軋みながら回り出す歯車

第15話

 火の手は上がったものの広範囲で燃え広がることもなく、また怪我人は出たものの奇跡的に死亡者はなし。避難していた庶民の人たちは早速壊れた自分たちの街の復旧にあたっていた。

 また今回の襲撃での騎士たちの活躍は目覚ましく、それぞれの騎士団の代表者が王に表彰されたようだ。

「エリーさん? 何をそんな不服そうな顔をしているんです?」

「だって、今回最も表彰されるべきは禁術を解除した先生ではなくて? それなのに……こんな顔にもなるわよ」

「詳細はウィルが報告してくれているでしょうし、別にいいじゃないですか。表彰されてしまったらきっとここでの穏やかな生活が外野によって乱されてしまいますよ」

 それは嫌でしょう? と笑顔で首を傾げる先生にうぐっと言葉が詰まる。確かに目立てば目立つほど厄介事は降ってくる。先生との穏やかな暮らしが破られるぐらいならそのほうがいいのかもしれない、と膨らませた頬を萎ませた。

「そういえば、先生のご友人のウィルさん? ってどんな人なの?」

「名はウィル・アンドレア、攻撃魔法だけではなくあらゆる魔法に精通しています。魔物討伐にもよく同行していますよ」

「結構すごい人だったのね……」

 そこではたと気付く。どこかで聞いたような名前……モヤモヤと、記憶の片隅に何かが浮かび上がる。

 そうだ、ウィル・アンドレア。この世界の元となっている恋愛シミュレーションゲームの攻略キャラのひとりの名前が確か、ウィル・アンドレア! そう確かにそうだった。魔法省務めの優秀な魔術師。優秀が故にあちこちで活躍するものの人の愛情に飢えた人間だった。そのウィル・アンドレアに愛情を注いだのが聖女であるヒロインだ。

 メインキャラにも関わらず今の今までよく忘れていたわねと自分に関心する。確かにエンディングまで行ったものの大体が王子ルートだったのだ。王道のハッピーエンドだったため他のキャラのシナリオが若干薄くなっていた。

「せ、先生その方とお友達だったのね」

「ええ。ウィルは私の夢を笑わないで聞いてくれた人なんです。逆に言われましたよ、『夢があって羨ましい。僕には言われた通りのことしかやれないから自分が何をしたいのかわからないんだ』と」

「……力がある人にはある人なりの、悩みがあるのね」

 万が一でも力が間違った方向に使われたり暴走したりすれば、きっとすぐに切り捨てられる。やりたいことがあっても果たして本当にやっていいのか、それとも駄目なのか、常に天秤に掛けているのかもしれない。

「魔物の襲撃は乗り越えましたが……騎士の人たちはしばらく大変でしょうね」

「え? 王から表彰されたから?」

「いいえ。今回の襲撃で恐らく大量の負の感情が噴き出たはずです。オーラは外に流れ動物に引き寄せられる」

「……襲撃とは別に、新たな魔物が誕生してしまう」

「魔法省も襲撃の原因究明のために駆り出されているはずです」

 苦難を乗り越えたつもりでいたけれど、その実何も解決してはいない。今回も禁術が使われていたのだから恐らく主犯はオスクリタ。唯でさえ探すのに苦労するのに見つけ出さなければならない魔法省の人も大変だろうし、領土周辺に増えてしまった魔物を騎士たちも休む暇もなく討伐に行かなければならない。

「取りあえず私たちは休みましょう? やれることはやったんです。エリーさんもその手じゃ鍬も握れないでしょう?」

 先生特製の傷薬を塗って治してはいるんだけれど、先生の言う通り皮が徐々に戻ってきているだけで鍬を握るとまた破れそうだった。だから大人しく水やりと雑草を抜くことだけをやっていたのだけれど。

「結界も更に強化されましたし裏の森に魔物が出てくることもしばらくないでしょう。たまにはゆっくりしてもいいと思いますよ?」

「……そうね、そうするわ」

 先生に言われた通り休んでみようと取りあえずお茶を淹れて椅子に座る。目の前ではテーブルに薬草を広げて先生がせっせと作業をしていた。お茶に口を付けつつ、その様子を黙って見てみる。

「……先生」

「なんでしょう」

「暇だわ」

 屋敷にいたときもここに住むようになったときも何もしない日はなかった。改めて休めと言われたら何をどうやって休めばいいのかわからない。農作業と狩りに勤しんでいたから娯楽で楽しむ本だなんて置いていないし、あったとしても先生が研究で使っている専門書ぐらい。

 頬杖を付いて何をしようか色々考えてみたけれど、弓矢の手入れもこの手でできる範囲のところはやってしまったし料理も先生が当分受け持ってくれている。

「先生、手伝ってもいいかしら」

「……ふふっ、では仕分けをお願いします」

 暇を持て余している私に先生はにこにこと薬草を手渡してくれた。お互い向き合って薬草の効能なども聞きながら傷付けないよう丁寧に仕分ける。こうしているとまるで屋敷で先生に勉強を教わっていた頃のよう。あのときもそして今も、先生は人に教えるのが上手だ。

