第9話

 濡れタオルを替えようとやってきたんだけどそのとき丁度目が開きそうな素振りを見せた。

「あ、起きた?」

「ぅ……」

「無理しないで。そのまま寝てていいの」

「起きましたか?」

 声に気付いたのかガチャリとドアを開けて先生も部屋に入ってきた。

 あの倒れていた騎士はそのまま家に連れ帰り、先生のベッドに横たわらせた。来客なんてものがないからそれ用の部屋もなければベッドもない。だからと言って私のベッドで寝かせるわけにもいかないと言った先生はそのまま自分のベッドを譲った。これだと先生が眠れないじゃないと抗議したんだけど、「研究で徹夜には慣れてますから」と言われて引き下がるしかなかった。

「熱が下がっていないので身体がまだ重いと思います。無理はしないでくださいね」

「お水はどう? 飲める?」

「い……頂いても……」

「ええ、もちろんよ」

 一日丸々と寝ていたのだから喉だって乾いているはず。身体を起こすのを手伝ってあげて水の入った器を口元に寄せ、ゆっくりと傾けていく。その間に先生は足に巻いてある包帯を丁寧に取り替えていた。

 水を飲むのも精一杯だったようで疲れたのか彼は横になるとスッと眠りについた。寝息が聞こえて私たちも物音を立てないよう静かに退室する。あの様子だと何があったのか聞くのはもう少しあとになってからになりそうだ。

「森付近で何か異変があったとすれば、早く知りたいものなんですが……」

「騎士があそこまで弱るんだから毒も入ってしまったのかしら? そうすると時間掛かりそうよね」

「解毒剤を塗りこんでいたんですが、次目を覚ましたときはスープに混ぜて飲んでもらいましょう。きっとそちらのほうが治りが早いはずです」

「……飲む用の解毒剤って、あの苦いやつ」

「そうですね、苦いやつです」

 前に何度か飲んだことあるけれどまさに良薬口に苦し、だ。先生も味の改良に勤しんだらしいんだけど世の中に甘い薬草なんてそうそうあるわけがない。あの騎士大丈夫かしら、と心配にかったけれど騎士だからある程度の訓練はされてるわよねと思い至って「あははは」と笑顔で先生と開き直った。


 それから彼が起き上がれたのはその二日後だった。いつものように畑で作業していたら足音が聞こえて顔を上げると、絶句という言葉が見事にぴったりと当てはまる顔がそこに立っていた。

「は、畑……?」

「あら、起き上がれるようになったのね。おはよう」

「失礼を承知で申し上げますが……こちらまで食料が行き届いていないのですか……?!」

「え? あ、違う違う! これは私と先生の趣味なの!」

「趣味……?!」

 農家がない世界でこの光景を見ることなんて絶対ないわよね、と苦笑しつつ立ち上がる。討伐に行ったわけでもないのに人が土で汚れているのも驚きものらしい、騎士らしからぬ様子であたふたする様子に苦笑が止まらない。

「おや、動いて大丈夫ですか?」

 奥のほうから先生もひょっこりと顔を出す。私と同じように動きやすい服装に軍手にあちこち土で汚れている格好。趣味、とポツリと零れた騎士の言葉は先生にはもちろん届いてはおらず、さっき収穫したばかりのコーンをカゴに積んで持ってきた。

「足の具合はどうでしょうか?」

「は、はい。おふたりのおかげで動けるようにはなりました」

「ところで騎士様、連絡手段はある? 他の騎士や主が心配しているんじゃないかしら。丸三日ここにいることだし」

「っ……! すみません、少し室内お借りします」

 急いで室内に戻る騎士の背中を見送りつつ、うーんと顎に手を当て思考する。若手ではなさそうだしだからと言って熟練という域までもう少し、というところがある。歳は二十代、そしてもしかしたら令嬢の護衛を務めている可能性もあり。身なりもきちんとしていて教養が行き届いているのが伺える。

 ふと隣を見てみると先生がコーンをまじまじ見ている先生。もしかしたらコーンスープをメニューにと考えているのかもしれない。

「ところで先生。今おいつくかしら?」

「私ですか? 二十歳ですね」

「二十歳?! お酒もう飲めるじゃない!」

「……飲めないんですよね」

「ああ……そうなの……」

 先生も私と同様に健康的な暮らしをしているため、お酒を飲んだところを一度も見たことがなかったけれどどうやら下戸だったようだ。ちなみにこの世界は十八歳からお酒が飲める。私が飲めるまであと二年だ。

