第16話
《エリーお姉様無事でしたの?! わたくし怪我を負ったと聞いてもう気が気でなくてすぐにそちらに向かおうとしたのですけれどお父様とお母様とメイドと執事と騎士と使用人に止められてしまって行けなかったのですお顔の怪我はああ麗しいお顔に傷が付くだなんて耐えられませんわ! もっとお薬をお送りしたほうが良いでしょうか?! エリーお姉様聞こえておりますの?!》
「ああもう聞こえているわよ! そんな一気に話しかけられても全然頭に入ってこないじゃない!」
《あ、やだわたくしったらつい……》
通信の後ろから小さく「お嬢様……」という声が聞こえる。声からして執事かしら。あまり周りの人間に会話を聞かれたくないのだけれど、思っているとシャルルは執事に退室するように指示をしていた。どうやら上手く魔法具を扱えるか見守ってくれていただけらしい。
《エリーお姉様、もう大丈夫ですわ。ご用件はなんでしょう?》
やっと用件を言える、と甲高い声で多少痛くなった耳を撫でつけつつ魔法具に向かって口を開く。
「シャルル、あなたフォルネウス家の現状を知らないかしら。例えばパーティーで何かを聞いたとか、噂とかよく出回っているでしょう?」
《……お姉様》
あなたの姉ではないんだけど、とやっぱりいつも突っ込んでしまう呼び名に「どうしたの」と短く返した。
《……まったくわかりませんわ》
「……え? 何かしらあるでしょう」
《わたくしソフィア様が行方不明になってから一歩も外に出ておりませんでしたの。今はエリーお姉様に会うために出るようにはなりましたけれど、わたくし、あれからパーティーに一度も出席しておりませんわ》
「……一度も?! よくあなたのお父様がお許しになったわね?!」
《わざわざ嫌な思いをする必要なないと言ってくださいまして》
なんてこと。まさかの返答に思わず口を開いて固まってしまった。ドミニクもシャルルが活発になったと言っていたからしっかり令嬢としての役目も果たしているとばかりに思っていたのに。
と、屋敷を飛び出す前にパーティーに出席することをやめてしまった私には言われたくないかもしれない。人のこと言えないわ、と開いた口を手で強引に閉じた。それよりもどうしようかと少し唸る。シャルルならば少しぐらい噂でもいいから情報を持っているだろうと踏んでいたのだけれど。
そう考えていると魔法具の向こうから《あの》という声が聞こえ、顔を上げた。
《わたくしに、考えがありますわ。少し時間をくださいな、エリーお姉様》
「……危険なことではないでしょうね」
《大丈夫ですわ! 折角エリーお姉様がわたくしを頼ってくださったんですもの。頑張りたいのです!》
いつだってこの意気込みは称賛に値する。折角シャルルがこう言っていることだし、万が一にも危険なことに足を突っ込みそうになってもドミニクが止めてくれるだろう。決して無理はしないこと、と約束を取り付け通信は終わった。
それから次に連絡が来たのがその三日後。一週間はかかるかと予想していたため思わぬ早さにもしかして失敗したのかもしれない、と思いつつも食事を作ってくれている先生と一度目を合わせて魔法具を発動させた。
《エリーお姉様お怪我はどうですの?! 治りました?!》
「そんなすぐに治るほど超人ではないわよ……ところでシャルル、何かあったの?」
《あらやだわたくしったらまた……はい、ご報告がありますわ》
フォルネウス家の事情に詳しい人間と接触することに成功し、その人物から話が聞ける機会をもらったという報告だった。フォルネウス家の事情に詳しい人間? と最初は首を捻ったけれど今の私にはその人物が誰も思い浮かばない。幼い頃から別棟に移っていたため本館の事情がまったくと言っていいほどわからないのだ。もしかしたらその本館のほうで何かがあり、金目当ての交渉だってあり得る。
そんな私の心配を他所に《大丈夫ですわ》の声が聞こえた。
《指定された場所に行くかどうかは、お姉様にお任せしますわ。けれど決して危害を加えるようなお方ではないと、断言致します》
やや破天荒な性格とはいえシャルルも立派な令嬢のひとり。その令嬢がそこまで言うのであれば、と一度目を閉じて意を固めた。
会ってみよう、シャルルの言うその人物に。例え力尽くで何かされようとしても鳩尾一発殴ってみるか、もしくは男であれば急所を蹴り上げればいい。きっと先生もついてきてくれるはずだから大丈夫だろうと、指定された場所と日時を聞き出した。
「エリーさん、一応こういうものも作っていたんですが」