 そうして組み合わせによって変わる効能なども聞いているときだった、カランとベルが鳴る。市場の人たちは復旧で忙しいためここに来る時間なんてないだろうし、襲撃があったためしばらくここに来るのは控えていたほうがいいとシャルルにも伝えてある。そしたら誰だろうか、と先生と首を傾げているとドアがノックされた。

「時間を少し、よろしいでしょうか」

 出迎えると現れたのは騎士の鎧を身に着けているドミニク――と、もうひとり。

「邪魔するぜ」

 遠慮することなくズカズカと家に入ってきた騎士に目を見張りつつ、先生はテーブルの上の薬草を片付けるとお茶の準備をし始めた。椅子に勧める前にその騎士はどかりと腰を下ろし部屋を見渡す。

「随分質素は暮らしをしているな」

「どうぞ」

「お、悪い」

「エリー嬢、セイファー殿」

 私たちも椅子に座るように促され、状況を飲み込めないままドミニクともうひとりの騎士と対面する形で椅子に座る。

「突然申し訳ない、こちらは」

「ストラス国第二部隊騎士団団長、ディラン・オロバスだ」

 目の端に移ったギョッとした先生に対し、私はテーブルの下に隠れている手に力を入れる。やはり見るからに屈強な彼はどこぞの貴族の騎士ではなく、国直属の騎士だったかと。そして襲撃のとき一度言葉を交わしたのは間違いなく彼だった。鎧でもしかしてとは思ったけれど、まさかこうして訪ねてくるだなんて。

「おふたりにご報告がありまして。オロバス様にはご同行していただきました」

「一先ず俺のことは気にするな。アガレス、頼んだ」

「はっ」

 いつもより畏まったドミニクの態度に自然と身構える。

「先日の魔物の襲撃です。当初の予定では浄化の力を使える聖女様がすべての魔物を浄化するはずでした」

 聖女の周りにはもしものときにとしっかりと他の聖職者が控え、攻撃をされないようにと王族の護衛騎士が傍にいたとドミニクは続けた。

 そこまで聞いて確かにゲームも間違いなくそうだったと思い出す。ヒロインが魔物に襲われて万が一のことがあればそこでゲームは終わってしまう、だからこそヒロインの周りはガチガチに守りを固めていた。

「ところがだ、邪魔者が横槍を入れてきたそうだ」

 トントンとテーブルを指で叩きながら、明らかに不服そうな顔でディランがそう告げた。ドミニクが少し戸惑いながらもディランを宥めていたけれど、一度息を吐き出し私を真っ直ぐに見てくる。

「その者の名は――キャロル・アレット・フォルネウス。フォルネウス家のご息女です」

「は……?」

「その結果聖女様は力を存分に発揮することができず、庶民階層の浄化が途中で止まってしまう事態になってしまったようです」

 開いた口が塞がらない。一体どういうことなの、と問いただしたいのに口から出た声は思った以上にか細かった。心配そうな先生の気配を感じつつ、取りあえずはと一度呼吸を整えて再度ドミニクに視線を向けた。

「なぜそのようなことが?」

「……彼女の言い分によると、浄化の力の威力が計り知れないためそのような不確かな力を使わせるわけにはいかないと。そう思い止めたそうです。詳細を聞こうにも今は心に傷を負い塞ぎ込んでいると言ってフォルネウス家が面会謝絶しています」

 浄化の力が不確かな力? 冗談でしょう。浄化の力は聖職者、その中でも選ばれた者しか使えない特別な力。しかも今のところこの国で使えるのが聖女のみ、それらをあの年齢ではすでに習っているはずなのに。すべての魔物を『核』や弱点などを無視して浄化することができる、そんなチートな魔法をなぜ止める必要があったのか。

 フォルネウス家もフォルネウス家だ。魔物の襲撃という一大事があったというのに心に傷を負った? そんなわけのわからない言い訳で要請を拒んでいるということ? 一体何を言っているのよ。怪我をしたのも不安に駆られたのもすべて浄化の力が届かず魔物に襲われ続けた庶民の人たちだというのに……!

「さて、ここからは俺の出番だ」

 腕を組んで背もたれに体重を掛けていたディランが身体を起こし、身を乗り出すようにテーブルに右の肘を乗せた。

「今回の黒幕はオスクリタで間違いねぇだろう。だが奴らは醜悪で姑息だ。あれだけの騎士と狩人、庶民がいてあの場は混乱していた。その隙に禁術を施した実行犯は逃げたかもしれねぇ。だからあの場にいた全員が疑われている――そしてお前らふたりもだ」

「なぜです? 私たちは禁術を解除しに……」

「セイファー・オリアス、元魔法省務めで解術した張本人らしいな。だが証拠隠滅に自ら解術を行ったんじゃねぇか?」

「何を……エリーさんを危険な目に合わせてまでどうしてそのようなことをする必要があるんですか……?!」

「エリー・ヘスティア、そうお前さんだよ。そっちの兄ちゃんは出身や前にどこにいたかもわかっている。だがエリー・ヘスティア、わかることは名前だけだ。どこで生まれどう育ったのか、そんな素性の知れない奴の何を信じろってんだ」