 今まで気にしたことはなかったけれど改めて考えると先生と四歳差か、としみじみと思ってしまう。先生は相変わらず私には敬語だし、あと私には前世の記憶があるせいで若干精神的に歳がいっているのかもしれない。歳の差を感じることがあまりない。

「すみません、お待たせしました」

 そうこうしていると家から彼が顔を出し、待っていた私たちも中へと入っていく。どうやら連絡は上手くいったようだ。けれど体調がまだ万全ではないため、申し訳ないけれどもう少しだけここに身を寄せてもいいだろうかと頭を下げられてしまい私たちは慌てた。恐らく今この中で一番位が高いのはこの騎士だ、その騎士に頭を下げさせるわけにもいかない。

 迷惑ではないから体調が戻るまでにここにいればいいと言えば、ホッと小さく息を吐き「お願いします」とまた軽く頭を下げられた。

「あの、あなたに伺いたいことがあるのですか……いいでしょうか?」

「答えられる範囲であれば」

 テーブルを挟んで向き合うふたりにそれぞれお茶を差し出す。騎士はまた目を軽く見張り「畑で取れた茶葉よ」と説明すれままた「畑……」と小さく零す。一体どれだけ畑に衝撃を受けたのか。

 私も騎士が寝ている間に簡易的に作った椅子を先生の隣に並べて座る。お茶を啜ればいつも飲んでいるお茶とまったく同じ味だ。

「あなたが倒れていたのはこの家の裏にある森です。怪我をした足を引きずったような痕があったのですが、何があったのです?」

「……その説明をするにあたり、まずは自己紹介をさせてください。私はドミニク・アガレス。プルソン家の騎士です」

 姿勢を正して騎士はそう名乗った。

「エリーさん、当たってましたね」

「鎧にはそれぞれ仕えている家の特徴が反映されているの」

 一度お茶を飲んで喉を潤そうとしているドミニクの前でコソコソと会話をし、そしてカップを置いた音に私たちも姿勢を正した。

「プルソン家の騎士は南西の警備を任されています。丁度あの森の裏辺りです。数日前、いつもと同じように魔物討伐をしていました」

「湧いて出る魔物を定期的に討伐していらっしゃるのよね?」

「はい。しかし討伐し終えたと思ったんですが……いきなり、予測していないところから魔物が湧き出ました。しっかりと警戒スキルを持った騎士を連れていたにも関わらず。仲間を庇ったのですがそのときできた傷で魔物が私を標的として捉えました。数も数でしたので混乱する部隊から引き剥がそうと、近くにあった森へ」

 森へ入ってから彼を追ってきた魔物はその時点で討伐してくれたらしく、だから魔物は一匹たりともこの森に入らせてはいないと彼は続けた。確かに私たちが行ったときには魔物の気配がひとつもなかった。

 傷を負い毒まで受けてでも彼は複数の魔物を討伐した。騎士として立派な役割を果たしたのだ、仲間を守るために。

「私からも、おふたりに聞きたいことが」

「なんででしょう?」

「ここ最近、魔物があの森によく出現していませんか?」

 先生とふたりで顔を見合わせる。そう言われてみるとどうだろうか。確かに二年前に比べて目にする頻度が高くなったような気もするけれど、大体遭遇するのは一体だけ。一体だけならば私たちでも十分討伐できているから特に被害があるわけでもない。

 けれど先生は何かを考える素振りを見せ、確かに、と小さく零した。

「この周辺は結界が弱いです。ですが弱くても魔物が今まで入ってきたことがなかったから問題視にはされてはいなかった」

「勘違いでなければ……近年、魔物が増加傾向になっているような気がするんです。何かが起きているのか、または起ころうとしているのか……」

 ドミニクの言葉に一瞬背筋に悪寒が走る。家を出てから二年経った……つまりは、そろそろゲームスタートの時期なのだ。あの恋愛シュミレーションゲームはただハーレムを作るゲームではなかった。争いがあったりなんだりして聖女が力を発揮し解決へと導く――そう、ヒロインの見せ場を作るために騒動が起きる。

 まさか、と息を呑む。あの物語の登場人物ではなくなったといえ私はこの世界で生きている――争いに巻き込まれないという根拠はどこにもない。

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