第23話
私は今とても噛み締めている……身体を動かせるって、なんて素晴らしいことなの。
数日間ほぼベッドの上で過ごしていた私にとって外の空気はとても清々しかった。痛みがまったくないわけではないけれど腕は動かせるようになったし、そしたらこの数日で鈍っていた身体を動かそうと筋トレを始めた瞬間まずセバスチャンが短い悲鳴を上げた。大袈裟なのよそんなに神経質にならないでと注意していたところ、畑仕事からセバスチャンの悲鳴を聞きつけた先生が急な運動はやめろと今度は私が注意される。
だなんてこともあったけれどそんなふたりを説得して、時間は設けられてしまったけれど畑仕事ができるようになったしそろそろいいだろうと弓矢を探した。
「……? ないわね」
ただ問題が。その弓矢がない。
「困ったわ。そろそろ狩りに行きたかったのだけれど」
「エリーさん」
「あら先生、おかえりなさい」
買い出しに行っていた先生が丁度返ってきたみたいで振り返りながら迎え入れる。私が無事動けるようになってから私に付きっきりだったセバスチャンには休んでほしいと頼んで今はこの家にはいない。折角スローライフを味わえるというのにわざわざ人の世話をする必要もないでしょう、と口にしたのだけれどそのときのセバスチャンは中々に渋った。
どうするんですかまた不調になったらもしセイファーさんがいないときに倒れたりしたら想像しただけでも恐ろしいこのセバスチャンがいたほうが絶対にいいはずです。そう一気に言い切った彼に何かあったらすぐに呼ぶから、で説き伏せた。お願いだから令嬢でなくなった今そんな過保護にならないでと言いたいところだ。
「先生、私の弓知らない? 探しているけれどないのよ」
「エリーさん、これを」
「ん? 何かしら」
にこにこ笑顔の先生から包みのような物を手渡され、首を傾げながらぺらりと布を取る。するとだ、そこには私が探していたものがあったのだけれど、予想だにしていないことも起きていた。
「先生、これって……!」
「エリーさんがそろそろ狩りに行きたいと言い出すと思いまして。ケビンさんに手入れをお願いしておきました」
と先生は言うけれどこれは手入れの範囲を超えてバージョンアップされている。前まで使っていたものは私が見様見真似で作ったもので、そこから使いやすくちょこっとずつ改造していたものだったけれど。弓柄のところはしっかりと手に馴染み弦はより頑丈に、軽く引いてみればしなりもいい。
勢いよく顔を上げれば穏やかに微笑む先生。むず痒さも感じたけれど少し困ってしまう。
「私のこと甘やかし過ぎじゃないかしら」
「いいえ普通です」
「これって普通なの……?」
「ええ普通です。エリーさんにはこれからこの普通に慣れていかないといけませんね」
狩りに行くんでしょう? すぐに準備してきますと先生はパタンと自室に戻り、しばらくぽかんとしていた私もハッと我に返って支度するために自室に戻る。クローブも弓も新品同様で最初に狩りに行ったことを思い出す。久しぶりすぎて真下に突き刺さらないようにしなきゃ、と苦笑しながら準備を整え部屋から出るとドアの前にはローブを羽織って待っている先生がいた。
「では行きましょう」
「ええ」
身体を動かしたいこともあるけれど、正直に言うと……お肉が食べたい。結界も強化され森に魔物が侵入してくることが少なくなり、私もこの腕だったから狩りにも行けず結果肉の保存食がないのだ。
ということで、リハビリ兼ねての食料調達。私たちは久しぶりに森の中に足を踏み入れた。
中は相変わらず鬱蒼としており木々のざわめきや動物の鳴き声などが聞こえる。そういえば白狼のブランは元気なのかしら、と辺りを見渡してみるけれど姿は見えない。先生が言うには先日来たときは顔を出したけれど、魔物があまりいないせいか肉がないと判断されそのままそっぽを向かれたとのこと。本当に現金な狼だ。
「エリーさん、私も何度か来ていますが結界強化の甲斐あって魔物はあまりいませんが……」
「私にいい考えがあるの」
「もしかして、森を突き抜けます?」
「そう!」
この森は敷地内のため結界が張られている。ということは、森を突き抜けてしまえばいつも騎士たちが魔物を討伐している外へと出る。外に出れば少しはいるだろうと踏んで前にドミニクが倒れていた場所に向かい、そしてそこからまた更に奥へと足を進めた。
しばらく歩けば視界が開け、森から出る。森の裏ってこうなっていたのねぇだなんてしみじみと思いながら辺りを見渡してみる。定期的に騎士たちが討伐しているからもしかしたらいないかも、と少し肩を落としそうになったときガサッという音を拾った。森のように木の影に身を潜めることはできないけれど、いつでも弓を放てる準備だけはしておく。
「……! 先生、お肉よ!」
「ボアですね」
「……私さっきなんて言った?」
「思いきりお肉と叫びましたね」
「……ゴホンゴホン」
欲を忠実に表してしまってなんて恥ずかしいこと。誤魔化すように咳払いをしてこっちに気付いたボアに弓を構える。
「……ぶれるわ」
やっぱりこういうのは定期的にちゃんとしておかないと、腕が鈍ってしまう。試しに一度足元に矢を放ってみたけれど目標よりも若干横にずれてしまった。先生も見守ってくれている中、もう一度構えしっかりと狙いを付ける。腕力が少し衰えてしまったせいなのか、または呪のせいかはわからない。
鼻先を狙った矢はやっぱりずれて額にある『核』を射抜いた。『核』が弱点なわけではないからもう一度、と矢を取ろうとしたのだけれど……ボアは短く悲鳴をあげてそのままドシンと倒れ込んでしまった。え、と小さく零しつつ先生と顔を見合わせたあとしばらく様子を見ていたけれど、動く気配を見せない。
「どういうこと?」