「っ……! 彼女に失礼ではありませんか! 彼女はッ」

「先生、いいのよ」

 冷静さを保てずに苛烈しそうになっている会話は危険だ。先生が怒ってくれている理由もわかるけれど、それよりもと立ち上がろうとしている先生を手で制する。

「オロバス様の言い分は最もだわ。疑われても仕方もないもの」

「……そういうこった。疑いが晴れるまで大人しくしておくんだな。アガレス、先に出ておくぜ」

「……は」

 言いたいことだけ言ってさっさと去って行ったディランのせいで、この場は重い空気が漂っている。でもその空気を破ったのは私でも先生でもなく、息を小さく吐き出したドミニクだった。まだ険しい顔をしている先生にドミニクは苦笑を浮かべた。

「すみません、不快な思いをさせてしまって」

「……いいえ」

「国直属の騎士は疑うのも仕事だもの。仕方がないわよ」

「オロバス様はああ仰っていましたが、おふたりのことは疑っていないと思いますよ」

 ドミニクのまさかの言葉に目を丸くし、先生と顔を見合わせる。

「おふたりがあの騒動の最中、身を挺してでも庶民を守っていたことを知っています。それに庶民の方々もおふたりに対して感謝の言葉が数多く上がっているんです。特に市場の方々が」

「そう、だったの」

 ディランの立場がどういうものなのか一応知ってはいるけれど、もしかしてあのとき助けたことも好意的に受け取ってもらえたのかもしれない。まだまだ眉を下げている先生に安心させるように笑みを向ける。まだ疑われていたとしてもきっと助けた人たちと市場の人たちが味方になってくれるに違いない。

 あとこれを、とドミニクは何かを取り出し私たちの目の前にコトリと置いた。

「魔法具……?」

「性能が良いものを作ってもらいました。何かあった際こちらにご連絡ください。それと、エリー嬢」

「何かしら?」

 何かを渡そうとしている手に思わず手を差し出す。手のひらに置かれた物は綺麗な装飾が施されている丸いケース。何かしら、と首を傾げていると目の前から苦笑が聞こえた。

「実はエリー嬢の戦いっぷりがどうだったかシャルル様に聞かせてとせがまれてしまいまして。そのときに顔に傷を負ったこともつい口を滑らせてしまい……シャルル様が発狂を」

「発狂」

「これはシャルル様からの傷薬です。ですが……セイファー殿が作った薬のほうが良く効きそうですね」

 片隅に置かれていた薬草と、そして私の手のひらを見てデクランはそう小さく微笑んだ。あれだけ無茶な戦い方をしたのだから私の手がどうなっていたのか想像できていたらしい。治りつつある手に、デクランは差し出したケースを取り戻そうとしたけれど私は笑顔でサッと手を引いた。

「顔の傷だけはこれを使わせてもらうわ。シャルルにお礼を伝えてくれる?」

「……わかりました。では私もこれで。オロバス様も仰っていたようにくれぐれも無茶をしないでください」

 それではと立ち上がったドミニクを見送るために私と先生も席を立ち、ドアの前まで見送る。先に行くと言っていた通りそこにはもうディランの姿はなかった。ホッと息を吐きだしたのは先生のほうだった。

 カランと音が鳴ったのを聞いて家の中へ戻る。顎に手を当て思案していると「あの」と隣から遠慮がちに聞こえてきた。

「身分を証明するために言っていたほうがよかったのでは……? そうすればあそこまで言われることは」

「確かに一時的に疑いは晴れるかもしれないわね。けれどまた別の容疑を掛けられる……フォルネウスの娘として、結託していたのではないかと」

「……! そう、でしたね」

「一体フォルネウス家で何が起こっているというのよ」

 キャロルとまともに会話を交わしたことなんてもう十年ぐらい前になってしまうし、でも彼女はゲームの設定でも誰にでも好かれる愛らしい子だったはず。後に聖女の親友とまでなったそんな子がなぜ浄化の力を止めたのか。

「……今のフォルネウス家を確認したいところだけれど」

「家に戻るつもりですか? 私は反対ですあまりにも危険すぎる。あなたが一体なんのために今まで努力してきたのか、それが無駄になるなんてことあってはならないことです」

「……先生、思ったのだけれど」

 真剣な表情で真っ直ぐこっちを見てくる瞳にむず痒さを感じてしまう。私も同じような表情を返すべきなのだろうけれど、つい顔の筋肉が緩んでしまう。

「さっきも、私のために怒ってくれてありがとう」

「あ、いえ……当たり前のことを、やったまでです、はい」

「なんでそうまで畏まっているのよ」

 コホンと咳払いしつつ照れている先生がなんだか可愛らしく見える。そうやっていつだって私の身を案じてくれる先生の隣には居心地の良さを感じていた。

 私も先生に習ってコホン、とひとつ咳払い。それよりもとさっきテーブルに置かれた魔法具に視線を向ける。目には目を歯には歯を――貴族には、貴族を。

「早速使わせてもらおうかしら」

 何も状況を知る手はひとつではない、ときょとんとしている先生にウインクをしてみせた。

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