昼食を食べ終え片付け終わった頃、一度部屋に引っ込んだ先生が布らしきものを持って戻ってきた。色はランプブラックというとても暗い色をしていたけれど、でも指定された時間はほぼ深夜。
「相手はわかりませんが密会ということになるでしょうし、ハイドの魔法も掛かっているので丁度いいかと」
「先生って本当になんでも作れるのね」
「これは趣味で作ったものなんですよ。でもまさか役に立つ日が来ようとは」
趣味でハイド魔法の掛かったローブを作るなんて。流石というかもう天才と言ってもいいのでは? という程の出来栄えだ。しっかりと二枚あることだし、これを羽織って目的の場所へ向かうことにした。
指定されたのはギリギリ貴族階層で東の端のほう。以前は庶民階層だったけれど私財を余らせていた貴族が自分の私有地を広げたいだなんて勝手な考えにより、元に住んでいた庶民の人たちは追い出され家は取り壊され、わざわざ真新しい屋敷が建てられた。でもその貴族も実は裏家業で稼いだ金だということが上に知られてしまい、地位は剥奪され少し朽ちた屋敷はしばらく放置された。
そのままだとゴロツキが住み着きかねないということで、ひとりの貴族がその屋敷の買い取りを名乗りでた。人柄もよく庶民の人たちとも交流があり、その人物が住むようになってから周辺の人たちとの友好関係は上々だそうだ。心の拠り所として建てられた教会も綺麗に維持されている。そして今回の向かっている場所が、その教会だ。
時間が遅いせいもあるけれど、元から教会に行くまでに自然のゲートを通らなければならない。木が覆い茂っているため月明かりも届きにくく、より一層暗さを感じる。けれど密会するには適しているのかもしれない。
「しかし夜とは言え……人がいる場合もあるのでは?」
「ここの教会は夜しっかりと閉じているらしいわ。それにこの暗さだし……誰かに見られることはないと、思うけれど」
「……それだけ相手も用心深い、ということですね」
相手がどういう人物なのかわからないためこちらも自然と用心深くなる。先生から貰ったローブを頭までしっかり被り、ゲートの下を歩いて行く。やがて抜ければ明かりも何もない教会が現れた。ドアの前に立ちそっと押してみればキィ……と小さく音が鳴り鍵が掛かっていないことに息を呑む。
先生はいつでも魔法を発動できるように身構えて、私も弓矢を持ってくることはできなかったけれど懐に仕舞っているナイフをローブの上から確認した。
「お待ちしておりました」
声と共に淡い光がゆっくりと灯る。徐々に見えてきた顔に私は目を見張った。
「……セバスチャン」
目の前には二年と数ヶ月前、手紙ひとつで別れを告げた相手……あの屋敷でただひとり私の世話をしてくれていた執事長のセバスチャンが立っていた。
「やはり、セイファー様もご一緒でしたか」
「これは……お久しぶりです、セバスチャンさん」
「どうして、あなたがここに……」
「プルソン家のご息女、シャルル様からご連絡を頂きました。どうか困っている貴女様の助けになってほしいと。このセバスチャン、僭越ながらご助力したくこうして馳せ参じた次第でございます」
無駄のない綺麗な、まるで執事のお手本のようにお辞儀をしたセバスチャンに言葉が出てこない。恩を仇で返したような娘に、令嬢ではなくなった娘にまだこうして敬意を払おうとしてくれるのか。
顔を上げたセバスチャンは優しげに微笑むと「お嬢様」と言葉を続ける。
「如何お過ごしですか?」
「……大変なこともあるけれど、先生と一緒に充実した日々を送っているわ」
「そうですか……それは、ようございました」
「セバスチャン、私」
「何も仰らなくていいのです。このセバスチャン、貴女様が健やかにお過ごしであればそれでいいのです」
ツン、と鼻が痛くなり咄嗟に手で押さえる。そっと差し出された綺麗なハンカチを受け取り礼を告げれば、彼はまた柔らかく微笑んだ。
「今のフォルネウス家の現状が知りたい、とのことでしたが」
「っ、ええ、一体フォルネウス家で何が起こっているの?」
「……このセバスチャン、お恥ずかしい話ですが屋敷の異変に気付いたのはほんの数ヶ月前なのです」
私が家を出たあと、セバスチャンは本館のほうにきちんと戻ったらしい。業務がひとつ減っただけで仕事内容は変わらなかったらしいけれど、ソフィアが行方不明だとわかったのは姿を消して数カ月後。本当に別棟にまったく興味がなかったのね、と思ったけれどセバスチャンは内心腹立たしかったらしい。実の娘がいなくなった、なぜそれを血の繋がった親が心配しないのだと。結局捜索をされることもなく、そのままなかったことにされたらしい。
