうやらこの呪は徐々に侵食していくタイプのようだ。身体を清めているときにいつも確認するけれど日毎に変色部分が徐々に増えていっている。

 痛みが起きる感覚も徐々に縮まっていく。少し前までならできていたやせ我慢も先生の前で一度表情を崩してしまった。蹲る私に右手に触れないよう、少しでも痛みが和らぐようにと背中を撫でてくれる先生の手に感謝と共に心苦しい。そういうときの先生の顔はいつだって私と同じように苦しそうなのだから。

「先生、おかりなさ、い……?」

 その日もいつものように出かけた先生をセバスチャンに支えながら出迎えたところ、どうやらひとりではないことに首を傾げて先生の後ろに視線を向ける。何やら見覚えのあるローブ。まさかね、と思った瞬間フードが外されやっぱりかという言葉に変わった。

「こんにちは、エリーさん」

「聖女様がそう出歩いていいのかしら?」

「もちろん許可は得ていますので大丈夫です。お邪魔しますね」

 流石に護衛ひとりぐらいいるわよね、と少し距離の離れた場所を探してみたけれどどうも見当たらない。護衛なしで来たのかそれとも見えない位置で待機しているのか。取りあえず許可は得たという言葉は信じようと家の中に迎え入れた。

「セバスチャンさん、椅子を」

「かしこまりました」

「エリーさん、座ってください」

「え? え、ええ」

 なんだか感じる緊張感に何が起ころうとしているのか首を傾げつつ、先生に言われるがままセバスチャンが持ってきてくれた椅子に座る。そんな私の左側に先生は膝を付き、前にはアリスが屈みこんだ。ふたりして一体どうしたの、という言葉は右手に寄せられている視線で飲み込まれた。

「エリーさん、今から私とセイファーさんで呪の治療を試みてみます」

「先生……出かけていた理由って、もしかして」

「はい、聖堂に赴きアリスさんの浄化の力と解術で術式を組み立てていました。ただ、効力は……」

 黙っていたのは無駄に期待させないためか。それに実証するには被験体がいなかったためできなかったのだろう。つまりはぶっつけ本番。やってみなければわからない、というわけだ。実際キャロルの禁術を解くのもやってみなければわからなかったのだから、この呪というものはそういうものなのだろう私は勝手にそう解釈している。

「解術してみますが、呪の反発が起きて激しい痛みに襲われるかもしれません。そのときは私にしがみついても構いません」

「わかったわ、お言葉に甘えて力の限りしがみつくわ」

「ほ、程々にお願いします」

「ふふ、もちろんよ」

 今は動けないとはいえ弓矢を扱っていた腕だ、それなりの腕力はある。細い先生に力の限りしがみついたらきっと骨が軋むわよね、だなんてそんな私たちのやり取りを笑顔で見守っていたアリスとセバスチャンだけれど「服を脱いでもらっていいですか?」とのアリスの言葉に固まったのは私だ。今の状態を知っているのはセバスチャンだけ。ちらりと彼のほうに視線を向け、小さく頷かれたものだから私も意を決して服を脱いだ。

 すぐさまふたりの息を呑む音が聞こえる。キャロルの禁術を解いたときは右手だけだったものの、日に日に進行していった呪いは今や肩まで差し掛かっていた。

「では、始めますね」

 アリスの言葉に先生も同じように私の右手に手をかざす。ふたりの手からは淡い光が生まれ、交差するようにそれぞれの力が注がれようとしていた。

「――ッ!!」

 ビクリと身体が跳ね同時に激しい痛みが襲いかかってきた。呪がふたりの魔法に対しての抵抗を始めたのがわかる。鼓動が早くなり息も乱れ、一気に体力が奪われていく。痛みのあまりに意識が飛びそうになったところ、視界に入ったローブにしがみついて歯を食いしばった。

 呪いと浄化が人の身体を借りて勝手にせめぎ合っているのは勘弁してほしい。必死に耐えている中、アリスの切羽詰まるような声が零れたのが聞こえた。聖女が浄化の力ですぐに治そうとしなかったのも、先生が聖堂に行ったのも、それだけ術式が複雑だからだ。今こうやって解術してくれようとしているふたりも余裕がないのだろう。

 バチンッ! と右から激しい音が鳴った。ふたりの手と淡い光が弾かれその場には呼吸の音だけが響く。先生の身体に凭れかけ気力体力共にごっそりと持っていかれたけれど、視線だけは右腕に動かした。

「ッ……エリーさん……!」

 顔を覗き込んできた先生に少しだけ笑みを浮かべ、なんとか身体を起こす。二、三度指を動かしてふたりに視線を向けた。

「まったくというわけではないけれど……痛みが引いているわ。指が動かせる」

 曲げて伸ばしてと指を動かし、腕も軽く上げてみる。これだけでも痛いときは酷い痛みだったしそもそも指はずっと動かせていなかった。黒く変色しているのは相変わらずだけれど、それでもずっと調子がいい。

「先生、アリスさん、ふたりともありがとう」

「けれど、色が……ごめんなさいエリーさん……」

「色なんて服で隠れるからどうにでもなるわ。それよりも痛みが引くほうが大事よ。動かせなくて物凄くストレスだったんだから!」

「相当やせ我慢していたんですね」

「え? あ、いえ、そういうわけでは……」

 先生のやや冷ややかな視線につい口ごもりながら、最終的におほほと笑って流した。先生を怒らせたら怖いっていうのはもうわかっているから。そんな私たちのやり取りを黙って見ていたセバスチャンはそっと服を肩に羽織らせてくれた。

「今はこれが限界ですね……すみません、エリーさん」

「だからそんな謝ることは……先生っ!」

 急いで止めたけれど間に合わなかった。先生が左手て私の右手を労るように拾い上げてしまった。呪は触った人に移る、それは先生もよくわかっているはずなのに。

 けれどそんな私の焦りを他所に先生は緩やかに微笑んでギュッと軽く握ってきた。

「大丈夫ですよ、ほら」

「え……?」

 見せられたのは真っ白な手袋。袖の間から見えた白い肌は変色はしていない。

「試行錯誤で作ってみたんです。短い接触なら大丈夫そうですね」

「先生……もう何度も言うけれど、本当になんでも作れるのね」

 でも短い接触というのならば緊急でないとき以外はあまり触らないでね、と困り顔で告げれば「わかりました」と相変わらず穏やかな表情と声色が返ってくる。わざわざ手袋まで作って、浄化の力と解術の魔法の構築だって大変だったはずなのに。ちゃんと休んでいるのか心配になってきた頃、なんだか視線を感じて顔を上げてみればアリスとセバスチャンがにこにこと笑顔でこっちを見ていた。一体なんなのその微笑みは。

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