倒れたボアに近付き弓で軽く突いてみる。反撃する様子もないしそもそもぴくりとも動かない。
「……倒していますね」
「本当に? 私が射抜いたのは『核』よ? 弱点ではなかったはずなのに」
「……エリーさん、残念なお知らせが」
「え……」
「このお肉、食べられません」
「えぇっ?!」
つまりボア全身に毒かはたまた別の有害な何かが回っていた、ということだ。そんな、と肩を落とす。折角のタンパク源がまさか食べられないとは。
「ということは、素材も剥ぎ取らないほうがいいということ?」
「そういうことになりますね。燃やすしかありません」
『核』を取ろうにも綺麗に砕けているため取る必要はない、ということになり先生の魔法でボアは着火された。大きな攻撃魔法を使えないので小さい炎であちこちに少しずつ燃やしていたのだけれど。
「先生……燃やすときってこんなに生臭いのね……」
「火力がないので……」
お互い鼻を手で塞ぎつつ、とろ火で燃やされるボアをそのまま眺め完璧に燃やし尽くすには時間が掛かった。とは言え燃えている最中に放置するわけにもいかないのだ。一応決まりとして魔物は討伐したあとしっかりと消滅させること。狩人は素材を剥ぎ取ったりしているけれど使わない部分はしっかりと燃やしているのだ。
そうして処理も済ませ辺りを見渡してみたけれど魔物は見当たらない。きちんと仕事をしている騎士に文句を言うわけにはいかないけれどほんの少しだけ肩を落とした。
「腕は鈍っているしお肉はゲットできないし……ついてないわ」
「そういう日もありますよ。その分野菜をたっぷり食べましょう?」
「そうね」
病み上がりのため狩りも早めに切り上げるとして、家に帰るためにもう一度森の中に足を踏み入れる。ちゃっかり侵入してないかしらと辺りを見渡してみたけれどいるのは『核』のない動物たちだけ。この子たちも平穏に過ごせるのだから魔物がいないのが一番いいのだろうけれど、けれどお肉……お肉は市場に出回っていないからこの世界ではかなり貴重だ。魔法省のほうで飼育されているお肉もあるけれど食べられるのはそれこそ上流階級の人間だけ。
はぁ、と息を吐き出し右手に視線を向ける。変色しているし痛みも少しだけある。呪か、とさっき砕いた『核』を思い出す。
「……先生、禁術と呪の違いって何かしら」
一緒のように思えて実は違う気がする禁術と呪。キャロルの腕を犯したのは禁術で私のは呪だ。ある仮説を思い浮かべつつ、専門職である先生に問いかける。
「……禁術の魔法は、人を媒介としているものが多いんです。例えば魔力のある人間の血や、身体の一部。贄と呼ばれるそれらで魔力を倍増せているんです」
「理に反しているわね……」
「ええ、だから禁術と呼ばれています。まともな魔術師なら人を材料にして魔法を使おうだなんて思いませんから」
確かに、人を材料だなんてなんと恐ろしいこと。何よりそんなことが起こっているこの世界の元が恋愛シミュレーションゲームだなんて世にも奇妙すぎてゾッとする。ヒロインサイド以外に恋愛要素なんて皆無よ。
「呪は、禁術と同じ部類に認識されていますがどちらかと言うと『核』のほうに近いと思います。『呪い』ですので人の負の感情を力の源としています。負の感情が動物に流れ『核』になるのではなく、人に流れ害を成す。それが呪です」
「普通に解術できないのって」
「『核』と違って形を成していないのでまず術式が見づらいことと、人に定着するのでその人と切り離すのが難しいんです」
それは浄化の力にも同じことが言えると先生は続けた。やはり定着している、という部分が何よりも難しくしているらしい。今回私に施してくれた術は先生の解術で呪と人との繋がりを絶ちアリスの力で浄化するというものだったらしいけれど、やはり繋がりを完璧に断ち切ることができなくてあのように術が弾かれてしまったとのこと。
「……やっぱり、人の負の感情って厄介ね。決してなくならないものだもの」
「助け合い、支え合うことができるのもまた人の感情なんですが……難しいものです」
社交場のような場所は特に負の感情が生まれやすいだろう。だからと言って負の感情を生み出さないためにひとりで生きていく、というのも不可能に近い。この弓だって先生がケビンさんのところに持って行ってくれたからこんなにも立派な物ができた。この時点で最低ふたりは関わっているのだ、世界はこうして誰かの手があって成り立っている。
森を歩いていたけれど結局ブランに会うことがなく入り口付近まで戻ってきた。この辺りには実がなっている木もあるため数個実を取って布に包み、食後のデザートにでもしようという話しになった。
フルーツというものがあるのだからどこからかヨーグルトを仕入れてフルーツヨーグルトでも作れないかしら、と先生に提案していると……何やら家の前に佇んでいる人影。庶民の格好をしているつもりなのだろう人物が私たちに気付き、ドアに寄りかかっている背中を離した。
「やっと戻ってきたか。デートは楽しかったか?」
「……デートではなく、狩りです」
「狩り? ……本当に予想していないことばかりしているな」
それはこっちのセリフだ。周囲にサッと視線を走らせたけれど護衛が見当たらない。
「……取りあえず家に入っていただいてもよろしいでしょうか、王子」
ダークブルーの髪を風に靡かせながらコバルトブルーの目を細めた青年は小さく頷きそして笑った。
というかこの庶民階層の中でも端のほうにあるこの家に聖女やら王子やら訪ねてくるのは正直に言ってやめてもらいたい。折角穏やかに過ごしていたというのに、王子と畑だなんてミスマッチすぎて笑えない。
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