鬱陶とした日々を過ごしていたけれど、相変わらずフォルネウス家の当主とその妻は次女のキャロルを溺愛していた。キャロルが望むものはすべて与え、その甘やかしが多少行き過ぎているところもあったけれどいつも通りのフォルネウス家であったと。
ならばセバスチャンが異変に気付いた数ヶ月前、一体何があったのだろうか。話を続けてと促すと彼は僅かに表情を歪めた。
「……キャロル様のご要望が、かなり強引なものになりました。王子に会いたい、また聖職者になりたいと」
「聖職者は癒やしの魔法を使える者のみがなれる職業でしょう? フォルネウス家は歴代そのような人間が出ていないから無理よ」
「お嬢様の仰るとおりです。聖職者に関しては流石に無理だと旦那様も仰っていたのですが……」
「……王子には会わせたってこと?」
「……然様でございます。そして婚約者として名乗り出たいと」
「呆れるほどの我が儘し放題ね」
確かに私だって暴れたりメイドをクビにしたりしたけれど、でも一度も王子の婚約者になりたいと言ったこともなければ聖職者になりたいとも思わなかった。常識的に考えればどれもこれも無理な願いなのだ。
甘やかしていたとは言ってもあまりにも度が過ぎている。一体どういう教育を受けていたのか、数人いる家庭教師は何をやっていたのかと小言を言えば予想もつかない答えが返ってきた。
「キャロル様はかなりの頻度で家庭教師を変えています。今仕えている者もキャロル様の言葉にすべて『イエス』と答える者だけです」
「あの厳しかったアネットはどうしたの」
「……体調を崩され実家に戻られました。ですがそれも果たして……」
聞けば聞くほど呆れと共に謎が深まっていく。だってキャロルは可愛らしい愛想のある子だったのでしょう? なのにそれがどうしてそうなったのか。教育のせいもあるかもしれないけれど、それにしてもあまりにもゲームのキャロルとかけ離れているような気がしてならない。
「……この数カ月前、何があったかわかる?」
「ソフィア様が去られたあと通常の業務に戻ったのですが、私はキャロル様の傍にいる必要はないと旦那様に言われておりまして」
「……わかった。ありがとう、セバスチャン」
当主は最も常識のある執事長と教育係を遠ざけた、ということになる。そうまでキャロルを甘やかして一体当主は何をしたいのか、何かを企てているのかそれとも。
けれどひとつだけわかったことは、これ以上セバスチャンが外に情報を伝えるようなことがあれば彼の身が危ぶまれるということ。
「セバスチャン、あまり無理をしないほうがいいわ。できることならフォルネウス家から離れていたほうがいい」
「実はすでに長期休暇を頂き屋敷から離れ、この近くに身を置かせてもらっています」
教会の持ち主、ならびにこの近くにある屋敷の主とは古い友人で、だからこそこうやって今この教会をお借りしているそうだ。ちなみに探知の魔法も持っているので誰かひとりでも教会に近付いたらわかると、サラッと笑顔で付け加えた。流石は執事長と言うべきか、執事長という立場の人間は魔法省の人間ぐらいに何でもできなければ務まらないのだろうか。
取りあえず浄化の力を止めたことはキャロルだけではなく、フォルネウス家の問題の可能性が出てきた。ディランが来たときに自分の正体を明かしておかなくてよかったとつくづく思う。折角処刑フラグ回避したかと思ったのに、あらぬ疑いでまたそのフラグが元通りに戻りそうなっていたかもしれないのだ。
セバスチャンにもう一度礼を言ってローブを羽織り直す。未だ復旧の最中、まだ整理されていない裏路地などにゴロツキが住みついているかもしれない。絡まれる前にさっさと帰ったほうがいいと踵を返すと後ろから「お嬢様」との声が聞こえる。足を止め振り返れば、淡い光の中目尻に皺を寄せて微笑んでいる彼の顔。
「できることなら、貴女様の成長を間近で見守りたかったものです――お嬢様」
きっと屋敷にいる間、彼はずっとそんな眼差しで私を見守っていてくれていた。頭を打つ前までの私はそれに気付くことなく、屋敷を出た私は後悔した。もっと早く気付くべきだったと。
「美しくなられましたね」
あの頃あなただけが私を見放さなかったのよ、セバスチャン。
視界が滲み鼻が痛くなって、唇を噛みしめる。折角再会したというのに情けない顔を見せるわけにはいかない。か細く息を吐き出して、そしてセバスチャンがよく知っている笑顔を浮かべた。
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